CXLVI.首都防空戦
〜エクテラミュジーク= セドゥイゾント連邦 作戦エリアG2上空〜
《来たぞォ!敵戦闘機編隊確認!全機戦闘フォーメーション!》
それを合図に全機が元々決められていた形に隊列を変形させる。
現時点で高度はかなり高く、眼下には白い雲が海の如く波を生んでいる。
目を凝らすと、前方からこちらと同様に敵機が雲の上を飛んで来ていた。
まだよく見えないが、あちらもかなり数が揃っている。
こちらはエリアGの制空権を賭けて方々から集められた戦闘機四十二機。
敵はそれと同数かそれより少し少ない程度だろう。
地上は兎も角、空に於いては連邦の優勢。
少なくとも連邦の地上戦力に空から爆弾が降って来る事だけは無い。
しかし、それも手放しに喜べるものではない。
元々連邦は他国に類を見ない程に航空機に力を入れていた。
その連邦が航空戦に於いても多少プラトークよりも優勢、といった程度なのは、正直良い状況とは言えない。
想像以上に北の帝国は準備をしてきたらしい。
墜としても墜としてもどこからともなく蝿の様にまた現れ、連邦に侵入して来る。
優勢とはいえ連邦にも余裕がある訳ではない。
真正面からぶつかっていてはいくらあっても航空機は足りない。
故に基本的には少数ずつに分かれて各地に散らばり、敵を待ち構えてヒットエンドランで敵戦力を少しずつ削る…
そんな作戦に徹するしかなかった。
故に首都圏を守る最終防衛線であるここ作戦エリアG2に於いても、四十二機という連邦の航空戦力の規模の割には少数の戦闘機が守備するのみだった。
そんな状況では敵地上部隊に対する爆撃もまともに出来ず、局所的に申し訳程度の爆弾を落とすのみ。
本当にこの国は滅びるのではないか、その様に考えてしまう者が徐々に増えてくるのも当然の帰結かと思われた。
第一、これだけの規模の敵機に首都圏の真近まで接近を許してしまっているのも相当拙い。
ここに来るまでに敵機の大群は何度も連邦航空隊の待ち伏せ攻撃を受けているはずなのだ。
それにも拘らずこれ程の数を維持している事を考えると、国境付近は相当の混乱なのだろう事は簡単に予想出来る。
航空防衛線が最早機能してないのか、それとも敵機の数が常軌を逸していたのか…
どちらにせよ芳しくない。
今は戦闘機しか確認出来ないが、ここまで来たからには付近に爆撃機の大規模編隊が飛んでいるであろう事は分かる。
ここで敵機の始末に時間をかけ過ぎれば、首都圏に敵機の爆弾の雨が降る。
それだけは避けなければならない。
しかし反対に、彼等もまた時間を稼ぐ事が使命なのだ。
ここでぶつかる事は避けられそうにはなかった。
かなり距離が縮み、敵の事がよく見える様になってくる。
敵は重戦闘機だけの編成。
先頭に一列並べ、その後ろにぴったりと何機も張り付いている。
彼等は見事に直方体の隊形だ。
それに対してこちらは重戦闘機の後ろに軽戦闘機をならべているものの、先頭が尖った方錐形。
時間稼ぎがしたい帝国側と、直ぐに決着をつけたい連邦、両者の立場を如実に表している。
しかし本当は航空機にフォーメーションなど殆ど意味が無い。
何故なら余りにも機動力があり、個人主義な航空機では、直ぐにバラバラになってしまうからだ。
要するにこの様な綺麗な隊形をしているのもぶつかるまでだ。
両者が交じり合った瞬間、それは蚊柱の様にブンブンとうるさい音を立てててんで好き勝手に飛び回る。
そしてそれは空を飛ぶ者にとって、最も死に近い時間だ。
つまり、この瞬間の事を飛行機乗りはこう言う。「楽しいパーティーの時間だ!!」と。
そしてそれは皮肉でも何でもなく、どうせ死ぬなら空が良いと思っている彼等にとっては実際に楽しいパーティーだ。
塹壕で泥まみれになりながら肉片になって死ぬか。
孤立無援で敵に囲まれ、身体中を弾丸や刀身で抉られて死ぬか。
補給を絶たれ、飢えて朽ちて逝くか。
