CXVI.やっぱりお前かっ!
「これは外交機密だからなぁ…口にする訳にはいかないのだが…」
などと、言いたくて言いたくて仕方ない、というオーラをだだ流しにしつつ女王が勿体ぶった発言をする。
放っておくと外交機密を他国の人間を前にしてべらべらと喋り始めかねないので、予め釘を刺しておく。
「外交機密なら口になさらないで下さい。くれぐれも、重要な情報をまくし立てる様な事のなきよう…お願い申し上げます」
ここまで言っても理解してもらえたのだか…という国家の大事を預かるには些かどころか、かなりの不安がある女王である。
機密っぽい事を言いそうになったら私が食い止めねば、と腹に決める。
本来ならばメーヴェの機密がどこに漏れようが知った事ではないのだが、そのせいで頭を悩ませる事になるであろう哀れなメーヴェの官僚達を想えば止めぬ訳にもいくまい。
慈愛に満ち満ちた仏の様な人物を目指す私としては、それぐらいの気配りは当然の事である。
もっと言うならば、私に責任を押し付けられるのを防ぐ意味でも。
「そこまで言うなら致し方あるまいな。機密のせいで多少説得力に欠けてしまうやもしれんが」
いやいや、そこまで言うならこの場ではなく後で他人に聴かれる心配の無い所でお聞かせ願えれば幸いなのですが…と言えば、何だオガナ君、随分と積極的な事だな。そうまでして人気の無い所に私を連れ込んで一体全体どの様な行為に縺れ込もうという腹積もりかな?…などと妄言を吐かれる始末。
何が何でも大衆の面前で私に肯ぜさせたいらしい。
もうこれは機密だろうが何だろうが御構いなしに話す気満々。
そもそも何が機密で何が開示可能な情報なのかすら分からぬ以上、私にどの程度止められるだろうか?
「私が救援に向かうよう提案するのにはいくつか理由があるが、政治的な理由としては大まかに分けて──そうだな、三つばかりだな。一つ目に、そなたも先程言っていた事だが、全滅に至った場合の彼らとの関係について問題が生じるという事。二つ目に、ヴィッキー…じゃなくて、ヴァルトとのお約束が理由だ。三つ目に──あ、これは機密だったな、という事でまあ一応内緒という事にしておこう。ま、この二点だ」
一つ目は兎も角、二つ目は知らない。
“ヴァルトとのお約束”とは一体何だろうか?
それと、私が知らないだけならばいざ知らず他の面々までそんなものがあったのか、と呟いている事から、そちらも機密の様な気がするのだが…どうなのだろう…?
だが、「敢えて開示していないだけ」の情報と「開示してはいけない」情報というのはまた別物だ。
結局のところ、そこら辺は女王に任せる他ないのである。
彼女次第の情報保護だなんて、なんてガバガバなのだろうか。
一応三つ目とやらは機密だったらしいので、辛うじて彼女の中でちゃんと区別がついている可能性に期待しよう。
「では先ず一つ目。これはもう言うまでもない事であろうが、折角参加したヴァルト・フォーアツァイト・プラトーク艦隊が全滅の憂き目に遭う、あるいはそこまではいかずともそれに近い状況に陥った場合、実際にどうであれ我々メーヴェにあらぬ疑いやら不信感やらを向けられる可能性大だ。実際にはまーったくその様な事は断じて1ミリたりともないのだが、我々が味方を盾にしたから全滅しただとか我々が見捨てたから全滅しただとか我々が臆病だから全滅しただとか我々が弱過ぎるから全滅しただとかある事無い事勝手に言われかねんのでな。オガナ君など特に身に染みて解っているだろう?散々新聞の一面を賑わせた経験があるのだから」
確かに、マスコミや世間の噂というものは非常に恐ろしい。
連中、裏も取らずに憶測でいい加減な事を言い出し、更にそれがいつの間にやら事実という事になってしまう。
何処かのビッグマウスが勝手に尾ひれを付けに付け足し、噂が独り歩き。
人の噂も何とやら…とは言えど、巻き込まれる本人からすればそう簡単に割り切れるものではない。
「ツァーレの秩序を維持し、安全第一──じゃなかった、信用第一をモットーとする我らメーヴェ王立海軍としてはそれは避けたい。そしてそれは当然メーヴェという一国家をしても同じ事。現在、我が国はツァーレ海沿岸各国と同盟関係を維持し、強力な海軍を有する事で絶対的な軍事的地位を確立している。更に、交易を行って経済的に依存し合う事で更にそれを補っている。巷でメーヴェの平和なぞと言われる様に、かつての混沌とした争いの歴史に終止符を打ったのは我々であると確信しておる。我が国の覇権を認め、部分的にせよその庇護下に入る事を容認する限りに於いて平和がもたらされる…つまり、安心と繁栄が買えるのだ。これが我々のパクスの正体だと言えよう」
