幻怪・聖と冥興団
囚われの獣人妖怪フッタチを救出するため東北の蛮族エゾの村に潜入した冥興団は罠に嵌った。
捕虜の鎖を断ち切った瞬間に仕掛けられた爆弾が炸裂、フッタチは粉々になり、ジェルマとウィドル、脚の折れたセジルが地下室に閉じ込められた。
彼らをあざ笑うように天窓から見下ろしていたのはヒジュリーという幻怪戦士。現世に移住し「聖」と名を変えていた。
「幻怪軍の少佐…大戦時には赤光隊の一番刀だったな」
睨むジェルマを、聖が見下ろす。
「へえ、俺も有名人なんだな」
にやけた顔に垂れ下がる金髪が風に揺れている。
「ま、俺はあんたを知らねえが、な」
「そうだろうな…悲鳴の遠鳴りと焼け焦げる匂いの中、焼け野原にされた町に幻界の旗を掲げるお前を、俺は崩れた瓦礫の下から眺めることしか出来なかった」
「可哀相に。だが、それが戦争ってもんだ。しかしお互いあの戦争を生き延びて、無事にこうやって再会できたんだ、運がいいじゃねえかお前」
身を乗り出してあざ笑うような顔つきの聖、その真下に立ったジェルマ。
「運がいい、か…その時の怪我がもとで、このザマだがな」
右腕の肘から下は、緑青のこびりついた金属に置き換わっていた。
好奇の目で天窓から覗き込む聖は、わざとらしい悲しみの表情を浮かべてみせた。
「あらあら、大事な手が…しかしものは考えようだ、痛みを感じなくて済むようになったんだから便利になっただろ、あ?」
「確かに、な…」
フッと笑ったジェルマは義手を見せつけるように、天窓に向かって真っ直ぐ突き出した。
「それだけじゃねえぞ。ほら」
義手の取っ手をサッと外すと、切断された腕に直接取り付けられた銃が露わになった。
「便利、だろ?」
カンテラに照らされて巨大な銃口がギラリと光った。根元のトリガーが引かれ、激しい破裂音と共に火花を散らして榴弾が飛び出し天窓をぶち破った。
「ぬううっ」
身を仰け反らせた聖。だがあまりの至近距離。一瞬視界がホワイトアウトしたのち、耳が割れんばかりの轟音。
黒煙たちこめる中でバラバラに割れたカンテラの火花が四方に散った。半ば崩れた地下室の瓦礫のあちこちに引火し炎が上がる。
「ぐ、ぐあ…」
帯同していたエゾたちは全員が身体をバラバラにされて息絶えたが、聖だけはかろうじて爆発の直前に波動による隔壁をこさえて衝撃から身を守ることに成功していた。
「いい見世物だったが、俺はこの通り助かった。残念だったな」
再び勝ち誇ったように胸を張る聖。
その肩を背後からポン、と叩く男がいた。
「残念なのはあんたの方だよ」
顔色を変えて振り向いた聖に、にっこりと微笑みかけたのはデズイール。
こっそり屋敷から抜け出して忍び寄っていたのだった。
「俺もあんたにゃ恨みがある」
思いっきり背中を蹴飛ばした。
「あわ、あわわっ」
穴の空いた天窓から地下室へ真っ逆さま。
ドサッと云う音を伴って転落した聖の脳天に、ジェルマの義手が突きつけられた。
「弾はもう一発あるんだよ」
トリガーに手を掛けた時、聖が顔をもたげた。
「ナメんな」
光る眼、いや全身がにわかに輝きだした。
「幻怪の戦士をナメるな、っての」
いきなり両手を前にかざして眩い光の波動弾を放った。
「はっ」
「うぬっ」
ぶつかり合った榴弾と波動弾。波動の光が爆発を包むようにして消し去ってしまった。
衝撃に尻もちをついたジェルマの前に聖が立った。
「今度は腕だけじゃ足りないな」
剣を抜き、切っ先をスッと上げた。
