XIII.戦略フェーズ。
※注釈
・機甲部隊
戦車や装甲車等の装甲を施された車両で構成された部隊。
速い、強い、硬いの三拍子が揃ってます。
・自動車化歩兵
トラックなどで移動する歩兵の事。
歩兵は移動に際して徒歩が普通だが、兵員輸送車に乗せて展開能力を高めたもの。
・機械化歩兵
自動車化歩兵の中でも、装甲車に乗り、機動戦に参加する歩兵の事。
簡単に言えば、歩兵戦闘車のおかげで、展開も早いし、戦車みたいに主砲で戦ったりも出来る兵。
ちなみに、作中でヴィートゲンシュテインが主張している策は現実世界に於けるイスラエルの「オールタンク・ドクトリン」に近いですね。
・エアボーン
輸送機から兵士を落下傘降下させる事。
この時降下するのが空挺部隊。
・電撃戦
ブリッツクリーク。Blitzkrieg と書く。
ドイツの超有名なアレ。
超簡単に言えば、航空部隊が敵を大雑把に空爆で蹴散らし、その後機甲部隊が突っ込むというもの。
素早く侵攻するには最適。
ただし、そのためには機械化が必須。
ちなみに、本作に出て来る「電撃戦による疾風怒濤作戦」は正確には電撃戦ではありません。
・疾風怒濤
シュトゥルム・ウント・ドラング。Sturm und Drang と書く。
現実世界では、ドイツの文学運動の事をそう呼ぶ。
元々は誰かさんの戯曲に由来するんだとか。
和訳としては間違ってはいないが、少し厨二の気配が感じられる。
多分訳者はちょっと厨二を拗らせてたのでしょう。
「あなたが責任者君?」
「はい。この様な若輩者ですが、栄光ある帝国軍の管理をさせて頂いております」
責任者君、などと軽々しくあだ名を付けてしまう所は流石、我が姉。
この馴れ馴れしさときたら彼女のおばちゃんパワーが滲み出ている。
おばちゃんパワーも八百万ぐらいあるんじゃないか?
「ごめんなさいね、ここまで押し掛けて来ちゃって。どうしても国の未来に関する事だから気になってしまって」
「構いません。伯爵夫人のお気持ち、私とて十分に理解出来ます」
「すまんがこれからの戦略について話し合いたい。本当は参謀が考える事なのだが、参謀も現在整備中なのだろう?」
「ええ。参謀も最早名ばかりでして、ほぼ機能していないのです。軍再建に関しても今のところ私を中心に軍の各所から意見を募って進めている状況でして」
こんな夜遅くに帰って来たのも、やはり軍再建に奔走しているせいらしい。
彼は最初に見かけた時よりも少しやつれて見える。
彼一人に随分と無理をさせてしまっているのかもしれない。
「ならば、私達の意見も参考にしてもらえると嬉しいのだけど」
「勿論です。戦略に関する意見とあらば大歓迎ですよ」
彼は爽やかな笑顔をこちらに向ける。
疲れているはずなのに、流石はイケメン。
「先程弟とも話していたのだけど、責任者君は連邦の航空戦力にどうやって対処するつもりなの?」
「航空戦力…ですか。確かに侵攻に於いての最大の障害になるでしょうからね。先ずは陛下と伯爵夫人のご意見をお聞かせ願いたいのですが」
「我々としては、航空機では敵わないであろう以上、対空火力で補う必要性がある、という結論に至った。しかし従来の牽引砲では前線の動きに対応出来ない。故に、牽引砲は後方の兵站の防衛に使用し、前線部隊の対空防衛には対空自走砲を使う。航空機は直掩のための戦闘機だけで良い。兎も角、陸上部隊と兵站網を連邦航空部隊の対地攻撃から守る事に尽力するべし、と」
我々の案はかなり消極的なものだ。
自分達の真上で敵を迎え撃つ以上、少なからず陸上部隊が損害を被るだろう。
しかし多少の損害には目を瞑り、敵航空機をやり過ごす事だけを考よう、というプラン。
航空戦力さえ何とかすれば陸上戦力では勝算があるのだから。