「ですが、それも全てある前提の下に成り立つものである、という事ですね?」
「そうだ。つまりは…メーヴェが同盟各国に平和を提供出来る限りに於いてこの秩序は保たれるのだよ。逆に言えば、我々がそれを怠った瞬間、脆くも崩れ去る様な儚いものだ。故に、我々は何にも増して外聞を気にせねばならない。信用されなくなったらもう終わりなのだ。だからヴァルト・フォーアツァイト・プラトークを危険に晒したくはない。特に、メーヴェにとってのヴァルトの重要性は今更言うまでもなかろう。我々にとってヴァルト王国は片腕の様なものだ、ヴァルト一国が敵か味方かで百八十度状況が変わり得る。プラトークは戦略的に見て然程重要ではなかろうが、謂わば我々のお隣さんだな。ご近所付き合いというヤツだ。まあフォーアツァイトに関して言えば…同盟関係にはないが、今後関わっていく事になる…可能性も、ある。ある事には、ある。それにも拘らず我々が彼らを見捨てる様な態度を取れば──いや、あるいはそう思われてしまえば、少なからず我々の信用に関わる。それは盲信的に戦術的勝利に拘泥し、戦略的敗北を喫する事に他ならぬ。信用とは人心と絡むものである以上、築くに難く、崩れるに容易い。故に、私としては同盟国艦隊援護を主張する訳だ。亡国の元女王なぞにはなりたくないからな、滅亡の運命に逆らうのだ」
成る程、確かに私の様な一介の軍人なら与り知り得ぬものであろう。
目の前の戦に負けても国家は滅びるが、将来の戦に負けても同様に国家は滅びるのである。
ならば為政者たる者その両方を共に考慮すべし。
今の勝利が将来の滅亡を招くのならば、それはただの延命治療に過ぎないのだから。
だが、騙されてはならない。それはそれ、これはこれである。
しっかりと念頭に置いておくべきは、今女王の述べた内容は全て仮定に基づくものでしかないという事である。
“同盟国艦隊が大きな被害を受ける”という場合に於いてのみ起こり得る事をあたかも確実な未来であるかの様に主張しているのだ。
元々はそういう可能性があるから念のために…という話だったのに、いつの間にやら確定事項が如く語る始末。やはり油断ならぬ。
「もし本当にヴァルト・フォーアツァイト・プラトークが莫大な損害を受けてメーヴェの信用が失墜してその結果ツァーレ周縁での覇権を維持出来なくなってその結果メーヴェの国力と軍事力が低下してメーヴェに逆らう国が出てきてそういった国とメーヴェで戦争が起こってメーヴェが負けて最終的に国家が他国に隷属する様な羽目になるかあるいは王政廃止に至ってその結果陛下の地位が脅かされる様な流れとなるならば陛下の肩書きが女王から元女王に変わる事も十分あり得るでしょうね」
勿論の事、皮肉である。
こんなもの「風が吹けば桶屋が儲かる」と同レベルの話だ。
女王もこれを聞いては苦笑せずにはいられなかった様だ。
まあ簡単には説得など出来ようもないな、と半ば呆れる様にして笑う。
「どうやらお気に召さなかった様だな、最悪のケースを想定しておく事は重要だというのに」
「最悪のケース過ぎて非現実的なんですよ。確率論的に、ほぼ無視して良いレベルです」
「ならば欲しがりやさんのオガナ君のために二つ目の理由について話すとしよう。それで駄目なら三つ目だ」
三つ目は機密に引っ掛かるんじゃなかったっけ?…と私がツッコむ間も無く女王は続ける。
「二つ目。こちらは一つ目と違って確実な話だぞ。実はヴァルトとちょっとした約束をしていてな、今回の討伐大同盟に参加してもらう代わりにヴァルト王国海軍を再び以前の規模にまで復旧させるお手伝いをするというものだ。具体的には、戦後、同数の船を用意するまでメーヴェはヴァルトに技術支援を惜しまず、必要な金属資源をほぼ原価で提供する。これは、我が国としては第一にメーヴェの同盟参加、第二に同盟国たるヴァルトの軍事力再建を促せるという利点があった。ヴァルト王国海軍は我々にとっても戦略上重要な存在だ。彼らが脆弱だと、その分だけ我々に仕事が降り掛かってくる。いつまでも弱体化したままでいられても困るのでまあこちらとしても悪くない契約だったのだ。あちらとしても当然利益は大きい。壊滅した海軍を我々メーヴェの力を借りて再建出来るのだからな。それも、元通りなんてものではない。メーヴェの最新の技術をこれでもかと注ぎ込み、金属も惜しみなく使い、下手をすれば私の軍と比肩し得る強力な海軍となって生まれ変わる。それも、本来なら必要だったはずの莫大な費用を費やす事なく、だ。至れり尽くせりとはこの事であろう」
「ウィンウィンの関係だと?」
うむ、と彼女は首肯する。
いや、そんな訳なかろう。
何事に於いても利点があるならまた欠点があるものだ。
