プロローグ。日常(いつも)さんがころんだ!? その2
「なによ?」
不信感丸出しな声色だ。明らかに警戒している。
「え、あ、いや。猫耳だなぁ、と思って」
思ったまんまを返す。俺の右手は、その黒い猫耳を指さしていた。
「なんか、おかしい?」
声色は変化なく。しかし表情は不機嫌で。
腰に手をやっているこの猫耳少女。
黄金の瞳のせいか、迫力がすげー。
「おかしいってよりは信じがたい、だな。その猫耳が天然ものだったら」
「え? ニャんた。この世界にいて亜人を一人も見たことがないって言うの?」
軽くのけぞる猫耳少女、その目は軽く見開かれている。
よっぽどびっくりすることだったらしい。
「亜人って、ようするにエルフだとか獣人だとかって、
そういうののことだよな?」
確認すると、目を丸くしながらも頷いた。
まさか。
亜人なんて言葉を、平然と使う奴がいるなんて思わなかった。
「お前の猫耳が本物って前提で話を進めるけど。
俺の人生、本物の亜人見たの今が初めてだよ。
絶対見られるわけがないからな」
「なんでよ?」
呆気にとられている、そんな顔。
なんで腰に手やったままなんだろうか?
「だって。亜人って空想上の存在だろ?」
「……え?」
「……え?」
ま、まさか。まさかリアルでこのやりとりをすることになるとは。
「って言うか……え?」
自分で自分の言葉の理解ができない。
俺はいったい今、なにを言った?
「なによさっきから『え?』ばっかり言って?」
「いや、その、な。えっと、ここは……
亜人がいるのが、あたりまえの、世界、なんだよ、な?」
またも確認する。確認せざるをえない。
めんどくさそうに頷く猫耳。
「なにあたりまえのこと言ってんの? 頭大丈夫?」
「人格攻撃やめてもらえませんか?」
「だって、そうじゃないの。この世界にいて亜人の存在を知らないだなんて。
よっぽどの閉鎖集落でもなきゃ一回は必ず見てるはずよ。
このオハヨーに来る途中にだって、
きっと一人や二人は余裕でいるはずだし」
「お、おはよう?」
今度は俺がのけぞってしまった。声また裏返っちまったし。
「そうよ。中央大陸の中心にある町、それがここ オハヨー。
ほんとニャんた、大丈夫?」
「ちょ、ちょっとまってくれ。ちょっと情報の整理をさせてくれないか?」
「ならそこの空いてる椅子にでも座んなさい」
「あ、ああ。そうさせてもらうか」
示された空いてる椅子に腰を下ろして一息つく。
なんか、ツンデレキャラのツン期みたいな口調だな、こいつ。
態度もとげとげしいし。
「おかみさん。火の魔法石の火力弱くなって来てるけど、
残量大丈夫?」
少し遠くから、そんな声がした。
「ひや?」
変な声出た。今……魔法って聞こえたんですけれども?
……いかんいかん。情報を整理しなくちゃ括弧使命感。
えーっと?
俺はあの動画を見ていた。
謝罪と同時に脳内殴られたような感覚があった。
気が付いたら、この店剣塚亭のベッドの上に寝かされていた。
俺はどーやら、行き倒れだったらしい。
で、ここは亜人が跋扈する不思議空間だった。
っと。
これでここまでに得られた情報は全部か。
ーーなるほど、わからん。一先ずおちつくことはできたが。
「そうだねぇ。じゃあ買ってきておくれ。
ついでだから水のもね」
さっき俺に話しかけてくれた女性がそう返答している。
おかみさん、なるほど。しっくりくる。
「何個いる?」
「うーん。どっちも四つあれば足りると思うから、それで頼むよ」
「了解。じゃ、いってきまーす」
早足で俺の前を通る女の子。
「ん?」
見間違いだろうか?
犬耳が生えてるような気が……。
目で追ったらふさふさしてそうな尻尾が、
歩くのに合わせて左右に揺れているのまで見える。
「……頭痛くなってきた」
頭を抱えるしかない。なんだこれは、いったいどうなってるんだ?
これは夢か? 夢なのか? 夢なんだよな?
