第三話。路線馬車の旅、奴隷亜人を添えて。碧ちゃんの影(すがた)と共に。 その1
「オラ、おきろ!」
「っでぇっ?! い……いったいなんだ?」
額になにかが打ち付けられた。そんな痛みで俺は目覚めた。
今いる場所は宿場ゴブリンに俺達がとった東側の部屋。
あの後晩飯の最中に、なんであんな端っことったんだって聞いてみたら、
カグヤ曰く起きがけにひなたぼっこができるから、とのことで。
あの黄金眼の黒猫に、そんなかわいらしい一面があったのには驚いた。それ言ったら、
『い……いいじゃない、ニャたしにだってね、ゆったりしたいことぐらいあんのよっ!』
となにやら顔どころか全身真っ赤になってたな。
それ見てサラちゃんがめっちゃ笑顔になってた。
「……ん?」
目の前が暗い。
カグヤによれば、ここなら部屋ほぼ全部に朝日が入るって話だったのに。
所詮あれは猫勘でしかなかったってことか。
でも、おかしいな。こんなとこに柱なんてなかったはずだけど。
「なにぼやっとしてんだ、起きろっつったのが聞こえなかったのか?」
「……え?」
柱が、喋っている。しかも柄が悪そうな上に不機嫌だ。
「まったく。どんな奴らかと思って下見ついでに来てみれば、
ガキ四人のお遊びクランとはな」
なにやらぼやいている。あからさまな溜息まで。
「アクトさん、アクトさんっ」
右からよく聞く幼女の声。おまけに俺のことをつんつんしている。
「ん、ああ、サラちゃん。おはよう」
顔を向けて挨拶、グーテンさんにはまだ抵抗があるからシンプルにおはよう。
自分でもびっくりするぐらいぼんやりした声だった。
「おきてです。イオハさんの護衛仲間さんが
起こしに来てくれたです」
肩をぽむぽむと、優しく数度触れて来て、その後彼女は起き上がった。
なんでさっきから小声なんだろか?
「イオハの……ごえいなかま?」
イオハって、なんだっけ? イオ系の新しい上級呪文か?
「てめえらみてえなごっこ遊びと、仲間扱いされたかねえがな」
「なんですって? ニャんた、表出なさいよ」
「おおコワイコワイ、猫憑きさんは気が短くていけねえなぁ」
なにやら険悪な会話が、柱と猫の間に転回している。
「くっ……!」
ギリリ。
カグヤのしてる指抜きグローブ ーー これをしてるのはカグヤだけ ーー が
怒りの音を立てている。と、いうことは。
既にカグヤはヨロズヤスタイルってことか?
「カグヤさん、おさえておさえてっ」
サラちゃんが聞くからにあわあわした声で、きっと実際あわあわしている。
語尾にですがないってことはそういうことだろう、たぶん。
「抑えが効くのか。ちったできるようだな。
けどな嬢ちゃんたち、あんま調子に乗ってっと
長生きできねえぜ」
諭すように、でもめんどうそうに言って
柱が180度回転した。
「太陽が天につくまでに北門に来い。じゃねえとおいてかれるそうだからな。
馬車に揺られるだけで一人銀貨三枚なんて、
ぼろ儲け話を、みすみす捨てることもねえだろ」
柱ーーいや、柱のようにガッシリとした体形のスキンヘッドの男は、
「ったく貧乏人どもが。こんな銅貨だけで泊まれるような
安宿なんかに泊まりやがって。探すの時間かかったろうが」
なんぞと言いながら部屋から出て行った。
カチャリカチャリ音がするってことは、黒かったのは鎧のせいか。
音からするに、サン・イラーヌの革鎧よりは上質の素材と見た。
って……なんだと?!
「おいっ、今とんでもねえことが聞こえたぞっ!」
もうそれは跳ね起きたね。
「あのオッサン……!」
またもギリリと怒りの握り拳。
「あれ? でも、ここの宿代って一人銀貨一枚でしたですよね?」
聞くからに困惑したサラちゃんの声。
「……だまされた」
アイシア、珍しく語気が強い。
「うさばらしに、一発殴りましょうか」
「眠気覚ましにちょうどいいぜ」
「嘘。駄目」
きっと今、俺 カグヤ アイシアから、
どす黒いオーラが立ち上っていることだろう。
「あわわわわわわ!」
というわけで、俺達は朝食をいただくだけいただいて、
チェックアウトすることにした。
***
朝食を終えた。
味は悪くなく、むしろうまい。
てか夜朝飯つきで四つの硬貨のうち最低レートの銅貨で泊まれるとか、
すげーいい宿屋なんでは?
言い値が宿代になるのはどう考えてもおかしいけど。
ちなみに銅貨が百枚で銀貨一枚、銀貨五百枚で金貨一枚、
金貨が千枚で黒曜貨ってのになるらしい。
ダイアモンドを貨幣に使うなんて、贅沢な世界だぜ。
「どういうことだか、説明してもらいましょうか?」
入口カウンターテーブルに両手を突いて身を乗り出したカグヤが、
例のちょっとトーンの落ちた声で店主にすごんでいる。
「な。なぁんのことかなぁぁぁ?」
既に顔面腫れあがった店主は、全身から冷や汗をだらっだら流しながら、
そんなこれ以上ないぐらいの動揺を見せている。
悪いことしてるって自覚あんのかよ、この人。
「ニャたしたちが、いくら自分たちだけで
宿屋泊まるの初めてだからって」
ああ、やっぱ初体験だったんだ。
「値段を訂正しないのはいけないと思うのよね、ニャたしは」
声だけは動き少なく。だからこそ余計に恐ろしい。
後ろで聞いてる俺まで震えて来やがる勢いだ。
顔が若干右を向いたってことは。カウンターテーブルに建てられた
『宿代一人銅貨50枚』ってプレートを見てるな。
何人かの人が動き回ってる音がする。
昨日宿屋前に立った時の人の気配は、従業員だった。
つまり、俺達以外だーれもお客がいなかったし、
新たに来ることもなかった。
そら怖いぐらい静かなはずだし、温泉貸し切りなわけだわ。
「だ、だからって。だからって暴力に訴えるのはどうかなと、
オジサンは思うんだよね?」
「……」
「ひ、ひぃっ」
「アイシア、無言でにじりよるのは流石にやめてやれ」
「おじさん。どうしてわたしたちのこと、だましたです?」
サラちゃん、値札を貫かん勢いで指差している。
余った左手は腰に当て、その顔は真っ赤だ。
こ、こんなサラちゃん見たことねえ。相当頭に来てんなこりゃ。
「ゆっ、ゆるしてくれ! ほんのできごころだったんだ!
