冥界戦士と幻怪戦士
妖怪フッタチの救出作戦失敗に続き,冥興団庇護下にあった天狗族の集落が襲われ壊滅するという事件が起こった。
幻怪衆とニンゲンたちによる妖包囲網は現実のものとなりつつあった。
「このままやられっ放しでいいのか?」
即時報復を主張する急進派のウィドル・ラミアニを、総帥メフィスト卿が諌めた。
「人類抹殺計画は隠密裏に進んでいる。今慌てて挑発に乗ることは許されない」
しかしウィドルは、直属の部下十名を従えフィオンを連れ立って独断で幻怪衆への攻撃を決意した。
その手には「次元球」。盟友ジェルマ・カリオスが開発したばかりの新兵器である。
「さあ急げ。極秘に放った草からの情報によると、敵は天狗族集落の東にある谷で一晩過ごすようだ」
一行はひたすら獣道を走る。
「ヤツらが油断している今が好機」
各々の顔に疲労の色が見え隠れし始めたころだった。
「あッ」
先頭を往く黒河童が指差す先、夏の夜の湿った空気の中、岩場の陰でゆらゆらと焚き火が揺れていた。
「あの窪地に誰かいるぞ」
遠眼鏡で覗き込むと、うっすらとした月明かりの中に人影が。
「間違いない、ヤツらだ…幻怪がいる。クオダールだ、マグラス・クオダール」
「ほう、赤光隊の三番刀だった男、か。大戦時の恨みを今晴らしてるってわけだ…他には誰かいるのか?」
「ええと、ニンゲンがいます。おおよそ三十名」
「楽勝だな」
何かを察知したかのように、それまで盛んに鳴いていた夏の虫たちが声を潜めた。
ウィドルがサッと右手を上げた。
「さあ、いくぞ」
夏草が一気に騒めいた。
「これが戦闘、というものか」
次々に谷を下り、野営地に殺到する冥興団の戦士たち。
寝込みを襲われたニンゲンたちは、なす術もなく斬り殺されてゆく。フィオンの周りを取り囲むように、飛び交う血飛沫と悲鳴がぐるぐると回っている。
「すごいな…」
気付くとフィオンの前にも敵が迫っていた。
「うあっ」
思わず腰が引けたところに飛び込んでくる刀の切っ先。もう目の前。
「ひいっ」
目をギュッと閉じて身を反らす。顔の前を鈍い光が通り抜けた。
「ま、マズい」
足を滑らせ地面に横たわってしまった。ひんやりとした地面、草の匂い。顔を上げると、刀を構えた敵がニヤニヤしながら迫ってくる。
「ほう、まだガキじゃねえか」
掲げ上げた刀身が月光に光った。
「だが容赦しねえぜ、闇の妖怪めッ」
フィオンの目が赤く光った。
「ううう」
ドクンとひとつ、大きな鼓動が鳴るのを感じた。
身体中を何かが駆け巡り、熱いものが充満した。全身をブルッと震わせたフィオンが敵の動きを見据える。
「鈍いじゃないの」
まるでスローモーション。
寝転がったままムチを繰り出す。地を這うようにその先がくねって脚を絡めとった。
「なにッ」
不意をつかれた敵が態勢を崩す間にフィオンは起き上がり、逆に覆いかぶさった。
「てめえっ…あ、あっ」
月が照らし出した敵の顔を見て一瞬、動きを止めた。
「あんた、河童族じゃないか」
「悪いか?」
「なんで河童のあんたがニンゲンなんかの味方を?」
フィオンが戸惑う隙に、その河童族は刀を突き出してきた。
「薄汚ねえ黒河童野郎と一緒くたにするなっ。俺たちは幻怪衆についてるのさ」
鼻先に迫る切っ先。
「ぬっ」
我に返ったフィオン、その河童族の顔面に掌を押し付けた。
「ならば、死ね」
真っ黒い波動弾が炸裂した。河童族の男の首から上は粉々に吹き飛んだ。
ふと辺りを見ると、楽勝どころかウィドルの部下たちは無残な姿になってあちこちに転がっていた。
「何だっ。どういうことだッ」
骸を踏みつけながら立ちはだかる男が一人。
「ふふふ、雑魚が何匹集まったところで、役に立ちゃしねえようだな」
短い金髪、無精ひげ。やけに目つきの鋭いその男は一本の刀を手に、全身からうっすらと光を放っていた。
幻怪、マグラス・クオダール。
「さあ、来いよ」
速い。誰もその動きについていけない。
「ハエがとまるぜ」
振り下ろす瞬間、剣がスウッっと光る。まるで魅入られたようにその刃に捉えられた者は身体を真っ二つに断ち切られてしまう。
冥興団の戦士たちは、その光の前になす術もなく命を散らしていった。もはや残っているのはウィドル、そしてフィオンの二人だけ。
「あれが、光の波動ってやつなのか…」
