事件の夜
冥興団は揺れていた。
幻怪衆およびニンゲンたちへの即時攻撃を主張するウィドル・ラミアニを中心とした若手グループと、それを時期尚早と考え受け付ける気配の無い総帥メフィスト卿。
いよいよ表面化した対立の決着は、長老リガレスの提案によって全体会議の場に託されることになった。
話し合いを明日に控えた夜、ウィドルはフィオンの部屋を訪ねた。
「悪かったな、面倒に巻き込んじまって…お前が親方の秘蔵っ子だってことは知ってる。争議の間に立たせることにもなっちまった…」
ため息交じりに頭を下げる姿に思わず恐縮する。
「あ、そ、そんな…」
「お前は才能があるし、是非実戦経験を積ませてやりたいとも思った。それが仇になっちまったな」
いつになく神妙な顔のウィドルに些か戸惑いながらも、フィオンは感謝の念を伝えた。
「嬉しいことです、そんな風に思っていただいて…実際、この前の戦いは貴重な経験になりました」
項垂れていた顔を少し上げ、穏やかに笑ったウィドル。
「明日の話し合いだが…お前はどう思う? 率直に」
「えっ、ああ…そりゃウィドルさんの主張は、うん、もっともです。間違ってない…どうせ、いずれは決着をつけなきゃいけないんだし、この機会に…でも、卿の仰られることも一理あるかなあ、なんて」
困惑したような目をあちこちに移しながら、ときどき口ごもって言葉を選ぶフィオンを見てウィドルが微笑んだ。
「お前はいいヤツだな」
「は、はあ…」
「今や冥興団の問題児みてえな扱いになっちまったが、前は俺も…そうさ、お前と同じで拾われて育てられた。メフィスト卿は俺の親父みたいなもんさ」
ウィドルは自身の過去を語った。
「見ての通り、俺はジクル族。大戦には義勇軍の末端兵として参加した。今のお前より若かったなあ」
冥界に大挙して押しかけた幻界軍の猛威にいても立ってもいられなかった、という。
「だが…幻界軍には最強の戦士レーテス・リアがいた。まるで歯が立たなかった…結局、町は草一本残らず焼き払われた。生き残った俺たちは山に立てこもったんだ」
ジリジリと迫る包囲網の中でウィドルたちは怯え、こっそり投降する者や裏切る者もいた。
「絶対絶命だった」
もはや敵の息遣いが聞こえてくるほどに追い詰められた夜、颯爽とマントを翻して敵陣を突破してきた騎兵隊に彼らは救出された。
「あの時、先頭で指揮を執っていたのがメフィスト卿さ。鳥肌が立つくらいに格好良かったぜ…」
親を亡くしていたウィドルはそのまま騎兵隊の雑用係となって生活を共にし始めた。
「あんなふうになりたい、親方みたいになりたい。ずっとそう思って生きてきたさ」
橙色のランプの灯に照らされながら昔話をするウィドルの横顔は、いつになく優しげに見えた。
「でもな…現世へ来てからオヤジは少しずつ変わっていった。前はもっと強くて厳しくて」
淋しげな目を覗き込むようにしながらフィオンが声を掛けた。
「あの方は今も強くて、真っ直ぐだと思いますよ…ただ現世なりのやり方があるってだけじゃないかと」
軽く微笑んでみせた。
「親方さまが弱くなったんじゃなくって、ウィドルさんがすっかり強くなった。そういうことじゃないですかねえ」
「そうか? 俺にはどうも弱気が過ぎるように思えて、な…」
フィオンは首を振った。
「僕から見たら、二人はぶつかっているようで実は同じ方向を見ている。決していがみ合う二人じゃない。最高のオヤジと兄貴、ですよ」
ふう、とため息をついたウィドル。
「だがな、時は待ってちゃくれねえ。こうしてる間にも幻怪衆やニンゲンは俺たちへの憎悪を煽り、皆殺しにしようと策を練ってるんだ」
ぐっと拳を握る。
「時代は変わった。もうオヤジたちのやり方じゃ通用しねえ。冥興団も変わらなきゃならん時期だ…」
立ち上がって部屋を出てゆくウィドルに、フィオンが声を掛けた。
「あ…あの、冷静に、落ち着いてお願いします」
「わかってるさ」
ちらりと振り向いた顔は、自信が漲った笑顔だった。
「ちょっと腹を割って話してくる。親方も俺の気持ちを解ってくれるはずだ」
◆ ◆ ◆ ◆
フィオンは横になって天井を見上げていた。
幾つものつらら石が大小折り重なるように垂れ下がっている。
「大きな石、小さな石。太い石も、細い石も」
おそらく気の遠くなるような長い時間をかけ、雫が落ちざまに残した痕跡たち。
「どれも向いている方向は同じ、か…俺たちも、長い歴史の中に垂れて落ちてゆく一滴なのかな」
大きくため息をついた。
「現世じゃ皆が必死で頑張ってるっていうのに、肝心の冥界ときたら…」
思い出される内紛、腐敗、荒廃した町。
「冥界がしっかりしてたら、幻怪にもニンゲンなんかにも負けないはずなのに。いつか冥界をメフィスト卿のような方が統一して団結できれば…」
あれこれ思いを巡らせているうちにウトウトしていたフィオンは、妙な胸騒ぎに目を覚ました。
「またイヤな夢を見た…僕が次元球に引きずり込まれるだなんて。気分悪いよ、全く」
洗面台でバシャバシャと顔を洗い流した。
「少しは男の顔になった…かな」
鏡に映った自分は、以前より少しだけ逞しく見えた。
「そうだ、腹を割って話し合うって言ってたけど…」
あれから随分時間が経った。フィオンはメフィスト卿の部屋へと足を向けた。
「上手く話はまとまったのかな?」
◆ ◆ ◆ ◆
「な、なんだッ」
多くの団員たちが、顔を真っ青にして駆け回っていた。
苛立って叫ぶ声があちこちから聞こえてくる。
「何があったんだ?」
物々しい空気、緊張した面持ちの衛兵たちがメフィスト卿の部屋のまえに剣を構えてズラリと立っている。
「えっ?」
急に胸を絞られるような感覚に襲われたフィオン。
「何が、何が一体…」
制止を振り切って部屋を覗き込み、息を呑んだ。
「あ、あああ」
フワッ、と意識が遠のきそうになった。クラクラと眩暈がする。
「そんな…まさか」
胸に大きな剣を突き立てられたウィドルが倒れている。
血色を無くした顔、白目を剥いて飛び出した眼球、血の海。
もはや助かる余地など完全に無い。
その横に、はらりと落ちた黒いローブが主を失って淋しげに床にひれ伏している。
「親方のものだ…」
つづく




