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冥将記  作者: 蝦夷 漫筆
妖の簇
35/40

現世に生きる、ということ

 冥興団クーデターに巻き込まれたフィオンは断崖絶壁から転落しつつも九死に一生を得た。

 瀕死の彼を川から引き上げたという男児はショウキチ。父親をモノノケに殺され、身を売って生計を立てる母親シゲとの二人暮らし。

 「ヌラリヒョン」と呼ばれるようになったフィオンと貧困母子、三人の山村での生活が始まった。


 ◆ ◆ ◆ ◆


 「おい、この材木はあっちだ」

 雨上がりの蒸し暑さに噴き出す汗を拭う間もない。

 「ほら聞こえてんのか、ヒョン。お前のことだよ新入り。材木を持ってけって言ってんだ、さっさとしろよ」

 (また新入り、か…)

 食い扶持を稼ぐため、フィオンは近くを流れる亀尾島きびじま川の橋架け人足となった。

 現場では揃いの半纏の男たちが行ったり来たり、せわしく動いている。

 「一日働いて三百文…三人のメシ代一日分ってとこか。ま、冥界あっちの奴隷使役に比べりゃちょろいもんだし、よしとするか」

 ショウキチの父親が着ていたという半纏と股引に身を包んだフィオンの姿もそこにあった。


 昨年秋の大水で流されたままになっていた橋の再建。上流から流されてくる材木の加工と設置が仕事。

 「昼だ、ちょっと休もうじゃねえか」

 棟梁の声が響いた。

 「ふう、一休みだ」

 みんなに混じってフィオンも座って休息をとる。ふと近づいてきた棟梁がその隣に腰掛けた。

 「ひょんの字、お前さんよく働くじゃねえか。坊主の修行だとか何とか言ってたが…それだけ体力があるなら、俺が思うに角力すもうでもやったらいいんじゃねえかい?」

 作業中は厳しいことで知られる棟梁も、休憩時間となれば仏の顔。

 「なんだ、ひょんの字。食わねえのか…そうか、メシが無えのか。ちっ、仕方ねえ。俺のを分けてやる。さあ食え」

 棟梁だけでなく、フィオンが極貧の家に居候していると知るや仲間たちは野菜や芋、ときにはコメなどを恵んでくれた。

 「す、すみません。ホント有り難いです」

 貰ったものは食べたフリをして風呂敷にとっておき、ショウキチとシゲのために持って帰っていた。


 「さあ、昼からも頼むぞ」

 「へいっ」

 午後の作業が始まった。ひとたび号令が掛かればまるで軍隊のよう。実によく統率され組織的に動く人足たち。

 「こっちの組は今日の割り当て分を済ませたぜ、向こうが手こずってるようだ、さあ手伝いに行くぞ」

 

 「冥界牢リジアじゃこんなことはあり得なかったな…」

 ノルマを終えてなお仲間を無報酬で手伝う、なんて。

 (いかにサボるか、誤魔化すか…仲間同士で騙しあってたほどだ)

 少しずつ出来上がってゆく橋は、冥界のそれに比べたら規模も作りも少々みすぼらしい。けれど、こうやって嬉々として働く者たちの手が作り上げているんだと思えば美しく思えた。

 「現世…悪くないな」


 「ようしっ、本日の作業これにて終了っ」

 棟梁が高らかに声を上げた。

 「へいっ。みんなお疲れ様ですっ」

 「ご苦労様っ」

 「気ぃつけて帰れよ」

 泥まみれ汗まみれの顔を笑顔で崩しながら、男たちは家路につく。


 「今日もよく働いた…ん、なんだありゃ?」

 帰り道、フィオンは男たちの怒号を聞いた。

 一人の若い男を、大勢の大人たちが取り囲んで痛めつけている。

 「ひでえな…」

 どうやら間男を懲らしめているようだ。リンチに加わった男たちを、さらに取り囲むのは野次馬たち。老若男女、興味本位でニヤニヤしながら眺めている。

 通りすがりの者たちも、助けるでもなく笑いながら通り過ぎてゆく。

 「ニンゲンって…」

 信じられないほどの優しさと、背筋も凍るような残虐さ。両者が当たり前のように同居していることが不思議に思えた。

 「肉は食わないとか、殺生は罪とか、命には価値が、なんて言いながら鶏や兎は平気で食うし。魚なんかは生きたまま切り裂いてナマで食べるなんて、冥界じゃ屍鬼のするこった」

 フィオンは眉をひそめながら首を捻った。

 「何考えてるかわからんが、ニンゲンってのは面白い種族だな」



 ◆ ◆ ◆ ◆


 

 「さて、今日も行って来るぞ」

 ショウキチ、シゲの家での居候生活が始まって早や一ヶ月が過ぎようとしていた。

 「しっかり稼いでくるからな、待ってろよ」

 日の出とともに目覚め、橋架け人足として日没まで働く。帰り際に日当と「おすそわけ」を手に帰ってきて、また寝る。

 