まるで細胞のひとつひとつを蝕むように、広がる光が亡骸を融解させてゆく。
「あぶねえぞっ」
光が暗闇に描き出す軌跡の美しさに思わず見惚れていたフィオンの眼前に、クオダールが迫っていた。
「あわっ、わわっ」
慌てて飛び退いた。
「ふうっ」
ホッと胸を撫で下ろす間もなく、すでに敵はピッタリ目の前にいた。
「子供のクセに、戦争ごっこしてんじゃねえよ」
カッ、と視界が光に閉ざされた。
「ぐあっ」
身体の皮膚のあちこちが裂かれるような痛み。キーンという高周波に耳も閉ざされてゆく。
「苦しい、くるし…」
もはや息も出来ない。
「死ねっ」
急に、光が消えた。痛みが和らぎ、聴覚も戻ってきた。
「は、はああっ」
つっかえが取れたように、大きく息を吸い込んだフィオンの前には、ウィドルが立っていた。
「ふっ。坊や、油断したな。だがここは俺に任せろ」
立ち上がりざまのクオダールに向かってウィドルが飛び込んでいった。
「赤光隊にゃ恨みしか無え」
「敗者の逆恨み、か。哀れなものだ」
両者の戦いは壮絶そのもの。
互いに一歩も二歩も先を読んで罠を仕掛けながら、目では追いきれないほどのスピードで剣を繰り出しあう。
「す、すごいっ。ホンモノだ、これがホンモノの戦士。冥界戦士と幻怪戦士の戦いだ…」
光のオーラと闇のオーラが真っ向からぶつかり合い、真っ赤な火花を宵闇に散らす。
その疾風の如き両者の動きの間には、誰も入ってゆくことなど出来ない。
「どっちも凄えや…こりゃ、決着がつかないかも知れないな」
「いいや、俺が勝つ」
ウィドルは剣を振りかざしながら、隙を見て切り札を取り出した。
「こいつがあるから、な」
次元球。
「終わりだ、幻怪」
放り上げられた次元球に向かってウィドルは掌から黒い波動を発して浴びせた。
「何いっ」
宙に静止した次元球の周囲にはみるみる空間の歪みが形成されてゆく。
「あっ、ぐああっ。次元の歪み、だと…?」
激しい重力に引き寄せられ、クオダールは身体の自由を奪われた。膝がガクガクと震えだしている。
「こんな…こんなもの…」
しかし、クオダールが全身に力を漲らせて光の波動を充満させると、その歪みは次第に弱まっていった。
「幻怪の力の前では遊戯に過ぎぬわッ」
どんどん光は強くなる。
「歪みの中に墜ちるのは、お前の方だ」
今度はウィドルが重力場によって動きを封じられた。少しずつ身体を歪めながら次元球に引き込まれてゆく。
「な、なんとかしなきゃっ」
フィオンが駆けつけた。クオダールの背後に周りこんで掌をかざし、激しく叫びながら黒い波動を撃ち込んだ。
「死ねっ、死ね幻怪っ」
電撃に貫かれたかのように身体を撓わせるクオダールだったが、なおも両の脚で大地を支えて踏ん張っている。
「させん、させんぞっ」
燃え盛る火の如く、あちこちから光を噴出させている。
「やるぞ、フィオン。トドメを刺すぞ」
ウィドルの声が聞こえた。
「はいっ」
二人は渾身の波動を撃ち込んだ。
「ぐはっ、ぐがあっ」
クオダールの全身の血管が浮き出、ところどころ弾け飛んで鮮血が舞う。
「ぶぐ、ぐ…」
眼球を上転させ、遂に意識を失った。
「今だっ」
ウィドルの咆哮とともに、うねる波動が次元球を真っ黒く覆った。
「ぶあ・・・」
ぐにゃりと歪んだ空間に吸い込まれるように、激しい衝撃波を残してクオダールは次元球の中へと消えていった。
「やった…」
「やったぞ。遂にやった」
将を失い敵は総崩れとなった。
逃走を図るニンゲンたち、河童族を追い次々に惨殺して戦いは終わった。
少し傾いた月は清々しく、まるで勝利を祝っているようにも見えた。
遠くの田園から、蛙の鳴き声が聞こえてくる。
「それにしても…」
目の前には累々たる屍の山。
「勝利とは、常に尊い犠牲の上にあるものだ」
◆ ◆ ◆ ◆
生き残った二人、ウィドルとフィオンはその夜のうちにアジトに帰投した。
「やったぞ。倒したんだ幻怪を」
疲れきってはいたが、笑顔の二人。
だが待っていたのは賞賛ではなく、糾弾であった。
「な、何をするっ」
入り口に待ち構えていた衛兵に取り囲まれた。
「貴殿らの勝手な行動は軍律違反。メフィスト卿もお怒りだ」
「ちょ、ちょっと待てよ。俺たちは・・・」
「規則には、何人たりとも従わなくてはなりません」
衛兵たちは二人を縄で縛り上げた。
つづく




