第五話。アノ日と矜持と二個目のぼたもち。 その1
チャラリ。チャラリ。
……あれ。もう。稲妻は見えない。けど、これは、鎖の音。
他にもいろんな音が。
ゴロンゴロンパッカパッカ
チャラリチャラリパラパラパラ。
俺はいったい……どういう状況なんだ?
「グーテンハヨーございます、アクトさん」
優しく抱きしめられているらしい。
俺を覗き込んできているこの顔は……目を半分隠す前髪、ってことは。
「エレナ、か。おはよう。なあ、俺。どういう状況なんだ?」
「どういう状況……えっと、膝枕、と言いましょうか
太腿まくら、と申しましょうか」
「……え?」
「こうやってないと、アクトさん。ずりおちちゃいます」
チャラチャラと鎖を鳴らして、楽しそうに笑って言う。
「マジかよっ」
びっくりして飛び起きそうになった俺だったが、
「しーっ」
そんな小声叫びと共にググっと押さえつけられてしまい。
まるで膝を小突かれたように、不自然に脛から下だけ
ピョンっと持ちあがるという、変な動きをすることになってしまった。
「な、なんだよエレナ?」
予想外の行動に目をしばたかせて尋ねる。
「まだ皆さん寝てらっしゃるんですよ。起こしちゃ悪いです」
引き続き小声。言われてみれば、妙に馬車の中は静かだ。
ぐるっと見回してみる。
すると各々バラバラの姿勢で、床に雑魚寝している
少女三人が目に入った。
足を軽く開いて腕の力も抜けた、まったく隙だらけのカグヤ。
「んーぅー」
だだっこみたいな寝言と言うか寝呻きなんかしながら身じろぎ一つ。
そのだだっこ声のおかげで、普段の強気な態度が嘘のように幼く見える。
「かわいいですね、カグヤさん」
小さく微笑むエレナに、俺もそうだなって頷く。
カグヤの横、アイシアとの間に挟まれてるサラちゃん。
ピシーっとまっすぐだ。まるで夜中のテント前にいた奴らみたいで、
とてもぐっすり寝ているとは思えない。
「寝苦しそうだな、サラちゃん。ちょっと、二人が密着しすぎてるんじゃないのか?」
「そうですね。きっとお二人はサラちゃんが心配なんですよ」
にこやかに言うエレナ。改めて、三人の状態を見たらクスっと来た。
「アイシアなんてサラちゃんに横から抱き着いてるもんなぁ。
そりゃサラちゃん固まるしかないか」
せめてアイシアだけでもはがしてやりたいけど。
なんかもう、抱き枕状態でとてもはがせそうにない。
しかしカグヤを動かそうとしたら、どんな反撃が来るのか予測もできない。
「すまんサラちゃん。俺ではどうしようもない」
合掌してごめんなさいと一礼する。が、仰向けのせいで
礼って言うより、起き上がろうとして首だけを持ち上げたようになってしまった。
「ところでエレナ」
「はい、なんですか?」
「お前、いつのまに手錠嵌め直したんだ?」
ああ、これですか? と、なんでもないことのように、
またチャラチャラと鎖を鳴らした。
「そうですねぇ。木の隙間から見えた空が白かったので、
たぶん、明け方ぐらいじゃないでしょうか?」
「おいおい、それじゃあこいつら。ぜんぜん寝られてねえんじゃねえか?」
「そうですね。わたしもぜんぜん寝られてないですし」
そう言うと、口を押えてふぁーっと大きなあくびをして、
恥ずかしそうに左手で鼻をこすって苦笑した。
そんな様子に、思わず笑みがこぼれる俺。
「エレナは寝ればよかっただろ? 俺の枕になんかならないでさ」
「そうですね。カグヤさんたち、アクトさんを
三人の足の前に寝かせればいいって言ってたんですから、
それでもよかったかもしれません」
「そうなのか」
「はい。でも、なんか……あぶない気がして」
エレナの目線は、カグヤに向き そこからアイシアへと流れ、
また正面に戻った。
「な……なるほど。それで、俺を危険から遠ざけてくれてた。ってことか」
エレナと出会って一日、俺の扱いがどういうものなのか
エレナなりに判断したようだ。
「はい。寝言って加減が効かないと思うので、もしものことを考えて」
「悪いな。そんなことやってもらって」
「いいんです。一時的に自由に動ける時間をくださった皆さんに、
お礼がしたかっただけですから」
にっこりと心から微笑んで見えるエレナに、
そっかと小さく柔らかに返した。
ただ……手錠で拘束されて自由の無いエレナの状況は、まるで囚人みたいで。
俺は知らず口を真一文字にしていた。
「あ、そうだ。手錠が嵌ってるってことは、鍵 使ったんだよな?
どこにあるんだ?」
少しの間無言の時を過ごして後、思いついたことを口に出した。
まだ眠気が取れてないのとエレナが舟をこいでるのとで、
なんとなく話しにくかったんだよな。
この馬車の走行音とゆったり動くスピード、
それから馬の足音の睡魔三位一体攻撃で、よく寝なかったな俺。
感覚としてはバスとか電車で座ってるのに似てるって言うのに。
けどおかげで、今はまだ森の中で雨足はサーって鳴ってるから
俺が寝た時よりも強い、ってのはわかった。
氷に当たる雨の音って、案外乾いた音なんだな。
葉っぱに当たる音の方が、水気があるような気がする。
「よっと」
エレナのホールドをそっと緩めて、名残惜しいけど太腿枕を脱出、
狼娘と向かい合う。項垂れた状態で小さな息遣い。完全に寝ちまったらしい。
なんだか項垂れたまんまなのが、苦しそうに見える。
ので、起こさないようにそっと両手を頬に添えて、
慎重に顔を上に向かせる。
……あ、あれ。これって、顔を上に向かせてキスする、って状態にそっくりだな。
っていうかそのものだなっ!?