火に焼かれて燃え尽きるか。
深く、凍る様に冷たい水の中へと沈んで行くか。
それと比べれば楽しい死に方だと、飛行機乗り達は信じてやまない。
そして今、首都圏付近上空にて、新しいパーティーが始まろうとしていた。
連邦航空隊諸君が白い絨毯の敷き詰められた、見渡す限り青と白のみの美しいパーティー会場でお出迎えである。
太陽のシャンデリアが上空では輝いている。
対するお客は北帝国の戦闘機達。
本当は招待状も送っていないのだが、焼きたてのターキーの匂いにつられて、ついつい来てしまったお茶目な招かれざる客だ。
しかし連邦航空隊諸君は、そんな客にも差別する事なくVIP待遇で迎え入れてあげる度量のある紳士達であった。
《おいおい…久し振りにに見たぜ、あのデブが飛んでるところをよ。大丈夫なのか?こんな時代遅れの機体を使うなんて》
《うるせえ!時代遅れでもテメエらの盾ぐらいにはなってみせらァ!黙って後ろでブルブル震えとけ!》
連邦がシヤンを中心とする方針になってから、本来のメインであった重戦闘機はお蔵入りとなっていた。
それをこの緊急事態に、無理矢理引っ張り出して使用しているのだ。
そういった事情があって、重戦闘機に乗るパイロット達は半分ヤケクソだった。
《へへへ、なら本当に盾になるのかどうか試してやろうじゃねえか。北からのお客様に連邦流の接待を教えてやろうぜ!さあ、パーティーのお時間だ!!》
こんな時でもジョークを忘れないのが連邦流。
そんな狂った号令の下、敵の群れに突っ込んで行く。
向かい合った最初の衝突では、重戦闘機同士が互いの火力と防御力を比べた命懸けのシャンパンのかまし合いを開始する。
多量のアルコールに耐え切れなくなった機体から次々に火ダルマになって墜ちていく。
そしてそのまま通り過ぎると後続の軽戦闘機がクルンとターンをして、敵機に向かって行く。
ダンスパーティーの始まりだ。
連邦の華奢な身体のシヤンが、空に舞う。
まさにそれは蚊柱と言っても良い光景だった。
少なくとも粉雪なぞではない。
ひらりひらりと舞う機体と、その間を縫う様に飛び交う弾丸。
曳光弾のチカチカとした光が機体の隙間から溢れてくる。
そして次々と被弾した戦闘機が周りを盛大に巻き込みながら爆発したり火を噴いて墜ちる。
ダンスパーティーはダンスパーティーでも、余りお上品とは言えないのは明らかだろう。
そしてそこに遅れて重戦闘機が突っ込んで来る。
フレンドリーファイアーを恐れて、弾丸を撒き散らす様な事はしないが、それでも十分過ぎる程に弾丸を蚊柱へと流し込み、更にカオスな状況にしていく。
──そして俺は、その蚊柱の中央にいた。
《あああああああ!!!》
《被弾した!離れっ…!!!》
無線は最早叫び声を他人に聴かせるためのものとなっていた。
場所によっては空気よりも弾丸が多い程で、シヤンご自慢の軽快な動きも意味を為さない。
俺も既に攻撃は諦め、向かって来る弾丸を捌いての回避だけに集中していた。
余りにも凄まじい弾幕に、物理的に回避の限界を超える飽和攻撃になっていた。
実際、先程もターン中に右翼の先端に徹甲弾らしきものがかすり、ひやっとしたものだ。
もしそれが徹甲弾ではなく榴弾だったならば危うく信管が作動していたところだった。
そうなれば良くて戦闘不能、という程度には被害を受けたはずだ。
神のご加護に感謝せねばなるまい。
そう考えているうちにも前方から弾丸が飛び込んで来て、それを何とか逸らす。
後ろに付かれれば、強制的に自機をストールターンさせ、一気にクルンと機首を回転させると、迫って来る敵機を機銃で粉々にし、数メートル下方の地面にまで叩き付けた。
シヤンのエンジン馬力は小さい割には大したものだが、それでも限界がある。
どんどん高度が下がっていく。
ターン、ターン、ターン、ターン。
ターンを繰り返し、翼を捻り、予測不能の軌道を描いて敵機を翻弄する。
