CXXXII.服の違いなんて分かるはずがない。
「兄上、ちょっと兄上!」
「──ん、…ん?何だ?」
椅子に座って待っているつもりが、いつの間にやらウトウトしていたらしい。
顔を上げると、目の前に妹が少々不機嫌な様子で立っていた。両手に可愛らしいワンピースを持って。
「こっちとこっち、どちらが似合うと思いますか?」
「ん?」
片や一見シンプルそうに見える白い無地のワンピース。
片や水色──かと思いきや青い生地を基調に、よくよく目を凝らせば非常に細い白いストライプが入ったワンピース。
この二着にまで絞ったのか。
「もっと派手派手な服を選ぶのかと思いきや…案外シンプルだな」
婦人服──というよりは、幼い女の子が着ていた方がしっくりくるワンピースだ。
女性は身体が小さい人も多いから、このサイズでも大人用なのだろうが。
「普段ドレスばかり着ていてこの様な庶民用の服を着る事がなかったので知りもしませんでしたが、どうやら私は綺麗系ではなく可愛い系に分類されるらしいのです」
「つまり?」
「つまり、こういうものの方が似合うのです」
ナーシャは何だかんだでまだ十六歳であり、一般的にはまだ子供に分類される。
当然と言えば当然だが、むしろ年齢の割に少々幼い見た目をしている彼女は、大人の女性の色香とかそういう面では劣る。
“大人っぽい女性”を挙げろ、と言われれば私は先ず第一に姉──実際にそこそこ歳上である──を挙げ、次にルイーゼを思い浮かべるだろう。次いで実年齢の割に大人っぽい様なぽくない様な…微妙なラインのソフィア医師辺りがきて、越えられない壁に隔てられたその後がナーシャだ。
──ナーシャ、自分を知った十六の夏。
敵を知り、己を知れば百戦危うからず。
勿論ここでいう“百戦“とは、恋愛の事である。(あな恐ろしや…)
「いやしかし…何だか…可愛い系だとか言いながら結局露出が多い様に思えるのだが…」
ナディアが着ていたとしてもしっくりくる可愛いらしいワンピース。
しかし、非常に分かりにくいが肩の辺りが出ている。
あと、背中もちょっと開いている気がする。
「ヴァルトはこうも暑いのですから、当然それに応じて布は薄くなり、面積も小さくなるでしょう。そう驚く様な事でもないと思いますが?」
「そういうものなのか?」
「道行く人々の様子をご覧になっては如何ですか?…いや、既に充分目に入っておられるはずなのですが」
残念、今まで街並みに気を取られ過ぎて女性の布面積の小ささなんて気にもしていなかった!!
──というのは建前で、実際には街中で女性に少しでも目を遣ろうものならナーシャが私の頬をぐにゅぐにゅと引っ張ってくるから、見ようにも見られなかっただけだ。
「実際暑いからなぁ…許容範囲か…」
そういう事にしておく。
「そして、これも被ります!私の髪色を隠す意味もあって」
彼女がひょいと店員から受け取って、被ったのはどこがどう違うやら…ただの麦わら帽子であった。
「麦わら帽子…?」
プラトークにもある、ただの麦わら帽子。
珍しくも何ともなく、むしろありふれたものだ。
それ故に少々意外であった。
「この帽子を被る前提で、似合う服はどちらでしょう?」
どちらが似合うか助言を請う、という体ではあるが、どちらかと云うと試されている様な気がしてきたな…
「白いワンピースだと──麦わら帽子も相まって本当に子供っぽいな。ひまわり畑によく映えそうだ」
「青い方だと──これもやっぱり子供っぽいな…ひまわり畑を背景に写真を撮ればさぞやしっくりくるに違いない」
「何故ひまわり畑?」
彼女は何がおかしいのか、くすくすと上機嫌に笑った。
「何となく、だ」
「そうですか。何とはなしにそう思われたのですか」
笑顔が余計に子供っぽさを感じさせる。
彼女がただの妹だった頃が偲ばれた。何も考えずに済んだあの頃が。
「しかしそれではどちらも同じではないですか。選んだ事にはなりませんよ、それでは」
「どちらでも可愛いから問題無い──とか、そういう意見は求めていないのだろう?」
「ええ、まあ」
正直なところ、どちらでも良いというのが素直な感想だ。
しかし強いて言うならば──
「──青だな。ナーシャの真っ白な服には良い思い出が無い」
「赤く染まりそうだから?」
「そうだ、どす黒い赤にな」
彼女は、兄上がそう仰るならそう致しましょう、と楽しそうに微笑み、店の奥の方に歩いていってしまった。
「試着してみます。それで問題無い様であれば、そのまま着ていきましょう」
「ああ、そうしてくれ」
ナーシャが去ると、一気に静かになる。
後に独り取り残されたのは、こんなデートならば悪くはないな、と思ってしまう自分であった。
✳︎
「どうです、兄上?」
例のワンピースに着替えて戻って来るなり、妹はやはり感想を求めてきた。
可愛らしいワンピースに、少しつばが大きめの麦わら帽子。何が入っているのか…きっとロクでもないものしか入っていないであろうポシェットを肩からかけている。
「良いんじゃないか、うん」
何度も言うが、ひじょーーーーに幼く見えた。
これはもう二人で並んで歩いても、カップルなどには絶対見えないだろう。