お……おおおおちつけおちつくんだ。
俺になにもやましいところはないんだぞ。
そんな、寝ている女の子に、寝ているのをいいことに
キスしてしまおうだなんて思ってないんだぞっ。
なのになんでこんなドキドキしてんだっ。
たしかに髪に半分隠れた、閉じられた目で力抜けた顔って
なんだか色っぽいなって思ったけどっ、思ったナウだけどっ。!
……おちつけっ、そして思い出せ。
俺がどうして、エレナに顎クイどころか顔クイなどやったのかを。
「はぁ……はぁ……」
っておいおい、これじゃあキスしようとして
ド緊張してるみてえじゃねーか! 呼吸を静かに整えろ。
そうだ、静かにだぞ 静かに。
「すぅ……はぁ……よし、おちついたぞ」
そーっとエレナの顔から手を離し様子を観察。
うん。目は開く様子はないし、息遣いも変化なし。
心なしか息遣いのトーンが軽くなった気がして、ほっと一息。
他の三人も起きる気配はなし。
顔クイ中に、カグヤかアイシアに起きられてたら、
きっと俺と馬車の命がなくなってたところだ。あぶねえあぶねえ。
「鍵探すか」
深夜に起き出してなんかないかと冷蔵庫を漁る時のように、
足音を忍ばせ手錠の鍵を探す。
それでも小さくポフポフ鳴っちまうのは、靴で歩いてるからしかたない。
「ん? なんだ、この音?」
チリ、チリ。鉄が細かく動いてるような音だ。
馬車が動くのに合わせて鳴ってるな。どこから聞こえる?
指差し確認ならぬ視線差し確認してみるか。
チリリ、チリリ。
うん、上じゃないのはわかってる。
チリリ、チリリ。
ふむ、窓ではないな。
チリリ、チリリ。
鎖ならもう少し大きな音だからそこでもない。
チリリ、チリリ。
後ろ、ってほど距離はないか。
となると残ってるのは……?
チリリ、チリリ。
「あった。足元かよ」
しゃがみ込みながら左手を滑り込ませるようにして、
音の元を掴み取り立ち上がった。
音の出所は、エレナの座ってる一番作りのいい椅子、
その左サイドの足元だった。
「ごまだれー。なんてな」
左手に収まった手錠の鍵を、そんなことを言いながら軽く掲げてみる。
「……誰も。見て。ません。よね?」
返って来るのは静かな空間。
ごまだれったのは、どうやら誰にも見られていなかったようだ。おぶねー!
「さて。この鍵、返しに行ってくるか。聞いておきたいこともあるしな」
今ぐらいの速度なら、おそらく俺でも走れば追い抜けるはず。
「えーっと。こう移動すれば大丈夫、か」
サン・イラーヌ三人の足先を通って、馬車の出入り口扉の前まで行く。
「お疲れさま、みんな」
まだ起きる気配のない四人を小さくねぎらって、そっと扉を開ける。
「よし。うまくいったな」
大きな音を立てることなく扉を開けることに成功。
外の景色は相変わらず薄暗い。
ちょっとだけ湿気が出てることで、雨が夜から降り続いてるのがわかった。
ゆっくりと流れる景色を見ながら生唾を呑む。
「こ……これは。勇気がいるな」
ゆっくりだけど、ゆっくりとしか動いてないけど。
ーー動いてる車から降りるの、すげー怖い。
「これなら降りざるをえまいよ、俺っ」
手にした手錠の鍵を、車列前方へ向けて放り投げた。
力は入れていない、本気で投げたらどこに行くのかわからないからだ。
「くっ!」
自ら課した枷に押されて、俺は歯噛みしながら
動く馬車からぴょんと降りた。
「降車完了っ、まずは鍵を。よし、発見っ」
現在の位置から見て四号車の冷蔵庫の真左、直進コースだ。
小走りして拾い上げ、そのまま走る。
幸い雨はアイシアが作った氷の屋根のおかげで、
体にも頭にもかかってない。
銀色の鍵が降る雨を反射して綺麗だなぁ、なんて思ったりな。
ギャーはずかし! なにこのポエムな思考っ!
小走り程度の軽い走りでも並走できる程度に、
今イオハ商隊括弧仮称の速度は遅い。
「よし、これならいける」
少しずつ速度を上げて行く。並走してるだけじゃ意味がないからな。
それにしても不可解だ。
時間がないってこの森の道を選んだにしては、進行速度が遅すぎる。
どういうことなんだろうか?
どうせだ、ついでに商隊長に聞いてやれ。
コンコンコン。
たぶん数分後。息を弾ませながら、俺は先頭車両の横にいて、
その扉をノックした。
お願いだからなんかしらリアクションしてくれ!
たとえゆっくり走行とはいえ、車両と並走しながらノックするとか言う
個人的超人行動、長くは続かないんだっ。




