CXI.フルシチョフ・プラン
※注釈
・探照灯
探照灯とは、その名の通り探照するための灯火。遠方を照らすためのものです。まあ、要はサーチライトの事ですね。サーチライトというと、現代の平和な日本では遊園地で上空をジャカジャカ照らすために使ってたりとか、舞台を照らすためだとか、フィクションだと刑務所から囚人が脱獄した時にサイレンと共にサーチライトの光が方々をウロウロしていたり…とか。そんな感じのイメージだと思います。無論、平和利用出来るものは平和でない目的にだって利用出来るものですから、軍事目的でも使っていましたし、実際使っていますよ。夜間に空襲があればサーチライトを上空にピシャッと照射し、敵機を探しますし、夜間に基地に眼帯片目のおじさんが侵入した場合にはちゃんとサーチライトで律儀に探します。本作に於いては何かを照らすためではなく囮として目立つために使用しますがこの様な使用方法は現実でも行われており、日本では旧海軍の夜戦に於ける基本の「き」でした。日本海軍は何故か探照灯が大好きで、何かと敵艦を照らしたがりました。旗艦が探照灯で敵艦を照射し、味方艦に標的を示し、火力集中を図るという寸法です。これは僚艦からすれば暗闇の中でただ何も考えずに照らされた明るい敵を撃てば良いのですから火力集中という一点に於いては非常に望ましいのですが、当然ながら探照灯を使う船自身も敵から丸分かりとなり敵から集中砲火を食らう羽目になります。実際にコレのせいで沈んだ船も存在しますからね。あれれ、結局こちらもあちらも同じ様に火力集中出来ちゃうじゃん…というツッコミが出てきてしまいますが、まあ、日本軍は夜襲というか奇襲というか…常に攻める側で敵は奇襲を受けて応戦する側、つまり敵は反応が必然的に遅れる、敵が混乱してる間に火力集中で撃沈だ!という想定の元に成り立つ戦法を用意していたんですね。その他にも探照灯を使用する船に敵の攻撃を集中させ、囮となる目的もあったのです。そうです、作中と同じ使用目的ですね。ちなみに実際には(というか本作に於いても)探照灯は簡単に付けたり消したり出来る様な代物ではありません。探照灯は強力な光を発する事が求められますが、この世界に於ける並みの電球やその他光源ではなかなか難しいのです。(というか、現実世界に於いても難しい)照明弾と同じレベルの明るさを照明弾よりも遥かに長い時間維持し続ける必要があるのですからそう考えれば当然です。そのため、この世界の探照灯は一つの解として使い捨てのものを使用しています。もし仮にあれだけの光量を電球で出してやると仮定すると、とんでもない量の熱を発します。言ってしまえば、某カモガワの熱々カップルおそばで点灯するとみんな暑過ぎて解散しちゃうくらい非常にアッツアツになります。最強のリア充撲滅兵器です。そう、あちちのちです。そんなもの、特殊なものでなければ数分でフィラメントが使い物にならなくなっちゃいますよね。だから使い捨てになってしまうのは必然です。本作の世界に於ける“魔法”は所詮科学の代用であり万能ではありません。本作に於ける魔法的エネルギーというヤツは現実世界に於けるエネルギーと比べると遥かに効率に良い、エコロジーにステキなエネルギーである事は以前(一年くらい前)も述べましたが、それでもやっぱり発熱する時はそれなりに発熱するのです。そしてそれをいきなり点けたり消したり出来るかというと…無理です。例えるなら、キャンプファイアーの火をいきなり点けたり消したり出来るのか、という事と同じです。火を起こすにも時間がかかるし、消すのもそう簡単ではありません。探照灯も同様です。そのため、予め使用前に点灯しておき、それを黒い布で覆いをしておきます。そして使う時だけ布を取るのです。消したい時はまた布をかければ宜しい。やったぜ、完璧です。布が高温になって燃えたりしないのだろうか…とかちょっと気になりますが、現実世界でも同じ事をやってたのだから多分まあ大丈夫なんでしょう。斯くして、「一度点けるとぶっ壊れるまで点灯したまま、数分でゴミと化す探照灯(ちなみにお値段も非常にお高い)」の完成です!文明の火に感謝を!