「首をもらおうか」
「させねえっ」
背後から体当たりしたのはウィドル。不意を突かれて聖が倒れた隙に、落ちていた斧を拾い上げた。
「吹っ飛ぶのはてめえの首っ」
ブルンと空気が振動し、研ぎ澄まされた斧の刃が大きく円を描いた。
「ちっ、お前みてえな雑魚に殺られるかっての」
難なく避けた聖は、鼻唄でも歌いだしそうなほどの余裕を見せながらウィドルを追い詰める。
「ほら、ほうら。木偶の坊め」
「くっ…こうなったら相討ちでも」
斧を振り上げてがむしゃらに飛び込んだウィドルに対し、聖はサッと右の掌を突き出した。
「それにゃ格が違い過ぎるっての」
波動弾が飛び出す、その瞬間。
「え、っ」
脚を砕かれて横たわっていたセジルが手を伸ばし、正面に気を取られていた聖の足元を掬った。
「ぐあっ」
波動弾はウィドルを逸れたが、持っていた斧に直撃してバラバラに砕いてしまった。
一方、聖が転げた際に彼の剣もあらぬ方向に吹っ飛んで壁に突き刺さってしまった。
「くそっ」
駆けつけて抜こうとするが、思いのほか深く突き刺さってビクともしない。
「くっ、うううっ」
壁に脚を掛けて引き抜こうとする聖の背後に、今度はジェルマが殴り掛かった。渾身の力を込めて後頭部へ一撃。さしもの聖もヘドを吐いて倒れうずくまった。
「ううう」
「こうなったら互いに丸腰だ、なぶり殺しにしてやる」
ウィドルも駆けつけた。二人は怒りに顔をゆがめて因縁浅からぬ幻怪戦士の生き残りを散々蹴り上げ、踏みつけた。
「まだ、まだだよ…」
打たれて身体を弓なりに反らせながら、光の消えぬ目が笑っている。
「言ったろ、幻怪をナメんなって」
にわかに全身が再び輝きだした。
「武器が無くったって、お前ら吹き飛ばすくらい造作も無えんだよ…」
「マズい、マズいよ。早く、さあ早く」
上から声が聞こえてきた。
「これが、言ってた『万が一の事態』ってヤツですよね?」
天窓の穴から覗いているのはフィオン。スルスルとムチの先を穴に垂らした。
「掴まってっ、早くっ」
「しかし、こいつだけは許せねえ…」
聖を睨みつけるウィドルを無理やりムチに掴まらせたジェルマ。
「丸腰じゃ分が悪い、ここは一旦退避だ」
さらに、瓦礫の中からセジルを引きずり出してムチに掴まらせた。
「さあ、引き上げるんだフィオン」
三人は、聖が渾身の波動弾を撃ち放つより先に地下室からの脱出に成功した。
「まずはアジトまで逃げ…」
走り出そうとしたウィドル、ジェルマ、セジル、デズイール、フィオンの五人は息を呑んだ。
「いつの間に」
エゾたちに囲まれていた。
「妖怪どもめ…好き放題に暴れやがって。この世界、お前たちには渡さん」
ジェルマが小さく呟いた。
「逃げるぞ…作戦は失敗だ、そして俺たちの戦力は圧倒的に不利。これ以上犠牲は出せん、合図で走れ。とにかく走ってあの林のなかに紛れ込むんだ」
全員が頷いた。
「さあっ、走れっ」
脚の折れたセジルはウィドルに背負われ、全員が駆け出した。密集隊形のまま真っ直ぐに。
呼応してエゾたちが武器を構えて群がる。
「ニンゲンごときっ」
次々に襲い掛かるエゾをなぎ倒し、一同は林を目指した。
「あっ」
一本の矢が、ウィドルに背負われたセジルの肩に突き刺さった。
「ぐはあっ」
手の力を失ってボタリと落ちてしまった。
「何っ」
振り返ると、仰向けに横たわったセジルがもがいている。しかし立ち上がる前にエゾたちがそれを取り囲んでいた。
「助けなきゃっ」
