血の絆
冥界の牢獄「リジアの楽園」で行われる残酷格闘球技グリーブは苛烈を極めたが、戦前の予想を覆して優勝したのは西四十二房。決勝点を叩き出したのは他ならぬフィオンであった。
「やったな」
興奮冷めやらぬ控え室で、ベルシールがフィオンの肩を叩いた。
「俺たちはしがない奴隷だが、力を合わせりゃ不可能も可能になる」
チームメイトのキラエフやトナッラ、ゾーフォは満身創痍、歩くのもやっとな状態。
「エゾン…」
第二試合で犠牲になったエゾンを偲び、五名はしばし黙祷を捧げた。
「いひひひ、お前たちが優勝、か」
ノックもせずに控え室に入ってきたのは獄卒マブラス。
相変わらず醜く肥え、ひどい臭気を放っているが、監獄を支配するのは権力。何人もの美女が媚びるようにマブラスに寄り添っている。
「あっ」
試合の汗を流そうと裸になっていたフィオンが慌てて傍にあった布を腰に巻く。顔を赤らめながら、マブラスが連れている女の一人とふと目が合った。
「あわわっ」
美女はにっこりと微笑みかけた。
フィオンは思わず目を逸らした。
「ん?」
マブラスが下品な笑いを浮かべながら、涎まみれの口で問い掛けた。
「ほう。お前、最近来たばかりのガキだな」
「は、はいっ。そうであります」
直立不動のフィオン、その全身をマブラスの視線が舐め回す。
「うひひ、毎日の使役でちったあ鍛えられたか、あん? 相変わらず美味そうな身体だな、うひひ」
近寄ったマブラスはフィオンの腰に巻かれた布を剥ぎ取った。
「傷だらけだな。随分激しい試合だったからな。おい、ウィッツオ。来いっ」
フィオンと目が合った女がマブラスに呼ばれ、フィオンの前に立つよう指示された。ニヤニヤしながら二人の顔を覗き込むマブラス。
「おいウィッツオ、お前さっきこのガキに色目を使っただろ。せっかくだ、この小僧の汚れた身体をキレイにしてやれ」
「えっ…」
戸惑うウィッツオ。マブラスは語気を強めた。
「やれって言ってるんだ。ほら、早く」
布を手にしたウィッツオがフィオンの足元に跪く。その手が震えている。
マブラスの怒鳴り声が耳を刺す。
「そんなもの使えといった覚えは無い。お前の手と口で、だ」
逆らうことも出来ずに突っ立ったままのフィオン。
「あ、あの…僕、そんな…」
リジアでは、獄卒マブラスの権力は絶対だ。誰も逆らうことは出来ない。
されるがままのフィオン。ウィッツオという女がその美しい髪の奥で目に涙を浮かべているのが見えた。
「ぐははは、面白い。今日の試合の褒美だ、フィオン坊や。これからも働けよ。死ぬまで、な」
高笑いをしながら去ってゆくマブラスと取り巻きの女たち。去り際にチラリと振り返ったウィッツオ、思わず目を逸らしたフィオン。
「ごめんなさい…」
熱狂のグリーブは幕を閉じた。
そして翌日から、以前と変わらぬ過酷な使役の毎日。
「おい、また死人かよ…今まで三人でやってた持ち場を二人なんて、俺まで死んじまう」
あちこちから聞こえてくるボヤき。しかし公安部隊があちこちで目を光らせている以上、逆らうことは出来ない。
「過労で死ぬか、衛兵に殺されるか…どっちみちロクな最期じゃねぞよ、俺たち」
奴隷囚人たちは皆、死んだような目。希望さえ奪われた者たちの吹き溜まり。
「こらっ」
ムチが飛ぶ。背中の皮が剥がれるほどに打ち据えられてうずくまったのはベルシール。
「ふっ、グリーブじゃ英雄だったかも知れねえが、容赦しねえぞ。奴隷は奴隷らしく働け」
腹を思いっきり蹴られてヘドを吐きながら転げまわるフィオン。
「くそガキ、今日の予定分を掘るまで舎房に帰さんからな」
リジアの地下には公国の重要な資源である冥鉱石が大量に眠っている。
「さあ、あと二貫。急いで掘りやがれっ、お前が今日の仕事終えるまで俺も帰れねえんだっ」
毎日毎日、ひたすらに穴ぐらにこもって岩を掘る。
舎房に帰れば、今度は牢名主ガルスの小間使い。
休む暇も無い。
「こらガキ、便器の汚れがまだ残ってるじゃねえか、ほら拭け、早く拭け。手で拭けっ」
「チッ」
思わずフィオンはガルスを睨み返していた。
「あああん?」
ガルスの眉間にみるみる皺が寄った。
「新入りが、てめえ。何だその目は」
「ガルス…」
拳を握って立ち上がろうとしたフィオンの腕を掴んで制したのは、同じく新入り仲間、やや背の低いノメイド族・コルボト。
「まずいよフィオン。ここは謝ろう、とりあえず土下座を…」
「けど、ずっといじめられっぱなしだ。あんまりじゃないか」
「バカ言うな。逆らったら殺されるぞ。お前が殺られちまったら俺の雑用が増えちまう。ここは耐えろ」