それ以前と比べると、作戦は遥かに現実的なものとなっていた。
プラトーク艦隊は接敵前に予め大部分の囮艦船員を温存艦に移乗させた。
いつ接敵するか予測不可能であった前回とは異なり、今回は敵の位置がはっきりと分かっている。
そのため、事前に船員を移す事が可能となったのであった。
これにより、前回の敵潜伏予想海域突入時に最大の課題であった“非現実的な囮艦乗組員の退去”が解決されたのである。
各艦に残る数名から数十名の必要最小限の人員も、小型艇を用いればほぼ確実に回収可能。
図らずもプラトーク艦隊にとってこの状況は都合の良いものであった。
新しく作戦を練る時間は無かった。
元来指揮官は即断即決を迫られるものであるが、やはり練りに練った策と即席の策では前者に分が上がる。
それ故、フルシチョフが選択したのは前回の作戦をそのまま流用するという方法であった。
無論そのままとは言いつつも状況が違えばとるべき行動も違うから、根幹の部分は同じでも細部を見れば別物である。
フルシチョフがマセリンに示した案とは、大雑把には次の様なものであった。
この作戦に於ける第一段階とは、即ち現状そのものである。
先ず事前準備として囮艦の乗組員を必要最小限にまで留め、残りを温存艦に移乗させる。
前述の通りこれはプラトーク艦隊にとって前回の作戦案と比して大きな改善となった。
陣形としては前回と同様のもの──小型艦を先頭に、大型艦を後方に配置した形──である。
これは、敵に正面から突っ込む事を想定するが故に盾としての役割を期待して前方に小型艦を囮として置いている。
下準備たる第一段階が完了すれば、次は第二段階に移る。
この第二段階は陽動の他、友軍艦にこちらの存在を知らせ、合流を促す目的もある。
友軍艦は合流後温存艦としてプラトーク艦隊と共に行動する事となる。
何度も言うが、合理的に考えてヴァルト・フォーアツァイト艦は温存艦とするに値する。
一種の囮、あるいは対空弾幕の足しとして連れてこられた民間船ですらも、プラトーク艦と比べれば温存艦扱いとして問題ないだろう。
このフェーズではプラトーク艦全艦を以て探照灯を敵に向け照射。全力で敵の気を引く。
夜の海上に於いて、光源と呼べるものは月の明かりぐらいのもの。
時折月が雲居に隠れでもすれば、本物の暗闇が辺りを支配する。
その様な環境で探照灯の光が周囲からどの様に見えるかは言わずもがなであろう。
況してやそれを敵に向け照射するとなれば、相手からすれば無視など出来ようはずもない。
味方の代わりに囮になる、という点で探照灯程に効果的なものはなかった。
上手くいけば──これを“上手く”と表現して良いものかは意見の分かれるところであろうが──この段階で敵の気を完全に向けさせ、味方艦を救う事に繋がる。
正直、プラトーク艦隊の戦略的価値は非常に低い。
五十隻近いその全艦を以てしてもヴァルトの立派な軍艦と比べようものならお釣りがくるぐらいである。
それをどう評するかは人それぞれだろうが、少なくとも今言えるのは、プラトーク艦隊にとっての急務は身を呈して囮役を務める事だけであるという事。
最早この現状では保身に動く余裕さえ残されてはいないのである。
第三段階も一応予め定められてはいるが、これは独立したものであるというよりも殆ど第二段階と同時並行で行われるものとなる。
何故なら、この段階に至るためのトリガーは「敵の攻撃を受けたと確認される事」であり、陽動を始める第二段階の時点でそうなる可能性が高いからである。
このフェーズに移行すると同時にいよいよ本格的に戦闘態勢に移行する。
先ず、最後まで残っていた乗組員を囮艦から退去させる。
それが済めば温存艦各艦は探照灯を消灯し、囮艦だけを目立たせる。
その次の第四段階は、彼我の距離が十分に──具体的には、射程圏内にまで──近づいた時点で開始される。
つまりは、射撃である。
結局は敵が射程に入ったから撃つ、ただそれだけの事に過ぎない。
この時点では囮艦は無人状態であるという前提なので射撃しないが、元々囮艦に指定されている様な船は戦力とはなり得ぬものばかりなので殆ど問題ない。
そもそもこの射撃は敵を攻撃するためのものではなく、敵をこちらの望む位置、即ち後方に誘導するためだけのものである。
そしてそれと共に陣形も変化させる。
ここまでは囮艦を先頭にして盾にする形だったが、今度は逆にその前に回り込み、囮艦を後ろに置く。
これは前方にいる想定である敵に対する射撃を効率的に行うためであると同時に、次の段階に向けた布石でもある。
と言うのも、次の段階である第五段階が最終段階──つまり退避するためのフェーズだからである。
第四段階の時点で対空射撃により敵に後方へと移動する事を強い、今度は囮艦をバックラーとして用いるのである。
ちなみに第五段階に至っても、この先も、対空射撃はひたすら続行する。
これは勿論敵を理想的な位置に固定するため。
ここに於ける理想的な位置とは、ただ単に艦隊の後方というだけでなく更に付け加えると「高空」でもある。
つまり、「艦隊の後方高空」である。
「艦隊の後方」というのが絶対条件で、「高空」というのは努力目標という両者のプライオリティーには大きな差異があるものの、無事に敵の誘導という本来の任務を果たすには両方とも満たす事が望ましい。
