米所88─米妹(まいまい)シスターズ!
誰か本当に企画してほしい。
記念すべき日に少女たちは炊きたてを迎える。そして彼女たちを見守るファンたちもまた……。
「みんなー! 炊きあがってるー!?」
「お茶碗持ったよー!」
お約束の掛け合いの後、ステージから少女の声が会場の隅々まで届けとばかりに大音量で響き渡る。まるで和太鼓のように響くその後の観客の歓声は会場周辺の稲穂を揺らした。それはさんさんと輝く太陽に照らされ、黄金の稲穂の名前を欲しいがままにする新潟黄金─収穫の時を迎えた稲である。
「ライブの後は、みんな一緒に稲刈りだ!」
「「イエーーイ!!」」
おおよそ、アイドルのライブでは飛び出さないだろう言葉が次々と飛び出し、観客もまたそれに応え、会場の雰囲気はヒートアップしていく。そう、アイドルである。だが会場と一体となって歌い踊る彼女たちの姿は、昔のアイドルというものを知る老人たちからするとやや異質に映るかもしれない。なぜなら……きらびやかなはずの衣装は、どうみても農業をするためのどこかやぼったい物だったのだから。
21世紀も四半世紀を過ぎたころ、日本の食糧事情はさらに悪化の道を歩んでいた。政府の対策は一定量の効果はあったものの、上向きにできずに横ばいが精一杯であった。そんな中、一番深刻なのはお米、つまりはパン食とご飯食の戦いである。バランスが大事、そう言われて久しいが文化の継承という面からもご飯食の復権は急務とされてきた。
そんな中、ついに登場したのがお米アイドル……米所88(エイティーエイト)であった。既にブランド米として各地に地位を確立している地域を始め、意外と日本には東西南北、どこでもお米は作っている。ただ、その規模や知名度が全国区か否か、であった。仕掛け人は逆にそこに目を付けた。つまりは知られていないなら知りたいと思わせればいいのだと。
ご当地アイドルというものは既にあった。そこに少しだけ手を加えていったのだ。お米は88の苦労が詰まっているという。ならばメンバーは88人か?というとさすがにそうもいかない。
都道府県に大よそ2グループ、そう決めて88の支部が作られた。さすがに多すぎではないか?という意見もあったのだが、とある理由からターゲットは他の県よりもグループのある県、ということでこの方が都合がよかったのだ。
「聞いてください……今月の新曲─ライアーライス」
20人ほどの少女たちの真ん中、センターでささやくように言ったのは新井田舞。出身が有名な米所ということもあり、苗字に似ているからと県名で呼ばれる方が多い悩み多き乙女である。メンバー随一の表現力を武器に、今もスローテンポから始まる曲を静かに、それでいてはっきりとした声で歌い始めた。
「どうしてそんな嘘をつくの? お水は3合ならこのぐらい、そう言ったのは君なのに」
なんでもないような歌詞でさえ、彼女が歌い上げればまるで自分が飯炊きのミスを犯してしまったかのように心が痛みそうになる。それは会場の観客たちも同様で、自分は間違えないぞー!と叫ぶ者さえいた。
と、そんな声が聞こえたわけではないだろうが曲調は徐々にテンポをあげていき、サビの部分では最初からは想像もできないようなアップテンポな物となりアイドルたちの踊りも激しい物になっていく。稲穂が風に揺れるがごとく踊る姿は彼女たちのライブ名物である。
もし、冷静にこのライブの状況を観察し、歌われた曲の分析が出来た者がいたとしたら気が付くことだろう。新曲の構成が、ご飯を炊くときの火加減をベースにしているのだと。はじめチョロチョロ中パッパ、赤子泣いてもふた取るな……はるか昔から受け継がれた米炊きの流れの通りに観客の盛り上がりがシンクロしていく。
そして歌が終わると、炊きあがった窯の蓋を開けた時の湯気のように、歓声が大きく響き渡るのだった。
「順番に並んでくださーい! 整理券は今のうちに出しておいてくださいねー!」
盛況のうちにライブが終わり、ある意味ファンにとっては本番の1つであるイベントが始まる。そう、会場で新井田舞が言っていたように、稲刈りの時間である。この時間を確保するため、なんとライブは異例の午前中から始まっているのだ。
ライブ会場の外は、一面の田んぼだ。幸いにも今年は台風が少なく、駄目になってしまった田んぼはごく少数、どことなく並ぶファンたちの顔も誇らしげだ。それもそのはずで、この田んぼの稲は田植えの段階でファンとアイドルが一緒に植え付けたのだ。