コルボトの横で頷くのはダンマリ。隻腕隻脚で全身に包帯を貼り付けた、口の利けない大男。
入牢以来、唯一の仲間である二人の心配そうな顔を見たフィオンは、しぶしぶ拳を下げガルスに向かって軽く頭を下げた。
「すみません…つい」
ガルスの怒りは収まらない。
「謝れば許してもらえるとでも思ってるのか。礼儀ってものを知らんようだな、ガキ」
手下のオニ族たちに目配せしたガルスがニヤリと笑う。
「思い知れ」
いきなりフィオンは腹を蹴られてうずくまった。群がるオニ族がフィオンをなぶり者にする。
「ほらほら、起き上がれ」
薄ら笑いを浮かべたオニ族たちの凄惨なリンチが続く。
「ひひひ。このガキ、泣いてやがる」
コルボトが額を擦り付けるほどに土下座して許しを請う。
「すみません、すみません。こいつはまだ来てから日が浅いもんで…うがっ」
そのコルボトまで蹴り上げられた。
「ひいっ」
「ガキを庇うんならお前も殺してやる」
倒れたところを踏みつけられてヘドを吐くコルボト。その脇ではフィオンがうつ伏せにぐったりしている。
「寝るにゃ早えぜ、お坊ちゃん」
オニ族の一人がフィオンを仰向けにし、両目を潰さんと指を激しく突き入れた。
「ぎやあああっ」
甲高い悲鳴が牢内に響く。
「うああっ、やめて、やめてくださいっ…ぎやあっ」
ドン、といきなり空気が重くなったような、下腹をえぐるような感覚が牢内に広がった。
「な、なんだっ」
皆が一斉にキョロキョロと辺りを見回す。
「ううううっ」
成り行きを見ていたダンマリが飛び出していた。
「ぐあっ」
オニ族たちにタックル、一気に吹き飛ばした。
「ダ、ダンマリ…さん」
救われたフィオン。
しかし今度がダンマリがオニ族たちのリンチの対象となった。あっという間にガルスの手下、五名ほどのオニ族がダンマリを押さえ込む。
「俺に逆らったヤツがどうなるか」
ガルスが血走った目で見下ろす中、殴る、蹴る、あらゆる暴力がダンマリを苛み、しまいには責め続けたオニたちの方が息が上がるほどに。
「しぶといヤツだ…」
なおも立ち上がろうとするダンマリ、その頭を蹴飛ばしながらガルスは叫んだ。
「俺が殺してやる」
寝台の下に隠してあった剣を持ち出してダンマリの目の前にかざした。
「バラバラにしてやる」
憎悪に満ちたガルスの顔を、包帯の奥で光るダンマリの目がキッと睨みつけた。
「ちょ、ちょっと。ちょっと待てっ。落ち着けえっ」
飛び込んできたのはベルシール。ガルスを突き飛ばし、包帯に包まれたダンマリの左手をガッシリ握ってその前に立ち塞がった。
「おい、ダンマリ。お前、その能力…」
包帯に包まれたダンマリの左手には真っ黒い波動のオーラが噴き出していた。ベルシールは囁いた。
「手枷を付けたままでそんな力が出せるなんて…だが今はまずい。その力、ここぞという時まで取っておいてくれ」
顔中の血管を膨れ上がらせたガルスが剣を掲げて駆け寄って来た。
「くそっ、ベルシール。てめえも殺してやる」
「待てえっ。待てと言ってるんだっ」
ベルシールが一際大きな声を張り上げた。
「牢の外を見ろっ。騒ぎを聞きつけてやってきた公安の連中が監視てるぞ」
「う、ううっ…」
「なあガルスさんよ、貴重な労働力を私怨で葬るなってお触れが出てるのは知ってるだろ。私刑はマズいぞ」
牢の外、鉄格子の向こうから見ている衛兵たちがそっと頷いた。ガルスは歯軋りをしながら、振り上げた剣をゆっくりと下ろす。
「くっ…くうっ」
ガルスと言えども公安には逆らえない。
「命拾いしたな。だがいつかこのツケ、払ってもらうぞ…」
その夜、フィオンは隣で寝ているダンマリに声を掛けた。
「あの…ダンマリさん。ありがとう、僕のために、あんなひどい仕打ちを受けて…」
ダンマリは口が利けない。しかし、まるで心に直接響くようにダンマリの声が聞こえてきた。
(お前にゃ以前助けてもらった。今度は俺が助けようと思ったんだ)
思わずフィオンは身体を起こした。
「あっ、えっ? 話せる…いや、話すというか、通じ合えるんだ」
ダンマリも傷だらけの身体を起こした。
(ああ。俺たちは仲間、これからも何があろうと生きのびるぞ)
心に直接言葉が響いてくる。
二人は真っ暗な牢内でガッチリと手を握り合った。ダンマリは顔を寄せ、フィオンの手の傷口から流れる血をすすった。
(これが契りだ。俺たちは兄弟だ)
フィオンもぐっと頷き、ダンマリの手の包帯に滲む血をすすった。
「はい。決して負けない、挫けない。僕らは血を分けた兄弟」
つづく