殺戮の二回戦
冥界の奴隷たちが繰り広げる残虐格闘球技グリーブが始まった。西四十二房の代表選手に指名されたフィオンは仲間と共に一回戦を必死に戦い抜いたが、勝利の余韻に浸る暇は無い。
「ちっとも休めねえじゃねえか」
ボヤくエゾン。
「仕方ねえよ、他の試合があっという間に終わっちまったんだ」
トナッラが自身をも鼓舞するように大きな声を出した。
「さあ、行くぞっ」
満場の観衆が見下ろす競技場へ、再び。
中央で整列し対峙する選手たち。
「相手は南十房、ジクル族の集まりだ。しかし、五人しかいないぞ」
「こりゃ有利だ。この広い場内だからな、一人の差は大きいぞ。見ろ、賭率も相当俺たちに傾いてる…西四十二房、大人気じゃねえか」
にやけるキラエフをたしなめるゾーフォ。
「ナメちゃいけねえよ、ジクル族の戦闘能力は高いぞ。戦場じゃ一人で二人分とも三人分とも…」
その横で、青い顔のフィオンが足を震わせていた。恐怖か、罪悪感か。
「しっかりしろ」
その頬をパンッと張ったのはベルシール。
「一人でも弱気なヤツがいたら皆殺しだぞ。お前みたいなガキだって容赦ないんだ、目を覚ませっ」
「は…はい」
「悩んだり考えたりするのは勝って、生き残ってからにしろ」
「はじまるぞっ」
投げ入れられた鉄球を奪いにいったのは長身のキラエフ。
「なにっ…」
しかし相手選手は鉄球には目もくれずキラエフに襲い掛かってきた。飛び上がったキラエフに対して一人がタックル、倒れたところをさらにもう一人、二人がかりで馬乗りになってメッタ打ち。
「ぐう、ふぐううっ」
キラエフの顔面がにわかに血色を失ってゆく。
その横を転がる鉄球をサッと抱えたのはゾーフォ。
「鉄球はこっちだ、へっ。もらってくぜ」
颯爽と走り出す。
「ん?」
だが誰も追ってこない。キラエフを痛めつけることにしか関心がないようだ。
「どうなってる」
さらにもう一人の敵が加わり、三人がかりでキラエフに圧し掛かって殴り、首を絞め…。
「殺す気だ、鉄球そっちのけで殺す気だっ。試合どころじゃねえっ」
ゾーフォは足を止め、キラエフにまたがる敵に向かって鉄球を投げつけた。
「ぐぶあっ」
重い鉄球をまともに後頭部に食らった相手選手の一人はぶっ飛んで大の字に。
南十房、一人戦線離脱。
それでもなお、相手のジクル族たちは鉄球を追おうとしない。
「な、なんだとっ」
押さえ込まれて殴られ続けるキラエフにもう一人、剣を手に迫る敵が。
「や、やべえっ」
その時、シュッと唸る音。
「させるか」
左翼で待機していたベルシールが咄嗟に拾い上げた手裏剣を投じていた。
「さすが大将っ」
手裏剣の刃で脚の腱を正確に切り裂かれた敵はもんどりうって倒れ込み、動くこともままならなくなった。
南十房、二人目戦線離脱。
しかしまだキラエフは殴られ続けている。
ベルシールはトナッラと共に救出に走る。
「一人を狙い討ちしやがって」
斧を手にしたトナッラ、剣を構えるベルシール、そしてゾーフォも駆けつけナイフを突き出す。
「てめえ、いい加減にしやがれっ」
「ちっ、もう少しで殺せたのに」
一旦は引き下がった相手だったが、さらに二人、巨体のジクル族が棍棒を抱えてやってきた。
三人が中央で武器を構えて睨みあう。もはや球技などではない集団抗争。
「ぐう、ううう…」
散々いたぶられたキラエフはぐったりと横たわって身動き出来ない。
西四十二房、一人戦線離脱。
両陣営の選手が中央に集まってきた。激しい手枷足枷をつけたままの体力勝負の殺し合いに観衆は熱狂する。
「これだよこれ、これが観たかった」
「殺せっ、殺せえっ」
「切り刻めえっ」
「ううっ」
南十房のジクル族たちは巨体の上に身体能力が高い。
「強えな、こいつら」
「当たり前よ、俺たちゃ殺戮が信条」
もとより闘争本能が強く、冥界各国で傭兵として兵役に就いている者も多いジクル族。
「さっさと死ね、チビめ」
長い脚がゾーフォの腹を蹴り上げた。ヘドを吐いて後ろ向きに倒れたところを間を置かずに剣が振り下ろされる。
「ひいっ」
逃げ切れない。
「ぐうあっ」
咄嗟に飛び込んでかばおうとしたトナッラの脇腹に剣が突き刺さった。そのまま相手を掴まえて投げ飛ばしたものの、トナッラ身体をくの字に曲げて顔をしかめて横たわる。
「トナっ、大丈夫かっ」
「あ、ああ…急所は外れた」
