冥界の奴隷として
貧困、荒廃、暴力。
戦乱が去った後の無法地帯となった冥界。その辺境の砂漠で拾われた瀕死の少年・フィオンは「リジアの楽園」と呼ばれる監獄に連行された。
獄卒のマブラスに弄ばれ、まるでボロ雑巾のようにぐったり眠っていたフィオンは翌朝、衛兵たちによって牢に連れて行かれた。
「さあ、これを付けるんだ」
ものものしい金属製の手枷、そして足枷。ガチン、という音で錠が閉められた。
「うっ」
全身にぐっと重圧感。衛兵たちがニヤニヤ笑う。
「もう逃げられんぞ…まあそれを外したところでこの要塞からは脱出できん」
「外は砂漠だ、また行き倒れるのが関の山」
フィオンの足取りはグッと重くなった。実際の重量だけではない、この枷には波動をほぼ無力にする作用がある。両腕と両脚に取り付けられれば、生気まで奪われたように全身が重く感じられる。
(逃げる、なんて一体誰が考えるもんか…)
枷が無くとも昨日の体験は、少年に恐怖を植え付け反抗心を根こそぎ奪うのに十分だった。
「さあ、早く歩け。ウスノロのガキめ」
背中から警棒で突かれながら長い廊下を歩く。中央の管理棟から放射状に伸びた舎房をひたすら歩く。
「新入りは西棟の一番奥だ」
檻の中の囚人たちは皆ひどく疲弊しているように見えた。
現世からさらわれて来た人間たちの部屋、屍鬼たちの部屋、獣人族の部屋、いずれも人数の割りにやたら狭く薄汚い。政治犯の部屋は北棟にあると言う。
「キョロキョロするんじゃねえ、ガキ。さあ、お前は怪人族か。せいぜい頑張るこったな」
冥界の住人といっても数多くの種族が存在する。怪人族はほぼ現世の人間と同じ容姿をしているが、他は見た目もさまざま。
「ほう、サラ(=新入り)か」
舎房の真ん中に大きな専用の寝台を持ち込んでごろりと寝転んでいる巨体は頭に生えた角と発達した筋肉が特徴のオニ族、ガルスと名乗る男。
「ここじゃ俺に従っていればいい」
ガルスはいわゆる牢名主。媚びる手下が数名、これもオニ族。
見慣れぬ景色にボーッとしているフィオンの手を引いたのはウグネット族の男。鼻が大きく突き出しているのが特徴だ。
「俺はエゾンって言うんだ、よろしくな。だが新入り、まずはガルス親分に挨拶だよ、ほら」
「あ、あ…今日からお世話になります」
ペコリと頭を下げるフィオンの頭をぐい、と押し下げたエゾン。
「バカ、もっと丁寧にっ」
頭を床に押し付け、ひたすら服従を示す。
「フィオン、と言います…」
「ふふふ、だいぶ可愛がってもらったか。あのマブラスに…がはは」
ガルスと、取り巻きの鬼族がケラケラと笑っている。
「あの獄卒、いい趣味してやがるからな…仕事は出来ねえクセに、な」
ガルスの肩を揉むオニ族の男が感心したように言ってみせた。
「いやあ、あの獄卒をそんな風に評することがお出来になるのは、もうガルスさまくらいしかおりませんな、ははは」
満足気なガルス。
「そうか、そうだろ。俺様だって世が世ならば…まあ、いい。さあ新入り…とフィオンといったか。当面サラの面倒はトナッラに任せてある、おい」
「へいっ。お呼びでしょうか、ガルス様」
帳面を抱えてやってきたのは大柄で手足の長い男。目が四つ、薄緑色の肌。レディップ族だ。
「また新しいのが来ましたか」
二つの眼でフィオンを、残り二つでガルスをうかがうような目つき。ガルスは頷いてトナッラの肩をポンと叩いた。
「なあガキ、このトナッラはよく仕事が出来る。計算工も仰せつかってるほどだからな、言うこと聞いてはやく牢獄に馴れるこった」
フィオンはトナッラに舎房の奥に連れて行かれた。
「いいか、まずは掃除。一番新しく来たお前の担当はまず便所だ」
トナッラが指差した部屋の北西、一番奥に小さな仕切り。
