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CXLIX.難民達

 季節は秋。

 そろそろかなり冷え込んでくる季節だ。


「お母さん、南の暖かい所、楽しみだねぇ」


「そうね」


 故に少女も南に行くのが楽しみらしい。

 実際には南に行けば多少は暖かくはなるのだろうが、大して変わらないだろう。

 が、そんな事を言って幼い我が子の夢を破壊する様な事を、両親がするはずもない。


 そうすると遂に少女は「砂漠が見たい」とか言い出す始末。

 一体どこまで行くつもりなのだろうか、この子。…と、思いつつも「砂漠は無理かなぁ」と柔らかく否定する両親。

 苦笑いが止まらないが、それでもこの少女がいなければ辛気臭い雰囲気になっていたであろうし、それよりはこの“幼女のトンデモ発言劇場”の方が幾分かマシだろう。


 そんな両親の複雑な心境とは裏腹に、北の帝国軍の南下に追われての南への逃避行ではあるが、そんな事をちっとも知らないこの少女はうきうきとはしゃいでいる。

 一応彼女もつい先程難民デビューをしたばかりの難民の端くれではあるが、どこからどう見ても難民とは思えない笑顔。


 いや、子供が笑顔、というのは勿論良い事だ。

 しかしながら…しかしながら…


「南では、海で泳げる?」


 こんな発言が平気で飛び出してくるのだ。

 それも、マシンガンとは言わぬものの、オートマチックガンぐらいのレベルで。


「そうねえ、泳げるかもしれないわね」


 南とは言っても海岸部に行くつもりはないし、多少南下したところで大して海温が上がる訳でもないが、少女の目の輝きを見ると、どうしても肯定せざるを得なかった。


 ちなみにここら一体の海は、現実世界で例えるならばオホーツク海、もしくは日本海北部ぐらいだと思ってくれれば良い。

 さあ、秋に泳げるだろうか?

 …うん、泳げない。


 少女は父親に抱かれながらも、腕の中でピョンピョン跳ねている。

 そしてそれを見る両親は苦笑い。


「ほら、危ないから大人しくしててね」


「はーい」


 返事は素直だが、少女は叱られてほんの少しぷくっと頰を膨らます。


「ねえ、どうやって行くの?お馬さん?」


 昔一度馬車に乗った事があるので、少女は遠出というと馬しか思い浮かばないのだ。

 一応この世界には馬どころか車、鉄道、航空機、船など何でも揃っているのだが、主に金銭的事情により、彼女が乗った事があるのは馬車のみ。

 まだ馬を使ってるのか、と思ってしまうかもしれないが、“馬”とは言っても異世界産だという事を忘れてはいけない。

 現実世界では有り得ないレベルでタフ。更に速度も出る。

 故に移動手段としての馬は未だに駆逐される事なくしぶとく生き残っているのだ。


「うーん…そうしたいけど、道が混んでてそれは無理そうだね」


「どうして混んでるの?」


 母親はちらりと夫の方を見る。

 そして上手く答えろ、と目で合図。

 それを受けて父親があたふたしながらも、咄嗟に答えた。


「あー…みんなも旅行に行くからかな。みんな一緒だね」


「へー、みんな旅行するんだねー。同じだね」


 少女はにこにこと笑う。

 幼い我が子に戦争の実感なんて湧かさせるもんか、という涙ぐましい両親の努力だ。

 多分、子供に「赤ちゃんはどこから来るの?」とか訊かれた親もこんな感じなんだろう。


 やはり、大通りに出ると、かなりの混雑だった。

 道路は車でごった返しており、殆ど停止状態。

 馬車を借りても歩くのとさして変わらないだろうと思われた。

 少なくとも、しばらくは歩く事になりそうだ。


「でも、歩き続けるのはかなり厳しいだろうから、どこかで馬車かバスにでも乗せてもらおう」


「どこかってどこで?」


「首都圏を出れば、道が分岐していくから、その辺りだな。さあ、暗くなるまでにそこまでは行かないと。もう少しだけ急ぐよ」


「うん」


 バスという単語が出てきたため、少女はもう既にバスに乗るつもりらしく、バスバスバス、と鼻歌混じりに連呼する。

 彼女にとってはバスは未知の存在。これくらいは仕方がないのだが、左右の両親は顔を見合わせてやはり苦笑いするのだった。



 ✳︎



 順調だ。

 どんどん立ち往生する車の間を縫って進んで行く。

 この調子なら何とか日の暮れる前に首都圏を抜ける事は出来そうだ。


 左右を見渡すと、どこの建物にも人の気配が無い。

 やはり、殆どの人々がこの街を捨てて逃げる事を選んだ様だった。


 腕が疲れたので、父親は今は少女を肩車している。

 普段は見慣れない高い所から見た世界に、少女ははしゃいでいた。


「落ちないようにしてよ」


 母親はそれを見て少し心配そうだ。


「分かってるよ」


「ふふふぅ〜落ちないもーん!」


 少女は父親の頭をぺしぺし叩いたり、髪の毛を引っ張って父に怒られたり、といった調子だ。

 疲れを知らぬ幼な子である。


 そんな時、前の方から数人の男達が血相を変えて走って来た。

 人々を押し除ける様にして我先にと逆走している。

 彼らはそのまま流れとは逆に走り去って行く。


「どうしたんだろう?」


「さあ…?」


 そんな事を言っていると、目の前からまた逆走して来る一団が。


「あ!兵隊さんだ!」


 兵士達だった。

 皆緊張した顔をしている。


 もしかしてこれからこの人達も戦うのだろうか…?

