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CVI.人的資本の重要性について。

※注釈

・ルーグ

プラトーク内で流通する貨幣の単位。

他国のものと比べると信用度が落ちるため、1ルーグあたりの価値は低い。

作中での五百万ルーグというのも日本円で大体百万円程度のイメージです。

プラトーク帝国は物価が低いのでこの程度で済むという設定です。

これは現実世界に於いて米国と中国の軍事費を比べる際に単純比較する訳にはいかないのと理由は同じですね。

見かけ上は米国の方が軍事分野に予算を充てていても実際には物価の関係で大して変わりないのと同じからくりで、この五百万ルーグで兵員を維持し、彼らに家族を養えるだけの給与を与える事は十分可能です。

「私の案は“出来る限り人的資源を消耗しない”という事を一番の目標としています。目標達成は二の次、物的損失に関してはそれ以下です。それに納得して頂けないと、私の案はあなたから見ればボツ案以外の何にもならないでしょうね」


「何よりも人材を失う事を避けると?らしくない仕事をわざわざ引き受けてきたかと思えば…とんだ甘ちゃんだな」


「勿論、犠牲ゼロというのはあくまで理想です。もしかしたらそう上手くはいかないのかもしれません。でもそれを理想では終わらせたくない」


 マセリンという男は熱い男であった。

 どこか冷めた所があって、同時に熱い男であった。

 冷めた目、冷めた脳、その一方で熱く燃え滾る心、信念。

 その狭間に生きるのがマセリンという人物なのだ。


 今、フルシチョフは目の前の男からその熱い部分を見て取った。


「まあ、実際に何かしら失う事にはなるだろう。問題はその“何かしら”が何か、という事だが──」


 フルシチョフはじっとマセリンの目を見つめる。


「──冷酷な様だが、現状で仮に軍艦と船員のどちらを取るかの二択を迫られれば、私は迷わず船員を切り捨てる。悲しい哉、人間はいくらでも変えが効くが船はそうもいかんからな。どんな案を言ってくるつもりかは知らんが…これだけは変わらんよ。…一先ず、プラン聞かせてくれるか?」


「先程言った様に、あなたからすれば完全にボツ案以外の何物でもないでしょうが…まあ、聞くだけ聞いていて下さい」


 マセリンは皮肉げな笑みを浮かべると、そう切り出す。


「先ず、ご存知の通り、私にとって第一の目標は“人的資源の消耗を最小化する”という事。当初の目的達成はその次です。この事を念頭において聞いて下さい。犠牲者を出さずに、尚且つ出来れば目的も達成したい…そのために私が選んだのが──」


「──物的損失」


「そうです。まあ言ってしまえば、船を囮にします。船を動かすのに最小限の人員だけを乗せた囮艦を用意し、敵の攻撃をこちらに集中させるよう仕向けます」


「囮艦?それなら私も同じ事を考えていたが?」


 囮艦を用意するという点ではフルシチョフとて意見は同じである。

 もしフルシチョフが案を出せと言われたなら、比較的小型の船から成る囮艦と温存艦に艦隊を二分し、囮艦に回避機動をとらせる作戦に出たであろう。

 囮艦は捨て駒になってしまうが、防御を捨てた代わりに得た機動力でもしかしたら回避を繰り返し、生き残れるかもしれない。

 囮艦に乗る船員は失ってしまう可能性が高いが、これは必要最小限の人間に限定する事で減らそうと試みる。

 これがフルシチョフの考える()()()()()()()()()()()──つまり()()()()()()()()()()()─であった。


 そのため、フルシチョフからすればマセリンの案は自分のものとなんら変わりの無いものに思えた。


 しかし、マセリンは首を横に振る。


「似て非なるものです。いえ、根本的に違うんですよ、私のプランとあなたのプランでは」


 挑戦的な目でマセリンはフルシチョフを見つめ返す。


「まさかこうも直ぐに役に立つ事になるとは私自身予想だにしていませんでしたがね…覚えていらっしゃいますか、ヴァルトで私が新しく載せたものを。今回のキーはそれです」


「何だったか…確か…そうだ、ボートだったか。それがどうした?」


 マセリンは今回の出港前に新しくゴムボートを各艦に何艘か追加で積み込んでいた。

 収納スペースに困り、各艦の主砲の上に固定してあったり床に敷き詰めてあったり…とかなり無理矢理な方法ではあったが、今までよりかなり多くの数のボートを持ってきていたのだった。


