殺戮、そして憎しみの中で
人間社会に溶け込んで安寧に暮らすフィオンの前にジェルマたち冥興団が現れた。そして彼らを追う幻怪衆の幻之介と聖も駆けつけ戦闘状態に。
光と闇の波動が交錯する中、ヒジュリーは戦闘不能に追い込まれた。
さらに混乱に乗じ、モノノケたちへの憎悪をむき出しにした人間たちが殺到、三竦みの状態となった。
「隠れるんだ、さあ」
フィオンは傷ついたショウキチを抱き、シゲとともに家の中に籠もった。
だが荒ぶる人間は彼らにさえ暴力の矛先を向けることに躊躇しなかった。
「出て来い、お前たちがモノノケを呼び込んだんだ」
「お前らは呪われた血の一家だ」
「匿ってる坊主を出せ、そいつが全ての元凶」
ショウキチが叫んだ。
「違うっ。ヒョンは、ヌラリヒョンはモノノケなんかじゃないっ。僕の父さんだっ」
シゲも涙ながらに訴える。
「お願いします、助けてください。私たちは何にもあなた方に迷惑を…」
昂ぶった男たちの勢いは止まらない。
「お前たちの存在そのものが、迷惑なんだよッ」
窓が割られた。
「出て来ねえと火をつけてやるぞッ」
「これ以上は待てねえッ」
フィオンは二人の肩をしっかりと抱き、目を見た。
「僕が出て行けばいいことだ。君たちにこれ以上迷惑はかけられない」
「そ、そんな…行かないで」
「大丈夫だ、話せば解る。ニンゲンは時に激しく感情に流される生き物だけど、落ち着いて話せば互いを尊重できる素晴らしいところがある。僕はそれを信じる」
じっと見つめ返すシゲは、その目に涙を溜めたまま。
その頬に触れると、すっかり冷え切った肌は小刻みに震えていた。
「なあ、シゲ。さっき言いかけた事だけど、実は…僕の本当の正体は…」
「いいの。わかってる」
シゲは潤んだ目のまま微笑んだ。
「あなたが何者でも構わない。貴方が貴方でいる限り、愛しています」
小さく頷いたフィオンは立ち上がり、怒れる人間たちが怒号を上げる扉の外へと向かっていった。その背にシゲが言葉を投げかける。
「帰ってきて。必ず」
扉の外は「地獄絵図」だった。
「殺せ、殺せえっ」
「うひひ突き刺せっ、切り裂けッ」
「こいつ泣いてるぜ、モノノケのくせに」
「面白え、そのまま切り落として飾っておこうか」
すでにジェルマは姿をくらましていた。
残った冥興団の兵隊たちと猛犬ガルムだったが、大挙して迫る殺気立った人間たちの前には為す術も無く殺害されてゆくしかなかった。
モノノケたちの憐れな亡骸が無数に横たわる家の前の野原、あちらこちらに火の手が上がっている。
「殺せ殺せえッ、いひひ面白え」
切り落とした首を槍先に掲げて満面の笑みの人間。
「見ろ、ほらっスゲエだろ」
倒れて虫の息のモノノケに火を放ち、苦しみながら焼け死ぬさまを嬉々として眺める人間。
「あはは、頭が割れたぞこいつ」
牙を折られたガルムを押さえつけ、石つぶてでなぶり殺しにして悦に入る人間。
フィオンの足は震えていた。
「これが…これがニンゲンという生き物か。ニンゲンの本性とは、これか」
その矛先は幻怪衆にも向けられた。
「おい、あいつらも変な光を使うぞ。モノノケだ」
「人間のフリしやがって…ようし、なぶり殺しにしてやれッ」
「逃がすなっ」
顔を青ざめさせながら戦慄する幻之介。
「待て、待て。俺たちは…」
「現世を守るために、この世界の平和を保つために…」
「なにゴチャゴチャいってやがる、モノノケは皆殺しだあッ」
殺到する人間たちにはもはや言葉さえ通じない。
「止む無し、退散だ…」
手負いの聖を背負い、幻之介はその場を立ち去るより他になかった。
「さあ、まだいるぞ。どこに隠れてやがる」
殺戮の快楽に目覚めてしまった人間たちの暴挙は、切り刻まれたモノノケの肉片で大地を覆い尽くしてなを飽くことは無かった。
「いたッ、殺れッ」
フィオンの耳を、激しい金切り声が突き抜けた。
「きゃああああっ」
シゲの悲鳴。
「いぶりだせ、呪われた者どもを引きずり出して息の根を止めろッ」
人間たちはシゲとショウキチが籠もる家に火を放った。
「この親子がモノノケを呼び込んだ張本人」
「売女とガキ、この二人もモノノケの一味に違いねえ」
あっという間に火の手が回り、濛々たる黒煙が立ち上る。
「ひいいッ。助けて、お願い助けてください…」
シゲはたまらずショウキチを抱きかかえたまま燃え盛る家を飛び出した。
「あっ」
気付いたフィオンが駆けつけようとした時だった。
「撃て、撃ち殺せ」
扉の前に待ち構えていた村人たちは、目を爛々と輝かせながら引き絞った弓の弦を撓わせた。
「死ね、呪われた一家め」
瞬く間もなく、数え切れないほどの矢が親子の身体を貫通した。
「ぐ…はぁ…」
全身から噴き出す血液が、燃え盛る炎で沸騰しブクブクと泡立つ。
「か、かあさん…」
「ショウキチ…」
ひくひくと痙攣する親子の皮膚が、そして肉が、やがて骨まで焼かれ真っ黒な炭に変わり果てていった。
「……」
フィオンの中で、何かが弾けた。
「ころす…」
何度も味わってきた悔しさ。大切な人が目の前で殺される無力感。
彼の怒りの半分、いやもしかしたら大部分は自身の不甲斐なさに対するものかも知れない。