「いつっ。おいおい、夢じゃねーってのか?」
伝統の頬つねり。その結果は以上となります。
いや、異常となります。
「頭抱えたと思ったら自分のほっぺたつねって。
ほんと。頭、大丈夫?」
心配してるような、あきれ返ってるような……いや、これは。
確実にヒいているっ!
「ごめんなさい。現実が現実離れしすぎてて
勅使できませんでしたもので」
視線の冷たさに耐え切れず、平謝ってしまった。
「どういうことよ?」
「まあまあカグヤちゃん。そんなにきつく当たったら、
言えることも言えないって」
見かねてって感じでそう、カグヤって言うらしい
猫耳少女をなだめに来た少女。
今更感パネーんすけど。
「今度はエルフ耳かよ……」
普通の人間耳だったのは、サラちゃんとおかみさんだけだ。
亜人種のるつぼかこの店は?
「ごめんね。カグヤちゃん、初対面の人って緊張しちゃって」
ニコニコとそう言ってくれるエルフ娘。
おかげでなんだか、肩の力が抜けた。
「そか。まあ、しかたないよな。どうやら俺、
おかしなことばっか言ってるみたいだし」
ふぅっと一息。
「なんか作ってもらう?」
エルフ娘に提案されたけど首を横に振る。
「こんな込んでるのに作ってもらうのは悪いからな」
「そっか。わかった」
一つ頷いてそう言って、エルフ娘は仕事に戻った。
「ん?」
視線を感じた。なんだか冷たい視線。
その気配に目を合わせたら、じーっとこっちを見てる銀髪少女と目があった。
血のような紅の瞳に身が縮まる。
「なんでもない」
透き通った声。でもボリュームが小さくて、
たぶんそう言ってたんだろうな、って推測することしかできなかった。
不思議な雰囲気の子だな。
「よう少年。ずいぶん仰天してるようだな」
陽気なオッサンが、俺の右肩に手なんぞ置きながら話しかけて来た。
肩まで無造作に伸ばした赤茶のぼさぼさ頭と、
手入れされたひげ面がアンバランス。
「ええ、まあ」
物おじしない人が多いなぁ、この店は。
「たしかに剣塚亭は美少女揃いだからな。
ある意味でびっくりするか、初めてだと」
ハッハッハと楽し気に笑うオッサン。
なんか、声がどことなく赤いカエル軍人とか、マーボ大好き神父っぽいな。
不思議なこともあるもんだ。
「でも、お前さんの場合、そういうことじゃなさそうだな」
少し声のボリュームを落として言う。
「え? どうして」
わかったんだ、と言うより前に
オッサンが話をかぶせてきた。
「お前さんの無知っぷりが、あまりにも常識離れしすぎてたからだ。
亜人が空想の存在だなんて言いきれる人間、
この世界にそうはいないからな。
俺と話すまでの間に、三人ぐらい見たろ?」
「観察してたのか……」
じとめで見る。
「いやー、用心棒ってのは暇でなぁ。変わり者が混ざって来たとなれば、
観察してたくなっちまうのは自明の理って奴だ」
「よ、用心棒?」
「ああ。念のため、な。
この店の中で実力がピカイチな三人娘がいるんだが、
手が空いてるのがほしいってんでな」
「そうなのか」
「ちなみにその三人は。
お前さんを運んで来たサラちゃんに、
お前さんのことを気にかけてるカグヤちゃん。
んでもって
お前さんのことをじーっと眺めてた、銀髪娘のアイシアちゃんだ」
「え?」
「ちょっとジョージのオッサン。てきとうなこと言わないでよね」
カグヤが不機嫌そうにオッサンに抗議している。
が、まあそう怒るなって、とまったく気にしていない。
って、え? 名前ジョージなの?
「で、少年。なんでこの世界に来たんだ?」
またボリュームを落とした。
「さあ。俺にもなにがなんだか」
ここまで見抜かれていては言うしかない。
そして今の発言で受け入れざるをえない。
俺が今。
異世界にいるという事実を。
「そっか。なら、女神に聞いてみるってのはどうだ?」
「女神」
なんてタイムリーなワードだろうか。
俺はこの店……いや、この世界に放り出される前、
女神が願い事をかなえさせられるって言う動画を見てた。
もしかして、その女神のことを言ってるんだろうか?