「ボートの使い途なんて一つしかないでしょう?」


 そうわざとらしく首を傾げるマセリンを見て、フルシチョフはやっとこさ合点が行った。


「まさか…船をすっからかんにするつもりか…?」


「ご名答。そうです、船なんて捨ててしまいます。さっき言った“必要最小限の人員”というヤツ、あれはつまりゼロって事ですからね」


「回避機動はどうす──」


「ああ、あれですか?回避なんてしませんよ、どうせ避けられやしませんって。それなら船なんて見捨てて潔く身代わりになってもらいましょうよ。…兎も角、囮艦は無人にします。他国では一部導入が進む自動操縦なんていうハイテクな機能は残念ながら我々のボロ船には搭載されておりませんので諦めて真っ直ぐ進ませましょう。まあ、あなたの案とは違って囮艦はほぼ確実に全て喪失(ロスト)でしょう。でも、代わりに上手くいけば犠牲者ゼロを達成出来ますよ。問題は敵の攻撃が囮艦ではなく温存艦の方に向かう可能性がある事、敵の陽動中に味方艦隊と合流する前に囮艦が全て沈んでしまう可能性がある事の二点ですが、これに関しては何かしら対策を講じましょう。どうです?これが私の出した結論です」


 マセリンは胸を張ってそう言い切る。

 だが当然ながらフルシチョフとて苦言を呈する。


「回避を捨てる…?何のためにシールドを置いてきたと思っている?」


「では逆に。何のためにボートを追加で積んだと思っておられるんです?」


「ボート遊びでもするのかと思っていたよ。そもそも、あの時点ではこの様な事態に直面するとは思ってもいなかっただろう?」


「まあ、確かに念のために増やしただけだったんですがね…結果的にこれが大当たりでした。おかげで迅速に船員を退避させる事が可能になりましたからね。念には念を入れておくものですね、良き教訓です」


 今度はフルシチョフが皮肉を言う番だった。


「それはそれは立派な教訓なこった。生憎だが、その教訓を活かすべき帝国海軍はマセリン少将殿の手によって半壊するだろうがね。人間だけいても肝心の船が無くなっちゃどうしようもない。畑だけあっても撒くべき種が無くては意味が無いだろうに」


「それを言うなら、種だけあって畑が無い状態も同様では?」


「人間はいくらでも用意出来る。だが、船はそうもいかんだろう?」


「逆ではないですか?軍艦なぞ造ろうと思えばいくらでも建造出来ましょうに。でも人間はそうもいかんでしょう。解っておられますか、一人の人間の価値を?」


「人権の講義でもするつもりかね?」


「いえ、違います。生憎と正しい倫理観などというものは持ち合わせてないものでして。私が言いたい事はそうではなく…もっと現実的な話ですよ。具体的に言うならば、一定の技能を持った人間を一人育てるのとそれを乗せる船を一隻造るのではかかる時間が圧倒的に違うという話です」


 マセリンはそこで言葉を区切り、無言でフルシチョフの様子を窺う。

 フルシチョフは、続けろ、と目で返す。


「私とて最初はそうでしたが、皆最初は素人です。あなただって昔はそういう時期もあったでしょう?私の場合は少将になるまでに三十年かかりましたが、これでも出世が早い方に分類されるのですから恐ろしいものです。それ程に人材を育成する事は時間の必要な事なのですよ。…さて、それに対して艦船です。船はどんなにかかっても馬鹿みたいに工期に遅れが生じない限りはほんの数年で完成します。我が帝国海軍の場合は特に小型艦が大半を占めますので、どんなにのんびりしていたって五年もあれば十分、況してや十年などかかる事はありません。そしてこの建造期間とは失ってしまった場合に再生するのに必要な時間と同義だと言えるでしょう。失った有能な人材は簡単には戻って来てくれませんが、船は数年で簡単に戻って来てくれますよ。それも新品になって」