 そんな事を思っていた思っていた矢先の事だった。


「止まれ!」


 一人の歩兵が叫び、数人の兵士が道を塞ぐ。

 広い大通りに、隙間を作らずに兵士が壁を作った。

 流石に銃口を向ける様な事はないが、命令があればいつでも撃ってきそうな物々しい様子。

 …まさか、戦時中に軍が国民を撃つなんて真似をするはずもなかろうが…


「検問か?」


「何でも良いから通してくれよ!」


 口々に人々が不満を言う。

 もしかしたらこの混雑はこれのせいでもあるのかもしれない。


「聞け!現在、連邦はプラトーク帝国の侵攻を受け、ここにも敵は迫って来ている。しかし、軍の大半はフォーアツァイト帝国に対抗すべく南に配備されており、兵力が不足している。よって、首都防衛のため民間人の協力を仰ぐ事に決まった!南からの援軍が来るまで、戦える者は我々に協力して戦っていただたい」


 その宣言によって、一気に皆がどよめく。

 どうやら、一般人を強制的に徴兵するという最終手段に出るらしい。

 確かに、戦える者は首都に残り武器を取って戦え、という趣旨の要請は政府から発表されていたが、あくまで強制力の無い“要請”であった。それ故に、これは想定外だった。

 軍としても苦肉の策だろう。

 しかし、それ程までに追い詰められているのか。


「大統領緊急事態宣言が発令され、議会もこれを承認した!よって現在、連邦政府は戦時特別体制に移行しており、大統領令が全ての法律に優先される。また、本日午前六時、大統領令第二号が下された。その内容を簡潔に告げる。曰く、プラトーク帝国の国際慣例法を無視した卑怯な奇襲攻撃は許されざるものであり、明確な侵略行為である。正義がどちらにあるかは明白であり、我々連邦国民は斯様(かよう)な暴挙を黙って見過ごす事も、屈する事も無いのである!この有事に際し、全国民は一致団結し一丸となって事に当たるべし!これより大統領緊急事態権限に基づき、四十歳未満の成人男子の徴兵を行い、条件を満たさずとも兵役に耐え得ると判断されし壮健なる者を対象に年齢・性別問わず募兵す!徴兵対象者並びに兵役志願者は、直ちに最寄りの陸軍駐屯基地に出頭し、祖国と家族と平和と正義のために戦うべし!」


 抗議する者、黙って突っ立っている者、逃げ出す者。

 人それぞれだが、どうやら何れにせよ逃げ場は無いらしい。

 いつの間にか、後ろや横にも兵士が並んでいて、囲い込む様に立っていた。

 この中にいる戦える男はもう戦場行き決定だ。


 増援など、生きているうちに来るのかどうかも怪しい。

 殆ど死にに行く様なものだ。

 そして、少女の父親も戦える男の一人だった。


「すまない…俺はここでお別れの様だ…後は二人で行ってくれ」


 彼はそう呟く様に話した。


「お父さん、どういう事?」


 肩の上の娘はまだ状況が掴めていないらしい。


「お父さんな、これから兵隊さんになって戦って来る事になったんだ」


「え?お父さんが兵隊さんになるの?」


 少女の母親は、堪え切れずぐすぐすと泣き始めた。


「お母さん、なんで泣いてるの?」


「ごめんね…私が…しっかりしなきゃダメなのにね…ごめんね…」


 そう言って、母は余計に激しく泣き出す。


「そうか…お父さん兵隊さんになるんだ…剣も持ってるもんね。これならいっぱいお野菜も切れるもんね」


「そうだな…」


 父親は、思わぬ娘の惚けた発言に、苦笑を隠せない。

 彼は少女を肩から降ろすと、しゃがんで、妻と共にその小さな体を抱きしめた。


「お父さんはな、本当は三人で行くつもりだったんだけどな、行けなくなっちゃったな。だから、お父さんも後から追い掛けるから先に行ってくれるか?」


「うん!」


 少女は元気に返事をする。


「良い子だなぁ。お父さんがいない間もちゃんと良い子にしてるんだぞ?お母さんの言う事、ちゃんと聞いてな」


「うん、分かってる!」


「そうかそうか」


 彼は微笑むと、娘の頭をぐしぐしと力強く撫でた。

 綺麗に結んだ髪が少し乱れたが、気にしない。

 背後からは兵士の急かす声が聞こえる。


「よし、それじゃあ行ってくるな」


 最後に、まだ泣いている妻の頰にキスを一つして、彼は立ち上がった。


「ねえ、お父さん!いつ戻って来るの?その時良い子にしてたらお菓子買ってくれる?」


 少女がそう尋ねる。

 父親は微笑ましげに笑う。


「そうだなぁ、もし良い子だったら買ってあげるよ。食べ切れないぐらいにいっぱいな」


「約束だからね!」


「おう」


 背負っていたリュックを預けると、彼は静かに手招きする兵士の元へと歩いて行った。

 妻と娘はその後ろ姿を目で追っていたが、他の何人もの男達に紛れて、やがて見えなくなった。


 妻は思った。これ程までに幸せとは儚いのか、と。

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