CXXXVII.フォーアツァイトの秘密。
「ヨハン、わざわざ来てくれたの?まあ、ヤブさんまで…歩けるの?」
「おう、コイツらが大事な話があるそうだからな。俺も付いてきたんだ」
正確には、父が言い出した事なのだが…ヨハンもエイラもそれは黙っておく事にした。
「それなら呼んでくれれば良かったのに」
「まあ良いじゃねえか。ここまで来たんだから」
「そうね。上がっていってね」
「言われなくてもそうするから心配なさるな」
さも当然と言わんばかりに父は中に上がった。
まるで強面押し売りセールスが「奥さん、ちょいと邪魔しまっせ」と家に上がり込む様にそっくりだ。
「もう…本当に弱ってるのかしらこの人」
「弱ってる弱ってる」
家に上がると、見慣れたテーブルが置いてあった。
三人暮らしなのに椅子が四つ最初からあるのは、ヨハンが遊びに来る事が多かったためにできたちょっとした習慣だった。
そうか、今でも四つ置いてあるんだな、と彼は思った。
椅子には既にエイラの父親が座っていた。
いつもの様にプカプカと煙草をふかしている。
「よう、旦那さん。上がらせてもらうよ」
「ヤブさんか。倒れたんだろ?大人しく寝てなくていいのか?」
「俺が大人しく出来る性格じゃないのは知ってるだろ?」
にやり、と父が笑った。
「そうだったな」
エイラの父親も同じ様に笑った。
昔、この二人は色々あったらしい。
そう、色々。
そのせいか、会う度にこの二人は威嚇し合う様に笑顔を向け合う。
…一体何があったのやら。
三人は椅子に座った。
台所ではエイラの母がいそいそとお茶を淹れている。
「で、ヨハン君。話があるって聞いたけど?」
エイラの父親は、普段は農作業をしているが鍛冶屋でもあり、そのせいか職人気質である。
いや、職人の割には職人気質でもないが、農夫と比べれば職人寄りの気質である。
それが影響してか、この人に前置きの類は逆効果だ。
話すならば卒直である方が良い。
「ええ、その事なんですが…」
「どうした?敬語なんかで話して…」
不信感──というより嫌な予感がしたのだろう。
まさかな、と彼は娘と目の前の青年を比べる様に見た。
「まさかエイラを──」
「──エイラを嫁にください!」
椅子からずっこけそうになった体勢を立て直し、エイラの父親は今更ながら今更ながら威厳を出そうと咳払いを一つした。
「エイラを…?付き合ってるのか?いつから?」
「昨日からです」
「それは…いきなりだな」
いきなりではあるが、子供の頃から共にいたのだからそういう意味では別に不思議でも何でもない。
「お父さん、もう私もそろそろ結婚しなきゃいけない頃でしょ?だったらヨハンと結婚する」
流石に肉親の前で愛を語るのは恥ずかしいのか、エイラはその様に言った。
「しかし、急過ぎないか?もっとお互いを知ってからでも遅くはないぞ」
既にお互いを知り尽くしているのは承知の事実だが、父親としてはそうとでも言って抗わずにはいられないのだろう。
「すまんな、旦那さん。コイツらは俺の事を想ってこんなに急に言い出したんだ。それに、コイツらはお互いの事ももう既に知り尽くしてるだろうよ」
「でも…」
「でも…何だ?」
ヨハンの父親が止めを刺した。
「おじちゃん…お願いします…認めて下さい」
ヨハンの懇願が更に追い討ちをかける。
そして遂に──否、呆気なく、折れた。
「ああ、分かったよ。仕方ないな、村の英雄とその息子の頼みだからな。それにヨハンは元から俺の実の息子みたいなもんだ…今更ホントに息子になったところで大して変わらんか…はぁ…特別に認めよう。でも、うちの娘泣かしたら英雄の息子だろうが何だろうがタダじゃおかないからな」
「おじちゃんは昔からそういうスタンスだったけどね」
「当然。子供に誰の息子もクソも無いからね」
また父親同士の目が合い、二人が同時にニタリと笑った。
「ヨハンならエイラを任せても安心だし、良かったわ。はい、紅茶とお茶菓子」
エイラの母が紅茶と茶菓子をトレーに載せて持って来た。
茶葉の良い香りが漂う。
「あ、ありがとうおばちゃん」
「あんたも素直になりなよ?本当はヨハンで嬉しかったくせに」
