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CXLVII. югвосток

※注釈

・югвосток

ユークヴォストーク。果たして本当にこんな単語があるのか。…いや、無い。

 〜十二月六日 プラトーク帝国〜


  「フォーアツァイト帝国だけでなく、メーヴェまで仲間に引き入れられるなんて、当初の想定と比べれば我々の将来は明るそうだな」


 私は、小さな丸テーブルを挟み、ナーシャとルイーゼを順に見た。

 彼女達は私を見つめると、小さく頷いた。


「ナーシャ、今まで随分と待たせてすまなかった。…色々あったが、今はこれで良かったのだと思えるよ」


 妹は──彼女にしては珍しく──無言であった。

 ただ、静かに微笑んだ。

 久しぶりの、満足そうな笑みだった。


「──待たせた…という意味では君もそうだな…ルイーゼ。遅くなったな。しかしこれはゴールではなく、スタートだ。これまでも、そしてこれからも…君には苦労をかける事も多いが、どうか宜しく頼む」


「…御意に」


 彼女はナーシャとは打って変わって、何か感慨深げな、哀愁漂う笑みを浮かべた。


 …当然か。

 ここは彼女にとって、祖国から遠く離れた異国の地。

 慣れぬ環境に、見知らぬ人ばかり。

 それに、これはまだまだ序章(始まり)に過ぎぬ。ここからが本当の苦難の道だ。艱難辛苦が我々を待ち構えているだろう。


「不安か?」


 私の言葉に、彼女はゆっくりと首肯した。


「不安でないと申しますと、嘘になるのでしょうね…私にも、これが不安なのか緊張なのか判らないのですが。…開戦前の空気というものは、好きになれませんね」


「私は今、楽しくて仕方がないのだがなぁ…今宵、そして明朝はプラトーク史──否、全世界史に残る、歴史的な日となるのだろうと思うと。…これが、栄光への第一歩なのだと思うと」


 ルイーゼは呆れた様な、諦めた様な、何とも言えぬ顔をした。


「殿方は戦争がお好きな様で…軍人の皆さんなど、特に活き活きとしておられますね」


「将校だけかと思えば、下士官・一兵卒に至るまで凄まじい張り切り様だぞ。奇襲計画は極秘だが、もしかしたら軍人達は薄々勘付いておるのやもしれん。士気はこれ以上望み様が無い程に高い。世界広しといえど、これだけ戦争を求めていた軍隊はプラトーク帝国軍以外に存在しないに違いない」


 本来、軍人こそが最も平和を愛する人間であるはずだ。

 それなのに我が軍ときたら、諸手を挙げて戦争万歳!…だ。 正直、狂気じみている。

 無論、士気が高い事自体は有り難いのだが。


「やはりルイーゼは愚かですね。戦争の何が不安なのでしょう。戦う前から負ける事ばかり考えているとは、仮にもフォーアツァイトの姫君の名が廃りますね」


 ナーシャが一々喧嘩腰なのは、まあいつもの事だが…今日ぐらいは仲良くしてもらいたいものである。

 第一、これからもずっと──嫌でも一緒にいざるを得ないのだから、この調子では先が思いやられる。


「この戦はフォーアツァイトにとってもプラトークにとっても、国家の命運を賭けた一世一代の大勝負。敗北すれば、地図上から帝国の名は消え去るでしょう。当然、私からしても負けられぬ戦には違いありません。しかし、勝利だけを考えるのも危険でしょう。戦争は勝利と敗北のみによって決する訳ではないのですから」


 暗に、引き際を考えろ…と、忠告されているのだろうか。

 確かに、彼女からすれば今のプラトークは危うく見えるに違いない。さながら暴走列車か何かに見えるのだろう。

 開戦直前の状況で、この様な慎重論を説く彼女は煙たがれる存在かもしれない。しかし、彼女はそれを理解していて敢えてこの様に言っているのだ。

 ブレーキ役としては得難き人材だ。特に、ナーシャの様なイエスマン(ウーマン?)が多いからな、私の周囲には。


 しかし感心する私とは裏腹に、ナーシャはどうも気に食わんらしい。

 まるでよく吠える小型犬の如く、ルイーゼに噛み付いた。


「敗北すれば帝国が滅ぶ。帝国が滅びれば、我々も滅ぶ…ルイーゼ、別に我々は敗北を考えていないのではありません。我々に敗北など許されぬから、敢えて考えないだけです。敗北すればチェックメイトだと分かっているのですから、考えるだけ無駄というものでしょう?それとも、そうなったらあなただけは寝返るのかしら?」