「興味深いですね。対空自走砲ですか…しかしそれをしようとすると、その分他を削らなければなりませんからね…限られたリソースを考えると、対空自走砲の分だけ他の装甲車両を削らないと。それでは陸上戦力に頼った戦略なのに陸上戦力の弱体化を招く、という本末転倒な事態を招きかねません」
「では、どうせよと言うのだ」
「防御は度外視します」
「何?」
無謀だ。
無謀過ぎる。
彼が言っているのはつまり、「敵航空部隊からやられっ放しになる事を甘受する」という事。
それでは兵力が幾らあっても足りない。
陸上戦力を投入する度に次から次へと上空というアウトレンジから攻撃され、消耗。
後方の兵站はズタズタに破壊し尽くされ、前線部隊は補給の無い状態で孤立してしまうだろう。
正気の沙汰ではない。
「本気で言っておるのか?それでは私の案よりも勝算が低いと思うが」
「ええ、普通ならば。敵の陸上部隊は遅滞戦闘に努め、その間に空から各個撃破されるでしょうね」
「よく分かっているじゃない。それでもそう言うからには、何か打開策があるのでしょう?」
「ええ。敵の主戦力との戦闘をなるべく避けるのです。奇襲作戦で瞬時に敵の懐に飛び込み、敵の対応が遅れている間に勝負を決めます。出来れば、敵航空機が空に上がる前に破壊するぐらいの勢いで」
彼の言う事の理屈は分かる。
しかし、言うは易く行うは難し。
そう簡単にいくとは思えない。
「無理だな。どんなに急ごうとも、途中で連邦側も立て直してしまうだろうよ」
敵とて馬鹿ではない。
奇襲を受ける可能性も想定済みだろう。
最初のうちは奇襲の効果があったとしても直ぐに対応されてしまうに違いない。
「勿論です。ですから、“普通ならば”と申し上げたのです。それならば、普通でない状況に持ち込みます」
「ほう」
「先ず、この戦略に於いて重要なのは連邦の地理的条件です。可哀想な彼等は、北は我々、南はフォーアツァイト帝国に挟まれております。つまり彼等は我々だけでなく、南にも警戒しなければならないのです。そして、ちょっと時代遅れとは言え…今も元気に活動中のフォーアツァイト帝国軍と、超時代遅れのプラトーク帝国軍。どちらが彼等にとってより脅威かは一目瞭然。つまり、連邦軍はあまり北に兵力を集中させておりません。更に、連邦の首都は北方──つまり我々寄りの場所──に位置します。そこを集中攻撃し、国としての機能を麻痺させるのです」
素晴らしい。
素晴らしいが、それでもまだ不安が残る。
「しかし、それでも機甲部隊を直行させても首都まで数日はかかる。南に敵兵力が集中していたとしても、直ぐに北に配備してくるだろう。それに、敵が機能不全に陥ったとしても南方に敵の主戦力が温存されている以上、直ぐに反撃を受けてしまうぞ」
「ですから、敵が北に兵力を送れないようにするのです。つまり、南に敵を固定します。それに加えてこちらも航空戦力を強化し、機動力を高めます。敵航空部隊は全てこちらの航空戦力で対処し、陸上部隊は敵の陸上戦力排除だけに集中させます。陸上部隊に関しては歩兵を全て自動車化歩兵、部分的に機械化歩兵とします。砲に関しても全て自走砲とし、牽引砲はお役御免とします。つまり、陸上部隊は全て機甲部隊にするのです。これにより敵航空機に対する心配をする事無く、速やかな侵攻が可能です」
「今、さらりと南に敵兵力を固定、と言ったけど、まさか…」
「伯爵夫人のお察し通りです。フォーアツァイト帝国と秘密協定を結びます」
「つまり、フォーアツァイトに先に攻めさせ、南に敵が集中したら攻撃開始、か」
「その通りです。こちらとしても有り難いし、あちらにしても最初さえ耐えれば我々が敵の首を刈ってくれるのですから、両者にとって損はありません」
この男、本当に恐ろしい事を考える。
