CX.死地は目の前に。
本当は五千字くらいあったのですが、「ヒャッハー!書き終えたぜ!」…と思ったのも束の間、何とまあデータが消えてしまったので、申し訳ありませんが今回はちょっと投稿が遅くなってしまいました。ええ、色々と察して下さいませ…筆者は悲しみのあまり五秒くらい寝込みました…
※解説
・距離
作中でプラトーク艦隊は遠方からヴァルト・フォーアツァイト艦隊を発見する訳ですが、これは一体どれ程の距離なのでしょうか。「あ!あそこに敵がいるよ!」…となるのは良いとして、この時、どれくらいの距離があったのでしょう。いまいち距離感が掴めないと状況が解りづらいですもんね。一般に、海抜0メートル(つまり、海上)では大体4〜5キロメートル先まで見通す事が出来ると言われています。だって地球は丸いもの。どんなに視力が良かろうがイーグルアイだろうが見える範囲には限界があるのです。ネットで調べたら計算式が載っておりましたので実際に筆者も簡単に計算を試してみましたが、まあやっぱりそれくらいです。実際には光の屈折──マイクロ波だとこれによって大体4パーセントぐらい視認距離が伸びるそうです。まあ光も同じ光子(実際には存在しないのですが)ですしほぼ同じくらいでしょう(…とか言いつつ、波長によって屈折具合は結構変わるのでどうなんでしょうね…可視光とマイクロ波だとどうなんでしょう?)──や空気の状態(水蒸気とか)によっても変わりますが、正直誤差の範囲です。しかし、当然ながら水面ギリギリから双眼鏡を覗く様な事はしません。当たり前ですが。実際には船の上、それも特に高い所から周囲を見渡しますから、仮に10メートルの高さから周囲を見たならば10キロメートル以上遠くまで見通す事が出来ます。私はプラトーク艦の艦橋だか射撃観測所だかの高さなんて考えてもいませんでしたが、普通は砲射程よりも遠くまで見渡せるのが当然ですし、更に今回最初に発見するのは船そのものではなく“光”です。この事からも、本文に於ける「目と鼻の先」というのは実際には結構距離のあるものだと思っていて下さい。(ありゃ、案外遠いじゃん!…という事に私も執筆後に気付き、だからこそこうして解説文を書いている訳ですが)
それは、友軍艦が撃つ対空砲火、敵の光学兵器による光、弾薬庫の誘爆による爆炎、その他諸々の混ざった光であった。
それを目にした瞬間、皆は全てを察した。
信じられない──否、信じたくはない現実が目の前にのさばっている事を。
「友軍、何者かと交戦中!…交戦中!」
“何者か”などというものは今更敢えて言うまでもなかった。
敵?…そんなものは決まっている。
哀れなコナー君に他ならぬではないか。
直ちに各員に「戦闘配置に付け」の号令が下り、休憩に入っていた者達も各々の持ち場に着く。
プラトーク艦隊はそのまま渦中へと突き進んで行った。
この時、プラトーク艦隊にとっての最優先は何よりも情報であった。
具体的に何が起こっているのか、今どの様な状況なのか。
…それが分からない状態では適切な判断を下すに下せない。
戦場に於ける情報の価値は一兵の価値とは較べ様もない。
だが、情報を得る手段は限られている。
最も現実的なのは無線通信を行い、友軍艦から情報を得る事だが、それには数キロの距離にまで近付かねばならない。
何れにせよそちらに向かう他に選択肢は無いのだ。
それこそ、進むか退くかの二択。
当然ながら、活躍を求めるプラトークとしては後者は論外だ。
そのため、プラトーク艦隊は戦闘隊形(先の作戦に於けるものと全く同じもの)に陣形を組み直し、針路そのまま。
前方に小型艦中心の囮艦を据え、後方に比較的大型の船から成る誘導艦を置く形だ。
前回と少し違うのは、前回が“第二型索敵輪形陣”だったのに対して今回は“第三型輪形陣”である事。
第三型輪形陣とは要するに一般的な円形の輪形陣であり、索敵の必要が無いから変更しただけの話である。
だが、艦隊の迅速な動きとは裏腹に乗組員達の動きはどこか鈍かった。
当然である、これから死地に赴くのだから。
前回とて敵の潜む海域に突入するという事で十分緊張感があった。
しかし今度はそれとは比べるまでもない。
遠くの方で死神が鎌を振る様がしっかりと見えるのだから。
確かにそこに敵がいる、と嫌でも認識出来た。