「一昔前ならば敗北とは即ち死を意味するものでしたが…今はそうでもないでしょう?それに、引き分けという決着もあり得ます」


「いいえ、あり得ません!ルイーゼ、あなたも解っているくせに…!よくもまあ、いけしゃあしゃあとその様な事を言えたものですね。戦争にきっちりと勝てなければ、敵を残したまま国力だけを低下させる羽目になります。全力を出し切った後に、果たして帝国にいかばかりの余力が残っているのやら。…その先に待つのは破滅ですよ。敗北を受け入れて惨めに生き延びるくらいならば、私は兄上と共に死を選びます。兄上のいらっしゃらない世界に意味などありませんから」


 うーん…ナーシャはやはり狂信的というか何というか…重たい。

 戦争に負ければ、私は戦争責任者として十中八九処刑されるだろう。ナーシャにとって、それは単なる敗北以上の意味を持つのであろう。…恐らくは、この世の終わりぐらいの。


「もしもの場合は、亡命なり何なりと好きにすれば可い。無論、私には負ける気など一切無いが」


「勘違いなさらないで下さいね、始まる前から負けるつもりでこの様に言っている訳ではないのです。あくまで、そういう想定もしておくべきだという話なだけで…」


 ルイーゼは私を何だと思っているのだろうか。諫言も受け容れられぬ狭量な輩だとでも?

 だとすれば心外だ。私はそれ程愚かではない。


「ルイーゼ、君こそ勘違いしている様だな。 私をナーシャと同じに考えてもらっては困る。そういう耳に痛い忠告は、寧ろ有り難いくらいなのだ。これからも何か気付く事があったら、遠慮なく言って欲しい」


「は、はい…」


 うーん…まだまだ遠慮がちである。

 プラトークに到着するまでは結構元気だったのだが、プラトークに来るや否や、途端に遠慮が混じる様になってしまった。

 やはり私にとってはホームでも、彼女にとってここはアウェー。

 どうしても色々と遠慮してしまうのであろう。


「ナーシャ、君も他人事ではないぞ。私の行動が間違っていると思ったら、遠慮なく言ってくれ。自分では自らの過ちには気付けぬものだからな」


 我が意を得たり、とばかりにナーシャは薄笑いを浮かべた。


「兄上に申し上げる事があるとすれば、一つだけ」


「…ほう?何だ?」


「兄上はルイーゼに甘過ぎます」


「…」


 何も言い返せなかった。

 これにはルイーゼも苦笑い。


「これからも何か忠言すべき事があれば、遠慮なく申し上げて宜しいのでしょうか?」


 うわ、凄い笑顔。…わざとらしい。


「…勿論だ。遠慮は無用だ」

 