ターン。そして直ぐ前方で爆発。
飛んで来る破片に耐え、またターン。
楽して稼ぐために軍に入隊したものの、この単純で命懸けの作業では給料に見合っていないと思われた。
軍などというものは、給料泥棒などと呼ばれているぐらいで丁度良いのかもしれない。
とんだ沈み行く泥舟に乗りかかってしまったものだ。
一つ、二つ、三つ…途中で数えるのを諦めたものの、自分一人で最低五機は墜としており、エースと呼ばれて然るべきでは、と思ってしまう。
しかし、エースだろうが何だろうが待遇は一兵卒だ。
大方墜とした後も、そのままでは終わらない。
雲に隠れているであろう、敵爆撃機編隊を探し出すべく散らばって捜索を開始する。
四十二機だった連邦航空隊も、先の戦闘で半数程にまで数を減らしていた。
捜索開始後いくらか時間が経っても、爆撃機はどこにも見当たらない。
全方向見渡してもどこにも見当たらないのだ。
後は下方に広がる白い大海原のみ。
こうなれば、残された可能性はそこか、もしくはこの辺りにはもう既にいないかだ。
いずれにせよ、探し続けるしかないのだった。
《こっちにもいないぞ!》
《こちらファサード5。敵機発見出来ず。引き続き捜索し…うわあああ!》
淡々とした連絡の通信の最中に、突如紛れ込む悲鳴。
一気に緊張が走る。
《ファサード5?!どうした!?応答しろ!ファサード5!!》
《近いぞ!そこだ!》
《雲の中だ!あの中に隠れてやがるぞ!》
《待ち構えてやがるぞ!突っ込むな!》
《メーデー、メーデー、メーデー!!こちらはイヴェール4、イヴェール4、イヴェール4!メーデー、イヴェール4!位置は不明!僚機がやられた!雲の中で奇襲を受けた!援護を要請する!メーデー、イヴェール4!オーバー!》
瞬時にして無線がざわつき始め、皆の額に冷や汗が滲んだ。
追いかける側であるはずのこちらが、逆に奇襲を受けたのだ。
予想外の展開に惑うしかない。
《全機集合!雲の外から機銃を流し込むぞ!突っ込めば敵の思う壺だ!》
即座に集結した重戦闘機が自慢の高火力をお披露目する。
しかし、いくら投射量が多いと雖も、見えない敵に向かって機銃を撃つのは目隠しして喧嘩する様なものだ。
いくら拳を振り回そうとも、当たらなければ意味が無いのだ。
さて、牽制になるかどうか…といったところ。殆ど意味は無いだろう。
しかし、見えていないのは敵も同じであり、そういう意味では今のところはこちらが有利だった。
最前列の戦闘機が一通り機銃掃射し、それが終わるとクルンとターンして後列に譲る。
そして後列が同様に繰り返す。
連邦陸軍航空隊お得意の航空集団戦法。世界広しといえど、これ程の連携を空中で行えるのは我々だけに違いない。
相当数撃ったため、こちらの存在に意識を向けさせるぐらいの事は出来そうだが、敵は仕掛けて来ない。
もしや、もう既にあの雲の中から敵は離脱しているのでは?
そんな不安が鎌首もたげてくるが、雑念を追い払い、ただひたすら射撃を繰り返す。
《撃ち方やめい!撃ち方やめ!》
その後しばらくして、号令と共に射撃は停止される。
もう既に敵はかなり減っているという想定の下の判断だ。
《全機散開!付近の捜索を開始せよ!討ち漏らしがいるはずだ!》
要はこれは残党狩りだ。
射撃を受け、敵は蜘蛛の子を散らす様に逃げただろう、という想定で生き残りを始末するのだ。
血も涙もないが、その一機の爆撃機が重大な損害を与え得るのだから仕方がない。
次々と雲を囲む様にばらけて行く。
《敵確認出来ず!》
《異常無し!》
《敵、見当たりません!》
全機始末した…のか?
《戦闘続行が不可能なヤツは帰投しろ。まだいけるヤツはこれより爆撃機の直掩任務だ。地上部隊を援護するぞ》
──その時は誰も知らなかった。
狩るべき爆撃機なんてものが存在しないという事を。
彼等の対峙してきた敵戦闘機こそが、狩るべき爆撃機でもあるという事を。