駆けつけようとするフィオンを制するジェルマ。
「もう助からん…巻き込まれて犠牲が増えるだけだ。このまま前を向いて走れ、走りぬけっ」
「でも…」
「非情にならねばならぬ時もあるっ。助かる見込みの無い者への情け故に、助かる者が命を落としてはいけないっ」
「……」
しかし、一人の男が怒りの形相で駆け戻っていった。
「あいつは…セジルは俺の戦友なんだっ」
エゾの群れに飛び込んでいったのはデズイール。
「一人にゃさせねえっ」
多勢に無勢、二人は薄ら笑いを浮かべて武器を繰り出すエゾたちにもみくちゃにされた。
「ぐはあっ」
「うがあっ」
一体何本の剣が、槍が、矢が彼らの身体を貫いたのだろう。
微笑みを浮かべながらセジルとデズイールは手を握ったまま、おびただしく流れ出した血溜まりの中に顔を埋め、やがて動かなくなった。
「おい…」
ジェルマはウィドルの顔を見た。
「許せるか? あれを」
ウィドルは首を振った。
奥歯を軋ませながら拳を震わせるフィオンの身体からは真っ黒なオーラが噴き出していた。
「許せませんよ、絶対に…」
三人は顔を見合わせ、大きく頷いた。
「てめえらッ」
「ニンゲンなんざ、クズだっ」
「全員消えて無くなってしまえッ」
エゾの群れへ、飛び込んでいった。
「強え、たしかにこいつら強えっ」
ウィドルもジェルマも百戦錬磨のつわものに違いないが、盗賊として戦いの中に生きるエゾたちもまた百戦錬磨。
「武器さえあれば…」
大人数の敵に対し素手での戦いはあまりに不利、あちこちに傷を負って動きもどんどん鈍くなってゆく。
「ああ、はああ、うあああ」
フィオンが腹の底から唸った。
「仲間の仇…」
ぐっと手を前にかざす。全身を覆う黒いオーラがぐるぐると渦を巻きながらその掌に集まった。
「死ね、ニンゲン」
耳が詰まったかと思うような低周波、腸が潰れたかと思うほどの重力、目が裏返ったかのような暗黒。
巨大な暗黒波動弾がフィオンの掌から撃ち放たれた。
「何だっ…」
襲い掛かろうとしていたエゾ数十名は、真っ黒い煙となって一気に蒸発してしまった。
「あ、あわわ…」
その威力に誰もが思わず動きを止めた。
「俺の怒りは、まだ収まっちゃいねえ」
「ひっ、ひいっ」
鋭い視線に射られて腰が引けたエゾたちは、一人、また一人と背を向けて走り出した。
「逃がさん」
その背中を真っ黒な波動弾が追撃する。
「ぎゃ」
悲鳴も半ばに融けて消えてゆく。
遂にエゾの群れは総崩れ、散り散りになって逃走した。
「くっ、卑怯な…」
追おうとするフィオンをジェルマが止めた。
「もう十分だろう、深追いは危険だ。ここはヤツらの領地、地の利は敵の側にある」
「は、はい…」
「あいつはどうする?」
地下室を指差したウィドル。ジェルマは首を振った。
「迂闊に飛び込むのは危険だ。悔しい気もするが…決着は次の機会に」
聖の大声が聞こえてくる。
「ここから出せっ。俺と勝負しろっ」
背を向けた三人。
声は次第に遠ざかる。
「おおい…誰もいないのかよう…お願い、俺をここから引き上げてよ…」
海岸近くでは傷だらけのウスデムが横たわっていた。
フィオンが駆け寄る。
「メドツ組は…?」
「俺以外はみんな殺られた。待ち伏せされたのさ、何十って敵に囲まれて…」
「負けだ、完全に負けだ…」
ウスデムを現地のアジトまで送り届けたのちアジトへの帰路についたウィドル、ジェルマ、フィオン、たった三名の生還者は終始無言のままだった。
つづく




