CXVII.ヒーローは遅れてやって来る?
またもや場面は変わりまして、プラトーク艦隊へ。
112話「決死の陽動を。」の続きからですね。
※注釈
・バグラティオノフスク級(Багратио́новск)
一番艦「バグラティオノフスク」、三番艦「アプレフカ」。
プラトーク帝国海軍基準では重巡洋艦。
性能については何も言うまい。
・竜石
ずっと説明したつもりでいたのですが、過去作の検索をかけてみたところ、説明し忘れていたという重大なミスが判明したので今更ながらここで説明させて頂きます。
本来なら一年前の時点で説明されているべき重要事項だったのですが…あんぽんたんの筆者の責任ですね。
この世界では戦艦だろうが戦車だろうが航空機だろうが魔導砲だろうが小火器だろうが水洗トイレだろうが全て動力は魔力です。
勿論この世界にだって原子やら電子やらが存在し、それなりの科学技術をも有する以上、やろうと思えば電気を使って扇風機を回す、とか容易く出来ちゃいます。
有史以来、人類は様々なものをエネルギーとして活用してきました。
古くは太陽光、風力、水力など。
太陽光で火を点けたり、風で風車を回したり、水車もありましたね。というか、未だにお世話になっています。
それらと比べれば電気を利用するようになったのはつい最近の事です。
そのせいで勘違いを招いてしまうのですが、実際のところ、電気はそれ程ハイテクなものではありません。
新王国時代のエジプトのファラオに、神様が電気を使うようにこちょこちょっと囁いてやればアクティウムの海戦の頃にはクレオパトラとアントニーのラブラブカップルは軍艦に乗って扇風機の風を浴びながらイチャイチャとかき氷でも食べていた事でしょう。
それぐらい電気というのは案外原始的なものなのです。
だってホラ、手回し発電機を使えば幼児にだって作れるぐらいですから。
手回し発電機だって、銅と磁鉄鉱さえあれば作れない事はない(はず)ですから、まあ不可能ではないでしょう。
人類はかなり早い時点で銅を使用し始め、遅くとも古代ギリシアの時代には既に磁石も使っていたらしいので、その時点でもう電気を使う下準備は整っていた事になります。
電気を保存するための電池は…紆余曲折ありつつも鉛電池的なものを発明して落ち着くのではないでしょうか。
あ、あくまでも筆者の勝手な妄想に過ぎませんよ?
では、本題に入りましょう。そんな便利な電気がこの世界に於いて使用されないのは何故か、という事です。
結論からさっさと述べますと、それよりも便利なエネルギーが存在するからです。当然、魔力です。
必要は発明の母と言います様に、もっと便利なものがあるならそっちを使うのです。
自転車があるのにわざわざ三輪車に乗らないのと同じ事です。
では本作に於ける魔力とは一体何か。もう、筆者としては「一種のエネルギー」とか惚けた説明しか出来ません。
「竜石」という石を利用して生み出せるエネルギー。それが魔力です。
では竜石とは何か。結論、魔力の塊です。
石炭の様なもの、という認識で間違いないでしょう。
この世界の人々はこの竜石から魔力を取り出し、その魔力で色々やってる訳です。
地面を掘ったら埋まってるし、人工的にも作り出せます。
エネルギーを取り出す方法は超簡単。
燃やして燃料にするもヨシ。魔力をいい感じに熱エネルギーに変換出来ます。
回路に繋げて精密機器を動かすもヨシ。魔力がまるで電気エネルギーの如く働いてくれます。
輸送面でも、軽くて持ち運び簡単。それでいて少量で非常に大きなエネルギーを有しています。
握り拳大の竜石で戦艦だって動かせちゃいます。この世界の兵站に燃料というものが殆ど考慮されていないのはそのせい。
弾薬と食糧のついでぐらいに運んでやればそれで事足りるのです。
…という風に、この世界の文明の根幹を支えるのが竜石なのでした。
ワレツァーレ沖ニテ敵ト交戦セリ
以下、判明セシモノヲ戦訓トシテ挙グルモノトス
一、船舶ノ回避行動ハ効果ヲ認メズ
二、機銃、一般高角砲、或イハ他対空用途ヲ想定サレシ両用砲ノ類ヲ用イテノ敵撃破ハ現実的ニアラズ、敵ノ誘導等、補助的用途ノミニ使用ハ限定サルル
三、適切ナFLAX弾ノ使用ハ或ル程度ノ敵ノ攻撃行動ニ対スル妨害効果ヲ有スル事ヲ確認セリ
四、夜間交戦中ノ探照灯照射ノ有効活用ハ囮トシテ効果ヲ期待出来ルモノト認メタリ
