CXXIX.ニコライの朝。
※ここまでのあらすじ
──24XX年
人類は滅びの憂き目に遭わんとしていた。
銀河の果てから突如現れた異星人達は人類の植民惑星を次々と攻撃し、占領していった。
遂に最後の太陽系外抵抗拠点も異星人達の強大な戦力に破れ、敵は太陽系内に侵入。
火星にて壮絶な地上戦が始まる事となる。
リー将軍率いる火星守備隊は戦闘機部隊の猛攻により一時的に制空権奪取に成功、惑星規模の大規模反攻作戦によって火星を包む敵電磁シールドを解除、これにより火星軌道上を周回していた六千門の軌道砲による敵上陸部隊及び、軌道上を同様に周回中の敵侵攻艦隊に砲撃が開始された。
多くの犠牲者を出しながら辛くも敵を撃退した火星守備隊だったが──地球本星との交信が回復した頃には、地球にある司令部は壊滅していた…
※本当のあらすじ
メーヴェ本土近くまで敵を誘導し、空軍主導で開始されるはずだった作戦は突如中止に。
が、それは取り敢えず置いといて…
時は少し遡り、作戦開始前──ニコライ達はヴァルト王国でのんびり過ごしていたのでありました。
7月30日──つまり、95話の次の日からスタートとなります。
プラトーク艦隊の討伐大同盟参加が決定し、丁度、準備にてんやわんやの時期ですね。
本章ではその裏でも当然続いていたニコライのヴァルトでの日常をお送りします。
〜七月三十日(百十一日目) ヴァルト王国にて〜
ごろごろがっしゃーん!
…気付いたら書類やら本やらに埋もれて私は床に転がっていた。
ごろごろがっしゃーん、はそれらと一緒に私が地面に転がり落ちた音であろう。
少しだけ首を動かして窓の外を見遣れば、東の空が少し赤く染まっている。
初っ端から幸先の悪い朝の目覚めである。
「お目覚めですか?」
更に首をぐるりと回して声のする方向を見れば、そこには副メイド長が夜通しずっとそこにいたと言われても不思議でないくらい完璧な直立不動で私を見下ろしていた。…否、見下していた。
今日もご機嫌麗しゅう、冷たい目で私を睨んでいらっしゃる。
メイドよりも絶対に女王様の方が似合うであろうエレーナ副メイド長である。
記憶を整理してみる。
昨日はプラトーク帝国艦が討伐大同盟に参加する関係でそれに関連する資料やら何やらを山の様に関係各所から手渡された。
そしてそれ全部に目を通しておくようにルイーゼに仰せつかった。
ルイーゼがそう言うならば仕方がない、と私は素直にそれらを読み始めた。
しかし数時間やそこらで読み終えられる様な生易しい量ではなかった。
私はその日中に全て読む事を諦め、就寝しようとした。
すると副メイド長が現れた。
彼女は言った、「睡眠時間を削ってでも読まないと作戦開始までに全て目を通すなど不可能ですよ」と。
「成る程、その通りだな」と私は答えた。
だがしかし、やっぱり眠かったのでちょいとばかり仮眠を取ろうとベッドにダイブしたところ、シーツごと副メイド長に連れ去られ、この小さな部屋に監禁されてしまった。
よし、こうなったら徹夜で頑張っちゃうぞ、と張り切ったところまでは覚えている。
つまり──
「──途中で眠ってしまったのか」
「ご名答です」
で、机から書類を盛大に巻き込んで、転げ落ちて起床、と。
何とエレガントな一日だろうか。
狭い部屋に机と椅子、それと明かり取りの小さな窓が一つあるだけの小さな部屋。
部屋中に泥をばら撒けば独房と見紛うぐらいの造りである。
ヴァルトの宮殿にある一室であるからにはきっと独房でも何でもなく、恐らくは使用人用の部屋か何かなのだろうが。
「もしや副メイド長…一晩中そこに立っていたのか?」
「それが何か?陛下が眠ってしまわれたのでずっとそのまま立っておりましたが?」
ああそうか、そうやって徹夜で蔑みのこもった眼で私を睥睨していた訳だな。
だったら起こせば良いのに、と思わんでもないが、起こさなかったのはもしかしたら彼女なりの優しさだったのかもしれない。
