CL.先達無き新兵達は。
150話!
──いくら何でも急過ぎないか?
彼はそんな風に少し呆れていた。
無理矢理徴兵されてから、まだ数十分といったところなのに、彼はもう既にライフル片手に立っていた。
あの後、一箇所に集められ、お偉いさんによる中身の無い鼓舞の演説を聞き、銃を配られ、そして歩調の揃わない汚い行進でここまでやって来た。
見慣れた街にはいつの間にやらそこら中に網の目の様に塹壕が掘られ、建物と建物の間を繋いでいる。
誰がやったのかは知らないが、この短時間でこれ程までに掘れるものなのか、と少し感心する。
流石に手作業では不可能だから、何らかの機械でも用いたのだろうが。
折角綺麗に敷き詰められていた石畳やレンガは、塹壕に居場所を奪われ、今は塹壕の前に土と一緒に積まれている。
美しくこの街を彩っていたそれらは、土だらけで縮こまっていて、物哀しい雰囲気を醸し出していた。
彼はその塹壕から覗く様にして北を見つめていた。
今日はヤケに雲が多く、空は灰色に染まっている。
これは一雪降りそうだ、と彼は思った。
まだ世間一般では秋という認識だが、連邦北部ではこの季節でもちょっとした雪が降る。
高緯度帯であるが故に気温も低いのだ。
だが、気分が最悪なのに晴天なのよりはよっぽどマシだろう。
こんな気分なのに天気だけ良いと、腹が立ってしまいそうだから。
周囲には、同じ様にして集められて来たと思しき人達が、同様に北をぼーっと眺めている。
嵐の前の静けさとは斯くの如し、という静まり返り方だ。
皆、揃って古びたライフルを持ち、死んだ目で敵の来る方向を見ている。
銃しか配られなかったので周りの人達は剣は持たず、見たところ周囲で帯剣しているのは彼のみだった。
彼は元から剣を持っていたため、そのまま持って行く事にしたのだった。
軍服すらも配られず、皆それぞれ思い思いの格好だが、それ以上にバラバラの寄せ集めの兵士達。
剣は配られなかったのも、当然戦闘経験など無く、剣など持たせても無駄だという事なのだろうか。
普通、軍隊ならば将官から一兵卒に至るまで腰に刀剣を差しているものだが、軍が彼等に求めるのは敵に勝つ事ではなく、足止めする事──ただそれのみなのだ。
実際、接近戦に持ち込む前に死ぬか、剣などまともに扱えないであろう素人集団には正しい対応だろう。
銃ならば数撃ちゃ当たる。だが剣はそうはいかないのだ。
彼自身はどうかと言うと、やはり銃など使った事は無かったが、剣に関しては毎日の様に鍛治士として働いてきたため、試し斬りなどでいくらか扱った事がある。
本職に敵うかどうかは疑わしいが、ど素人よりはよっぽどマシだと思われた。
大体、軍の方も本当にやる気があるのか疑わしい。
まともに戦わせようと考えているなら、せめて小隊規模の人数で纏めて戦わせるか何かしないと…何の具体的な指示も無く、無理矢理徴兵した一般人を適当に並べているだけでは、勝てる戦も勝てまい。
素人の中にプロ(正規兵)を混ぜて現場で支えさせるなり何なりしなければ、こんな寄せ集めの兵では少し攻撃を受けただけで総崩れになるだろう。
ふと、横に立っていた男が歩み寄って来た。
少なくとも気が狂って自分を殺しに来た、とかではなさそうだ、と判断した。
声を掛けるべきか。
短い間ではあるが、お隣さんとして一緒に死ぬ人物かもしれない。
最期くらい隣人と仲良くしておくべきだろう。
「どうされましたか?」
努めて笑顔で声を掛ける。
するとそのひょろりとした男も笑顔で応える。
「いえ、大した事ではないのですがね。酒を持って来たのですが、一人で呑むには多過ぎるので、宜しければ一緒にいかがですか?」
強制徴兵とはいえ、いくらか私物も持って来る事を許可されており、各々が思い思いのものを持って来ていた。
この男は酒を持って来た様で、確かに彼の元いた所には大きな鞄が置いてあった。
あの中に色々詰め込んであるのだろう。
彼も首都から逃げ延びる途中だったのだろうが、だとするとこの男は酒を持って逃げようとしていたという事になる。
