CXLIV.遭遇
前方遥か先に黄色い小さな点が見えてきた。
例の味方の歩兵さん達だろう。お勤めご苦労様です。
国境警備の名目で寒い中ひたすらお外で立たされる可哀想な方々だ。
あそこまで行って、地上部隊から確認の無線を頂いたら、あとは踵を返して戻るだけ。
さっさと終わらせようではないか。
《エール3、分かってるとは思うが、頼むぞ》
ああ、ですよねー。
やっぱりここでも交信は俺の仕事だと。
「エール1へ、了解。オーバー」
心中お察し下さいよ、隊長殿。
…とか言うと隊長殿の雷がドカーンなので、素直に返事する。
更に進むと大量のテント群が見えてきた。
帝国の様にボロくても良いから基地を造れば良いのに、彼らはずっとテント生活だ。
…可哀想に。
キャンプ気分が味わえるのは最初の三十分ぐらいだけだろう。
ここら一帯は馬鹿みたいに寒い気候なので、テントでは耐えられないのではなかろうか。
まあ、これに関しては歩兵さんマジリスペクト…って事で。
もし俺がそんな生活をしろと命令されたら、嫌過ぎて泣いちゃうな。
巨乳とも無縁なテント暮らし…うん、人生の墓場だ。
《こちら北部国境警備隊。未確認機、作戦コードと部隊番号を告げられよ》
来た来た。
分かってるクセに未確認機とか呼んじゃうところがまたねえ…
「こちらエール1、3。通常定期哨戒任務WS-0079、部隊番号FS-0162、確認されたい」
数秒の間。
《確認した。任務報告されよ》
「異常発見出来ず。異常発見出来ず。これより帰投する」
《了解。帰投せよ、オーバー》
どうも、お先に帰らせていただきます。
隊長殿に合わせて、ゆっくり右にエルロン、軽くエレベーターをアップ。
大きな円を描いてUターン。
この瞬間が一番好きだ。
遊園地のアトラクションの様なちょっとした高揚感。
つまり玉ヒュン。
「うひょお…」
《おい、さっきからブツブツ何言ってんだ?精神病んだのか?》
おっと、隊長殿に心配されてしまった。つい独り言を言ってた様だ。
「あ、隊長殿。大丈夫であります」
《本当に?脳味噌に何も異常は無いのか?それともそれすら分からないぐらい頭がクルクルパーなのか?》
「いえ、確かに元々の脳味噌はクルクルパーでありますが、54×12=648だと瞬時に計算出来る事から、多分異常は無いものと思われ、概ね問題無いのであります」
《そんな計算をいきなり始める時点でもう末期だな。お大事に》
隊長殿は、こんな感じではあるが実は本当に心配してくれているのだ。
スキンヘッドで眉は太く、体格もゴツいせいで、パイロットよりも歩兵の方が似合っているが、というかヤーさんに転職した方が稼げるのではないかと思われる様な見た目ではあるが、隊長殿は良い人だ。
三十代半ばで、奥さんと娘さんがいらっしゃるそう。
本人は無意識なのだろうが、娘さんの話をする時の隊長殿の顔はかなり緩んでいる。
いつも家族の写真を持ち歩いているし、相当家族思いの良い父親なのだろう。
確か娘さんは九歳だとか。
以前一度だけ会った事があるが、本当にこの父親と血が繋がっているのかと疑いたくなる様な可愛らしい子だった。
…いや、まさかね。
多分普通に彼の娘さんだろう。
実は妻と不倫相手との子供、とかそういう昼ドラ展開ではないはずだ。
てか、そんなのやめてあげて…隊長殿が可哀相で、俺が泣いちゃうよ。
こういう人にはちゃんと幸せになってもらいたいものだ。
見た目だけで周りから怖がられて、いつも可哀想な人なのだ。
二手に分かれた地点まで戻って来る頃には、俺の腹時計がもうすぐ昼飯の時間だという事を告げていた。
さあ、あと少しで飯だ。
軍の食堂は美味くもないが、不味くもない、微妙な味ではあるが、タダなのだ。
勿論おかわり自由。
故に大半の軍人はそこで食べる。
無料にしては上出来だと言えるだろう。
