第五話。アノ日と矜持と二個目のぼたもち。 その3
「ただいま」
五号車に戻った。そしたらいきなりミシミシバリーンという謎の音が。
「なんだ? このおtぐおあっっ!?」
疑問を言い終わるより前に、俺はなにかから横っ腹に
両方から圧力を受けて呻いた。
「グーテンハヨーでおかえりでどこいってたニャーッ!」
「な?」
すごい勢いで捲し立てられた言葉に、
俺は目を丸くするしかなかった。
「ニャたしたちがどんだけ心配したと思ってるニャ!」
「ぐあっ?」
左腰のしめつけがなくなったかわり、
左の脇腹に鋭い痛み。顔を顰める以外
俺にできる表情などない。
聞き覚えのある非常に特徴的な一人称。
けど、こいつはこんなにかわいらしい声はしてない。
それになにより。俺に抱き着くなんて、
たとえ天地がひっくり返ったとしてもありえない。
「ど、どうしたカグヤ?」
そう、俺に抱き着いた上にニャーニャー言ってるのは、
黒い猫耳に短い黒髪、黄金の瞳を持つ亜人の少女だ。
「どうしたもこうしたもないニャ!
ニャたしたちに黙って、馬車の扉半端に開いたまんまでいなくなるニャんて
なに考えてるのニャ!」
「ぐぁぁぁ! 凄まじい勢いでマシンガンジャブすんな!
地味に染みる痛さなんだよ!」
言った直後、その脇腹に打ち付けられていた連打が、
俺への痛みが止まる。けど、殴ってる音は、
バババババババとしている。
脇腹への衝撃は、なにかから伝わって来る程度の
小さな物にかわった。そのなにかは、カグヤの拳とさほどかわらない大きさ。
そして俺の左に誰かがいる気配がする。
「邪魔しニャいでアイシア!
この、人の気持ちがまったくわかってニャい奴に
制裁してるんだからぁ!」
どうやらカグヤの拳を止めた気配の正体は、銀色の少女だったようだ。
こいつ、こんなだだっこみたいな言い方すr……
今朝みじろぎした時にそんな声出してたな。
「駄目」
バシ。打撃音が綺麗に止む。
「ぐ、うう」
拳を打てず悔しそうな顔をする黒猫。
「アクト。これ、凍らせてから、話しする」
言うと左から寒気が前方に向かって広がった。
これ、って……こいつ。状況によっちゃ
仲間相手でも態度が冷たくなるんだな。
……単純にカグヤがやかましくて怒ってるだけかもしれないけど。
「いいわよ。こんなの、すぐ割るから」
ピキパキと、まるでアニメで凍らされる時のような音を伴って、
目の前の猫少女はみるみる、霜のような白い物に包まれていく。
「すげー」
カグヤの顔以外が真っ白にコーティングされたところで、
広がっていた寒気がスーッと引いた。
「さ……さむいニャ」
歯をガチガチ鳴らしながらそう言う。
よっぽど身に染みるんだろうな。
「おかえり」
俺の前からすっと腕をどけながら、それだけを言うアイシアに、
俺はただいまを返す。
「で? カグヤのこのキャラ崩壊はどうしたんだよ?」
「キャラ?」
「崩壊ニャ?」
「そ。普段の口調 性格とまったく違う状態のことを、
俺の世界の、一部の趣味人の間でそう言うんだ」
「なるほどです」
「あ、サラちゃん。よく寝られたか?
って、その顔じゃ寝られてないな」
目が半分閉じて体に力が入ってないダランとした様子を見ちゃ、
返事を待つまでもない。
「心配で、触れてたかった」
俺横の銀色が、ちょっとボリューム落として言った。
自分のせいだ、そう言いたいんだろうな、きっと。
「だからってあれじゃサラちゃん動けないだろ」
「ぅ……」
諭す感じで言ったつもりだけど、更にボリュームが落ちた。
……もしかして、かなり効いたのか?