彼女にも一応人の血は通っているので。
「では、本日の予定の方ですが──」
「──そのまま一日中文字と追いかけっこか?」
「よく分かっておられますね」
このままでは今日も明日も明後日もこの部屋に監禁状態でひたすら文字を追わされるに違いない。
嫌だ。それは嫌だ。
こう見えて、視察とか見学とか適当に言い繕ってヴァルトの町を遊び歩こうとちょっと楽しみにしていたのだ。
折角ヴァルトまで来たのだ、ちょっとばかしの観光ぐらいしなくてどうするか。
ほら、見聞を広める事だって大事だと思うのだよ、私は。
そこで、大きな溜め息を噛み殺し、私は彼女におねだりを試みる。
「せめて朝食ぐらい済ませてからにしてはどうだろうか、苦役に従事するのは。朝食は作業効率を上げる上で非常に重要であると以前ソフィア先生も講釈をたれていたぞ?」
仕事をサボタージュさせてくれ、と要求してもそれを突っぱねられるであろう事は明らか。
ならば朝食にかこつけて逃走を図ろうという大脱走プランなのであった。
「朝食ならもう少しお待ち下さい。いくら何でもまだ朝食の準備など出来ていないでしょう。せいぜい使用人のための質素なものぐらいしかないと思いますよ?」
「その様な事は分かっている。朝っぱらから完璧な食事など出てきたら寧ろ驚きだ。その質素なものでも何でも良いから腹に入れておきたいのだ」
「そうですか…そこまで仰るなら、そう致しましょう」
よしきたっ!…と心中でガッツポーズしたのも束の間、直ぐに私の当ては外れてしまう。
「では、アリサに何か持ってこさせましょう」
「は??」
反射的に開いた口を無理矢理閉じつつ、私は彼女を仰ぎ見る。
「食堂で食べるのではないのか…?」
「ここで済ませて下さい。どうせちょっとした軽食ぐらいのものしか用意出来ないでしょうから、ここで十分でしょう?」
「待て、アリサ?副メイド長が取りに行くのではなく?」
「この様な事態も想定し、隣室にて待機させています。どうせ居眠り中でしょうが、壁でも蹴れば駆けつけてくるでしょう」
有言実行とばかりに彼女は壁に回し蹴りし、ドガンッと鈍い音が鳴る。
仮にもヴァルトの宮殿だ、かなり分厚い壁のはずなのだが、水面の様に壁が揺れる様を私は目撃してしまった。
その後、ちょっと遅れてその壁の向こうから、どしゃんばしゃんとかきゃーーっとか阿鼻叫喚の地獄か何かの様なくぐもった悲鳴と騒音が聴こえてきて、それが止んだと思ったらこの部屋の扉が勢いよく開いた。
「アリサ!只今参上仕るっ!!」
決め顔と決めゼリフと決めポーズを見せつけながらそこに立っていたのは、勿論新人縁故採用ダメダメイドのアリサである。
よれよれのメイド服とちょっとはねた黒髪、斜めにずれたヘッドドレス等々…見るからにやはり、さっきまで居眠りしていた様子だ。
お目覚め早々テンションが高いな。
私もやっとこさ身体の上に載っかった紙をざばーっと払い除け、立ち上がった。
「陛下、おはようございます!」
「ああ、おはよう」
元気良さだけなら及第点なのだが…
残念ながらメイドに元気良さは求められていないのだ…
そこら辺、この子は理解しているのだろうか…?
「アリサ、厨房に行って何か食べられるものを分けてもらってきなさい」
「イエッサー!」
アリサが去ると、重苦しい沈黙が狭い部屋中に蔓延する。
逃走計画が完全に失敗した事も相まって気分はどん底だ。
せめて日中の監視役はアリサの方が気が楽であるのだが…
「副メイド長、寝なくて良いのか?アリサがいるのだから交代して仮眠をとってきてはどうだ?」
「ご心配には及びません。数日眠れないぐらいならどうという事はありませんので」
そうか。だから他人にも不眠不休を強要しようとしたりするのだな?
自分に出来る事は他人にも出来るはずだ、とかそういう思考回路なのだな?
