大改革!プラトーク帝国軍の劇的ビフォーアフター
プラトーク帝国軍のドクトリンは過去に実際に使用された戦術や思想を参考にしています。
例えば、陸軍の基本方針は所謂電撃戦にそっくり。
空軍の場合は戦闘機不要論(ドゥーエだかドーヴェだか…そんな感じの名前のおっさんやその他色んなおっさんの主張を一纏めにして、ここではこう呼称します)に近いですね。
海軍は…あー…何もなし。
はい!
という事で、ここではプラトーク帝国軍のドクトリンを現実世界と比較しながらも解説していこうと思います。
何故なら、これまでは会話文の中でこれらを提示してきました(55話辺り)ので、非常に解りづらくなってしまっているからです…
ええ、筆者もちゃんと自覚しております…
ですから、ここでもっと解りやすい形で解説します。
出来るだけ長ったらしくならぬよう自重し、短めに書いたつもりですが…それでも長いです。
所々説明を簡略化し、かなりテキトーな事を書いておりますが、そこは厳密性よりも解りやすさ重視の方針によるものですので、ご了承下さい。
ではでは、先ずはそれぞれの分野についてビフォーアフターで比較してみましょう。
ヴィートゲンシュテインの改革によってプラトーク帝国軍はどう変わったのか。
《《陸上戦力の変遷》》
#歩兵
戦列歩兵戦術(一般歩兵)→散兵戦術(機械化歩兵・自動車化歩兵)
この世界の銃は有効射程は長いものの、命中精度が劣悪。
火薬を必要としないからまだ良いものの、銃弾は前装式。
火薬の代わりに使う竜石が曲者で、発射に時間がかかる。
…と、まるで射程の長いマスケット銃です。
命中精度が悪いため、射程距離が長くても結局撃ち始める距離は大して変わりません。
そのため、戦列歩兵の様に密集し、横陣を敷き、命中精度の悪さを補うために集団での斉射を軸に運用。あくまで勝負を決するのは銃撃戦の後に待つ突撃。
おお、まるでナポレオン戦争時代…それがかつてのプラトーク歩兵の戦い方でした。
各兵が銃剣ではなくサーベルを持つのもプラトーク歩兵の大きな特徴。史実で銃剣が重用された原因の一つに、銃剣は“突く”という単純な動作だけで完結するため、難しい訓練の必要無かったという点が挙げられます。
それなのにサーベルを一兵卒にまで持たせるのは、精強を誇ったかつてのプラトーク帝国軍の名残りなのかもしれません。
ちなみに移動手段は基本的に徒歩のみ。これは古代から近現代に至るまで殆ど変化がありません。
それに対して改革後は、散兵戦術を採用。(三兵戦術とはまた別ですよ?)
ここでは説明を端折りますが、要するに名前の通り、戦列歩兵よりも散開する戦術です。WWI最初期まで使われました。
プラトーク帝国軍が平和を謳歌していた間に火砲の飛躍的発達により、密集隊形は格好の餌食となってしまうようになりました。
そのため、横長に横陣を敷くのはそのままに、更に薄く広く兵を配置する必要が出てきたのです。
兵と兵との間は大体2、3歩分くらい空けておきます。
基本的運用方法はあまり変わりません。指揮官の号令で歩いて前進し、ある程度近付けば突撃です。
本来の散兵戦術では、指揮官が許可すれば前進中に各自が勝手に発砲しても良い事になっていましたが、それはWWI直前期当時の銃の性能が良かったから可能だっただけです。
マスケット銃モドキでそれが可能か?と問われれば、現実的ではないでしょう。
故に、プラトーク帝国軍の場合は依然として発砲は各兵の判断ではなく指揮官の判断によって行います。
移動手段は歩兵戦闘車か普通のトラック。
前者は機械化歩兵として機甲部隊に随伴。
後者は自動車化歩兵として砲兵隊の援護を受けながら、機甲部隊が突破した後にまだ残っている敵と戦闘を行いつつゆっくり進軍する事になります。
#砲兵
野砲中心→自走砲中心
我々のイメージする砲兵と、プラトーク帝国軍の砲兵は別物だという事を先に述べておかねばなりません。
人にもよるのでしょうが、一般的に我々が想像する砲兵はWWIやそれ以後のものであり、それ以前とは大きく異なるものです。
改革前のプラトーク砲兵も同様で、我々の想像する砲兵とは別物です。
遠距離から曲射でドカンドカンと榴弾を打ち込むのではなく、近距離から直射で弾を飛ばし、敵の隊列に穴を開ける存在でした。
現実世界では18世紀末まで榴弾は野戦で使用されず、ただの鉄球を飛ばしていたのですが、プラトークでは流石に榴弾です。
改革後には、そもそも射程が短く、全く使いものにならない既存の砲は全て廃止し、機動重視のドクトリンに沿って自走砲の配備を優先する方針に転換。
最初は機甲部隊の支援を念頭に自走砲化を優先していたものの、後に機甲部隊の支援は航空機の対地直接支援に頼る事となり、砲兵の仕事は従来通り歩兵の支援となりました。
…なになに?じゃあ自走砲じゃなくても良いのではないかって?