それに他国の軍はどこも飯が不味いらしい。
帝国はそもそも美味くする気がないし、同盟三国や共和国に関しては軍事開発と戦力増強にお熱で飯の事など全く気にも掛けていない。
それに対して連邦は、余裕があるので食堂なんかにもちゃんと金をかけている。
まあ、飯が不味いと兵士がやる気を出さないという問題のせいでもあるが。
お国柄というヤツだからどうしようもないのだろう。
まるで現実世界のヘタリアの様だ。
アフリカの原住民相手に手こずってどうするんだ、って感じの軍隊だったヘタリア軍。
連邦軍からも何だか同類の匂いがするのだ。
不安だ。非常に不安だ。
まさか南に向かった部隊の運ぶ物資が、弾薬よりもワインの方が多いとかそういう事は無いはずだが…
もしそうだったらこの軍は見限った方が良いだろうな。
「隊長殿、見えますか?」
見えますか?とは分かれたもう一方のエール2、4の事を指している。
合流地点にその姿は無かった。
特に気にする事でもない、毎度起こる事だ。
そもそも哨戒ルートの距離が違うのだから起こって当然。
今日は彼等の方が遅かったというだけの事だ。
《どうやら今日は俺達の一番乗りの様だな》
「ええ。そんなにスピードはとばしてなかったんですけどね」
《まあ、どうせあいつらの事だから、海上で遊んでたんだろうよ》
俺と隊長殿が内陸部に向かって飛んだのに対して、残りの2人は海岸部に向かって飛んでいた。
残念ながら、水温は冷たくてとても泳げたものではないが、黄昏時の海は幻想的で、仕事中である事などすっかり忘れてしまいそうになる程だ。
彼らはたまにその海の上をアクロバティックに飛んで遊んでいたりする。
その行為を喩えるなら、公務員が公務中に同僚と野球をする様なものだ。
完全にアウトだ。
上にバレたら大変だが、誰も見ていないので誰も文句を言えない。
海上なので役所にクレームを入れる地元住民も現住民族もいらっしゃらないし、隊長殿も彼らを叱りつつもある程度許している。
だって娯楽が無いんだもの。
俺だって娼館、というかフェイスちゃんの巨乳が無かったら今頃発狂してる。
だって暇なんだもん。
いや、良い事ではあるのだが。
そして今回の様に片方が先に合流地点に着いた時は、もう片方を迎えに行ってやらねばならない。
そういう規則だ。
彼らを発見するために、少しだけ高度を上げる。
頭上に浮かぶ雲が機体を掠めるぐらいまで上昇し、前方に目を凝らす。
《見つけたか?》
「いえ、見えませんね」
随分と遅い。
多分この調子だと隊長殿の雷が落ちる事となりそうだ。
だが、隊長殿は意外と心配性なので、俺とは違って二人の事を心配し始めた。
《もしかしたら二人に何かあったのかもしれない》
「いや、そうですかね?普通に遅いだけだと思いますが…」
調子に乗ってトンボ返りに失敗して、海面にキッスした可能性も無きにしもあらず、だが。
《念のために急いだ方が良い。ちゃんと付いて来いよ》
「了解であります!」
フルスロットル。
操縦棍を倒すと同時にエンジンがガタガタと悲鳴を上げ、プロペラが更にブーンと低い音を立てる。
風防も風が吹き付け、更に震えだす。
燃費の問題で、普段は最高速度にする事はほぼ無い。
故に少しだけ気分が高揚する。
今なら戦闘だって銭湯だって何でも来いだ。
《見つけた!》
が、残念ながらその後すぐに前方に機影を発見。
無敵タイム終了の鐘が鳴る。
出落ちの極みである。
《ったく…心配させやがって…》
「まあ、これぐらい誤差ですよ、誤差」
《…おい》
急に隊長殿の声が険しくなる。
不味い、地雷を踏んだか?
二人のフォローなんてするんじゃなかった!
「え…あー…すいません」
取り敢えず早いうちに謝っておく。
《何機に見える?》
「へ?」
《前方の機影だ》
何を言ってるんだ?