「お前、俺をかばって…」
「ふっ、当たり前だ。仲間だろ。だが、しばらく動けそうにない…」
西四十二房、二人目戦線離脱。
まだまだ息つく間もないほどに敵軍が次々に襲い掛かってくる。
ふとベルシールの目に、貴賓席の傍でニヤニヤ笑って試合を見ている男と目が合った。
「ガルスめ、なに笑ってやがる…俺たちが死ぬのがそんなに楽しいのか。ん?」
ベルシールが眉をひそめた。
「そうか、そういう指示か。ただ殺せ、と。勝敗度外視、ガルスにとって目障りな俺たちを、ただ皆殺しにするためだけの試合なんだ、これは」
「そんなバカなことが…」
「なんでもアリだ、この監獄じゃ。敵軍の人数が一人足りないってのも、あるいは賭率を操作したいガルスの指示かもな」
フィオンが叫んだ。
「おしゃべりもほどほどにしてくださいっ、ほら後ろに敵がっ」
慌てて振り返ったベルシールの鼻先を剣がかすめた。
「おう、ありがとうよフィオン。お前も油断するなよ、とにかく殺すことにしか興味がないみたいだしな、敵は。誰も鉄球なんか気にしちゃいねえ」
ふとベルシールの視界の端に、ころころと転がる鉄球が目に入った。
「そうか、試合さえ終わらせちまえば…おいっ、フィオンっ」
ちらりと目配せ。
「了解っ」
フィオンが駆け出した。
「こいつを箱に入れさえすればっ」
鉄球をガッチリ掴んだフィオンは敵陣むけて一目散に走る。すぐさま相手選手の一人が追走した。
「終わらせねえよ、全員殺すまでは」
あっという間に距離が詰まる。ちらちらと後ろを見ながらフィオンが歯を食いしばる。
「負けるな僕、負けるな…あっ」
腕と脚の動きがバラバラに。噛みあっていた歯車がズレるように空回りしだした。
「あうっ、ううっ」
もつれた脚は前進する力を失い、引っ掛かったつま先がフィオンの身体を前のめりに倒した。
「ヤバいっ…あっ、あれは」
倒れながら振り返ったフィオンの視界に、サッと右翼に走る影。
「エゾンさん、頼みますっ」
倒れざまに鉄球を思いっきり放り投げた。
「まかせろっ」
高く上がった鉄球をエゾンがキャッチ。もうゴールは目の前。
「いいぞっ、そのまま…」
ゴールが置かれた台に手が掛かる。
「うおおおっ」
大観衆のどよめきがにわかに湧き上がった。
「ひいいいっ」
だが試合終了の宣言は聞こえてこない。耳をつんざく悲鳴と怒号だけが鳴り響く。
「そ、そんな…」
ゴール直前、エゾンは背後から首筋のど真ん中を太い矢によって貫かれていた。
遠くから矢を射た敵選手がニヤリと笑っている。
「ぐ、ぐぐう…」
台から落ちたエゾンは数回、全身をビクビクと痙攣させ、その後二度と動くことは無かった。口から飛び出た矢の先を伝って鮮血が流れ出続けていた。
即死。
西四十二房、三人目戦線離脱。
「おい…そんな、エゾンさん。僕が鉄球を渡したばっかりに…頼むから起きて、動いてください、エゾンさん…」
フィオンは顔面蒼白、ふらりと立ち上がってエゾンのもとにゆらゆらと歩き出した。
ベルシールが叫ぶ。
「もう死んでるっ。構うなフィオン」
何も聞こえていないかのようなフィオン。呆然としながらエゾンの亡骸の傍に立ち尽くす。
「エゾンさん…」
「構うなフィオンっ、今度はお前が狙われるぞ。頭を下げろ、早くっ」
案の定、フィオンは敵の射手にとっては恰好の標的となった。
「うひひ、ガキめ」
狙いを定めた弓が撓う。
「死ね」
シュッと摩擦音と共に飛んだ矢。しかし偶然にも、折から吹き出した強風に煽られ、フィオンの目の前を通り過ぎた。
「うっ」
恐怖に脚がすくんで立ち尽くしてしまったフィオン。吹きすさぶ風の中、次の矢がピッタリとフィオンに照準を定められた。
「今度は外さねえ」
弦がバシンっと揺れ、矢は糸を引くように真っ直ぐに飛ぶ。
「ひいっ」
唸る音が近づき、思わず目を閉じたフィオン。
「ん?」
音が止まった。矢は目の前で真っ二つに断ち切られていた。
「小僧、しっかりしろっ」
ベルシールが咄嗟に手持ちの剣を投げて矢に命中させ、フィオンを救っていた。
「あ、ベルさん…」
今度はベルシールが窮地。剣を投げて丸腰になったところに相手が斬りかかる。
「しまった」
次々に振り下ろされる剣先をかわすうちに足を滑らせ仰向けに倒れてしまった。
「ふふふ、もう逃げられん」
頭上で剣を掲げるジクル族が目を見開いた。