「でも、そのせいで何かしら不味い事もあるのでしょう?」
それを聞くなり女王はブンブンと激しく首を縦に振る。
そんな事しているから脳味噌がイカれてしまったのでは?と思う程である。
「いやぁ、そうなのだよ…それが非常に問題でな…ヴァルトとの約束は大まかに分けて技術援助と資源提供の二つだ。技術援助は別に金がかかるものではないし、資源提供も仕入れた通りの値段に必要経費を加えてヴァルトに流してやるだけだから赤字にはならない。そう、額面上は我が国は何ら損をする事がない」
「“額面上は”ですか…」
そこに込められた意味を瞬時に理解する。
いや、これは…見た目ではウィンウィンでも実際には──ウィンウィンどころかメーヴェにとって非常に不利な話なのではなかろうか。
いくら何でも譲歩し過ぎではないか。
意味が分かってくるに比例して、腹の下の方がすーっと冷たくなってくる様な気がした。
「技術自体はタダ、とは言え…それそのものが非常に価値のあるものです。本来ならばヴァルトに提供する際にある程度の見返りを受けて然るべきもの…それを大盤振る舞いして“損をする事がない”というのはどうも…」
そう、実際には大赤字だ。
そして、それだけではないのだ。もう一つの方はもっと酷い。
「それに加え、資源提供です、こちらもとんでもない大損でしょう。赤字にはならずとも本来それは大きな利潤をもたらすはずだったもの。それを…軍艦一隻建造するのにいくら金属が必要か…とんでもない量です。作戦参加前の時点でヴァルト王国海軍は百隻以上の船を失っています。加えて本作戦参加艦はそれを超える大規模な──」
大赤字だ。
とんでもない大赤字だ。
考えれば考えるほどに大赤字だ。
女王も目を閉じると小さく頷く。
「大型艦なら数隻建造するだけで国家予算の数割が消し飛ぶ。そのうちのいくらかが人件費、いくらかが材料費だ。しかし、大型艦に於いては人件費なぞではなく──どんなに少なくとも必要経費の過半数が船体・艤装・機器・機関等にかかる材料費だろう。そしてその材料費の大半が鉄鋼等の費用だ。つまり、一隻の建造分を支援するだけでもとんでもない量の金属を用意してやる必要がある。そしてそれが現状でも百隻分以上確定している。この時点で我々としてはかなりの痛手だ…そこにまた数百隻も加われば…」
ヴァルト王国海軍の規模は非常に大きい。
最盛期では常備戦力だけで優に三百隻を超え、この世界に於いて世界第三位の規模の海軍だったらしいが、旧日本海軍よりも遥かに保有艦艇数が多い。
参考程度に、世界三大海軍が一つだった(らしい)旧日本海軍は1941年十二月時点(つまり真珠湾攻撃の辺り)から1942年の七月(つまり、日本軍が負け始める辺り)までで約二百三十隻であり、排水量の総計としては百万トン程度だった事を述べておく。
そして肝心の軍艦の建造費だが、WWII期の米戦艦ならば一隻一億ドル弱、巡洋艦でも優に一千万ドルを超える。
日本だと大和で一億五千万円に届くかどうか、大戦直前・あるいは最中に完成した新型軽巡で一隻三千万円程度。
但し、当時と今では物価が全く違う事を考慮せねばならない。
この当時は、一円でタクシー乗り放題、腹一杯飯が食える時代であった事を。
「財政破綻となる事はなくとも、本来なら投資なり国内産業の活性化なり福祉の拡充なりに使えた資金が全てパアです。ある程度の停滞を招く可能性もあります。何にせよ、国政の観点から言えばこれ以上の損失は食い止めるべきでしょう…つまり、ヴァルト艦隊の損害を抑えるべくメーヴェは死力を尽くすべきです…クソッ、そういう事ですか…一体誰がこんな馬鹿げた取引をしたのやら…」
馬鹿でも分かる、国家のためを思うならばこの損失は出来る限り抑えるべきだと。
即ち、女王の言う通りにすべきなのだと。
大原則であるが、戦術的勝利は戦略的敗北の前には無力だ。
「この取引か?私がしたのだが?」
やっぱりお前か!
結局は女王の馬鹿の尻拭いをさせられるってワケだ!!
無能な上官は有能な敵よりも多くの兵を殺す、と言われる理由がよく分かったとも。
「そうですか、ええそうですか!分かりました、分かりましたよ!救援に向かいましょう、ヴァルト艦隊の!誰かさんのためにね!」
こなくそ、と椅子から立ち上がり、女王に一瞥もくれる事なくその場を立ち去る。
すると後ろから慌てて副艦長が追いかけてくる。
「艦長、どこに行かれるのです?!」
「艦長室にでも篭ってる。後の事は君に任せた、今はもう放っておいてくれ」
突き放す様にそうつっけんどんに言って、私は階段を下りていく。
この選択が最終的に間違いでなかったのだとしても、ただただ私は女王に嫌気が差していた。