ドクトリン通りなら、先行する機甲部隊は殆ど休み無くずっと前進に次ぐ前進を繰り返す事になり、停止して待ってなどくれません。
何故なら彼らの仕事は少しでも速く前進し、より深く敵後方に浸透し、敵を混乱させ、敵を分断し、同時に敵に対応する時間を与えず、包囲されぬよう常に動く事だからです。
自走砲は砲撃時には当然ながら停止してから射撃しますので、自走砲がノンストップで前進する機甲部隊に追い付こうと思えば、最低でも軽戦車並みの速力が発揮出来ねばなりません。
しかしながら自走砲は戦車と比べれば装甲は薄いものの、その分立派な砲を背負う事になるので、どう考えたって軽戦車より速くなる事はあり得ません。
ですから、自走砲は機甲部隊に付いて行くには遅い。
でも歩兵部隊に随伴するには、今度は逆に速過ぎる様にも思えてしまいます。
と言うのも、自動車化歩兵とは、大層な名前が付いてはいますが、要は今までずっと徒歩で行軍していた歩兵さん達をトラックに載っけて運ぶようになった、というだけの事で、結局は従来の歩兵にトラックがセットで付いてくるだけに過ぎません。
ですから、戦闘となれば一旦安全な位置でトラックから降り、そこから今までと同様に徒歩で戦闘に加わります。
そのため、接敵すればその度に完全にストップしてしまいますから、戦闘時にもある程度機動力を活かして戦う機甲部隊に比べれば遥かに遅く、自走砲からすると遅過ぎます。
ならば今まで通りの野砲で良いのでは?…となってしまうのも理解出来ますが、それも少し待って下さい。
野砲はどうやって運んでいるのでしょうか。砲兵トラクター?それとも馬?
プラトークの現状からして、馬でしょう。
馬で砲を引っ張って運んでいる訳です。
ではさて、この世界の馬は以前も述べた様に、非常に優秀で自動車とも張り合えます。
速度も然り、持久力も然り。どちらもトラック如きに追い付くには十分なものに思えます。
ええ、その通り。歩兵に遅れず付いて行くという事に関して言えば、野砲で事足りるのです。
ただ、問題は戦闘時にあります。
現代の軍隊でも、野砲より自走砲が好まれるの何故でしょうか。トラクターで引っ張っていけば自走砲よりは遅いにしても、それなりの速度で移動出来ます。いえ、むしろ自走砲より速い事もあるかもしれません。それでも自走砲が好まれるのは何故?