基本的に、最初から死にたい人間などいない。
何らかの理由で死を望む事はあろうが、基本的に人間は生物である以上、一種の呪いとでも言うべき生存本能を有し、生きる事を望む。
否、望むなどという生半可なものではない。
──固執する。
自分が生きるためならば他人など簡単に蹴落とせる。
親兄弟とですらも争える。
醜い。だがそれが生物というものの本質なのだ。
ならばそれは軍人とて同様であろう。
自分の命と義務を天秤に掛け、義務を選べるフルシチョフの様な人間は少ない。ひと握りしかいない。
大半の者は逆を選ぶ。否、フルシチョフがおかしいのかもしれない。
故に、先程まで賑わっていた各艦の食堂がお通夜モードに突入し、がはははは、と先程まで仲間と豪快に笑い合っていた男が両手をスリスリしながら無表情で虚空を眺めていたとしてもそれは当然なのであった。
元々プラトーク帝国海軍は実戦経験が──と言うよりも強い敵と戦った経験が殆ど無い。
軍人は仲間や周囲の人間の死を戦場で身近に感じて初めて本当の意味で死ぬ覚悟というのものができてくる。
いや、正しくは感覚が麻痺するとでも言った方が良いのかもしれない。
死という今まで無意識に避けてきたものを無理矢理見せつけられ、それが当たり前になってしまう。
そしてそうなった瞬間こそが、死の覚悟が生まれる時である。
だがプラトークの海軍にはその様な崖っぷちに立たされた経験が無かった。
したがってその覚悟のある人間も少ないのである。
そんな船員達の感情を更に揺さぶったのは──他ならぬ味方艦、こちらに近付いてくる一隻の駆逐艦であった。
「一隻、接近中。前方から真っ直ぐこちらに来ています」
「もう少し詳しく判らんか?」
「恐らくは…フォーアツァイト艦だとの事です。あの艦橋はフォーアツァイト艦のものの様に見える、と」
距離が縮まってくると、それは確信に変わった。
「間違いありません、あれはフォーアツァイト艦です」
「有り難いなぁ…もしかしたら照明弾の光を見て真っ先に駆けつけてくれたのかもしれんな」
プラトーク艦隊にとって、これは非常に有り難い事であった。
フルシチョフとしては、情報も何も持たない状況で敵に接近する事は本来避けたかった。
今のこの状況でさえも状況が状況でなければ兵法書に「ダメ、ゼッタイ」とか書かれている様な悪手中の悪手である。
それが、情報源たるフォーアツァイト艦がこちらに情報を伝えに来てくれたのだ。
有り難くないはずがない。
フォーアツァイト艦の方も既にプラトーク艦隊の存在に気付いている様だった。
何かしら旗の様なものを振って合図を送ってくる。
無線が繋がる距離にまで両者が近付くと、早速フルシチョフはプラトーク艦隊を代表してマイクを握る。
「アー、アー、こちらは旗艦ニィリャベフ。フォーアツァイト艦、聴こえているか?」
《…感度よろし、聴こえている》
少々雑音が多いものの、十分聞き取れるレベルだ。
この無線によるやり取りは聴く事を禁じられている訳でもないので、プラトーク艦全艦の通信士と艦長その他の耳にも入る事となった。
否、状況把握という観点から半ば推奨さえされた。
「一体何が起こったのか、お聞かせ願いたい」
《時間が無い、出来るだけ手短に。──丁度十分程前です、敵の襲撃があったのは》
「敵はどこから?」
《恐らくは…海中から。それも艦隊のど真ん中に、突然現れたのです。知っての通り、我々は円形の陣を構えて待機していました。大型艦を中心に据え、周囲を小型艦で固めるオーソドックスな形です。まあ、そうなると必然的にヴァルト艦が中心部に集中する羽目になる訳で…我が艦を含むプラトーク艦は外縁部付近です。外側の小型艦は周辺警戒という意味もあって広く展開し、それに応じてその内側の船も外側に薄く広く拡がる事となりました。艦隊の端に位置する我々にはその全貌が不明なくらいで、非常に大きな円を形成していた訳です》
「警戒は万全であったと?」
《当然です。あれ以上やりようはなかったでしょう。上空も水上も水中もレーダー・目視・ソナーとあらゆる手段を用いて見張っていましたから。しかしそれでも我々は敵の接近に全く気付く事が出来なかった。ヴァルトの戦艦が突然傾いて、沈み始めるのを見てやっとこさ敵の襲撃に気付けたぐらいですよ》