「さあ、殺してやる」
「ええいいっ」
ベルシールは苦し紛れに両手で地面の砂を目一杯掴んで投げつけた。
「うが…ぎゃっ」
即席の目潰しに一瞬ひるんだ敵の脚を払って腕を極める。ゴキゴキッと鈍い音、重い感触。
「ぐああっ」
折れた腕から剣を取り上げ、突き刺した。
南十房、三人目戦線離脱。
「う、うあっ」
フィオンの元に駆け寄る敵。強風に矢が使えないと見るや大きな剣を掲げて猛烈な勢いで走り寄る。
「あっ、ああっ」
後ずさりするフィオンの顔はすっかり血の気を失っている。
「やめて、やめて…」
「誰がやめるか。これは殺し合いなんだぜ」
鼻息の荒いジクル族の気迫に圧倒されてか、フィオンはよろめいて尻もちをついてしまった。
「あわっ、ああっ」
「その首もらった」
振り上げられた剣。
「もう、ダメか…」
あきらめたように、フィオンは剣を見上げた。
急に、いろいろな光景が矢継ぎ早に脳裏に浮かぶ。
平和だった故郷エディスレーの村、そして戦火。焼け出された親子四人での放浪。
(小さくて何もわからなかった。難民生活さえ、むしろ楽しいなんて思ってたな…)
野営、旅で出会った多くの人たち、何も言わず食料と寝床を提供してくれた教会。
そして襲撃、血の海に沈む家族…。
(何だったんだ、僕の十五年。くそっ)
ふと見上げると、サディスティックな笑みを浮かべたジクル族が、目を血走らせ剣を振り下ろしてくる。
(ん、何者だこいつ。ヘラヘラしやがって)
時間が止まりそうなほどゆっくりに見えた。
(なんだかイラつく)
耳の奥でキーンと音が響き、周囲からの音は遮断されている。
「チッ、気に入らないヤツだ」
身体の芯からブクブクと何か熱いものが湧き上がり、全身の隅々に行き渡る。四肢に電流のような何かが一気に流れ込む。
(こいつ、止まってんじゃねえのか?)
目の前の敵はスローモーション。その脇腹に何故だか視線が惹かれる。
(がら空きじゃん、そこ…殺られたいわけ?)
ビーンと何かがフィオンの中で弾けた。
「だあっ」
全身の電流を放電させたかのように一気に飛び出した。身体中の皮膚がザワつく。
「鈍いんだよ、あんた」
猛スピードの頭突きが敵の脇腹に命中、あばら骨を砕いた。
「あひいいっ」
身体を仰け反らせて倒れた敵にすかさずフィオンが覆いかぶさる。その全身をうっすらと黒い霧のようなオーラが包んでいた。
(ん、なんだこいつ。簡単にグッタリしやがって。つまんねえな、起きろほら)
目を赤く光らせたフィオンは、すでに気を失ったジクル族に馬乗りになり、拳でひたすら殴り続けている。
(ははは、どうしようもないな、こいつ。すっかり顔が変形しやがった、ははは)
「あれっ?」
急に腕が動かなくなった。首をかしげるフィオン。
「どうした、俺」
背後からガッシリと羽交い絞めにされていた。
「邪魔するなっ、くそっ。離せ」
振り切ろうと渾身の力を込める。
「ええいっ、離せっ」
振り切った、と思った次の瞬間、パッと目に火花が散った。
頬ををしこたま強く引っ叩かれいていた。
「あ、あっ」
「やめろ、フィオン。落ち着け」
いまだ全身が興奮に震えるフィオンの両肩をしっかり掴んで諭すのはベルシール。
「試合は終わった」
「べ、ベルシールさん…終わった? 試合が?」
我に返ったフィオンにベルシールが微笑みかける。
「ああ、ゾーフォが鉄球を入れてくれた。俺たちは勝った。勝ったんだよ」
「そ、そうだ。今はグリーブの試合だったんだ…」
「見境なくしやがって、お前。危なかったぞ、俺が止めなきゃ試合終了後の暴力行為で衛兵に射ち殺されてたかも知れねえ」
「あ、あ…ありがとうございますっ」
あらためて周囲を見渡したフィオンは、轟音のような歓声が四方囲まれているのに気付いた。
「勝った。勝ったんだよ」
強い風に吹き流される砂のカーテンの向こうで、普段はクールなゾーフォがニッコリ笑って右手を挙げている。
「た、助かった…」
全身の力が抜け、その場にフラフラと体を横たえたフィオン。
「いや、まだ助かってなんかねえぞ」
ベルシールは厳しい表情で深く息をついた。
「問題は次だ。次はもっと過酷になる」
チラリと横目で見える貴賓席のガルスが、顔を真っ赤にして手に握った賭券の束を破って放り投げていた。
「もはや俺たち以外の全員が、敵だ」
つづく