内紛の兆し
冥興団きっての武闘派ウィドルとフィオンらによる幻怪衆への奇襲攻撃は成功した。
しかし、独断での出撃は彼らに軍律違反の汚名を着せることとなった。
「何が規則だ、結果の方が大事だろ。お前らみてえな弱腰に文句言われる筋合いは無えっ」
騒ぎ立てるウィドルを、衛兵たちが冷静に縄で縛る。
「規則は、守られるからこそ意味があるのです」
「納得できねえっ」
「あなたが納得するかどうかは問題ではありません。幸いなことにメフィスト卿はあなた方を、謹慎処分という寛大な措置に留めると仰られた…今のところは、ですが」
「謹慎? 何十もの敵を倒したうえに大将格まで葬ってやったんだ。本来なら勲章ものじゃねえか」
「……」
聞く耳を持とうともしない衛兵たちは、淡々とした表情のまま彼らを独房に放り込んだ。
「軍律、か…」
冷たい岩の上に座り込んだフィオン。
「何をやってんだ、僕は」
戦闘の場での血沸き肉躍る興奮、勝利の高揚、同時に師を裏切って身勝手な行動に出てしまったことへの罪悪感。
さまざまな思いにしばらくは目をギラギラさせていたが、いつしか眠りに落ちていた。
◆ ◆ ◆ ◆
身体が動かない。
目の前に敵が迫っているというのに。
「ああ、ああっ」
ウィドルが叫んでいる。
「早く立ち上がれ、立てフィオン。このままじゃやられる」
真っ黒いオーラをまとった影がどんどん近づいてくる。
「逃げろ、早く逃げるんだ…ぐあ、ぐああっ」
ウィドルがやられた。波動の渦に巻かれて粉々だ。
「次は僕…怖い、怖いよ…」
フィオンは首根っこをむんずと掴まれて持ち上げられた。
「反逆者は、死すべし…」
目の前にはメフィスト卿。フィオンの首を大きな手で掴む。このままでは捻り潰されてしまう。
「違う、反逆じゃないっ。ただ僕は、僕は…」
手足をジタバタさせるが、どうにも力が入らない。
「どうした。どうしたフィオン」
「あああっ」
「さあ、どうした?」
目が覚めた。
「どうした、フィオン? 随分うなされてたじゃねえか」
揺り起こしたのは衛兵。
「汗びっしょりだぞ」
「ぼ、僕は反逆なんかしてないっ…」
「ちっ、いつまで寝言いってやがる。さあ、今から総帥が直々にお前たちの弁明を訊くそうだ、こっちへ来な」
「反逆者、か…」
ズシリと重いものを胸に感じながら、衛兵に連れられて広間へ。
すでに中央にはウィドルが座していた。
「俺たちは間違ってねえ。断じて間違ってねえ」
ほどなく大きな扉が開き、黒いローブの男が静かに入ってきた。
冥興団総帥・メフィスト卿。
「……」
無言のまま。
二人の顔をじっと見つめている。
「あ、あの…」
空気の重さに耐えかねてフィオンが口を開いた。
「倒すべき敵が、すぐそこにいるっていうのに放っておくことが出来なくて…」
「うむ」
メフィスト卿はジロリとフィオンを睨んだ。
「倒すべきか否か、それを決めるのはお前ではない」
「で、でも。幻怪やニンゲンは我々を見つけ次第に殺してるじゃないですか。ヤツらをこのままには出来ない。それに、三万坊の天狗衆が皆殺しにされた怨みを晴らすためにも報復を、と…」
「怨み憎しみで動けば、往々にして過ちを招く結果となる」
「くっ…くうう…」
歯をくいしばるようにしながら鼻息を荒くするウィドルが、真っ赤な顔で立ち上がった。
「親方っ。もっと現場を見てくれ、確かにあんたは立派な軍人だったかも知れねえが、今や穴倉にこもりっきりだ」
唾を飛ばしながら、ため込んでいたものが堰を切ったようにあふれ出した。
「状況が判って無えんじゃねえか? 明らかに俺たちはナメられてるんだ。みんなもそう思ってるんだぞ。のんびり構えてるのはあんただけなんだ、親方」
「お前に志があることは十分判っている。だからこそ、冥興団の重職を任せてきたんだ」
冷静な口調のまま。