去り際に、エイラの母親は夫の背中をばしばし叩きながらそう言った。
「別に嬉しくはなかったぞ」
「ふふふ…」
彼女は愉快そうに笑いながら、そそくさと去っていった。
「で、結婚するとなるとエイラはどうするんだ?ヨハン君は帝都で働いてるんだから、付いて行くのか?」
「考えてなかったわ。ヨハン、どうして欲しい?」
「え、僕は流石に今の仕事はやめられないからなぁ。一緒に帝都で暮らせれば嬉しいけど…そうなるとおじちゃんとおばちゃんを置いて行く事になるし…」
「ヨハン君、君のしたい様にしなさい。それが一番だ。エイラもそれを望んでるんだから」
もうこうなりゃ、どうとでも好きにしやがれ、とエイラの父親はやけくそ気味に言った。
「そうよ、帝都って言ったってそんなに遠い訳じゃないんだから。いつでも会いに来れるわよ」
暫し逡巡した後、ヨハンはその言葉に甘える事に決めた。
「そうですね…エイラもそれで良い?」
「うん、勿論」
「なら、式を挙げたら一緒に帝都に行こう。今借りてる家も広いものにするし、僕は式までは仕事もお休みを貰うから」
役所勤めのヨハンだったが、上司に事情を話せば少しぐらいは融通が効く。
「おお、そうだ。式の事なんだけどな、準備に関してはバーボンさんとこに任せても良いか?」
「勿論構わんが…」
“結婚式”という単語に過剰に反応し、泣きそうになっていたエイラの父親は、渋々頷いた。
「悪いな。費用に関してはウチが全て出す。どうせ俺が金を持ってたって何にもならんからな。息子を頼むぜ」
「ヤブさん…もうかなりマズいのか?」
“ヤブさん”とは、ヨハンの父親の事だ。
「ああ、それなりにな。じゃあ、それさえ伝えられればもう用は無いな。ご馳走さま。もう行くよ」
逃げる様に彼はそう言った。
「もう行っちゃうの?ゆっくりしていけば良いのに…」
台所からエイラの母親が引き留めに来た。
「いや、この後ラブラブのお二人さんを連れて行かなきゃならんとこがあってな」
「そうか。大丈夫か?付いて行こうか?」
「問題ない。これ以上おっさんが若い者二人の愛の邪魔するのも野暮だしな」
「それならやめておくか」
三人は立ち上がって、また来た時の様に彼等は父を支えた。
「ヤブさん…また来いよ…」
「ああ、また来るぜ」
彼が確認すると、父の紅茶と茶菓子は全部無くなっていた。
✳︎
森に着く頃にはもう昼に差し掛かろうかとしていた。
「で、森のどこら辺にあるの?」
「そうだなぁ…ここからだと、川の上流の方かデカい木があるとこのどっちかが近いな」
どうやら、見せたいものというのは何カ所もあるらしい、とヨハンは思った。
「じゃあ木の方に行こうか。あそこなら今でも覚えてるから」
「でも、あんな所に何かあったかな?何も無かった気がするんだけど…」
「確かにそう見えるだろうな。だがな、実はとんでもないもんが隠れてるんだよ」
「ドラゴンの卵とか?」
「もっと凄えもんだ」
その大木は、森のまだ浅い所にそびえ立っていた。
余りにも巨大なせいでその周りには他の木が生えてくる事が出来ず、そこだけ空が覗いていて、森の木々の隙間から溢れる光が全てその木に降り注いでいる様に見えた。
「そうだ、折角だからヨハン、お前の名前の由来を教えてやろうか?」
「僕の名前?由来があるの?」
「あるぞ」
父親は、えへん、と威張ってみせた。
「どういう意味なの、ヨハンって?私もずっと気になってたの、変わった名前だから。おじさんの名前も変だけど」
「有名人の名前だ」
「へー、意外と色々考えてつけた名前なんだ」
「おう、連続殺人犯の名前だけどな」
その言葉を聞いた瞬間、ヨハンは文字通り、ずっこけた。
「おいおい、息子に連続殺人犯の名前を付けるって…何考えてるんだよ父さん」
「何も考えてなかったんだよ」
エイラもずっこけた。
そのせいで、二人に支えられていた父親も自動的にずっこけた。
「呆れたわ…もっと感動的な話が聞けるかと思ったのに」
「俺に感動とかそんなもんを期待してるなら残念だったな。こっから先も感動なんて存在しないぜ」
残念なニュースであった。
