CXXXIII.嫁々喧嘩は犬も喰わぬ。
「「「「──あ…!」」」」
知り合いに、思いがけぬ所でばったり出会した経験は無いだろうか?
そう、思いがけぬ時に思いがけぬ場所でタイミング悪くばったりと。
──何故その様な事を突然言い出すか、だと?
勿論、今まさにそれが起こっているからである…
「こんな所で何を?ショッピング?…デートなんですか?!デートなんでしょう!?」
店を出るなり、いきなり遭遇したのはダメダメイドのアリサであった。
普段のメイド服ではなく、私服姿であるため、一瞬だけ(良い意味で)別人にも見えたが、やっぱり中身はアリサに他ならない。
灰色ボーダーの服にカーディガン、少し長めのスカート…と、普段の彼女のイメージとは少々異なる少し背伸びした服装だ。
ニーゼルレーゲンの高温多湿な気候に於いては、祖国でなら薄着に当たるこの服装でも暑いに違いない。
少しバテている様にも見えるし、やはり暑いのだろう。
「まあ、ナーシャちゃんのそのお洋服…!可愛い!もしかして、そこのお店で買ったの?!」
これまた普段とは違って、少し質素めな服装に身をやつしたルイーゼが視界に入ってくる。
明らかにフォーアツァイトにいた頃から、お忍びで街に遊びに行く時に着ていたのであろうドレスだ。
勿論王侯貴族用の如何にも高級そうなものではなく、庶民が着る様な大人しめなデザインだが、それでもニーゼルレーゲンでは場違いに見える。
第一に、フォーアツァイトも比較的寒冷な気候なので、フォーアツァイト用のこのドレスもやっぱりニーゼルレーゲンでは厚着であるという事。
第二に、ヴァルトの庶民はこの様な良いトコのお嬢様チックな服装など絶対にしないという事。
少なくともフォーアツァイトの中でも帝都に於いて、一般女性は今のルイーゼと同じ様な格好をしていた。
しかしヴァルトではその様な服装の女性は全く見かけず、皆して所謂モダンなファッションを楽しんでいる様だ。国民性の為せる業であろう。
そしてそれが意味するのは、ルイーゼの服装はヴァルトではオールドファッションである、という事であった。
こういった少々場違いな服装で浮いていた事と、曲がりなりにも美少女二人組である事が手伝って、彼女達は人目を惹いていた。
そしてその衆目は遠慮なく私とナーシャにも向けられる。
目立ちたくないのに…目立ちたくないのに…
「うげっ…ルイーゼ!リサは兎も角…ルイーゼ…!」
先程までの機嫌の良さが一変、ナーシャは猿に威嚇する犬の様に、がるるるる…と唸り始めた。
犬猿の仲──いや、その様子はまさしくゴ○ラVSキングギ○ラ…!さながらアリサはモ○ラといったところか。
フォーアツァイトでは一時的に仲の良い様にも見えた彼女達だが、そう長くは続かなかった。
エーバーハルトという共通の敵を抱え、敵の敵は味方の原理で協力関係にあった二人は、その目的が果たされるや否やまた心の距離が遠く離れてしまった。
…否、ナーシャが一方的に離れていった。
ご覧の通り、今やルイーゼの片思い状態である。
一応、何事もなければこれから一生顔を合わせる羽目になる二人だと云うのに、これはまた嘆かわしい。
兄として妹が心配…という以前に、妃達の不仲など自分にとって心労以外に何も生まないだろうという事が非常に嘆かわしい。