以上
✳︎
〜ツァーレ沖、プラトーク艦隊〜
最後の囮艦が撃沈された。
その時、もう誰も言葉を発する者はなかった。
何故なら、泣こうが叫ぼうが喚こうが状況は何も変わらない事を誰もが理解していたからである。
勿論、彼らとて何もせずに指を咥えて死のカウントダウンを見つめていた訳ではない。
思い付く出来る限りの事は既に行っていた。
マセリンは二隻のヴァルト艦を実験艦に指定し、様々な事を試みた。
具体的には、わざと信管作動タイミングを遅らせたり早めたり、同時に一箇所を狙ってみたり、逆にてんでバラバラの所を狙ったり、そして適切な命中タイミングを模索してみたり。
結論から言えば、その実験の大半は何の成果も得られずに終わった。
しかし、一つだけ大きな発見があったのも間違いない。
それは、フラックス弾の確かな効果が確認出来た事である。
コナーの攻撃タイミングに合わせてフラックス弾を炸裂させる事で回避を強い、ほんの数秒だが攻撃を遅らせる事が可能であると判明した。
フラックス弾は加害範囲が広いため、流石のコナーも大きく避けねばならない様で、それが敵の攻撃遅延に繋がったのである。
だが惜しむべくは、完全な攻撃キャンセルは現状不可能であるという事。
というのも、攻撃の妨害を図るには適切なタイミングで適切な位置にフラックス弾を飛ばさねばならない。
この“適切なタイミング”とは勿論敵の攻撃タイミングを、“適切な位置”とは敵のいる位置を指す。
だが、前者は良いとして後者はかなり難しい。
砲弾の発射から到達までの時間は数十秒もあり、当然その間も敵は移動し続ける。
弾を当てるというのは言葉以上に難しい。
だから、確実に敵の攻撃を少しでも遅らせようと思えば、敵の攻撃タイミングに合わせて広範囲をカバーする様に弾をばら撒く必要がある。
そしてそんな風に一時に集中させれば、その後必然的に弾幕が甘くなる。
原理的に言えば、敵の攻撃タイミングにフラックス弾を炸裂させて回避を強要し、その回避先でも転がり込んできたその直後のタイミングでフラックス弾を炸裂させ、またそれを避けた後にも…という風に繰り返せば「ずっと俺のターンッ!!」を実現可能だが、実際問題不可能だ。
もし可能であるとするならば、それを可能とするだけの豊富な数の砲と正確で適切な射撃統制を揃えねばならない。
だが、この戦訓はプラトーク艦隊にとっては何の慰めにもならぬものの、非常に有意義なものであった。
何故ならこれは「豊富な砲と正確かつ適切な統制射撃を以てすれば一方的な攻撃を行える」という事を意味するからである。
敵との適切な間合いを維持する限りに於いて、ではあるが。
しかしこの間合いに関しても通常弾による誘導である程度何とかなる。
ならばこれは、まさに希望に他ならぬのである。
だが、それもこれも全て今のプラトーク艦隊にとっては無関係な事。
何よりも砲が足りないのだから。
もう万策尽きていた。
本来なら敵を艦隊の後方に誘導するはずだったものの、それも未だ出来ずにいる。
艦隊のど真ん前を蠅の如くぶんぶんと飛び回るコナー。
敵を引っ張っていくはずが、敵を押していく形となっていた。
否、押してなどいない。行く手を塞がれているのだ。
遂に囮艦が全て沈んだ。沈んでしまった。
フラックス弾のおかげでほんの少しだけ長く持ったが、やはりそれは“ほんの少し”に過ぎない。
小手先の策を弄するぐらいでどうにかなるなら、もうとっくの昔にどうにかなっている。
だが、どうにもならない。
ならぬものはならぬ。
マセリンは帽子を被り直し、溜め息混じりに呟いた。
「何が悪かったのだろうか…」
何が悪かったのだろうか。
何が間違っていたのだろうか。
一体どこで誤ったのだろうか。
それとも、誤ってなどいないのだろうか。
ならば不可抗力なのだろうか。
そもそも、何を以て誤りと見なすのだろうか。
今の状況を招いた直接の原因とは何か。
分かれたが故に戦力分散を招き、各個撃破の憂き目に遭った事?
…いや、違う。
戦力を分散する形になってしまったのは確かだが、それでも十分な戦力を維持していたはずだ。
プラトーク艦がいようがいまいが戦力的に何が変わるというのか。
では、何だ?
まんまと奇襲を受けたヴァルトが悪いのか?
だが、彼らも出来得る限りの警戒は怠らなかった。
ではそれは…もうどうしようもない事だとでも…?