戦略としては、もし仮に秘密協定を結べるのならば十分に採用するに足る。
しかし問題はそのための前提条件として、我々の航空戦力が連邦航空部隊に勝てるだけの戦力を有し、歩兵も全自動車化及び一部機械化、牽引砲の自走砲化、戦車部隊の強化など、すべき事があり過ぎる事だ。
リソースは有限。
航空部隊に力を入れ過ぎれば陸上部隊が弱体化し、その逆もまた然り。
その適切なバランスこそが重要となってくる。
「一部だけとは言え、敵航空部隊は非常に強力だ。勝ち目はあるのか?」
「ご安心下さい。質で劣るのならば数で対抗するのみです。奴等の主力戦闘機の特徴を調べた結果、我々にとって都合の良い事実が発覚したのです。連邦の主力戦闘機をご存知でしょうか?」
私には連邦軍の事などさっぱり分からない。
姉も知らない様だ。
「知らないわ。何か欠陥があるの?」
「いいえ、素晴らしい戦闘機です。シヤンという名の軽戦闘機ですが、最大の特徴はその軽さです。並みの戦闘機では先ず歯が立ちません。特に一対一の戦闘では、無類の強さを誇ります」
「それでは勝てないではないか」
「ただし、その軽さには大きな代償が付いているのです。攻撃力と防御力が極端に低いのです」
つまり、連邦軍の連中はシヤンの素早さに全てのボーナスポイントを割り振り、攻撃力と防御力はその分非常に貧弱だと。
攻撃速度と回数が如何に素晴らしくてもその一回一回が貧弱では意味が無いし、回避率が如何に高くともその分防御力が低いのでは…という事だ。
「シヤンのその軽やかな飛行は一部界隈では“シヤンの粉雪”との異名で知られていまして、この異名はシヤンの長所と短所を的確に表しています。この粉雪というのはそのひらりと舞う優雅さの他に、被弾すると直ぐ墜ちる事を皮肉ったものでもあるのです」
「一対一ではその素早さ故に最強。ただし多対一となれば、その致命的な防御力不足が大きな弱点となるのか」
「はい。どうせ格闘戦ではシヤンには敵いませんからその様なものは諦め、こちらは火力と防御力で攻めます。攻撃力が低いシヤン相手ならば、少し防御力を高めるだけでかなりの損耗防止が期待出来ます」
凄い。
このプランならば勝てる。
これならば最大の障壁、連邦航空部隊を破れる。
「あと、敵の防衛線の後方に迅速に兵を展開出来るよう、空挺部隊の使用も考えております。ですから、航空兵力に関しては対シヤン用の重戦闘機、エアボーン用の兵員輸送機、エアボーン支援用の攻撃機を検討中です」
「勝てる…勝てるぞ!本当にそれだけのものが用意出来、練度も必要最低限あるならば!」
「そして、フォーアツァイトと密約を結べるならば、ね」
「もう既に練兵に関しては開始しております。後は既存の兵器設計の修正の後、製造を開始するだけです。しかしこの製造が最大の難関でして…出来るだけ急いで造りたいのですが、あまり派手にやり過ぎると連邦に気付かれて奇襲効果が無くなってしまいます。それが難しいのです」
どこまでも課題は、匙加減の調整、という訳か。
「予想以上に優秀ね、責任者君。正直ここまでとは思わなかったわ」
姉も本当に感心している様子。
私とて、ここまで彼が優秀だとは思わなかった。
「有り難うございます。私に出来るだけの努力は惜しまないつもりです。ですから、フォーアツァイトとの秘密協定の件、陛下には何としても達成して頂きたく思います」
「ああ。私も最大限努力しよう」
「この作戦に関しては、『電撃戦による疾風怒濤作戦』、フォーアツァイトには、『Unternehmen Sturm und Drang mit Blitzkrieg』とでも称しておきましょうか。これの有用性をあちらにも理解してもらわねばなりません」
「そうだな。匙加減に関しては卿に任せるから、フォーアツァイト方面は私に任せておけ」