ここで、フルシチョフは眉をひそめる。
「ヴァルトの戦艦が最初に狙われたのですか?」
《ええ。先程“艦隊のど真ん中”と申し上げましたよね?本当にそっくりそのままの意味なのです。艦隊の中心、丁度戦艦の存在した辺りに敵は現れました。まず最初の数分で集中的に戦艦が狙われ、全艦喪失。薄く広がっていたのが仇となって艦隊の中心部でも戦力が比較的少なかったのが災いしました。為す術もなく我々は主力を失い、ヴァルトは首を刎ねられた形となりました》
ヴァルト艦隊の指揮権を握る上位の人間は皆その“戦艦”に集中していた。
故にピティシナドット級とシュタール級が全艦撃沈せしめられた時点でヴァルト艦隊は指揮権を喪失し、首無し状態となってしまうのであった。
軍隊というものは本来てんでバラバラであるはずの人間という個の集まりを軍規や序列を用いて無理矢理纏め上げたものである。
それは万全の状態に於いては強力な統率力を発揮するものの、逆に言えば“下”は命令をする“上”に絶えず頼り切っている。
それを本質とした組織である。
手足である“下”は何も考えずに済む代わりに命令を聞く。
頭脳である“上”は落ち着いた立ち位置から冷静かつ適切な判断を下せる。
それは、本来その両方の機能を併せ持つはずの人間としては異様な光景である。
それは上手く働けば強力であるし、実際に上手く働くように工夫されている。
それは多少のトラブルでは揺るがぬように工夫されてるし、実際に大抵の場合は迅速に対応可能である。
だが、だからこそと言うべきか…本当に想定外のトラブルに弱い。
脳の一部分が消し飛んだ程度ではビクともせず、片手が吹き飛んだ程度でもビクともしない強力な機構でも、脊髄がやられて下半身が麻痺すれば動けなくなるし、首から上がちょん切られれば如何ともし難い。
最初から脳がポンコツで直ぐに駄目になる前提の肉体であれば、身体は脳が駄目になった時点で自分で自由に考え、動く事が出来る。タコの足みたいなものだ。
だが、脳が半端に高性能だと、いざ脳が駄目になった時に身体が動けない。人間の腕は切られても動いてはくれない。
それと同じ事がヴァルト艦隊に起こったのだ。
つまり、現状ヴァルト艦隊は烏合の衆。組織的な行動がとれているのかどうかは怪しい。
現場レベルで何とかするにしてもあまりにも事態が急過ぎるし、各艦が離れ過ぎていてコミュニケーションが難しいのが何とも…
せいぜい数隻単位で自己判断するのが関の山であろう。
敵の攻撃を受ける中、命令も届かず、暗闇の中。艦長級の人間が優秀でなければとんでもない事になるに違いない。
更に生憎と言うべきか、現在のヴァルト王国海軍は優秀な人材を喪って久しい。
もうこれは確実に混乱の淵に陥っている事であろうと予想される。
「貴国の艦隊は?組織的な動きは出来ているのですか?」
《我々に関しても芳しくはありません。各艦が陣の外縁部に位置していた事から統率が難しく、取り敢えず一旦それぞれの船が敵から距離をとる事を最優先としました。つまり、蜘蛛の子を散らす様に逃げ出した訳です。我が艦がこうして無事でいられるのもそれが大きな理由です》
「ではフォーアツァイト艦に関してはほぼ無事な形で温存されているという認識で良いのでしょうか?ヴァルト艦は未だ攻撃を受け続けているけれども、という前提付きですが」
《はい、恐らくは。兎も角、このままではヴァルト艦隊の貴重な戦力がすり減っていってしまいます。何とかしないと…》
「我々はこのまま敵に向かって突撃したいと考えております。それで少しでも敵の気を引いて貴重なヴァルト艦の喪失を防げれば御の字です」
《ならば我が艦もお供致します。きっとまだそこら中に我が国の艦とヴァルト艦が存在するはずです。道中それらの船を加え、敵に対抗するのです。確か、貴国の艦隊は囮戦法を用いると耳にしております。こんな状況です、作戦指揮はお任せ致します》
斯くして、プラトーク艦隊は敵に真っ直ぐ向かって行く事となった。
だが、皮肉にもこれはプラトーク艦隊にとって初期の想定よりも遥かにマシなものとなったのである。
明らかに無理のあるものだった囮艦からの船員移動も交戦前に予め行われた。
遥かに理想的な状況で、プラトーク艦隊は死地に赴く事となったのであった。