酒を抱えて逃げる難民とは、これまた滑稽だ。
「ああ、そういう事ならば是非。丁度身体も冷えてきたところですから、有り難いですね」
しかし、お誘いは素直に受け取っておくべきだろう。
こういう時だからこそ、親切が身に染みる。
「いえいえ。私は独り身なものですから、荷物もそこにあるのが全てなのです。だから酒も全部持って来たは良いものの、飲まずにおいても無駄になってしまうでしょう。そんな勿体ない事をするぐらいならみんなで楽しく呑みたいですからね」
「では、有り難くご馳走になります」
その後、男が他にも呼ぶと言うので、その間に彼が地面に布を敷いたり、酒瓶を並べたり、と準備する。
最終的には彼を含めて六人で呑む事となった。
それぞれが食べ物や飲み物を持ち寄った結果、更に色々と増え、寂しく酒を飲むだけの予定が、ちょっとしたパーティー規模にまでなった。
「申し訳ない。荷物の殆どを家族に預けたもので…何も目ぼしいものを持ってないんです。俺だけタダ食い、タダ呑みですいません」
そう恐縮して謝る彼に、周りの五人は笑いながら首を振る。
「大丈夫ですよ。たまたま我々が食べ物を持って来ていたというだけの事ですから」
そう言って、青年が笑う。
彼はここで死ぬのが惜しい程の好青年で、今もおっさん相手に爽やかな笑顔を振り撒いている。
「ええ、彼の言う通りですよ。実は、徴兵された時あなたの事をお見掛けしたのですが、奥さんと娘さんと一緒だったでしょう?」
「はい。本当は三人で逃げるつもりだったんですが…」
「そういう事なら全く問題無いですよ、奥さんと娘さんのためなんですから。良い父親ですよ」
「いえいえ!仕事ばかりで子育ては妻に任せっきりだったぐらいです、良い父親なんかには程遠いですよ」
「仕事だって家族のためです。立派である事に違いありませんよ」
そんな会話から始まり、次第に互いの身の上話に移って行く。
身体も酒のお陰でポカポカと内側から温まってきて心地好い。
それ故に自然と口も動き、会話も弾む。
「そういえば、その腰の剣、どうされたんですか?」
六人の中で一番年長の、初老の男が腰の剣を指差して尋ねる。
「ああ、これですか?鍛治をやってるもので」
「ほぉ、ご自身のものなんですね」
「逃げる時に、無いよりはマシかと思って持ってきていたのです」
基本的に、連邦に於いては軍人や傭兵、一部の危険を伴う様な荷運びをする者など、特定の人々しか剣など持っている事はない。
その様な物騒なものを持たずとも生活上何の問題も無いからだ。
連邦は充分に文明が進んだ近代的な国家であり、戦時中の今は兎も角、平時には警察制度もきちんと機能している。
身を守るために武器が必要、などという第三世界の国々とは違うのだ。
故に一見、何て事ない一般市民の彼が剣を差している事を不思議に思ったとしても仕方がない事だった。
もしかしたら犯罪者の類かと疑られていたのかもしれないな、と彼は心中で苦笑いした。
「それならば安泰ですな!北の野蛮人ども如き、毎日剣を鍛えていたあなたにかかればお茶の子さいさいでしょう?」
おどけて男がそう言ってみせると、期待半分、諦め半分といった感じで皆が彼に注視する。
変に期待を抱かせてはいけない、と彼は慌てて否定する。
「確かに剣は毎日飽きる程見てきましたが、訓練どころか、まして実戦などした事もないのです。残念ながら帝国兵を剣でバッサバッサ…とはいかないでしょうね。それどころかその筋の専門である正規兵相手では一対一でも敵うかどうか…まあ無理でしょうね」
「そうですか…いや、もしかして、と思ったのですが世の中そう上手くいくものでもありませんね」
儚くもちょっとした期待が完全に消え去り、失望する皆に、彼は申し訳なさそうに笑いかける。
「まあ、今はそんな事考えていてもどうしようもありません。なるようになりますよ」
その言葉に、最もだと思ったのか、同意した他五人も一段と激しく酒を酌み交わす。
──しかし、そんな束の間の休息も直ぐに終わりを迎えるのだった。