告白のとき
一命を取り留めたフィオンは、農村の極貧母子のあばら屋の居候として生き続けていた。
昼は日銭稼ぎの人足、夜は内職の手伝い。慎ましやかだが、心が通い合う毎日。
「生きるってのは、こんなに穏やかなものだったのか」
忌まわしい過去を忘れたいという深層の意識が、フィオンをして自身も現世のニンゲンであるかのように錯覚させていたのかも知れない。
「おいおい、それじゃすぐほどけちまうよ。さあ貸してみな」
薄暗い行燈の下、フィオンとショウキチが草履作りに勤しむ。
「そこちゃんと引っ張らないと、そこだってば」
「大丈夫だってば、これくらい僕にも出来る、あ。あ痛っ、いたたた…」
藁を引っ張るショウキチ、袖の間からからのぞく腕が青黒くなっている。
「その痣は…」
「な、なんでもない」
ショウキチは口ごもったが、フィオンは知っていた。例によって近所の悪童たちが苛めたに違いない。
「ちょっと見せてみろ」
「いや、いやだ」
上腕は大きく腫れ上がり熱を持っている。幾筋もの傷が痛々しい。
「ひでえな。幸い折れちゃいないようだが…またいつもの連中だろ。抵抗しなかったのか?」
唇を噛むショウキチ。
「僕一人に相手は五人、歳も上だし身体も大きい。何より、母ちゃんの雇い主の息子がいるから…」
「そ、そうか…」
フィオンはため息をついた。
台所のシゲは聞こえているのか、聞こえていないフリをしているのか、浅漬けのための夏野菜を切るのに一生懸命のまま。
「はあ」
編みかけの草履をポーンと投げ出したショウキチ。
「僕にも力があれば…父ちゃんさえいてくれたら」
縄を綯うフィオンの手が止まった。胸にどんより重いものが圧し掛かってくる。
(この子の父親を殺したのは妖怪。冥興団に違いない。いや、もしかしたら僕がこの手で…)
「ふう、ちょっと気分転換だ」
窓を開けると、賑やかな蛙の合唱が部屋の中に流れ込んでくる。
雲が懸かった月から伸びる青白い光は、行燈のだいだい色と溶け合って柔らかなグラデーションを描き出す。
「ヒョン…ヒョンが父ちゃんになってくれたら、なあ」
「あ、えっ…」
聞こえぬフリを通していたシゲがふと振り返った。フィオンと目が合う。
「……」
頬を赤らめ、何も聞こえなかったように再びまな板と包丁を凝視する。
「ぼ、僕はもともとこの土地の者じゃないし、その…」
落ち着かない様子のフィオンを見て、ショウキチは軽く笑顔を作った。
「うん解ってる。ヒョンはいつか、ここからいなくなる人だ、ってね。解ってるけどさ、ちょっと言ってみたくなったの」
瞳の奥には哀しみが見え隠れする。
「そりゃ僕だって、ここにずっといられるのなら…」
その言葉がどこまで本心なのか、実はフィオン自身にも解っていないのかも知れない。
ここにいてはいけない、いるべき存在ではない。しかし、それを覆すに足る何かが、すでに彼の内に芽生えていたのだから。
「でも、でも…」
しかし、この純真な母子に出自を隠し自分が何者なのかを偽ったままにしておくには、フィオンもまた純粋すぎた。
「ホントのこと、言わなきゃな」
フィオンは深く息を吸い込み、そして吐き出した。
シゲとショウキチ、二人の顔をじっと見て声を震わせながら切り出した。
「実は、僕は…君たちが『ヌラリヒョン』と呼ぶこの僕、その本当の正体は…」
その時だった。
窓の外に影がうごめくのが見えた。
「あ、あれは…」
フィオンの全身の肌が粟立った。
(妖気…無数の妖気が)
無邪気に首を傾げるショウキチが問うた。
「ど、どうしたのヒョン。顔色が悪いよ…何? ヒョンの正体って?」
「か、隠れろっ。今すぐにだ。全ては後から話す、とにかく今は隠れろっ」
荒々しい声を残してフィオンは駆け出し、外に出た。
「ふふふ…」
一人の男が腕組みをして不敵に笑っている。その背後に控える無数の男たちは武器を携えている。
「探したぞ。フィオン・ネラリィ」
うす碧い月光が、男の顔を照らし出した。
ジェルマ・カリオス。
つづく