残念ながら我が妹は兄の声に素直に耳を傾ける様な子ではないので、私に出来る事など殆ど何も無いだろうという事がこれまた更に嘆かわしい。
「いやぁ、陛下、殿下、ここにいらしたのですねぇ。御幸の最中、突然行方不明になっただとか云ってヴァルト王国側は大騒ぎですよ?それに加えて護衛の兵が街中で仲間割れを始めた…とかよく分からない事も耳にしました!」
うん、全部ナーシャが悪い。
「…で、その様なてんやわんやの大騒ぎの状態で、君達は何を?」
「勿論、どさくさに紛れて抜け出し──じゃなくて…大切な陛下と殿下の玉体をお守りすべく、このアリサ、独断専行で捜索に参ったのです!昨夜から陛下のために寝ずの番を務め、疲労の極地に達していた幼気な、か弱い乙女の我が身…そんなぼろぼろの我が身に鞭打ち、こうして馬車馬の如く駆け回り、剣山弾雨に槍衾、あらゆる苦難を潜り抜け、嗚呼神よ皇帝ニコライを護り給え、とか、嗚呼女神様!…とか祈りながらここを通りがかったところ、終にこの不肖アリサ、陛下と殿下のお変わりのないご様子をしかとこの目で確認するに至ったのです!ハラショーを三唱したい気分です!メイド冥利に尽きます!陛下、殿下、ご無事で何よりです!」
はてさて…ツッコミどころしか存在しないな。
「よぉし…いくつか取ろうと思えば揚げ足を取れなくもないポイントがあったが、そこには目を瞑ろう…代わりにルイーゼに訊く」
「宮殿内が騒然となっているうちにこっそり抜け出してきまして、私達もお買い物に興じていたのですが──正確に言えばこれから興じるはずだったのですが、そうすると早速ニコライさんとナーシャちゃんに遭遇したという訳です」
私が一々あれこれ言うまでもなく、的確かつ簡潔に説明してくれた。
流石ルイーゼ。流石嫁。優秀です。
「しかし、私付きの護衛が仲間割れしていたり私が行方不明で大騒ぎ…とはどのくらいの大騒ぎなのだ?」
「どれくらいだと思います?」
「大規模な捜索隊が編成されるくらい」
ふふっ…と彼女はほくそ笑み、囁く様に言った。
「──ニーゼルレーゲンだけでなくここら一帯の、警察から消防士、軍人、果ては図書館司書まで…国に勤める人間は全員駆り出されているくらいです」
大事どころではなかった…
「他国の皇族の身に何かあれば国家の威信に関わりますからね。それと、ヴィクトリア陛下がパニックに陥っているせいもあるでしょう」
しっかりしている様に見えたが、想定外には弱いらしい。
ヴァルトの女王とはいえ、まだまだ年齢相応か。
「人相書きが出回り、王都のそこら中に検問所が設けられ…まるで凶悪指名手配犯ですね」
少し意地悪な視線を私とナーシャに向けつつ、彼女は呑気に笑った。
「待って。今、軍人も駆り出されていると言いましたね?まさか海軍からも抽出されてはいないでしょうね?数日後に迫る戦闘の準備に支障が出るのでは困ります」
ナーシャは未だ少し距離を置いた様な話し方で、嫌々な態度を隠そうともせずそう訊ねた。
「ああ、それは大丈夫。流石にそれは防いだからね、ヴィクトリア女王陛下に直談判して」
流石ルイーゼ。流石嫁。
「だってほら、八割方ナーシャちゃんが一枚噛んでいるんだろうなぁ〜って事は分かってたから。本気で心配していたのはヴァルトの人達だけだったのよ…」
狼少年ルートへ、一直線である…
「まるで私がトラブルメーカーであるかの様な言い種ですね」
…いや、実際そうなのだよ?
