ジェルマ、起つ
全面攻撃か、機が熟すのを待つ、か。揺れる冥興団。
しかし、今後の方策を決める話し合いを前に事件は起こった。
「そんな…まさか」
腹を割って話してみる、と言い残して総帥メフィスト卿の部屋に単身赴いたタカ派のウィドル。
その様子をうかがいにやって来たフィオンの目の前には信じられない光景が広がっていた。
「何が、何があったんだ一体ッ」
大きな剣を胸に突き立て絶命しているウィドル、その横にはメフィスト卿の黒いローブだけが残されていた。
「二人とも、親子のようなもんだって言ってたじゃないか…」
呆然と立ち尽くすフィオン。
「あり得ない。だが、そのあり得ないことが起きてしまった…」
同じく現場に立ち尽くしていたのはジェルマだった。
「ど、どうなってるんです? 何が一体? 教えてくださいよッ、親方さまは何処に?」
「あれだ…あの中」
そっと指差す先には次元球。波動の力で空間を歪め、近くにいる者を亜空間へと消し去る新兵器。
まだビリビリと軽く放電が続いている。
「えっ、あの中って。まさか」
「そうだ…」
ジェルマは唇を噛み締めていた。
「私がウィドルに貸し与えたのが間違いだった…幻怪衆を倒すために、と訊いていたのだが、こんなことに使われたなんて」
「ど、どういうことなんです? わからない、解らない」
錯乱しかけのフィオンの肩に手をやりながら、ゆっくりとした口調でジェルマ。
「部屋の中から激しい口論が聞こえた。ただならぬものを感じたが部屋には鍵が掛かっていた。その後激しい物音が…」
「二人が争っていたってことです?」
「おそらく…とにかく私が扉をこじ開けた時、ウィドルが親方さまを次元球の作る亜空間に落とし込んでいたんだ。助けようと飛びかかったが…間に合わず」
フィオンの見開いた目から涙が溢れ出す。
「うまくやる、って言ってたのに…ウィドルさん」
「俺も信じていたさ…だが二人の間には組織の運営に関して決定的な意見の相違があったのは確かだ」
「で、でも。ウィドルさんを殺したのは一体?」
「私だ」
うつむきながら握る拳に力を込めたジェルマ。
「彼は私も次元球に引きずり込もうとしたが、間一髪でかわした。さらに剣を振り上げてきたところを揉みあいになって…」
胸にスッと走る一筋の切り傷から滲む血を拭う。
「一歩間違えば、私があんな姿になるところだったわけだ…」
フィオンはガクッと膝を落として床にへたり込んだ。主を失った黒いローブは、未だうっすら表面に電光をまとって揺れていた。
「親方さま…」
握り締めたローブには、ぬくもりの痕跡が残っていた。
「事前に計画されたものとは思えません」
部屋をくまなく調べているのは諜報部を束ねる河童族ザヒム=イム・モーガ。冥興団初期から中枢にいる古参だ。
「ウィドルのことですから、急に思わずカッとなって…」
うなずくジェルマ。
「そうかも知れない…しかし悔やまれる、私が次元球を貸し与えさえしなければ」
「ですが、起きてしまったことは取り消せはしません。それより今後のことを」
「ああ、これは一大事。団員に知れては動揺は計り知れぬ、ひとまずは内密に…」
◆ ◆ ◆ ◆
しかし噂はあっという間に冥興団に広まった。不安が、疑心暗鬼が、怒りが組織内に渦巻きはじめた。
「一体どうなるんだ、どうすればいいんだ俺たちは」
ジェルマは頭を抱えていた。
「このままでは内部から崩壊する…」
モーガも眉間に皺をよせる。
「各地にある支部から問い合わせの密使がひっきりなしに訪れています」
「ううむ、このままではいかん。事態を何とか収拾せねば」
滅多に聞かれないような大きな声を出したのは長老リガレス。
「道は決まっておるじゃろう。過去をいつまで顧みていても先へは進まん。新体制をしっかりと確立しそれを皆に知らせ団結を促すより他にない」
「それはそうだが…」
モーガはジェルマに近寄ってその肩をガッチリと掴んだ。
「そうです。新しい指導者になれる器をお持ちなのはあなたしかいない。これからはあなたが、この冥興団を率いるのです」
「お、俺が…?」
「ええ。確かに先代は偉大でしたが、近年その力には陰りも見え統率力に欠く部分も見受けられた。ゆえにこの事件は必然、あなたが新しい総帥におなりになるのは必然のことなのでしょう」
リガレスは大きく頷いた。
「新陳代謝じゃ、畑の土と同じ。全てのものは移り変わる運命にある。永遠のものなどは無い」
「わかりました」
ジェルマは顔を上げた。
「私が、このジェルマ・カリオスが以後冥興団を率い、必ずや我ら冥界民の夢を成し遂げてみせましょうぞ」
◆ ◆ ◆ ◆
「親方さま、なぜ。何故…」
フィオンは未だ事態を受け入れられずにいた。
運命は幾度彼に悲しい別れを味わわせれば気が済むというのか。
「こんなバカな事って…」
思わず握り締めたローブ。
メフィスト卿が残した唯一の遺品を抱きしめるように、身を委ねる。
「もっと教えて欲しかった、もっと叱って欲しかった」
頬を涙が伝う。
「そしていつか、褒めて欲しかった…」
辛いことの全てから逃げ出すようにやってきたこの現世で、メフィスト卿は間違いなく彼にとっての父親だった。
「親方さま…」
こぼれる涙を拭うかのように、黒いローブに顔を押し付けた。
「う…んん?」
ふと、鼻を衝く刺激臭に気付いた。
「これ…嗅いだ覚えが」
急に色々な思いが頭の中を駆け巡った。
ヒクヒクと鼻を鳴らしながら探るように匂いを辿る。
「これ、が?」
ローブには染みがあった。
「ここから匂ってくる…」
黒い布地ゆえに判りづらいが、確かに裾の一分に赤っぽい液体が付着している。
もう一度、フィオンはその染みに鼻を近づけた。
「これ、これって…」
特徴的な刺激臭が記憶を呼び覚ました。
立ち上がって天井から吊るしてあるカンテラを外し、染みの部分に近づけ光を当ててみた。
「ま、まさか…?」
つづく