…その答えは、陣地変換の容易さにあります。言い換えれば、直ぐ撃てる、という事。
野砲ならば、射撃地点に到着してもその後トラクターと分離して、砲を設置して、弾の準備をして…と撃ち始める前に準備に時間がかかり、もっと酷いのは陣地変換時──射撃する位置を変える時──で、折角トラクターから降ろして準備した諸々の道具や砲弾等をまたトラクターに載っけ直さねばなりません。
ここまで言えば、いくら機甲部隊に比して後続の歩兵達が遅いとはいえ、自走砲の方が何故望ましいかはお分かりかと思います。
攻撃する側であるプラトーク砲兵は、機甲部隊に突破されて混乱しているにしても、依然戦力としては殆ど失われる事なく健在の守備側砲兵に対抗せねばなりません。
普通、砲兵と砲兵との戦い──対砲迫戦──では互いに砲兵陣地を準備して戦いますが、プラトーク側は入念に準備して待ち構える敵砲兵に対してその様な準備をする時間などありません。
陣地は防御のために用意しておくものですから、これが無いのは殆ど防御力ゼロで戦う事を意味します。
この時プラトーク側が対抗するには、陣地変換を頻繁に行い、敵にこちらの位置を掴ませない事が最も肝要です。
その際、自走砲ならばそれ単体で停止後直ぐにでも射撃に移れ、射撃したらまた直ぐに次の地点に移動出来ます。
これこそが、自走砲の存在意義の最たるものです。
要は、プラトークの自走砲の存在意義は。現実世界での自走砲の存在意義とほぼ同じなのです。
#騎兵
決戦用主力→完全廃止(人員は機甲部隊へと転換)
プラトークの騎兵完全廃止という選択は、非常に思い切ったものです。
何故ならばそれ以前のプラトーク帝国軍では、騎兵は文字通り“勝負の行方を決める”ための決戦兵科だったからです。
昔なら騎兵の突撃で全てが片付いたのです。そう、昔なら。
しかし、それも今や過去の話。過ぎし日の栄光。
今は少し劣る程度でも、この後着々と技術の発展により、多くの点に於いて戦車等の機甲戦力に騎兵は存在意義を奪われていく事となります。
今、“存在意義を奪われていく事となる”という風に敢えて未来の事として述べたのは、裏を返せば、今はまだ騎兵にもある程度の存在意義がある、という事。
軍事的に先進的な国々でも、依然として騎兵そのものは存在する、という事です。
そんな歴史の中で思い切って騎兵の完全廃止を成し遂げたプラトーク帝国軍は、謂わば時代の先駆け、エポックメーカーたり得るのです。
何れ廃れるであろう事が目に見えている騎兵という兵科を、プラトーク帝国軍以外の各国軍が未だ捨て切れずにいるのは、他国軍が組織として完成し切ってしまっている──保守的になってしまっている──事の証左であり、寧ろ、再出発を遂げたばかりのプラトーク帝国軍だからこそ成せた事かもしれません。
改革後には、騎兵達はそのまま戦車兵へと鞍替え。
そっくりそのまま従来の騎兵科を機甲科へと箱だけ替えた形になります。
但し、本作で云う“戦車”とは基本的に戦間期の戦車に近いものであり、克明期の多砲塔戦車よりかは発展していて、二次大戦中に登場した、よく知られた戦車達よりかは未熟な代物となります。
また、本作での軽・中・重戦車の区別の基準は非常に曖昧ですが、先に述べた様に本作の戦車は戦間期の戦車と似た代物なので、現在の我々の基準からすれば大抵は軽戦車に分類されてしまう様なものです。
プラトーク帝国軍が“中戦車”と呼ぶ戦車も、もしかしたら赤軍視点では軽戦車に分類されてしまうかもしれません。
しかし、基本的に戦車にはシールド装備が当たり前。下手したらスター○ン重戦車よりもシールド最大出力プラトーク軽戦車の方が防御力的に優れてるかも…
《《海上戦力の変遷》》
#全艦艇
何も変わらない…プラトークは海上戦力に関してはメーヴェに頼り切りです。
大陸国家が海軍にまで手を出して海洋国家と張り合おうとするとどうなるか、という事は既にドイツ帝国が英国との建艦競争で証明済みですね。