 「すまないね、ヌラリさん。あんたよく働いてくれるもんだから、つい頼っちゃって…」

 草刈り、水汲み、ほころびた家の修繕など、今やすっかりフィオンの朝の日課になっていた。

 「感謝してるよ」

 乾いた空気に差し込む強い朝日のせいだろうか、台所で朝食の支度をするシゲの顔は少しだけ赤らんで見えた。


 「いや、感謝なんて…これくらい働かねえと身体が鈍っちまうってもんです」

 すっかり現世流の気遣いを含んだ言葉のやりとりも板についてきたフィオン。

 「おシゲさん、今日も綺麗ですね」

 「えっ…」

 フィオンの方を向きかけて、聞こえなかったかのように再び手元の包丁に目を凝らすシゲ。うっすら汗ばんだ頬がさらに赤らんだようにも見えた。

 「今日も暑いですね」

 フィオンが繰り返す。

 「おシゲさん、綺麗ですよ」

 「な、なに言ってるんだい。お坊さんってのはお世辞も上手いんですかね? だいたいこんな後家なんかをからかったって仕様が無いだろうに」

 ゆっくり首を振るフィオンを、シゲは見て見ぬフリをしているようだった。

 乱れ髪がそっと垂れるうなじと、さりげなくたくし上げられた裾から覗く太腿のきめ細かい肌が朝日に照らされて光っていた。


 「さあ、そろそろ起きる時間だぞ。ほら、おっかさんもお出かけだ」

 フィオンはショウキチを揺り起こした。

 草履作りの期限が近く、昨晩はかなり遅くまで内職していたショウキチは開ききらない目をこする。

 「あ、お、おはよ…」

 「おはよう。さ、僕もそろそろ出かけなきゃ。橋も完成に近づいてるし、みんなで頑張ってるんだ」

 「うん、行ってらっしゃい」

 シゲとフィオンを笑顔で送り出したショウキチだったが、二人が遠く見えなくなった頃に寂しげにうつむいた。

 「橋、もうすぐ出来上がっちゃうのか…そしたらヌラリヒョン兄ちゃんはどっかに行っちゃうのかな」



 ◆ ◆ ◆ ◆


 

 日差しのキツい季節になった。ジリジリと皮膚がヒリつく。

 「思い出すな、クローヴィルの砂漠を…」

 材木を運びながら、ふと呟いたフィオン。隣の人足仲間が尋ねる。

 「ん、何かいったか? ひょん」

 「黒帯が何、とか…?」

 「い、いえ。ちょっと昔を思い出してたんです」

 「ふうん。ま、誰にも過去はあるわな。話したい過去も、話したくない過去も」

 すっかり伸びた月代と無精ひげのこの男は「浪人」と呼ばれる階級に属する。

 「いちいち詮索なんかしねえけどな。他人の身の上に興味なんざ無えし、だいいちここで働く日雇い人足なんざ、大抵が叩けばホコリの一つや二つ…」

 

 「おお、お前ら話が弾んでるな。身体もちゃんと動かせよ」

 橋作りの作業を監視しているのは「サムライ」と呼ばれる腰に剣をぶら下げた連中。地方行政を司る「藩」なる組織から派遣された衛兵のような男たち。

 「だが、身体を壊したらお終いだ。ぼちぼちやれよ」

 見た目は威圧的で乱暴そうだが、一人ひとりは案外優しくて気のいいヤツら。

 

 「おう、ひょん。今日も頑張るねえ」

 人足どうし、すっかり馴染みになった。

 「そんな頭じゃ日差しが堪えるだろ、手拭いでも巻いとけよ」

 「こいつは助かる」

 藩から派遣された人員以上に「口入れ屋」という派遣業者からやって来た者たち、さらに直接志願してきた男たち。

 多種多様、それぞれに何かを抱えながらも精一杯生きている。


 挿絵(By みてみん)


 「まるでリジアだな、ここは」

 遠方からやってきた「出稼ぎ」農夫、賞金稼ぎのような風体のような「ロウニン」、身体の大きな「角力くずれ」、腕や背中に絵が書き込まれた者や身体の不自由な者、女の風体をした者もいる。

 「でも…リジアとは全く違う」

 ここでは誰もが等しく人足として、一つの目標に向かって笑いあいながら日々を生きている。

 「使役はツラい、なんてよく口にするくせに皆、なんだか楽しそうじゃないか。冥界も現世くらい恵まれた土地だったなら…」

 暑い季節、誰もが汗を飛び散らせながら労働しているが、サボって逃げる者もいなければムチをかざす衛兵もいない。


 「さあ、昼飯だ。おおかた橋も出来上がったぞ。あとは仕上げだ。あとちょっとだぞ、みんな」

 「へいっ」

 気の合う仲間どうし、弁当を広げて笑顔も広がる。

 「ひょんの字、いつも美味そうに食うじゃねえか。その握り飯」

 「あ、ああ…」

 シゲが持たせてくれる握り飯は白米と違ってボロボロとこぼれてしまう。でもフィオンにとっては何よりのご馳走に違いなかった。

 「そりゃ、おシゲの作る飯はいつも最高ですよ」

 「ちっ、坊主のくせに色気づきやがって」

 「そ、そういうつもりは…」

 「お前さんは考えてることが顔にすぐ出るからな、隠す必要なんか無いぜ」

 「あ、は、はあ…」


 仲間と談笑しながら、ふと足元にこぼれた雑穀に群がる蟻に気付いた。

 「ほう、お前たちも」

 一糸乱れぬ隊列。それぞれが役割をしっかり理解しているように見える。黙々と惑わず、己の領分を心得ているが如く。

 時には身を挺して橋になることもあれば、外敵に対しては一歩も怯まない勇気を発揮する。

 「なんだかニンゲンみたいだ…」


 生きている。こんなに自然に笑顔がこぼれたのは何時以来のことだろう。

 フィオンの見上げる空は、どこまでも青く高く見えた。


 つづく

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