 本音を言うと、非常に遠慮してもらいたいが。


「そうですね、だって私達は遂に──夫婦になるのですからね」


 そう、夫婦になるのだ。



 *



 玉座の間では、ずらりと軍服が整列し、堂々と我々を待ち構えていた。

 強面の軍人達の後ろの列には、(いか)ついのから丸々としたのまで、バラエティー豊かな貴族達が勢揃いだ。

 そしてそのまた後ろには、如何にもインテリじみた高級官僚達が、緊張で顔を青くしながら立っていた。

 こうして比べてみると、面白いくらいに性質が違う。


 軍服達の間を縫う様にぞろぞろと歩くのは、

 皇帝陛下ことニコライ・アレクサンドロヴィーチ・ロマナフ、つまりこの私。

 我が母にして皇太后、マリア・フェードロヴナ。

 ナーシャの母親、マリア・アレクサンドロヴナ。

 妹のアナスアシア。

 トルストイ伯こと我が姉、オリガ。そしてセットでその息子──私の甥っ子だ。

 そして最後にルイーゼ。


 皇族勢揃い、といったところだ。

 当然ながら警備も厳重で、我々の前後左右を固める形で近衛兵数十人。室内各所にも数百人。

 私が長らく国を留守にしていたという事もあり、まだ不満分子を完全には片付けきれていない。これぐらいの警備は必須である。

 私の祖父などは、爆弾テロで亡くなったそうだ。同じ事が起こらぬなどと誰が言えようか。


「「「ウラー(ypaaaa)!!」」」


 歓呼の声を浴びながら、我々はゆっくりゆっくりと歩いていく。

 前列の軍人達が万歳をすると、彼らの身長が高いせいで後列の貴族や文官達が全く見えなくなってしまう。


 ここに出席を許される様な高級将校達は、皆明日から何が始まるのかを知っている。

 貴族や文官達は、今日の集いをただの戴冠式と、そのための結婚式であるとしか認識していない。それすらも前座であるのに。

 長らく日陰者だった軍が、明日からは国家の命運を賭けた戦いで活躍出来る…それを知っている彼らの歓声は、まさしく本物であった。

 戦争を好む軍人──異様な光景がそこにはあった。


 玉座の間をぞろぞろと歩くだけで、優に五分はかかった。

 その間ウラーと叫び続けるのだから、彼らも大変なものである。


 玉座の前まで辿り着くと、我々は横一例にずらりと並んだ。

 壇上から、歓声を上げる皆を左から右に見渡す。皆、私を見つめている。


 ──懐かしい気がした。かつて憧れた光景だった。


 私が右手を静かに挙げると、一瞬で男達の野太い声が鎮まった。ただ反響音が、ぼわんぼわんと余韻を残すのみである。


 深呼吸。


 全ての目が、私を急かす様に今か今かと待ちわびていた。

 だが、私は敢えて鈍感を装い、それを無視した。口を閉ざしたまま、彼らと見つめ合った。

 沈黙が続いて暫くして、私は一歩前に進んだ。


「ルイーゼ、ナーシャ、来てくれ」


 前を向いたままで、後ろに立っているであろう二人の名を呼ぶ。

 すると、二人は無言で私の両脇──半歩後ろ──に進み出た。


 あの時とは違う。

 あの時とは、違う。

 かつて私がここに立った時は、ナーシャしかいなかった。

 だが、今は違う。

 ルイーゼもいる。

 ナーシャはあの時からずっと私の側にいる。


 同じなのは、これが始まりであるという事。

 あの時も、それは始まりの瞬間であった。

 そして今も、これは始まりの瞬間である。


「──お前達は私を()()と呼ぶ。…否、呼ばされている」


 私が小さく声を漏らす様にそう述べると、皆が一言一句聞き逃すまいと耳を傾けるのが分かった。


「だが、本来私にその様に呼ばれる資格は無い。…帝位の簒奪者である私には。実際、私を良く思わぬ者達は兵を起こし、この宮殿を囲んだ。結果的に私は勝利したが、そうでなければ私はただの反逆者として一生を終えたかもしれぬ。しかし、私は今ここに立っている。ここに立っている。お前達の前に、立っている」


 私の目に、ヴィートゲンシュテインの姿が映った。

 私は彼を見つめた。


「お前達は、何故私が今ここに立つ事を許しているのだ?何故だ?ここに立つ人間が誰であろうと、お前達にとってはどうでも良いのか?それとも、今この瞬間も私を引き摺り下ろそうと腹の(うち)では考えておるのか?お前達は何を思って先代に仕えていた?」


 勿論、誰一人として口を開かない。

 私は、何かを言いたげな表情のヴィートゲンシュテインを指差した。


「軍務大臣兼帝国軍総司令官ピョートル・フロスティアーラヴィチ・ヴィートゲンシュテイン!発言を許す!」


 一斉に、周囲の視線が彼に向かった。

 彼は些か緊張した面持ちで敬礼すると、大きく息を吸った。


「発言をお赦しいただき感謝申し上げます!陛下は覚えておいででしょうか。我々軍部は陛下を全面的に支持させていただく…と、かつて私が奏上致しました事を」


 当然ながら覚えている。あれはかなり印象的な出来事だったから、忘れようはずもない。

 私にとって、今も昔も変わらず軍部は最大の支持基盤である。彼ら抜きでは私の即位など考えられなかった事だろう。

 同時に、軍部からしても私は恩人である。

 こうして今ここで軍人が偉そうにしていられるのも、私のおかげなのだから。


 要は、互いに依存し合った、ウィンウィンの関係なのである。

 だからこそ互いに信頼し合える。


「覚えているとも。卿の言葉は(しか)と、な」


「それならば、今ここに宣言致しましょう。我々は今も変わらず陛下に忠誠を捧げております。それどころか、ここほんの半年間での陛下のご活躍は目を見張るばかりのもので、我々一同、敬愛の念をより一層深くする一方です。逆賊達が起こした──謀反の際にご証明なさった並々ならぬ軍事的才。長らく縁の薄かった南帝国(フォーアツァイト)とも手を組み、ルイーゼ殿下を正妃として我が国に迎え入れる事が出来るとは…この半年間で、陛下の才能の程は十二分に示されております。斯くも偉大な皇帝を、一体誰が拒みましょうや?新たな皇帝ニコライに万歳!プラトークに栄光あれ!」


 ヴィートゲンシュテインがサーベルを抜き、天高く刃を突き上げた。

 釣られる様にして軍人達が剣を抜き、ウラー、と叫びながら剣を頭上で振り回す。


「…」


 唖然としたしたのは私だけではなかったらしい。

 貴族達や官僚達も、ぽかんとした表情である。


 そのうち、警備の任に就いていた近衛兵達までつられて剣を抜き始めた。

 嬉しそうな顔で皆刃物を振り回している。


「とんでもなく野蛮な結婚式になったものです…」


 ナーシャが呆れた様に、それでいてどこか嬉しそうに呟いた。


「私の結婚式。戴冠式。そして戦の始まりに相応しい演出ではないか。少々荒々しいがな」


 こうして、私とナーシャ、ルイーゼの結婚式と戴冠式が始まった。

 そして、私は式典の最後にこう叫んだのである。


南方を征服せよ(ユークヴォストーク)!!」


 …と。

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