「あのあたりが僕の……」
そんなつぶやきをするファンも1人や2人ではない。一見するとどれがどれだかわからず、戸惑いそうな物だが自分たちとアイドルが頑張った結果が目に見えているというのは大きいらしく、トラブルらしいトラブルが起きていないのが面白いところだった。
夏の暑い日も、一緒に草取りをしたり、田んぼの整備をしたりといったことをイベントとして行うことでファン同士の結束も強まっていたのかもしれない。地元愛、それもこのアイドルの企画に必須な物だった。だからこその全国区だけれども活動はその都道府県が主という形。自分たちの住む場所にこんな場所があったんだという再発見も魅力の1つだった。
「はい、今日は来てくれてありがとう! じゃ、刈っちゃお?」
「う、うん」
安全のため、軍手はしているが自分が推すアイドルと至近距離で向かい合い、一緒に握って稲を刈るのである。この時ばかりは、武骨な軍手もまるでアイドルの手そのもののように感じられる……とはファンの中でも古参の言である。
実際、たった数束と言っても2人で協力して刈り取った稲というのは輝いているようにさえ見えると、このイベントを経験した多くのファンが呟いていた。
残念ながら稲刈り自体はすぐに終わってしまうが、ファンたちのまだ楽しみは終わらない。次は……実食である。実際には稲刈りをしてすぐに食べられるわけではないのだが、そこはお約束というもので、誰も気にしない。収穫後に乾燥が必要、そんなことは米所88のファンであれば最初に知っておくべきことの1つなのだ。
別の会場には、大きなお釜が立ち並ぶ。既にスタッフの手により事前の準備はされており、後は炊き上げるだけだ。この時間は意外とかかり、物販が行われるのが基本である。何グループ化に分けられて炊き上げの時間がずれるため、物販に並んだまま時間が来る、ということもあまり無いようだった。
ちなみにグッズの内容が普通のアイドルグッズとは違うこともこのグループの特徴だ。名前の彫られた土鍋や箸、お茶碗等々、大よそアイドルらしくない御飯用の道具が多いのだ。うちわでさえ、ガスや電気でなく昔のように竈で炊く際に使うことを推奨するというのだからその徹底ぶりがうかがえるだろう。
「88番さーん!」
「はい!」
幸運にも、グループ名と同じ番号の整理券を手にしたファンが推しの声に導かれて足取りも軽くお釜の前にやってくる。お釜を挟んで、アイドルとは一対一だ。ここで何をするかと言えば……食べるのである。当然、アイドルではなく炊き上げたお米を、だ。
「はい、熱いから気を付けてくださいね」
ただ炊きたての白飯を食う。それだけではあるが、ファンにとっては握手やそれ以上の喜びがあるという。なにせ、アイドル直々に一口ずつあーんと食べさせてくれるのだ。自分とアイドルで植え、時にはイベントと同時に田んぼの手入れもし、ついに収穫を迎えて食べる。
「舞ちゃん。俺……農家やるよ」
「本当ですか!? 頑張ってくださいね!」
基本が一年サイクルというアイドル活動としては随分と長いはずだが、この試みは予想以上の成功を収める。なにせアイドル自身がアイドル活動と農業を建前上でも両立させているのだ。実際には危険な作業はさせられないし、多くの部分はその地域の農家が担当している。それでも、彼女たちが活動する前と比べれば別世界だ。
農家には苦労が多い。お米だけでは……と他の作物を作る必要がある場合も多いだろう。けれども、自分の田んぼが彼女たちを支えている。そんな事実が若者を突き動かし、日本各地で同じような事が起きていた。彼女たちのSNSやブログにはきらびやかな食事やおしゃれが並ぶ……日もあるが田んぼの状況や、そこで出会った動物などの光景も数多い。それが彼女たちとファンとの距離を縮め、消費者であったファンを徐々に生産者に近づけることに成功したのだ。
田んぼの見学に始まり、作業の手伝い……中には休耕地や廃農寸前だった農家に弟子入りしたり……徐々に活気が取り戻されていく。
気が付けば、日本の主食として、再びお米が盤石な立場を手に入れることが出来たのだ。
「さあ、みんな! 今日も美味しく……いただきます!」
今日も田んぼには木霊する。水田に住む動物たちやカエルの声。虫の声も心地よい。そんな田んぼに明るいうちは別の声が響き渡る。お米大好き、お米のためのアイドル集団……米所88は今日も歌う!