「おじさん、で、どうするの?この木が見せたかったの?」
「違う違う。こんな木偶の坊じゃねえよ。もっとデカいやつだ、俺が見せてえのは。あ、ちょっとここに座らせてくれるか?」
彼はそっと父をその場に座らせた。
「まあ、見とけよ。いくぞ…ホッ!」
掛け声と共に父は地面に右手を押し当てた。
それと同時に父の掌の周りを光が巡る様に輝きだす。
《コード認証しました。物理フィールド解除》
「え?何?今の?は?は?は?」
ぽかーん、と口を開けて驚く他ないヨハンとは対照的に、エイラは興奮を隠せずに口早に喋る。
「中に入れるようにしただけだ。ほら、その木を触ってみな」
「爆発とかしない?」
「しないしない」
恐る恐る彼が指で触れようとすると、指が通り抜けてしまった。
「触れない…」
「実はな、この木はただのカモフラージュだったんだよ。ほら、通り抜けるぞ」
彼等がまた父を支えて通り抜けると、中は人工的な構造物になっていた。
ヨハンはまだ理解の追い付かないままに、エイラに急かされる様にして付いて行く。
見慣れたはずの森に、見慣れぬ人工物。
ヨハンが思考停止状態に陥ってしまったのも仕方のない事だった。
「ほら、エレベーターになってたんだ。これからこのエレベーターで大分深くまで潜るぞ」
「ちょ、待って。これは何なのさ、いったい?!」
彼にはそう訊ねるので精一杯だった。
「俺の仕事場だよ。村と同時に俺はこの施設も作ってた」
「一人で?」
「そんな訳ないだろうが。こう見えても俺は帝国の役人だったんだぜ?」
「帝国の施設なのか?」
「軍の研究所だ。名付けて良いって言われたから、俺がモリナガって名前を付けた。丁度ヨハンに名前を付けたのと同じぐらいの頃だ。俺の第二の息子って訳だ」
「また有名人から?」
「いや、コイツは有名な秘密基地から名前をとった」
「有名って時点で秘密基地でも何でもないわね」
「でも、その秘密基地は連続殺人犯じゃないだろ?」
「ああ、勿論な。実は有名な秘密基地ってのは冗談で、ただ単に森の中にあるからモリナガ」
「結局そういう軽薄な理由かよ…」
ここでやっとエレベーターが上がって来た。
カゴは床も含めて全てガラス張りだった。
「はい、乗って乗って」
「うわぁ、全面ガラスか…金かかってるなぁ」
大きなガラス板は高級品だ。
こういう使い方に耐えられるだけの強度もあるのなら、このガラスだけでも一財産になるだろう。
「俺はガラスが好きだからな。作る時にガラスをそこら中に使わせたんだ」
やっぱり、しょうもない理由だった。
「それでは、このエレベーターは下りエレベーターです。次は地下一階、居住区画に向かいまぁす。まずは飯を食いまぁす」
そう言って父がボタンを押すと、エレベーターが動き始めた。
ほんのり加速度を感じるが、すぐにそれも収まる。
「父さん、働いてないのに何でお金があるのか不思議だったけど、いつもここで働いてたんだね」
「そうだな。役人を辞めたフリをしてたが、実はここの責任者なんだよね、俺。良かったな、遺産たっぷりだぞヨハン」
「そりゃどうも」
「やったな、お嫁さん。玉の輿だぜ!」
「おじさんしつこい」
「嫌われるぞ、父さん」
「大丈夫、もう手遅れだからな」
しばらくすると、下の方にガラス越しに広い空間が見えてくる。
薄暗くてよく見えないが、どうやら航空機らしきものが大量に並んでいる。
「凄いな…」
「左手に見えますのは地下二階、第一格納庫でぇす」
「父さん、ふざけてないで…あれは何なんだよ」
「見ての通り、航空機だ。それも帝国の最新鋭のな。ここで研究してんだ。今の政治的均衡は、帝国の軍事技術の遅れのおかげで成り立ってるもんだ。逆に言うと、それさえ解決されれば再び周辺各国は帝国の脅威に晒されるようになるって寸法だ」
「凄いな…帝国軍ってもっと遅れてると思ってた。何より、まさかよりにもよってこの森の地下にこんな大きな施設があるだなんて…」
「実際遅れてるんだよ。だから必死になってこんな施設造ったんだ。帝国だって改革の努力をしてない訳じゃねえ。まあ、先代皇帝の頃になってようやく焦り始めたってのも、はっきり言って気付くのが遅過ぎたとしか言い様が無いが」