「でも少なくとも今回はナーシャちゃんの仕業でしょう?」
「私は何もしていません。ただちょっと兄上と二人きりになりたくて、追いかけてくる連中が邪魔だったので仲間割れするよう仕向けただけです」
ナーシャの悪びれない様ときたら…
「ナーシャちゃん…駄目でしょう?反省しないのでは、また同じ事を繰り返す事になるでしょう?」
ルイーゼは、母親が子供に言い聞かせるかの様な口調でそう述べた。
そしてそれがナーシャにとっては当然シャクに触る。
「ルイーゼにお説教される様な筋合いはありません!」
「義姉でも?」
「正確にはまだでしょう!?」
「じゃあ正式にそうなったら良いのね?」
ルイーゼが努めて明るくそう言うと、妹の苛立ちが更にふつふつと高まっていくのが嫌でも分かった。
言葉に出来ない心の中の感情を、何とかして掬い上げて相手にぶつけようと彼女はもがいていた。
「あなたと私が対等の立場になる事など絶対にあり得ないし、ましてやあなたが上の立場になる様な事などあろうはずもありません。あまり調子に乗らない方が宜しかと思いますよ…?」
「あら、上の立場だなんて…そんなつもりは全く無いのだけど…対等ではあるべきだと思うけど。ねえ、その敬語も、もう終わりにしないかしら?私はただナーシャちゃんと対等でありたいと思うし、家族でありたいとも思うの。だから…もう止めにして──」
「──止めにして、どうするのです?仲良しごっこですか?出来ますよ、しようと思えば。しかし表面的な仲良しごっこに何の意味があるというのでしょう?」
「いや、だから…私もプラトークに嫁ぐのだし、私もナーシャちゃんも同じ妻として──」
刹那、空気が変わった。
ナーシャの纏う空気が。
彼女は眉間にしわを寄せると、小声で早口にまくしたてた。
「…分を弁えろ。私が兄上の一番だ。第一夫人だ。本妻だ。兄上の寵愛を最も受ける存在だ。それに対してお前は全てに於いて劣る。次点だ。側室だ。政略結婚だ。ただの妾に過ぎない」
少々たじろいでしまったのか、ルイーゼが半歩後退りしたのを私は確かに確認したが、ここまで言われても眉一つ動かさずに彼女は笑顔を維持していた。
顔に張り付いた微動だにしない表情が、むしろ不気味を誘う。
「…」
私は何も言えなかった。
私も関係者──否、それどころか渦中にあるはずなのに、自分の存在が全くの場違いに思えた。
何か言わねば…しかし何かを言ってどうにかなる様なものでもない。
私と同様、ルイーゼの横であたふたとしていたアリサが、助け舟を乞うてこちらをチラリチラリと盗み見てくる。
未だ店内から出られずに扉越しにこちらの様子を窺う兵士二名とも目が合うが、やはりだからと云って何かが出来る訳でもない。
沈黙だけが私の回答であった。
「──折角の楽しい気分が台無しですね。興が醒めてしまいました。…私はもう帰ります」
ナーシャはそれだけ言うと、すたすたと勝手に歩いていってしまう。
「お、おい!」
私はつい無意識に彼女を呼び止めた。
「兄上、どうぞこの後はルイーゼと楽しく過ごして下さい。続きはルイーゼが引き継いで下さるそうですから」
彼女は振り向きもせず、背中越しにそう言った。
遠ざかっていくその背中が、やけに小さく見えた。
「──ニコライさん」
不意に、後ろから軽く背中を押された。
ルイーゼだった。
「追いかけてあげて下さい。解っていらっしゃるはず…だとは思いますが、あれは追いかけてこいという意味での行動と台詞ですからね?」
ルイーゼはまた微笑んだ。
一瞬、ほんの少し哀しそうに見えたのは見間違いではなかったはずだ。
「だが…そうなると君を放っていく事になる」
それを聞くなり、彼女はクスクスと楽しそうに笑った。
「この状況で、ナーシャちゃんではなく私の心配ですか?…それだけで十分ですよ。気持ちは受け取りましたから、今は傷心の乙女を追いかけてあげて下さい」
「…すまない、本来私が何とかしなければならないものを──」
──ルイーゼに色々と押し付け過ぎた。
「いえ、残念ながらこの件に関してはニコライさんの出る幕は無いですよ?これは所謂、女の政治というものです。殿方にどうこう出来るものではないのですよ。それが出来る人間は、私しかいないのですよ…私しか」
やはり重荷に過ぎるのではなかろうか、私が彼女に背負わせてしまっているものは。
「兄──或いは夫にも出番を回してもらいたいものだ。観客に徹するのは忍びないのでな、せめて裏方役としてでも、な」
「前向きに検討しておくとしましょう。…ほら、もうそろそう行って下さい」
言葉とは裏腹に、彼女は名残り惜しそうに私の右手を両手で包んだ。
「帰ったら、ヴィクトリア女王陛下にきっちり謝罪しておいて下さいね。あと、巻き込まれた方々にも。それから──」
彼女はそこで口籠った。
「それから?」
頬をほんのり染めて、少し俯向きがちに…
「──それから、本音を言うと、ナーシャちゃんを追いかけて欲しくはありません…」
…そう呟いた。
だが、それでも彼女は手を離した。
「分かった…行ってくる」
私には勿体ない、実に出来過ぎた細君であった。