「お前だけじゃない、冥興団全員の気持ちも判っている。が、機はまだ熟していない、焦るな」
詰め寄るウィドル。
「チッ、判ってねえってよ親方。日に日にヤツらは力を増してる。妖怪悪し憎しの流言を吹聴して回る幻怪衆がいかに多くのニンゲンたちを味方につけているか知ってるか?」
フィオンも付け加えた。
「ええ、河童族の一部も幻怪側に寝返っています。早いうちにヤツらを叩かないと…」
ため息をつくメフィスト卿。
「お前までそんな口ぶりか。いいか、今の戦力では不十分だ。一時的に攻勢に出たとしてもすぐ巻き返される。最後に勝つには、今は辛抱の時期。潜行して力を溜め、より大きな力と切り札を用意するんだ」
「違うぜ親方」
鼻と鼻がくっつきそうな距離。
「辛抱してる間に全員殺られちまうぜ? このままヤツらの好き放題にさせておくのか? みんな不満で爆発しちまいそうなんだ。あんたにゃそれが見えてない」
「見えてないのは、お前だ」
メフィスト卿がゆっくりと指差したその先には、衛兵の一人が運んできた一つの遺体。
「な…なんだありゃ? ニンゲンか?」
頷くメフィスト卿。
「そうだ。お前たちが一時の勝利に酔い浮かれてアジトに戻ったすぐ後、この近くをうろついていたニンゲンだ。ヤツの額をよく見てみろ」
ぐったりと動かなくなった亡骸に巻かれた鉢金には「幻」の文字。
「幻怪衆を全滅させた、と言ったな? 実際は違ったということだ。あの者は密かに生き残ってお前たちを尾行してここまで辿り着いた。喉を切って自害したゆえ詳細は判らぬが…もし他にもいたならアジトの情報は筒抜けだ」
「まさか…」
「これはお前たちの失態だ。焦って功を成そうと動いたがゆえの」
「ああ…」
フィオンは項垂れた。
しかしウィドルは違った。
「そういう逃げ腰な考え方がそもそも良くねえんだ親方。来るなら来いっての。ヤツらが来るんなら、地の利はこっちにある、攻めに行く手間が省けて丁度いい」
メフィスト卿は遂に大声を上げた。
「まだ解らぬかっ。数に劣る我らがむやみに戦いを重ねれば重ねるほど戦力を削がれる。それがヤツらの狙いだ、焦るは愚者なり」
「そう思ってるのはあんただけなんだよ、誰もが今の状況に不満なんだ。担がれて遠くばっかり見て、足元が見えてねえんだッ」
「あの、あ、あの…」
フィオンはうろたえるばかり。
「ご両人、少し落ち着きなされ」
そっと部屋に入ってきていたのは長老リガレス。古くから現世に住み、今では広大な農園を預かっている老いた河童族の男。
ウィドルは叫んだ。
「百姓は黙ってろっ」
「ほう、こりゃまた威勢がいい…だが、一歩引いた者の意見も聞いてみる価値はあるぞ?」
穏やかに笑みを浮かべた。
フィオンが駆け寄る。
「ええ、そうです。ぜひご意見を…」
「わしは、この冥興団とともにずっと生きてきたが…」
一触即発の二人を顔を、まるで見比べるように。
「親方さまの識見は間違いない。さすがは名将といえる。それに対してウィドルは短気に過ぎる…子供のころから変わっておらんなあ」
穏やかに笑みを浮かべた。
「だがこのヤンチャな男が言う事にも一理ある。本当に不満が内部に蔓延っているなら放置してはおけん。総員の意志が一つにならねば大事を成すことは出来んからな」
「うむ…」
「あ、ああ…」
メフィスト卿とウィドルは睨みあいながら口ごもった。
ニッコリしながら頷いたリガレス。
「志高きがゆえのぶつかり合いは健全な証拠じゃ。どうかな、今日はこのくらいにして双方が頭を冷やし、明日改めて総員を集め意志を確認しては?」
「賛成ですっ。みんなで考えて、みんなで前に進みましょうよ」
フィオンが睨みあう二人の間に割って入った。
「そうだな、それがよかろう…」
「この爺さんのいう事は確かに正しい。明日しっかりと全員で俺たちの行く道を決めようじゃねえか」
つづく