「はい、お願いします」
嗚呼、素晴らしい夜だ。
今宵は今までの人生で最も素晴らしい。
私の心は、強い満足感によって満たされるのだった。
✳︎
結局我々はヴィートゲンシュテイン邸に泊まっていく事となり、私は提供してもらった部屋でぼーっと窓ガラス越しに月を見つつ、今日の話し合いの成果について取り留めもない事を考えるのだった。
『電撃戦による疾風怒濤作戦』という彼の示した答えは何度思い返そうとも素晴らしいものだ。
揃えるべき前提条件が多いのが難点だが、逆に言えばそれさえ満たせばほぼ成功確実なのだ。
未だにあの衝撃と感動の余韻が消えず、私は眠れずにいる。
しかしもう遅いし、そろそろ寝なければ。
今夜は月が明るいので、今はランプすら消している。
窓からの月明かりに照らされて全てが幻想的に見える。
カーテンを開けたままにし、私はベッドへと向かう。
布団を被り、仰向けになると目を閉じる。
だが、そこで違和感に気付く。
…温かい。
布団の中が温かいのだ。
嫌な予感がし、布団の中を覗くと…何かと目が合った。
ある日森の中で熊さんに出会う様な気分…
嗚呼…これはもしや…いや、確実に──
──姉だ。
「姉上。いつからそこに?」
「ちょっと前に。寝ているコーリャに夜這いをかけようと思って忍び込んでみたら、まだ起きてるんだもの。だから先にベッドで待ち伏せしてたの」
彼女はもそもそと布団の中から出て来ると、へらへらと笑いながらそう言う。
「姉上…自分の部屋に戻って下さい。ナーシャの真似なんてしてないで…」
「別に良いじゃない。折角久し振りに再会したのに別々に寝るなんて寂しいでしょ?」
「いえ、私は寂しくないです」
彼女は、まあまあ、と私をぽんぽんと叩くと、そのまま寝かせる。
「姉上…もしや、今…下着ですか?」
暗くて分からないが、姉の行動は大体予測出来る。
発想は妹と変わらないと思えば良い。
「ぴんぽーん!でも、下着は下着でも、ちょっとえっちな下着かな〜ふふふーん。見えそうで見えなくて、隠してる様で何も隠せていない様な」
「それで私と寝ると?」
「あれ?下着姿の姉相手に興奮してるの?」
出た、姉特有の挑発的な言動。
「してません」
「なら、大丈夫よね」
彼女は私に抱きつくと、わざと胸を私の顔に押し当ててくる。
以前、ナーシャがソフィア医師の様にむちむちになる未来が想像出来ない、と述べたが、案外そうなるかもしれない。
だって姉が実際にむちむちだから。
「フフフ…ナーシャや愛人さんともこんな事してるの?」
「してません!」
「でも今日も愛人さんと二人でお昼寝してたんでしょう?お昼寝!」
「…してません」
「ふーん。で、ナーシャの事だけど…あなたはどう思う?」
いきなりの話題転換。
ナーシャの事…だと?
「ただの妹ですが」
「本当に?あれだけ好意を寄せられて、何とも思わないの?」
「それでもただの妹です」
「そう…」
彼女は私を更にぎゅっと抱きしめると、私の方を見つめる。
「姉上…?」
「少なくとも私にはコーリャがそう思っている様には見えないわ。少なからず異性として意識している様に見える」
「まさか。そんなはずがありません」
「まあ、別にコーリャが認めたくないならそれで良いのだけど」
「認めるも何も、事実無根ですから」
「私は愛人さんに応援している、と言ったけど、ナーシャには言わなかったわよね?」
「ええ、それが何か?あまりソフィア先生をからかわないで頂きたいのですが」
「本当は、両方を応援しているのよ。でも、コーリャを見ている限りではナーシャの方が優勢に見えたから…だから愛人さんの味方をする事にしたの」
「ナーシャが優勢…?その様な事は…」
「まあ、どっちでも良いけどね」
姉は、一体何が言いたかったのだろうか。