「いいですアイシアさん。心配してくれて、ありがとうです。
わたしがぐっすりできないのはいつものことです、気にしてないです」
笑顔で言うサラちゃん。半眼からの笑顔のおかげで、
殆ど目が閉じたようになっている。
ーー寝かせてあげたい。それはもうぐっすりと。
「それで、さっきの答えですけど」
「ん、あ、ああ。知ってるんだな」
確信持って聞いてみれば、はいですと頷きながらの声が返って来た。
まさか戻って来てからキャラ崩壊解説に反応するまで、
まったく喋らなかったサラちゃんに、話を進められるとは思わなかった。
「今日、昨日話してた『発作』の日です。これがカグヤさんの言う、
落ち着いてない状態になるです」
「お、おいおい。これ落ち着いてないって言うか、別人じゃねーか」
カグヤ、体まで小刻みに震え始めた。
「な、なあ。カグヤ大丈夫か? かなり寒いんじゃないのか?」
「違う。割ろうとしてる」
言うなりアイシア、俺の手を取る。
「え?」
予想外の行動に、目をしばたかせてると、
徐にエレナ近所の席まで俺を引っ張った。
「あのままいたら、また襲われる」
腕を下げて座るように促すアイシア。
一つ頷いて、
「あ、ああ。ありがとな」
そう答えながら俺はそれに従った。
「つまり、このままどんどん夜に行くに従って、
力の制限が外れて行くのか。……俺達、無事で済むのか?」
カタカタ震え続けるカグヤを見ながら、俺は不安を声に乗せて呟いていた。
「それでアクトさん。どこになにしに行ってたです?」
「ん? ああ、そうだな。言わないとだよな」
頷いて勢いをつけてから、なぜ一人馬車を降りたのかと、
そこで得て来た情報を、みんなにかいつまんで話した。
「ジョージの作戦、台無し」
アイシアの、その動かない表情の、その口元が
少しだけ、柔らかに角度を変えたように見えて、
俺はまた目をぱちくりすることになった。
「アイシアさん。今。笑った、です?」
アイシアの表情にびっくりしたか、身を乗り出したサラちゃん。
「ニ」
ピキピキ
「ニャんですってっ!?」
バキーン!
派手な音と共に、拘束していた氷を粉砕したカグヤが、
ものすごい勢いでこっちに体ごと向いた。
ーー軽く風圧が来るって、どんな勢いだよ?
「はわわっ!」
サラちゃんが座ってる辺りからガタガタ音がしている。
声もそこから。
驚いて音の方を見たら、もがきながら
椅子からずりおちるサラちゃんが見えた。
どうやら体勢を戻すのに失敗したみたいだ。
かみ殺しきれず、口角がゆっくりと緩む俺。
「えへへ。目、覚めちゃったです」
左手で頭を書きながら、恥ずかしそうに
少し俯いて顔をピンクにしてる様子で、
ほっこりした空気が広がった。
「そりゃ、よかった」
「むぅ、アクトさん ニヤニヤしないでですっ」
座りなおしたリーダーちゃんから、むくれたひとことが……。
癒され中の顔って……やらしく見えるのか?
お兄ちゃんはショックですよ。
「いやいや、ニヤニヤしてるんじゃないって。
ニコニコしてるんだって」
がんばって平静を装った顔で答えるが、
「怪しい」
即座に疑われたのです。氷の美少女に。
「指さすな。わかるだろ、あの状況なら」
「わからない」
「わかれ」
「わからない」
「この。遊んでるだろ」
「うん」
「……はぁ、お前なぁ」
「アイシア。いったいなにがどうしたニャ?」
目を真ん丸くして疑問符全開のカグヤ。
きょとんとしてるぞアイシア。
「アクト、いいケダモノ」
それだけを答えた。
「どういうことニャ?」
首をかしげるカグヤだが、サラちゃんとエレナは理解したらしく、
穏やかに笑っている。
「ニャぁもぉなんニャ? いったいなんなのニャいいケダモノって??」
「おちつけって、拳圧飛んで来そうで怖えし」
軽く顔を顰めて言うが、しらん とばかりに
だだっこパンチならぬだだっこ手刀を
扇風機のような速度で繰り返すカグヤ。
……この猫。
身体のリミッターといっしょに
思考回路の線も抜けてるだろ確実に……!
「おちつくですカグヤさんっ!」
バシーッ!
今度はサラちゃんが受け止めた。
「くぅっ!」
受け止めて呻いたサラちゃん。
少し腰が落ちて、ギュっと唇を引き結んだ。
目一瞬強く瞑ったぞ、こりゃけっこう痛かったな?
「ふぅぅぅ……!」
目を細めた寄り目で、そんな声を上げるカグヤ。
猫度上がりすぎじゃね?
「おちつくです、カグヤさん」
噛みしめるように、一字一句しっかりと伝わるように。
そんな少しゆっくりした、語気の強いサラちゃん。
けど、どうしたって上目遣いにならざるをえないサラちゃんだ。
たとえその大きな目を小さくして睨んだって、
ただお願いしてるようにしか見えない。
元々顔つきの優しいサラちゃんが、がんばって怖い顔したところで
効果は薄いと思うんだ。
「……はいはい。おちつくニャ」
めんどくさそうに一息吐いて、カグヤはサラちゃんの手から
手刀をスっと引く。ほっとした一息を吐くサラちゃんだ。
俺とエレナも同じく。
しっかしこのカグヤ。
声がかわいらしくなってて? キャラ崩壊、
でもって力加減と思考能力の低下。
って!
ーー完全に酔っ払いじゃねーか!