「あの向こう、な。そして作業時間以外は交代でシキハリをやれ。こないだアカ落ち(入牢)したばっかりのダンマリには無理だから、お前かコルボトがやれ」
「シ、シキハリ?」
「ん、牢番が来ねえか見張る役だよ。まあウチの部屋はガルス様が強いから多少の事は揉み消せるが、面倒は少ないほうがいい。オヤジ(=牢番)が近づいてきたら口を鳴らせ、ズズーって、な」
「ズズー、って?」
「そう、唇を、こう。ズズー」
「あと配膳と後片付け、な。それから…あ、労働の時間だ。遅れるとウルサイからな、さあお前も早く着替えて」
「仕事?」
「ああ、キツイぞ。死なない程度に上手く手を抜くこったな」
囚人たちは整列させられ、手枷足枷が着いたまま、さらにそれぞれを鎖で繋がれて牢番の後を付いて行進する。
向かう先はリジアの牢獄の一番奥にある大きな穴。
「ただひたすら、土を掘って石を取り出す。それが俺たちの仕事さ」
呟いたのはフィオンのすぐ後ろ、同じくサラのコルボトという男だった。振り向こうとするフィオンを制する。
「前向いてろ。行進から労働は始まってるからな。私語は懲罰の対象さ」
「懲罰…」
昨日の仕打ちが頭をよぎった。
「まあ、仲良くやろうぜ」
コルボトは若干背が低いが、カギ鼻と尖った耳が特徴のノメイド族。長い牙が容貌を恐ろしげに見せるが、彼自身は人懐っこい性格のようだ。
囚人たちは地面の穴に入ってゆく。ちょっとでも隊列が乱れようものなら、すぐさま衛兵のムチが飛んでくる。
薄暗い洞穴に並ばせられた囚人たちに檄が飛ばされる。
「さあ、今日も働けっ。一人最低でも三貫(=約十一キロ強)は見つけて掘るんだぞ」
「ほ、掘る?」
きょとんとしているフィオンにコルボトが近づいた。
「冥鉱石だよ。ここの地下は産地なんだ。知ってるだろ、一貫で三十ヤキムは下らねえ値が付くんだ。武器、防具だけじゃねえ、動力にもなるし…」
衛兵が走り寄ってきてムチをかざした。
「こらあっゴミ野郎がっ。使役中の私語は懲罰と知ってのことかあっ」
慌てて跪いたコルボト。
「いや、こいつ今日入ったばかりのサラなんっすよ。ええ、あっしが仕事を教えてやってたってわけで…ええ、もう持ち場に行きますんで」
「さっさと行けっ」
「へい、へい。了解しやした」
去り際にコルボトは小声で伝えていった。
「いいか坊や、とにかく岩盤を掘れ、与えられた鶴嘴で、な。黄色っぽかったり、青っぽかったりちょっと光る固い石が、冥鉱石だ。そいつを探すんだ」
「掘る…しかないな」
初日にしてすっかり疲れ切った身体に鶴嘴がやたら重く感じられた。とりあえず他の囚人たちの見よう見まねで振り上げて、振り下ろす。
「痛っ」
思いのほか岩盤は固い。柔らかな流砂で出来た砂漠の地下はこんなに固い地盤だったとは。岩を砕くどころか跳ね返され、振動に手が痺れてしまう。
「こらガキっ、ちゃんと力入れてやらんかいっ」
容赦なく衛兵のムチが飛んできた。背中を裂かれる様な痛みに思わず身を反らした。
「くうっ」
昨日の忌まわしい記憶が再び頭の中を駆け抜け、思わずフィオンは衛兵をキリッと睨んでしまった。
「何だ、その眼はっ」
さらにムチが唸る。首筋から胸元に刻まれた線条にうっすら血が滲む。
「っくしょう…」
両手の拳を握り締めて歯を食いしばるフィオンの全身には、いつしかうっすら黒いオーラが浮かび上がろうとしていた。
「待って待って」
いきり立つフィオンをなだめに来たのはエゾンだった。
「こいつはホントに今さっきアカ落ちしたばかりなんです。まだ仕事も礼儀も教えられてないんです。どうかお許しをっ」
平身低頭、岩盤に頭を擦り付ける。
「あっしが今朝案内したんです、間違いない」
衛兵はペッ、とエゾンの顔に唾を吐きかけた。
「クソったれが。どいつもこいつも甘えやがって。いいか昼までにちゃんと仕事を覚えさせろ。さもなくば…」