「おじさん、あれ、強いの?」
エイラが指さしたのは、恐らく戦闘機。
翼が少々大き過ぎる点以外は、特に問題無い様に見える。
「全然駄目だな。戦闘機ですらやっとこさ単葉機を作れる様になったばっかだし、帝国の技術はクソみたいなもんだ。複葉機はドッグファイトする分には良いんだが、スピードがちっとも出ねぇ」
「同盟国側は?」
「まあ、機密だしそこまで分かってる訳じゃねえが、あいつらの航空機は小型大型関係なくほぼ全部単葉機だし、速度も速い。最高高度もヤベエな、高高度では空気が薄くなってくるから空冷式ではキツくなってくるんだ。つまり、水冷式に限定される。それに加えて、空気が薄くなるとその分揚力が減るからそれ以上上がれなくなる。ウチはその問題を解決出来ずにいるが、連中は平気でそれをクリアしてる。当然、高空だけでなく低空でもあっちの方が有利だ」
「ふーん、まだまだなんだね」
「ハハハ、そうでもないんだな、コレが」
「どういう事?」
「後で見せてやるから焦るなよ。ほら、真下見てみろ」
「あ、箱みたいなのが浮かんでる。…大きいなぁ」
どういう仕組みなのか、空中に箱が浮かんでいる様に見える。
きっと何か、からくりがあるのだろうが…研究施設のくせに研究に関係無いところに金をかけ過ぎではなかろうか。
ヨハンは、父親を非難する様な目で見た。
「アレが居住区画だ。あそこにこの基地の人員の生活に必要なもんが全て詰まってる」
エレベーターが近付いていくごとに、居住区画の大きさがひしひしと感じられた。
何がこの様な大きなものを浮かばせているのだろうか。
いや、それよりもこの空洞の大きさも常軌を逸していた。
彼には目の前の光景が信じられなかった。
それに、これを父が造ったというのだから、尚更だ。
「父さん、この基地…造るのに何年かかったの?こんなの、いくら何でも数年や数十年で作れる訳がない…有り得ない…ここの存在が。それも帝国にこんなもの造れるはずがないよ…」
「そうだな。普通に考えれば有り得ん。だがな、この基地は五年で完成してるんだ」
「五年…?馬鹿な…」
「そう思うだろ?それもな、五年のうち、この穴を掘るのにかけた時間は僅か半日だ」
「どうやったの…?」
「地面を砲で吹き飛ばした。元々、ここはソイツの試射場だったのさ。丁度手頃な穴があるから施設に転用してるだけでな」
お得意の冗談だとヨハンは判断した。
「無理だよ、半日でここまでの規模は」
「いや、それがな…」
ヨハンは、父が冗談で言っているのではないと悟った。
「──本当に…?」
「ああ、本当に吹き飛ばしたんだ。帝国の大砲だ。ありゃ凄えぜ…」
「そんな砲が存在するのか?」
「する。当時最新鋭だったから、二十五年前か…?そんな前から存在するが、未だにそれを超える威力の砲はどこの国も開発出来てない…はずだ。更にその後改良が続けられて、今じゃあの時以上の威力だから、とんでもないよな」
「本当にそんなものが…」
「帝国軍の近代化が進まない要因の一つがその砲だ。今まで対外的に使った事が無いから、どこにも存在がバレてない。奥の手として温存してあるんだ。そしてコレさえあれば向かうところ敵無しだからな。だからこそいつまでも改革が進まなかった。やっぱ必要性に駆られないと技術ってのは進歩しねえな」
「いざとなったら頼れる秘密兵器…それも、敵はその存在を知らない…」
奇襲の原則に則れば、これ以上のものはない。
お隣の仮想敵国、連邦は使いやすい兵器──航空機──に傾倒していっている。
逆に帝国は使いにくい兵器に頼り切り…という訳だ。
どんなに強い兵器でも、一度使えば手の内を明かす羽目になる。
だから、普段は軽々しく使えない。使えば対策されるか、最悪のケースだと模倣されて逆にこちらがその脅威に晒され得る。
…一度切りの必殺技だ。
「で、その機密の塊の情報を、一般人に今こうして平気でバラしている訳だ?情報管理もクソもないね」
「いや、もう良いのさ。お前は知らねばならない」
──何故なら、お前は俺の息子だから。
空中に浮かぶ居住区画の真横あたりでエレベーターが止まった。