「許せない」
全身に真っ黒なオーラを浮かび上がらせて飛び出した。影さえも追いつけないような速さ。
手にした鎌は、ショウキチが黒焦げになりながらも最後までその小さな手で握り締めていたものだった。
「死によって汝の罪を裁く」
その鬼気迫る姿に呆気にとられた人間たちの首を、次々に刈り取る。
「命乞いのヒマも与えぬ」
その場の全員の首が、落ちた。
「ニンゲンは、死すべき種族」
連なる屍の中、ひとり立ち尽くすフィオン。
「争わなければ、殺しあわなければ生きてゆけない運命なのか…」
死臭。焼け焦げた匂いが鼻を衝く。
途方も無い脱力感に苛まれながら、フィオンはただ一人、暗い森へと入っていった。
「みんな死ぬ。僕に関わった者は、みんな死んでゆく」
◆ ◆ ◆ ◆
梟の声が遠くであざ笑っているように思えた。
うっすら差し込む月の光さえ届かなくなりそうなほど深く森の中へと足を踏み入れようとした時、背後に強い気配を感じた。
「誰だ…?」
「かつて俺も、今のお前のように苦悩した。ゆえに冥界も幻界も滅びつつある今、現世だけは守らなければならない」
立っていたのは幻之介。
「悲しみや悔しさを怒りに変えるのは容易い。だが、それは次なる悲劇を生む糧にしかならぬ」
「そんなキレイごとは、勝った者だけにしか言えねえんだよ」
睨むフィオンの目が赤く光る。
「幻怪め…お前たちが一体どれほどの冥界の民を虐殺したか、数えてみるがいい。その偉そうなことを言い放つ口で」
「いいか少年。戦いは、怒りや欲望に駆られて行うものではない。そんな戦いが産むのは不幸でしかない」
「不幸?」
フィオンは手にした鎌を掲げ上げた。
「俺にとって全ての不幸の始まりは、幻怪。お前らだッ」
叫びながら飛びかかった。
それは自身が驚くほどの素早さだった。
「目覚めた。俺は目覚めた」
闇世の中でさえ、すべてがくっきりと見える。体験したことの無い領域に入ったという実感を手にした。
「見える」
漂う波動の渦さえもはっきりと把握できた。次に何が起ころうとしているのか、何が来るのか、一歩先が手に取るように読める。
「死ね、モートン。俺を苦しみの渦に引きずり込んだ張本人めッ」
相手が止まって見える。自在に陸を宙を駆け、憎き幻怪の背後に回りこんだ。
「…えっ」
姿が消えた。
「ど、どこに…」
開眼したはずのフィオン、しかしモートンはさらにその上をいっていた。
「うっ…まさか」
気付いた時には背後を取られていた。
逃げようにも身体が動かない。ガッシリと羽交い絞めにされ、いくら手足をジタバタさせても脱出不可能。
「まだまだ、だな。坊主」
後頭部がにわかに熱くなった。同時にヒリヒリとする痛み、例えようの無い強い圧力。
「波動とは、げに奥深きものよ」
幻之介はフィオンの頭に掌をあてがい、光の波動を撃ち込もうと身構えている。
「ふっ…そうだよな。力のあるヤツが生き残り、弱い者は死ぬ。当たり前のようで、誰もが忘れていること、さ」
光が大きくなるにつれ、頭を貫く痛みがどんどん強くなる。
「さあ。殺せよ、幻怪。他のみんなにしたように、俺を光の波動で焼き殺せ」
「……」
フッと、後頭部に感じていた圧力が弱まった。光が小さくなってゆく。
「…何故?」
おそるおそる振り向くと、幻之介の掌からは光が消え、やがて羽交い絞めは解かれた。
問うフィオン。
「なぜ止めた?」
何事もなかったかのように手を下ろした幻之介。
「今のお前のように憎しみにとらわれ頭に血が上ったガキを始末したところで、俺の手が汚れるだけだ」
乱れた襟を正しながら、フィオンを見据えた。
「そんな憎しみだけの拳では俺を倒すことなど出来ぬ」
幻之介は手を差し出した。
「なあ坊主。戦争は終わったんだ。冥界も幻怪も滅ぶ寸前、現世にしか救いは無いってのにいがみあってどうする?」
唇を噛み締めたままのフィオンの目をじっと覗き込む。
「お前はまだ若く未熟だ。だからこそ間に合う。もう一度、全ての世界に秩序と平和を取り戻すため、俺と一緒に…」
フィオンは、目の前に差し出された手を振り払った。
「てめえに何が判る。殺された者、奪われた者はそんな言葉じゃ報われない。勝った者の理屈ほど汚らしい欺瞞は無い」
「…・・・」
差し出したままの手の行き場を失い、呆然とする幻之介に背を向け、フィオンは黒いローブを羽織った。
ショウキチとシゲが暮らしていた、もはや崩れ落ちた家の中から拾い上げたものだ。
「あばよ」
「待て、少年」
「いいや、待たない。お前は永遠に、俺の仇さ」
後ろ姿を、まるで見送るような幻之介
「お前、名は?」
「フィ…いや、ヌラリヒョン、だ」
その手には、ショウキチの形見の鎌がしっかりと握られていた。
腰には「リジアの楽園」からの脱走の証であるムチが結わえてある。
「なあモートン。あんた、今俺を殺さなかったことを後悔することになるだろうよ」
宵闇よりも黒いオーラに包まれたフィオン改めヌラリヒョンは、ゆっくりと暗い森の中へと消えていった。
「俺の居場所は、現世には無い。冥界の熱い風が、俺を待ってる」
第二章・終




