CVIII.後世は。
※注釈
・スヴェーリンク
元はメーヴェの装甲艦。
それを格安で譲り受けたのがスヴェーリンクのプラトーク帝国海軍に於ける艦歴の始まりでした。
現実世界でも使い古しのお古を途上国に譲るなんてのはよくある話ですね。
・装甲艦
本作の世界に於ける装甲艦は、現実世界に於ける装甲艦とは別物です。
現実世界に於ける装甲艦とは、単純に重巡の古めかしいバージョンぐらいに考えて頂ければ宜しいかと思いますが、本作に於ける装甲艦とは、「シールドを展開しない軍艦」の事です。
つまり、字面通りの意味でして…言い換えると、装甲を持つ船の事となります。
度々述べています様に、本作ではシールドなるものが存在している影響で物理的な防御用の装甲というものが殆ど使われておりません。
しかしそれもシールドなんていうチート便利グッズが誕生してからのお話で、それ以前には装甲を施した軍艦が現実と同じくむさ苦しくトロトロとした戦いを繰り広げていた訳です。
作中ではその頃のアイアンマンな船を装甲艦と呼称しているのですね。
・音
作中に於ける“音”とは、悪魔の叫び声でもなければ船の悲鳴でもありません。
これは旧日本帝国海軍の艦艇でも一部の船(記憶が確かなら、某水上機母艦だか潜水母艦)で発生していた事で、夜間に気温が下がる事によって金属が縮み、不気味ィ〜な音が鳴ったそうです。
〜とある男の証言〜
ンな…無茶な。
無茶だな。でもやるしかない、諦めろ。
そんなの、あんまりですよ。
それが軍人というものだ。お前も見習いだろうが何だろうが一介の軍人ならば覚悟を決めろ。
…その様な会話を交わした記憶があります。
八月三日。
その日、私は上官兼教育係の故イッコニコフ中尉から作戦内容を告げられました。
彼は後に大戦で活躍して少将にまでなり、最期は処刑されてお亡くなりになりましたが、この頃はまだしがない中尉でありました。
当時の私はプラトーク帝国海軍士官候補生。
あまり有名ではありませんが、スヴェーリンクという船に乗っておりました。
このスヴェーリンクという船はプラトーク製ではなく、昔メーヴェから買い取った古い船で、艦種としては装甲艦に分類されるでしょうか。
装甲艦という艦種は今日では絶滅して久しいですが、当時としてもやはり古めかしいもので、あちこちガタがきていたのを無理矢理動かしておりました。
流石にボイラーなど艦の命と言えるものは何とか新しいものに変えられていましたが、それ以外は数十年前にメーヴェで進水した時から完全にそのままで、外見は辛うじて取り繕っておりましたが中に入るとあちこちボロボロでした。
船員たる私が何よりも一番困ったのは、その“音”だった様に記憶しております。
今となっては何が原因だったのか見当もつきませんが、スヴェーリンクは度々女性の悲鳴の様なキィーッと耳をつんざく音を発したのです。
それも日中ではなく真夜中など──そう、草木も眠る丑三つ刻──突然我々は艦内に響き渡るその音によって目を覚ます事になったのです。
原因は不明。
古い船だから、と一言で片付けてしまうのは簡単ですが、乗っていた我々としてはそうもいきません。
船が泣いているとか昔この船で死んだ女が──とか。様々な噂がまことしやかに囁かれたものです。
今になって思い返すと馬鹿馬鹿しいものですが、当時の船員達は皆それぞれ非科学的な噂を信じ込んでいました。
昔から海の男は迷信深いものだと言いますが、まさにその通りだった訳です。
さて、そのスヴェーリンクですが、この様にとんでもなくボロっちい船ではあったものの、海軍の中での扱いは大層なものでした。
古めかしい船ではあっても元はメーヴェの装甲艦、帝国海軍の中では比較的大型かつ優秀な部類に入ったのです。