「え、そりゃあ二機で…って、あれ?よく見たら四機ですね」
まだかなり遠くて点ぐらいにしか見えないが、二機ではない。四機だ。
「何があったんでしょう?どこかのチームと合流したんでしょうか?」
《分からん…だがこの時間はこのエリアは俺達しか飛んでいないはずだが》
更に近くまで接近する。
すると恐ろしい事が分かった。
《待て…違うぞ。あれはシヤンじゃない…!》
「シヤンじゃない?じゃあ何だって言うんです?」
連邦のお空を飛ぶ飛行機なんて、考えられるのは軍のものか、あるいは民間のものぐらいだが…
《馬鹿野郎!そうなったら考えられるのはプラトークの戦闘機だけだ!》
シヤンとは、今俺が乗ってるこの戦闘機の事だ。
薄い黄色のボディーと赤いラインの軽快な機動を誇る連邦の主力軽戦闘機。
ただし、最近流行りのシールドは積んでいない。
それ故に残念ながら防御力は劣るが、機動力に於いては同盟三国にも匹敵する。
だが目の前の四機は大型の重戦闘機。…或いは爆撃機。
どこからどう見てもシヤンではない。
それ故にかなり遠くからではあっても識別が出来た。
明確に領空侵犯している所属不明機四機。
それが意味するもの…不吉な予感がする。
最悪の場合、エール2、4の2機は撃墜されているかもしれない。
だとしたら戦争に発展しかねない。
しかし、現状では事実は分からない。
もしかしたらあの四機はたまたま領空侵犯してしまっただけで、味方の二機もたまたま遅れているだけかもしれない。
状況が把握出来るまで下手な手は打てない。
操縦棍を握る右手が汗ばむ。
もしかしたら戦闘になるかもしれない。
勿論負けるつもりはないが、出来れば避けたい。
しかし、相手が戦うつもりで、逃げ切れないならば戦うしかない。
この距離まで接近してしまったからには場合によっては交戦止むなし。
《こちらはエクテラミュジーク= セドゥイゾント連邦軍である。プラトーク帝国軍機に告ぐ、貴殿らは連邦の領空を侵犯している。速やかに領空侵犯を止め、貴国の領空まで引き返されよ。貴国の領空まで引き返されよ》
隊長殿が帝国機に向かって警告を発する。
返事は無い。
あちらは完全に戦る気満々なのだろうか。
しかしわざとこちらに先に手を出させて、それを口実に開戦するつもりかもしれない。
つまり、敵が撃ってくるまではこちらは手出し出来ない。
どんどん距離は縮まっていく。
もう少しで有効射程範囲というところで敵機の両翼がチカチカと光る。
《クソっ…!ノズルファイア!撃ってきやがった!》
直ぐさま回避行動をとる。
「連中はずぶの素人ですね。この距離で当たるはずもなかろうに…まるで新兵だ」
遅れて小さく機銃の軽快な音が聴こえてくる。
音の遅延は六秒未満。
こちらが音源に向かっている構図とはいえ、大体の距離感は掴める。
もう2キロメートル程度には迫って来ているのか。
この距離では当たらないだろうが、念のためだ。
この距離でも狙って撃つ価値がある程度には、射程内だという事に少しだけ関心する。
敵さんの機銃はこちらと比べても口径が大きいのだろう。
元いた辺りを光の対が三つ通り過ぎる。もし回避していなくとも当たらなかったであろうが。
通常、四発に一発の割合で曳光弾が装備されているはずなので、最低十二発は撃ってきた計算になる。
各国によって多少異なったり、場合によって異なるのだろうが、基本的にはどの国も四発に一発が曳光弾だ。
ちなみにシヤンは基本的に徹甲弾、普通弾、焼夷弾、曳光弾の順に銃弾が装備されてある。
徹甲弾はご存知の通り敵の装甲及びシールドを貫き、被害を与えるためのもの。
普通弾は名前通り、平均的な性能の弾で、焼夷弾は敵機を燃やすためのもの、曳光弾は威力は小さいものの、発光しながら飛んで行き、照準合わせを容易にする。
シヤンの場合、シールドは無いし、装甲もかなり薄く、徹甲弾どころか普通弾でも易々と貫通する。
少しでも当たれば終わりだ。
シヤンは敵弾に当たらない事を前提として設計されているのだ。
上のお偉方曰く、「当たらなければどうという事はない」とか。
某赤い彗星と同じ様な事を言ってらっしゃる。
しかし当然ながらそうは上手くいかないの現実であり、貧相な防御力を機動力で補う、などという夢物語が非現実的だと気付かされるのが実戦というものなのだ。
馬力がとんでもない分、小回りが効かない重戦闘機相手とはいえ、そう簡単に後ろに付ける訳ではない。
奴らは前方だけでなく後部銃座まで備えてある。
数発で消し飛ぶシヤンでは、近付く事も危険だ。
流れ弾に当たるだけでも目も当てられない事になってしまうのだから。
「こちらも攻撃しますか?」
《奴らの方がスピードが出てるし、背中を見せたらやられる。機動力を活かして背後に回り、1機ずつ墜とすぞ》
「ラージャー!」
敵の方が低空を飛んでいる。エネルギーではこちらが優位。
しかし、敵は馬力が大きい分、容易く高度を上げられる。
故にそれがこちらの有利に直結する訳ではない。
こちらの武器は機動力のみ。
しかしエンジンもかなり温まってきている。コンディションとしては悪くない。
二倍の戦力差など戦場ではありふれた事だし、こちらは初陣だがあちらも同様だろう。勝てる様な気がしてきた。
勝てる。いや勝たねばならない。
《大丈夫だ。お前はいつも通りに俺の真似してれば良い。あとはノロマ共に鉛玉をプレゼントしてやるだけだ》
隊長殿も容易く言ってくれるね。
そう言いつつも緊張が声から感じ取れるが、隊長殿の腕前は中々のものだ。
決して臆している訳ではないだろう。
「ええ。腹いっぱいになるまで美味しい弾をご馳走してやるとしましょう」
《坊や達が食後のおねんねをするまで、たらふくな──いくぞ!》