WWI時にはドイツは世界第二位の海軍を擁していたんですよ。(この当時は日本と米国の海軍がWWIIに比べてショボかったのも一因ですが…)
貧しいプラトークにとって、この姿勢は賢明と言えます。
《《航空戦力の変遷》》
#竜騎兵
マルチロール(対地支援攻撃から制空戦、友軍上空直掩まで何でもござれ)→完全廃止(人員は戦闘機部隊へと転換)
在りし日の竜騎兵は、それはもう便利な兵科として便利遣いされまくっておりました。
何故なら、飛竜は馬よりも丈夫で、更に付け加えるなら空を飛べるからです。
そう、竜騎兵は誰が何と言おうが騎兵の圧倒的上位互換。コスト面での問題さえ無ければ、騎兵なんて戦車が登場するまでもなく竜騎兵によって絶滅していたでしょう。
弱肉強食のワイルド兵科生態系ピラミッドの頂点に立つのは、間違いなく竜騎兵でした。
しかし時代の嵐は騎兵だけでなく竜騎兵にまで厳しく吹き荒れます。はい、航空機の登場です。
複葉機がゆっくりブンブン飛んでいた時代には「竜騎兵と飛行機って大して速度的に変わらないし、竜騎兵の方が小回りが効くし、離着陸も竜騎兵の方が場所を選ばなくて楽だしetc.」…と、竜騎兵にもちゃんと存在意義がありましたが、単葉機がギュンギュン飛ぶ時代になってくると明らかに竜騎兵が不利になってきます。
先ず第一に、速度が明らかに足りなくなってしまいました。
例えば、ゼロファイターと現代のF-15を戦わせてみたら、機銃だけでの勝負でも後者が勝つでしょう。何故か?…速度のおかげです。どんなにドッグファイトでの小回りでは前者の方が有利でも、追い付けなければ敵からは一方的に撃たれるのにこちらは全く撃てません。大戦時に一撃離脱戦法相手にに日本機が苦しんだのと同じ理由です。
第二に、火力と防御力不足です。
これは言うまでもありません。ワイバーンに跨った人間と、機銃を積んだ戦闘機なら後者の方が攻防共に優れていて当然でしょう。
第三に、限界高度です。
ワイバーンは確かに飛べますが、航空機とくらべれば遥かに低高度までしか上がれません。空に於いて高度で最初から負けている、というのはかなり致命的で、これは竜騎兵が航空機の一撃離脱の獲物になる事を加速させます。即ち、竜騎兵からは手が出せないが、航空機からは良い獲物…という状態が確定してしまったのです。
以上の点より、竜騎兵は空の生態系ピラミッドの頂点から次点へと下落してしまいました。これがプラトーク帝国軍の完全廃止という決断の一因ですが、やはり騎兵同様竜騎兵にもまだ使い道はあります。
特に、プラトーク帝国のお隣には国防を竜騎兵に完全に頼り切った国があったり…
改革後には、竜騎兵を全て航空機に置換。
最初は戦闘機と爆撃機の両方を生産・配備する無難な計画でしたが、無難に留まっていては強敵連邦航空隊には敵わない、という事で爆撃機の生産を中止。出来る限りリソースを戦闘機の生産に回して数を増やそうとします。
爆撃機が足りない分は、戦闘機に爆弾を懸架させて爆撃戦闘機とする事で解決。
「戦闘機に爆弾を吊るせば、製造機体を統一出来て都合が良いし、爆撃後に航空戦にも参加出来るし、一石二鳥じゃないか!」…という、某島国の海軍さんと同じ発想に至った訳です。(特攻とかはしませんよ)
元々ここで云う戦闘機──“グレビッチ”──は、双発大型戦闘機。小型ですばしっこい、連邦航空隊主力戦闘機──“シヤン”──を火力で力任せに捻じ伏せよう、というコンセプトです。
元々、グレビッチがシヤン相手に格闘戦に興じる事は自滅行為。ハナから想定されていませんから、ちょっとばかし爆弾を積んで重くなったって、戦闘の上であまり問題ともされませんでした。
この様に、グレビッチだけを配備する、という極端な偏重配備の方針を採ったプラトーク帝国軍。これが上手くいくかどうかは、全てグレビッチがシヤンに勝てるかどうかで決まってきます。
歴史を見れば、双発の鈍重な戦闘機は単発軽快な戦闘機に負けています。爆撃機の編隊飛行で戦闘機を追っ払う、という発想も早々と否定されてしまいます。
さて、プラトークの選択は吉と出るのかどうか。