逆に言えば、当時の海軍の事情がそれ程に芳しくないものであった事を如実に示す例でもありましょう。
当時、私の乗るこの船もメーヴェの女王が提唱した討伐大同盟に参加すべくプラトーク艦の一員として派遣されておりました。
後に言う「ツァーレ沖海戦」です。
第三次などと頭に付ける事もある様ですが、私にとっては唯一無二のツァーレ沖海戦です。
大規模であったにも拘らず後世に残る史料も少なく、歴史家泣かせな事で有名なのだとか。
未だに謎多き彼の戦いは、我々にとってもやはり同様に謎多きものでした。
敵の事も詳しくは知らず、ただとんでもないものとこれから戦うのだ、という事を薄ぼんやりと理解していただけでした。
イッコニコフ中尉ですら分かっていなかったのですから、候補生に過ぎぬ私に分かるはずもありません。
我々は先ず、メーヴェ中心の本隊とヴァルト中心の別働隊に分かれました。
敵を討つのは本隊の役目、我々は囮に過ぎませんでした。
当然プラトーク艦は別働隊です。
当時、ヴァルト王国海軍は所謂第二次ツァーレ沖海戦に於いて計り知れぬ損害を被っていました。
故に学者曰く、「ヴァルト王国海軍からの参加艦艇は民間からの徴用船が多数であり、規模こそそれなりに大きかったものの中身はすっからかんであった」と。
私に言わせれば、これは間違ってはいないのですが正しくもないのです。
何故なら、“中身がすっからかん”だった当時のヴァルト王国海軍でさえ我々の目には非常に立派に映ったのですから。
それよりも、我々が気にかけたのはフォーアツァイトの方でした。
そうです、フォーアツァイト帝国海軍です。
ヴァルトと同じく、当時のフォーアツァイトも第一次ツァーレ沖海戦に於いて大損害を受け、満身創痍とでも言うべき状態でした。
そのため、彼らが派遣してきた船はどれも小型艦ばかりで我々と比べても規模だけなら大差ありませんでした。(無論、質はかけ離れている訳ですが…)
同じく先に被害を被ったヴァルトとフォーアツァイトでこうも違ったのは、言ってしまえば単純に元々の規模の相違によるものでしょう。
前者は元来大規模な海軍を維持し続けてきた歴史を持つ一方で、後者は海軍運用の歴史も浅く、小規模でした。
小規模なそれで他国の大規模なそれと張り合うため、フォーアツァイトは言うなれば少数精鋭主義といった様な方針を採っておりました。
実際には苦肉の策以外の何でもないのですが、数で劣るなら質で勝ろうと一隻にいくつもの役割を充てていたのです。
例えば、他国では魚雷をばら撒くために専用の船を建造し、砲戦のためにまた別の船を建造します。
要は目的別に分けて造っていた訳ですね。
しかしフォーアツァイトにはそれぞれの目的毎に船を用意する余裕など存在しませんから、それらをいっしょくたにしたオールラウンダーな船を建造していた訳です。
本来なら二隻で行う事を、一隻でやっていたのですね。
それが軍事的に見て良いか悪いかの判断は私にはつきませんが、少なくとも言えるのはその方針がその時のフォーアツァイト帝国海軍にとっては悪く働いたという事実だけです。
一隻の船に通常より多くの役割を与えていたという事は、その一隻を失った際にその分だけ役割を担うべき船が減ってしまう事を意味します。
つまり、一隻の価値がフォーアツァイトとヴァルトでは大きく違ったのです。
それが後の両国の海軍の復興度合いの差として顕著に表れる事となったのだと私は考えています。
…話が脱線してしまいましたね。
つまり何が言いたかったかというと、プラトーク帝国海軍はお粗末なものであったという事です。フォーアツァイトと比べても、ですよ。
最初、我々別働隊は囮としての役目を果たすべく目標海域に急行、敵潜伏予想海域に砲撃を敢行しました。