「もしや一日中ここにいるつもりか?」
「ええ」
「入浴とか食事とか色々あるだろう?」
「問題ありません」
いや、何が問題無いのかさっぱり分からん。
「それはほら…労働基準法違反というか何というか…流石に働き過ぎというか…人間辞めてるというか…こちらとしても申し訳ないというか…」
「問題ありません」
そうかぁ、問題無いのかぁ…
「いや、でも、しかしながら、えーっと、それとはまた別にだな、えー…優秀な人材である副メイド長がただひたすら私の側に突っ立っているだけというのも非生産的だと思うのだが?人的資源の無駄使いだとは思わんかね?」
「いえ、思いません。ヴァルト側から十分な人数の使用人は提供されておりますから、私がおらずとも皆様のお世話の方は回っておりますし何ら問題無いかと」
ええい、儘ならぬものよな…
私が諦めると、他に喋る事も無いのでまた沈黙が重く乗しかかってくる。
気不味い、辛い、もう逃げたい。
そのうち、今度は丁寧に扉がノックされる。
アリサが帰ってきたのであろうか。
副メイド長が扉を開けると、確かにそこにはアリサがパンとチーズを皿に載っけて立っていた。
但し、おまけ付きだったが。
「お姿が見えないので心配しましたが、ここにおられたのですね!…やはりエレーナの仕業でしたか。こういう時は大抵エレーナを疑っておけば正解ですね」
ニコニコと今日も凶悪な微笑みを顔に貼り付けた我が妹が、そこにはいた。
可哀想に、隣のアリサがぶるぶる青い顔で震えている。
どうせまた何かしら脅し文句でも浴びせられたのだろう。
「殿下…陛下は今お忙しいので、ご用がございましたらまた後ほどお願いします」
「忙しいって何が?」
「此度の同盟参加に関する資料に目を通して頂いております」
「そんな事はルイーゼにでもやらせておけば良いのです、私と兄上を引き離す理由としては不十分よ」
だが、副メイド長はそれでも食い下がる。
「しかし…そのルイーゼ殿下が読んでおくように仰っておりました故…」
「何故兄上があの女の言う事を素直に聞いていなければならないの?あの女の妄言などは放って置けば結構でしょう?」
副メイド長の中での優先順位は一にナーシャ、二に私。その後にルイーゼ辺りが並ぶ。
故に、ナーシャにそう言われてしまうと副メイド長には逆らい様が無い。
「ところで、何故ナーシャはここが分かったのだ?アリサを脅して案内させたのか?」
「ええ、まあそんなところです。兄上がどこにもいらっしゃらないので夜通し探し回り、それでも見つからず、仕方がないから宮殿内の要所に見張りを張り付かせておいてエレーナかリサを待ち伏せしていたのです。すると今朝になってやっとリサがこうして網にかかったという訳ですよ」
うん、可哀想。
「事情の方は分かった。で、何の用だ?私の顔を見て、はい終わりとはいかぬのだろう?」
「当然です。折角ヴァルトにまで来てしまったのですから、ご一緒に観光でも如何かと思いまして」
観光か…観光ねぇ…
「私もそれには同感だが、仕事をほっぽり出す訳にもゆくまい?」
「仕事とは具体的に何ですか?資料を読むだけですか?」
「ああ」
それを聞くなり妹は微笑む。
「ならばエレーナに任せてしまえば宜しいではありませんか」
「は?」
何を言っているのだろうか、この子は。
「エレーナに読ませて、後で要約させればそれで事足りるのでは?どうせ兄上はここに留まるのですから、その情報を利用して何らかの判断を下す状況など訪れはしないでしょう?自分で読みたければ後でじっくりお読みになれば良いのですし、それで問題無いではありませんか。それに、エレーナに読ませて覚えさせておく方が兄上が覚えておくよりも良いかもしれませんよ?」
さらっと無能宣告された気もするが、事実なのだから仕方がない。
尤もな主張だ。
「副メイド長、任せても良いか?」
「…殿下もこう仰る事ですし、致し方ありません」
…何だか申し訳ないな。
しかしこう言っては何だが、都合が良いのも事実だ。
ここは彼女に押し付ける他あるまい。
ナーシャとはもう結婚が確定してしまったし、彼女は子を生す事が出来ぬ身となってしまっている。
今更避ける意味も無い。
「ところでナーシャよ、観光とは言うものの何を観光するのだ?」
「いえ、特には決めておりません。目的も無くぶらぶらと歩くのもまた一興かと思いまして」
「誰か連れて行くのか?」
「ご冗談を。誰にも邪魔させる気はありません」
デスヨネー。
しかし、副メイド長は当然それに良い顔はしない。
「僭越ながら申し上げさせて頂きますが、どうか供の者をご相伴下さいませ。皇族御二方だけで街を散策するなどあってはならぬ事です。お忍びなれども腕の立つ者の一人や二人はご随身なさるべきでありましょう」
「嫌だ」
…と、言ったのは当然ナーシャである。
「兄上と折角二人きりになれるのに、誰が供など連れるものですか」
そりゃそうなるよな、と想像通りの反応である。
「何と仰ろうとも駄目なものは駄目です。ならば無理にでも尾けさせます」
チッ…と舌打ちしたのも、勿論ナーシャである。
「まあ、良いではないか。見えないところから見張られるぐらいなら気にしなければ良いだけの話だ」
何よりも重要なのは、ここから抜け出せるという事であった。