仲の良い兄妹──見る人が見れば親子…は、流石に言い過ぎかもしれぬが。
「“良い”って具体的にどういう事ですか?もっと詳しく教えて下さい」
面倒臭い…
「いや、言葉に出来ないな」
「語彙力が無いからですか?」
「語彙力ではなく…言語では表現が追いつかないから…という事にしておいてくれ」
「便利な言い訳ですね…」
「ああ、私もそう思った」
彼女はそこで諦め、それ以上の追及やめた。
やはり今日はご機嫌麗しい様で、大変結構。
此度のデート然り、定期的なご機嫌取りが如何に重要か…身に染みる思いである。
「しかしそれにしても兄上の格好は暑そうですね。どうして殿方ではその様な服装が流行っているのでしょう?」
「私に分かるはずもないが…少なくともこいつは外に出ればとんでもなく暑いに違いないぞ。なんせ、黒いし、分厚いし、重ね着しているのだからな。誰だ、これを流行らせた輩は?」
暑い所では薄着をし、寒い所では厚着をすれば良い。
何故進んでそれに逆行せねばならぬのか、理解に苦しむ。
「一時期、プラトークでも女性の間で薄めの服装が流行った事がありました。…庶民の間で、ですが。脚が出ていて、どう考えても寒そうでしたが」
「我が祖国で脚出しファッションが流行していた、だと…?凍傷になるぞ…?!」
「ええ。ですから、廃れたのですよ直ぐに」
ファッション…やはり意味が分からん…
「大抵の場合、他国の流行を真似た結果そういう事になるのです。今私が着ているこのワンピースだって、プラトークで着るには薄過ぎるでしょう?少なくとも屋内限定でしょう」
そういえば、ナーシャはヴァルトのファッションをプラトークに持ち込むつもりで大量買いしているのだったな…
白い目を向けると、彼女は心配ご無用です、と存外真面目に言い切った。
「大丈夫です、プラトークに薄着を流行らせたりはしませんよ。全部寒冷地向けに改造してから出回らせますから」
小出しにする方が色々と美味しいのも理由の一つではありますが、と彼女は付け加えた。
「我が国の財政は厳しく、だからといって簡単に増税など出来ません。ならば貴族や平民の富裕層から商売で富を掻っ攫う他無いでしょう?どこぞの工房と手を組んで、少々これで利益を生むつもりです。微々たるものですが、少しは国庫の足しになりましょう」
血眼になって買い漁っていたのもこういう理由であったらしい。
「しかし…本当に儲かるのか?」
いくらヴァルトのファッションとやらを持ち込んだところで、それが受け入れられなければ儲かりはしないだろう。
「少なくともマイナスにはなりますまい。何と言っても、私自ら広告塔になるのですから。少々自慢めいてしまいますが…国内にて私の服装は貴族の子女にとっては目指すべき目標、憧れの対象なのです。私が何かの行事で着た服は、直ぐに皆も真似て着始めます」
まあ、こう見えて彼女も皇女なのである。
彼女が公の場で少し変わったお洒落な服装をすれば、嫌でも人々の目に付く。
目敏い貴族の子女ならばこぞって真似ようとするし、利益の匂いを嗅ぎつけた商人が動けば、貴族でなくとも庶民の富裕層くらいになら拡まる。
それが洒落ていようが洒落ていまいが、皆こぞって真似たがるのだ。
そして通常ならばその際、各々が「あれに似た服を仕立てて!!」と行きつけの仕立て屋やお雇いの者、あるいは贔屓の商人等に用意させる訳だが、やはりそういう時、真似る方は真似る方でまた大変なのである。
「皆が必死で真似ようとしているところへ、都合良く同じものが現れる訳か」
「そういう事です」
おぼろげな記憶を頼りに仕立て屋に依頼。
しかし当然実際に目で見た訳ではない仕立て屋が同じものを用意出来るはずがない。
そうしててんやわんやしている時に、突然ナーシャが着ていたものと同じものが現れる。
…勿論、ナーシャが商人と組んで流通させたものが。
「うーん…小遣い稼ぎぐらいにはなるか…?」
「上手くいけば戦車大隊一個分ぐらいなら稼げるかもしれませんよ?」
「馬鹿に出来ない額だな…許可する…好きにやれ」
これぞ内助の功ですね!と彼女は胸を張ったが、やっている事自体は立場を利用した、ただの独占商法である。
更に根本的にはヴァルトから仕入れた服をプラトークの気候向けに改造するだけだから、正直言ってコピー品製造で儲けているだけである。
もっと言えば、面倒事は全部手を組んだ商人に任せる事になるだろうから、ナーシャのやる事といえば宣伝のためにそれを着るぐらいのものである。
「ちょろい商売だな…」
真面目に商売している人達に顔向け出来ぬな、これは。
「世の中、やはり不平等なものですよ兄上。どちらかと言えば我々は恵まれた側の人間ですが」
何故その台詞を言いながら満面の笑みで笑えるのか…
「まあ良い…着替えたならもう行こう、時間が惜しい」
「次はどこへ?」
「──軍港」
「却下です」
即答であった。
「軍艦…見たくないか?ヴァルトの軍艦だぞ、ヴァルトの」
「デートに軍艦見物など…馬鹿にしているのですか…?」
笑顔なのは変わらずだが、少々凄みが増した気がした。
「じゃあもう…ナーシャに任せる…」