「へいっ。承知しておりやす」
衛兵は忌々しそうに顔をピクピクさせながら他の囚人たちの元に歩いていった。あちこちからムチが振り下ろされる音、続いて悲鳴が洞穴の中に響いている。
「あ、ありがとう…エゾンさん」
「ちっ、お前のためなんかじゃねえっての。連帯責任ってやつでな。誰かがドジ踏むと、同じ部屋から五人が懲罰を食らうんだよ」
「懲罰…?」
「軽けゃ一日メシ抜き。重きゃコレ、だ」
エゾンは親指で首を刈る仕草をしてみせた。
「コレ、って…」
「マブラスが飼ってる番犬のエサか、刀の切れ味を試すために斬り殺されるか、だ。いいか、連中は俺たち奴隷のことなんかゴミ以下だと思ってやがる。決して逆らうんじゃねえぞ、生きていたけりゃ辛抱、それしかねえ」
「しかし、こんな風じゃ生きてたって意味が無いじゃないですか」
「それでも死んだら全てお終いだ。今のご時世、何がどう転ぶか判りゃしねえ。もしかしたら…ってな。希望は捨てるんもんじゃねえぞ、坊や」
「希望…」
そんなものはとっくに捨てた。
つい数週間前までは川のほとりにあるエディスレーという村で両親、姉と静かに暮らしていたフィオン。やがて家の農場を継ぐはずだった。
しかし戦火が全てを奪った。
焼け出されて難民となったエディスレーの民は川沿いに南へ逃げた。次々に襲ってくる山賊に皆、身ぐるみ剥がされた。
もっと恐ろしいのがドルモン族の難民狩りだった。
彼らはまず見せしめに何人かを虐殺。立ち向かおうとした者もいたが、所詮平民では敵うわけもない。次に女たちが、皆の見ている前で辱めを受けた。
「希望なんて…全部ぶっ壊されちまったじゃないか…」
男たちは奴隷として捉えられ、年寄りと小さな子供たちは、その場で食われた。
フィオンは襲撃に遭った際、流砂に隠れて一命を取り留めた。身を隠しながらずっと見ていた。両親が食われ、姉が犯され、街の人々が次々死んでゆくのを。
恐怖で身動き出来なかった。
襲った連中の軍服に描かれていた槍先の紋章――エルターブ公国の配下であることを表す――が目に焼きついた。
逃げて隠れた自分を恥じ、悔いた。
そして自らも今や、エルターブ公国の奴隷。
「くうっ…ううっ…」
涙が溢れてくる。だが確かにエゾンの言うとおり、死んだら全て終わりだ。
気付くとフィオンはその手に黒いオーラをうっすら浮かべながら力いっぱい鶴嘴を振り下ろしていた。
「うああっ」
足元の岩盤が粉々に砕け散った。思わず自分もよろめくほどの衝撃に大きな穴が開き、その奥でキラリと黄色く光るものが見えた。
「あ…あれが」
頭ほどの大きさもある冥鉱石。これだけで十貫を超えるに違いない。
「すげえな、小僧」
どこからともなくやって来たのは獣人族、背中の曲がったサルのような風体の男。
「見せろよ、ちょっとだけ、ほら」
サッと手を伸ばし、フィオンが採掘した冥鉱石の塊を手に取ると、しげしげと見つめた。
「なあ坊主、よっく見ろよ。まだあの奥にたんまりあるぞ」
「えっ」
砕いた岩盤の隙間を覗き込んだ隙に、獣人族の男は姿を消した。もちろん冥鉱石を持ったまま。
「あっ」
暗い洞穴の中、目を凝らしたが大勢の奴隷たちの中から探し出すのは困難。
「ちくしょうっ」
手足の枷がやたら重く感じる。機敏な盗っ人を追いかけようにも脚がもつれてしまう。またムチが飛んできた。
「ガキっ、なに勝手に動いてやがる。持ち場を離れずに掘れっ、さあ掘れっ」
「だって今、僕が掘った石を誰かが…」
「うるさいっ、口ごたえするってのか」
容赦なく何度もムチがフィオンを打ち据える。
「次に反抗したら懲罰だ」
フィオンは諦めた。
せっかく掘った冥鉱石だけでなく、全てを。
(ああ、これが奴隷なんだ…そして僕は一生ここで奴隷として生きるんだ)
もう折れた心を継ぎ直す気力さえ失った。
つづく