勘違いしないで頂きたいのは、ここで言う“我々”にはプラトーク艦も含まれてはいますが、実際に砲撃を行ったのはヴァルト艦だったという事です。
ヴァルト王国海軍からは長射程の大型艦砲を備えた戦艦が数隻派遣されていましたから、その数隻で砲撃を続けたのです。
結論から言うと、これは失敗。
敵は上手く引っ掛かってはくれませんでした。
そうなれば敵を何としても誘き寄せるために、直接探し出す他ありません。
あちらから出て来ないならこちらから見つけてやる他ないのですから。
しかしそうなると問題は、その“探し出す”仕事を誰がするのかという事でした。
捜索隊は比較的近距離での接敵が予想されますから、大損害──或いは全滅さえもあり得る状況でした。
当然ながらその様な危険な任務を自ら望む者はいませんし、進んでそれを選ぶ組織の長もいはしません。
しかし実際には、それに手を挙げた人物がいました。
かの有名なイーゴリ・マセリンです。当時の階級は少将。
その時のプラトーク艦隊に於ける実質的No.2でした。
当時の彼に関する情報は殆ど残っていません。
この時彼がこの危険な仕事を買って出た理由も完全に不明です。
無論、最も役立たずのプラトーク艦がこの任務を引き受ける事は全体から見れば非常に合理的な事でした。
そういう意味では理由など明らかではないか、と思ってしまうかもしれません。
でも、そういう意味ではないのです。
問題は、彼が本来極度に味方の損耗を嫌う人物だったという事なのです。
かつての彼の発言の中でも特にそれを如実に示しているものを例に挙げると、「ただでさえ貧弱な帝国海軍がこれ以上弱くなってはお終いだ。我々は喪ってはいけない。我々の一兵・一隻は、敵の千兵・千隻にも匹敵し得る価値がある」などというものがあります。
例えば彼我の戦力比が1:5であったと仮定しましょう。
無論、プラトーク1に敵国5です。
この場合、プラトークから見れば敵国は五倍の戦力を擁する事となります。
ここで戦闘が発生し、仮に…本当に仮に、ですが、プラトーク側が勝ったとしましょう。
この時のプラトークの損害が0.2、敵国側の損害が0.6だったとします。
三倍の損害を与えたのですから、大勝です。
すると、その後の戦力比は0.8:4.4。
あれれ、よく見て下さいよ…勝ったはずなのに、戦力比は六倍以上と逆に悪化してしまっています。
…マセリン少将はこの事をよく理解していました。
故に彼は元々作戦遂行などよりも、何にも増して損耗回避を優先していたのです。
そして話を元に戻しますと…その彼が、味方の犠牲に繋がる危険な仕事を買って出たが故に、謎が募るのですよ。
いくら考えたって答えは出ないのでしょうが、きっと彼なりに何か心境の変化があったのかもしれません。
まあ、そういった訳で…今度はプラトーク艦全艦を以て海域突入、敵捜索及び囮を担う羽目になったのです。
これがまた無茶な作戦で、マセリン少将の発案とは到底思えない代物でした。
私も長年あれは実際には彼以外の考案したものなのではないかと考えていたのですが、どうやら本当に彼自身による案だったそうですね。
個人的にはそれが最近で一番の驚きです。
その内容というのは、プラトーク艦隊内でも囮艦と誘導艦に二分し、囮艦は接敵後直ぐに放棄して乗員は誘導艦に乗り移る。そちらに敵の攻撃を集中させ、出来るだけ人的損害を減らそう…というものでした。
スヴェーリンクは当然誘導艦。
仮にも士官候補生という事で当時私はスヴェーリンクのブリッジに詰めていましたから、囮艦から移る船員達を回収する作業の指揮を真近で見る事が出来ました。
問題はその乗り移るための手段で、手漕ぎボートだったのです。
そう、手漕ぎボート。
無茶です。
そのせいで我々は散々な苦労をする事となるのでした。