緊張しまくってたからカモにできるって、そう思ったんだ!」
後ずさりしながら店主はペラペラと、まるで
追い詰められた二時間ドラマの犯人のように、
俺達に余計な出費をさせた理由を白状し出した。
「宿代書いてあるの見えてなかったみたいだし。
し、しかたなかったんだ!
うち見てのとおりだろ? だから少しでも
売り上げがほしかったんだよ!」
「やっぱり、あの時のニヤリはそういうことだったんだな」
「です」
サラちゃん、聞くだけでわかるほどの不機嫌声。
すの音程の方が高いと言う、面白音程である。
「だ、だ、だ。だから、命だけは!」
「っ」「ちぃっ」「ん」
ドガッッ!
苛立ち全開でサラちゃん以外の三人同時、
カウンターテーブルに拳を叩きつけた。
店主は「ヒエヤーッ?!」とか言う言葉にならない悲鳴をあげて、
腰を抜かしてしまった。
やった俺がびっくりするレベルの大音だったんだ。そうなるのもしかたない。
とはいえ、流石にビビりすぎじゃないだろか?
「わ、わかった。全員で銀貨一枚にするからっ!
もらった三枚返すからっ!」
ばね仕掛けのように飛び上がった店主は、
そそくさと飯盒みたいな物を開けて手を突っ込んだ。
「定価の半額か。悪くないわね」
カグヤはゆっくりと頷いた、万属って声でそう呟きながら。
あの飯盒みたいなのは、ひょっとして売り上げが入ってるんだろか?
昨日銀貨受け取った時は大事そうに握りしめてたから、
収納箱がこんな近所にあるなんて知らなかったわ。
って……うわぁ。硬貨の層うっすいなぁ。
閑古鳥泣いてるからしかたないけど。
「やっぱ立地なんだよなぁ」
しょぼくれて銀貨をテーブルに並べる店主。
「呼び込みしてないとかじゃないのか?」
「呼び込みしても、こんな端っこの宿屋になんか目もくれないんだよ。
やっぱり人通りが多い方にお客が流れちまってさ」
俺の問いに店主は、哀愁漂う調子で答えた。
朝だって言うのに、外の爽やかさとは真逆の空気だ。
早く出たい。
「そういうもんかなぁ? 俺、逆に静かな方行くけど」
「距離がおっきいんじゃないかしら? ほら、
ここ町門からも中心からもけっこう遠いじゃない」
「なるほどな。そっか、この世界の人たち基本徒歩だもんな。
早く休めるってのはでかいか」
俺達の会話を聞きながら、店主は手ぬぐいのような物で、
丁寧に丁寧に三枚の銀貨を拭いている。
「値段を偽ってしまって。申し訳ございませんでした」
深々と頭を下げた店主は、
「これは、お返ししますので、どうかお許しください」
女子三人に綺麗に拭いた銀貨を渡した。
ああ、宿代は俺が出したってことになったのか。
「飯はうまいし静かだし、いいとこだと思うんだけどなぁ」
「そう、かい?」
店主、驚いた顔になった。俺のことを、疑心暗鬼な目で見てるな。
おいおい。今の机パンチ一コマだけで、そこまでなるか普通?
「そうね。諦めないで呼び込めばいいのに」
「人が集まったらこの静かな感じがなくなって、
それはそれで味がなくなるかもだけどな」
「かもね」
俺とカグヤはクスクスと、小さく笑う。
アイシアは「うるさいの、いや」と呟くように言った。
もしかしたら同意してるのかもしれない。
「ちゃんとお客さんに、正しいお値段を教えれば、
もっといいです」
サラちゃん、ビシッと念を押した。よっぽど気に食わなかったようだ。
金の恨みは恐ろしいってことか?
いや、サラちゃんは金より平気で嘘をついたことに怒るタイプだ。たぶん。
「もしイオハって奴と繋がりを持ってたいなら、
その辺改善しないとじゃないのか?」
「っ! はっ、はいっ。気を付けます」
イオハの名前を出したとたんに、店主は居住まいを正した。
やっぱ昨日の態度の変化はコネが理由だったんだな。
「んじゃ、やることやったし行くか。北門だったよな?」
「そう言ってたわね。なんだ、あん時起きてたの。
ニャたしてっきり、ニャんたぐっすり中なんだと思ってたわよ」
「おいおい、その猫耳は飾りか?」
「なんですってーっ?」
「そっそれじゃっ! お世話になりましたです」
慌ててそう言ったサラちゃんは、ペコリと頭を下げた。俺も習って会釈。
そうして俺達は、宿場ゴブリンの扉を開けて外に出た。
「あ、あ。ありがとうございましたっ!」
店主は未だにビビっていた。