何度考えても至る結論に、我ながら情けない、とマセリンは自嘲気味に声無く笑う。
軍人たる者、本来諦めの悪い人間であるべきなのだが。
さて、そろそろだな、と艦首方向を見遣れば、ライトの光筋の指す方に小さな点が見える。
囮艦の全滅を受けて、温存艦からも全艦で再び探照灯を照射しているのだ。
囮艦と温存艦では全く価値が違う。
戦力的な意味以上に、一隻沈む毎に犠牲となる人数が。
彼は腕時計を見た。
時間だ。
「…だーん、着!」
空中に一斉にいくつもの薄靄がかかる。
いっそ色でも着ければ花火の類にすら見えたかもしれない。
煙に隠れて見えないが、きっと敵は回避している事であろう。
そして、その直ぐ後に撃ってくるのだ。
「見えたッ──!!」
煙の合間を縫う様に飛ぶ敵を発見し、誰かが叫ぶ。
案外敵もフラックス弾については回避も楽々とはいかぬ様で、空中で錐揉み三回転してから逆立ちする様な姿勢になっているのが見えた。
だが、敵はその姿勢で外す事なく撃ってくる。
光った。
…そう認識したその瞬間には視界の隅の方で何かが燃えていた。
その様子を確認した船員が、こちらから尋ねるまでもなく大声で叫ぶ。
「艦隊後方、バグラティオノフスク級…恐らくはアプレフカ!」
一発食らっただけで跡形も無く消し飛ぶ囮艦とは違い、一応は誘導艦に指定されているアプレフカは攻撃を受けても炎を上げるだけの原型は留めていた。
正面からレーザーを浴びて、船を貫く様に大穴が開いているものの、何とか船だったものがそこにはあった。
少し下方にずれて命中したらしく、艦上部構造はまだ辛うじて残っていた。
艦橋にはまだ人が残っているのが見え、必死に海に飛び込もうとしている。
だが、その生き残りも炎に呑まれて直ぐに姿が確認出来なくなってしまう。
竜石に引火したらしく、少し黄色っぽい炎が上がっている。
やがて、例の如く海面が持ち上がって、辛うじて残っていた残骸もそれにひっくり返されてしまった。
そして、炎と共に冷たい水の中へと沈んでいく。
何とか浮かんでいる様な状態だったので、ほんの少し持ち上げられただけで簡単に逆さまになり、水の中に真っ逆さまだ。
ほんの一瞬で、数百名の命が失われたのだった。
「確認しました、やはりアプレフカでした」
「そうか、ご苦労」
重巡か。
ヴァルト艦を真っ先に狙ってこなかった事からも、やはり敵はこちらの識別が出来ていないらしい。
この様な会話の合間にも機銃は常に火を噴き、曳光弾の光の筋が夜空に向かって伸びていく。
満天の星空に曳光弾とは何とロマンチックなのだろう。
高角砲、主砲による対空砲火も無秩序にバカスカとそこらで上がり、たまに秩序立ったフラックス弾の斉射音が響く。
砲撃音をバックグラウンドミュージックに、気になるあの子とワインでも乾杯して、ムードたっぷりプロポーズ…なんて馬鹿げた現実逃避をしてみる。
嗚呼、この光が、音が、失われるのはほんの少しの未来の事だ。
我々は海の底に沈み、物言わぬ屍となり、再び海には静寂と平穏が戻るであろう。
そして唯一健在たるコナーは再び新たな贄を海神に捧げるのだ。
このままではジリ貧だ。
現状維持を選択すれば、確実に状況は悪化していく。
加えて、戦力が減ればその分だけ取れる手も狭まる。
では、乾坤一擲勝負に出るか?
一擲乾坤を賭さんとすれば、相応の危険を負うべし。
運否天賦と賭けに出るか?
残念ながら、“勝負に出る”だとか“取れる手”だとか偉そうな事を言いはするも、それで思いつくのは逃げる事だけ。
あとは、どう逃げるかという逃走経路やら方法やらの違いでしかない。
何計企てようとも逃げるに如かず。
どうにも、弱者の側に回ると辛いものだな、と彼はしみじみ思う。
こんな時、都合良くヒーローでも現れてはくれぬものか。
このままでは大勢死ぬ。
助けてヒーロー。
世の無情と言うべきか、そんなものは存在しないのだが。
しかしそこへ、吉報が舞い込む。
それを伝える船員の上気した頰。
「艦長、左舷前方──十時の方向をご覧下さい」
マセリンは船員の少しずれた調子に戸惑いを覚えつつ双眼鏡をそちらに向ける。
「──光だな…」
余計な形容は要らない。
海上に浮かぶ光球。
あるいは照明弾。
世の無情と言うべきか、ヒーローなどいない。
だが、それに近いものは存在するのだ。
「友軍だ…。そう、友軍だ…」
いつまでも惚けてはいられない。マセリンは姿勢を正す。
「全艦に通達後、転針だ。合流するぞ」