……まさかな。
「そうだ、女神アグニャマラテス。
この世界の神々で、唯一姿を見せてる神様でな。
人間のことが好きなんだろうな、あの嬢ちゃんは。
運命の大車輪ってとこで、人間と語らったり、
時には願い事を聞いたりなんかしてるらしい。
俺はお目にかかったことはないんだがな」
そう言って、またオッサンは楽し気に頬を緩めた。
あの嬢ちゃん、なんて言うわりに見たことないのか?
しかし。
仮にも神様にを嬢ちゃん呼びとは、このオッサン根性あるな。
「願い事を聞く女神……。
なあ、オッサン。そのあぐにゃんは、
どんな雰囲気の人なんだ?」
人じゃないんだがな、と苦笑しているオッサンである。
初対面の、ましてや年上にずいぶんとなれなれしい。
自分でもそう思うんだけど、
このオッサンの陽気な雰囲気が、
自然と口調を砕けさせちまった。
「どんな雰囲気、ねぇ」
逡巡の後、オッサンは一つ頷いた。
あったことないのに、なぜそこで考える?
「なあ? 誰か女神さまと話をした奴、ここにいるか?
寝起きの兄さんがどんな雰囲気なのか知りたいってよ」
店内全部に響くような大声で言いやがった。
やめてくれよ恥ずかしい……。
さっきカグヤをなだめてたエルフ娘が挙手している。
それを見たオッサンは一つ頷くと、
「そうか。では申せ」
妙に偉ぶった動作と物言いで促した。
「そうねぇ。芯が強そうで、優しい感じかな」
「そっか、ありがとな」
おいおい、ドンピシャじゃねーかよ。口から出ていた。
それは、まさにあの動画の声の雰囲気そのものだ。
「後ね。神様って感じがしなかったわ。しいて言うなら……」
「「お姉さん」」
「そうそう。って、あれ? なんで知ってるの?」
「なるほどな。ってことは、だ。
俺をこの世界に放り出したのは
そのあぐにゃんってことか」
「やっぱ、女神さまに直接聞きに行くべきだな。
それにしてもだ、少年」
「なんだ?」
「その『あぐにゃん』ってのは、いったいなんだ?」
「女神のことだよ。アグニャなんとかなんて、
長いし舌噛みそうだからな」
「なるほど。あぐにゃんか、そいつぁあいい」
そう言ってオッサンは豪快に笑った。
実はあぐにゃんと離したことあるだろ、このオッサン。
明らかに人格知ってるリアクションじゃねえか。
「なあ。今から大車輪いける奴いたら、
こいつをつれてってやってくれないか?
オッサンと二人で散歩なんて、こいつもいやだろうからな」
「散歩? 神様のいる場所に散歩?
そんな近いのか?」
「ああ。同じ町ん中にあるぞ」
「なんだって?」
予想外すぎる。神様がいる場所って言うから、
もっと遠くにあるのかと思った。
「仮にもここはオハヨーだ。地図で言うなら世界の中心だからな」
「そ、そういうもんなのか」
それと近所に神様スポットがあるってのは、イコールになるのか。
俺にはわからない。
「じゃあ、わたしがいきますです」
こちらに歩いてきながら、サラちゃんがそう言った。
「お兄さんをここに連れて来たのはわたしです。
それなら女神さまのところに行くのもわたしです」
「流石サラちゃん、まじめだなぁ」
でかい手で頭をなでながら言うオッサン。サラちゃん、てれくさそうである。
「と、ゆうことなんですが。おにいさん、動けそうです?」
「散歩って言うぐらいだし、それほど距離はないだろうから行くとするか」
一つのびをしてから、俺は席を立った。
「じゃあ、いきましょうです。
みなさん、ちょっと運命の大車輪までいってきますです」
サラちゃんは、改めてそう宣言した。
そしたら店にいるみんなからいってらっしゃいが返ってきた。
サラちゃん愛されてんなぁ。
ちびっこは愛でられる者ってのは、どこ行ってもかわらないんだな。
「なんか、いいな。こういう雰囲気」
「ついてきてくださいです」
そう言って、サラちゃんは店の出入り口に歩を進めた。
「了解」
それに続く俺。
これから、異世界の空気を吸うことになるんだよな。
……なんか、緊張してきたぞ。
「
「あぐにゃん。俺をなぜこの世界に放り込んだのか。
聞かせてもらうぜ」
緊張をほぐす意味もこめて、俺は小さくそう呟いた。