“艦隊の後方”というものは今述べた通りの理由あってのものだが、では“高空”というものは一体全体どの様な目的あってのものなのか。
それは、今回の状況を慮れば合点のいくものである。
理由は主に三つ。
一つ目。
先ず、この段階に於いて想定されている周囲の状況を整理してみる。
温存艦が前、囮艦が後ろに配置された形。そしてまたその後ろに敵。
ここで、囮艦は盾としての役割を果たす事となる。
──だが、その盾たる囮艦の何と貧弱な事か。
まだ相手が普通の船で、普通の榴弾やら何やらを撃ってきて、放物線を描く様に弾が飛んで来て、斜め上から船体を貫くのであれば何も問題は無いのだ。
そう、近距離から直接照準で撃ちでもしない限り、砲弾は放物線を描いて飛ぶ。
砲弾自体に質量があるなら、砲弾は必ず重力の影響を受けて鉛直方向に落下する。それは当然の事であろう。
だが、光学兵器はその例外である。
無論、光が重力の影響を受けない訳では無い。
光とて他の物質と同様にブラックホールの重力に捕らわれるという事から分かる様に、重力によって曲がる。
しかしそれは生物が生息可能な惑星上、その程度の重力下に於いては無視出来得る類のものである。
つまり、「光は重力によって曲がる事はない」。
そのため、ほぼ水平方向に撃たれると非常に困った事になる。
簡潔に述べると、貫かれる。
榴弾ならば命中したその瞬間に信管が作動し炸裂するし、徹甲弾ならばそのまま海面に飛び込んでいくだろう。
だが、光学兵器はそうもいかない。
シールドはゼロ、そして装甲も無きに等しい(僅か数ミリの鉄板を装甲と呼ぶならば、漁船にだって装甲がある事になってしまう)囮艦では光学兵器に対して盾とはなり得ない。
もし囮艦のその一直線上に他の船が存在していたならば、囮艦も温存艦も関係なく同じ様に仲良く大穴を開けられて海の藻屑と化すに違いなかった。
そう、これが一つ目の理由。
そして二つ目としては、海中に潜られると非常に厄介だという事が影響している。
確かに前回と比べれば遥かにマシだ。
友軍艦を加えるという事はそれ即ち優秀なソナーやら何やらを加える事に等しい。
例え海中に潜られたとしても、敵の位置を察する事は容易であろう。
そういう意味では敵が水中に潜ったところで何か問題がある様には思えない。
しかし、そこで問題となるのは攻撃方法である。
例えそこにいるのだと分かっていたとしても、攻撃方法が無いのでは手の出しようが無い。
否、無い訳ではないのだ。あるにはある。
だが、それはあまりにも今回の様な場面に適さないというだけの話だ。
一般に、水上艦にとって水中の敵とは潜水艦の事である。
潜水艦と聴いてどの様なものを思い浮かべるだろうか。
巨大な魚雷の様な形をした鉄の塊?
残念ながら、それはこの世界には存在しない。
世間一般に於いて潜水艦と言えば常に海中に潜っているイメージだが、実際にはそうではない。
原子力潜水艦ならば兎も角、現代に於いてですら動力源として原子力を用いない潜水艦はどれも長い間潜り続ける事は不可能なのだ。
鯨の様なものだと言えば分かりやすいだろうか。
魚の様に水中で何でも済ませられる訳ではなく、定期的に息継ぎしなければならないのが原初から今にまで至るまでの潜水艦の歴史に於ける常識である。
その必要な息継ぎの間隔が時代と共に長くなっていったところで、原子力などの異なる動力源に頼らぬ限りそこだけは変わらない。
現実世界ですらそうなのだから、技術が未熟なこの世界に於いては尚更だ。
この世界の潜水艦は海中にいる時間よりも海上にいる時間の方が長い様な「潜る事も出来る水上艦」とでも呼んだ方が相応しいものである。
当然、その船の構造もどちらと言うと海上航行に適したもので、水中での運動性能も低けりゃ潜れる深さもせいぜい数十メートルといったところだ。
潜水艦がそうならば、当然それに対処する水上艦側もそれに適応した形で兵器を発展させている。
具体的に言えば、五十メートル以上の深さまで潜れる潜水艦が存在しないのならばそれを攻撃するための爆雷もまた水深五十メートルでのものよりも大きな水圧に耐えられる必要性は皆無。
つまり、深く潜られてしまうとこちらからは全く手の出しようがないのである。
更に、爆雷は機銃などと比べると扱いにくい。
ある程度遠くにまで投射機で爆雷を飛ばす事の出来るものもあるが、基本的には艦尾から通り過ぎざまに水中に爆雷を落とすのが一般的だ。
つまり、敵の真上を通らねば攻撃出来ない。
潜水艦相手にのんびり対潜戦闘を行うならばいざ知らず、今回の様なシチュエーションでそれが現実的でないのは火を見るよりも明らかであろう。
そもそも水中に対する攻撃手段である爆雷というものが潜水艦に対する攻撃に特化し過ぎているという事が全ての問題の元凶なのである。
以上が二つ目の理由。
三つ目は非常に単純で、射撃を容易にするため。
敵からすれば囮艦は障害物とはならずとも、こちらからすれば射撃を阻害する遮蔽物となり得る。
それを避けるなら上空に上がってもらうのが最も手っ取り早い。
またヴァルト・フォーアツァイトのフラックス弾は信管の作動タイミングがシビアであり、これを活かすためにも上空に追いやるのが最も望ましい。
作戦の成功の行方はこの「理想的な位置に敵を固定出来るか」という事と「友軍艦を上手く合流させる事が出来るか」という事の二点にかかっているのであった。