「案外その“有能な人材”とやらがいない方が上手くいくかもしれんぞ?若い世代の血を取り入れて組織として若返るチャンスになる可能性もある」


「その()()とやらにはならないんですよ。実際にヴァルトやフォーアツァイトの有様を見れば今、とんでもない大混乱なんですから。ついさっきもデメラドットでフォーアツァイトから派遣されてきた二人を見ましたが、新米も新米、これが初陣だとか言ってましたよ?あれで戦えるとはとてもではないですけど思えませんね。ヴァルトの方も、隠居寸前のご老人がお二人。だいぶ無理して遣り繰りしているのだろうと嫌でも分かってしまいました。あそこから元の姿にまで立ち直らせるにはかなりの年月が必要でしょうね」


「他所は他所、うちはうち…と言うではないか。そうなる事が解っているなら我々は対策の仕様もあるだろう、そうはなるまいよ。それに、それ程までに貴重な人材とやらが惜しいならそうでない者を使えば良い…失っても惜しくない者をな。冷酷な様だが、仕方がないのだ。それにそちらとて分かっているだろう?そう簡単にはいかない事は。残念だが、我が帝国海軍には失った船を補充出来るだけの金が無い。船を失ったら最後、そのまま補充などされずに破滅へ一直線だぞ?それに対して人間ならばいくらでも引っ張ってこられる。何せ、田舎には嫌という程食いっぱぐれた若者がいるからな」


「聞けば聞く程に悲しくなってきますね…それでも反論はさせて頂きますけどね。先ず、コストという観点で何か勘違いされている様なので述べておきますが、私の案の方がコスト的に最終的にはお得ですよ?確かに一時的に見れば、船を失えばとんでもない損失となるのに対して人員の消耗は大した損失とはなりません。精々、遺族に向けてお悔やみの手紙にちょっとばかしの金銭を添えて送り、今後五年間は納税義務が免除されます云々と役所の方から伝えるだけで済むんですから。しかしもっと長い目で見て欲しいのです。人材を育てる、という事がつまりどういう事なのか理解して頂きたい」


「と言うと?」


「人を軍人として維持するのもタダではないという事です。この維持費こそが実質人材育成コストだと見做せるでしょう。例えば、一人の人間を軍人として雇っていくのに諸々合わせて一年で五百万ルーグかかるとしましょう。そして軍艦一隻につきこの様な人間が百人乗船していると仮定します。非常に大雑把ですが、皆平均して十年間軍に所属しているという設定にしましょう。そうすると、一隻沈む毎に単純計算で500×100×10──すなわち五十万ルーグの損失が生じる事になる訳です。更にその分を補填しようと思えばまた長い時間が必要になるのですから、コスト面で見ても船なぞよりも船員の命の方がよっぽど帝国の宝だと言えるのではないでしょうか」


「しかしだな…」


 フルシチョフは反論する言葉が出てこなかった。


「何度も言いますが、船なぞはまた造れば良いのです。どうせオンボロ船ではありませんか、そんなものに固執する必要など無いのです。もしそんなに心配なら、私が上に掛け合う事も厭いません。陛下ならご理解して頂けるでしょう。どうです?お解り頂けますか?」


 フルシチョフの様子を見て、マセリンは勝利を確信した。

 不敵な笑みを浮かべつつ、彼はこう付け加える。


「イエスかノーか、どちらですか?」


 フルシチョフはバツが悪そうにボリボリと頭を掻くと、一言呟いた。


「──イエスだ」

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