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冥将記  作者: 蝦夷 漫筆
哀哭のリジア
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縄を、上れ

 冥界の堅固な牢獄「リジアの楽園」からの脱出を試みた七人。

 計画は事前に察知されており、罠に嵌った彼らは一人、また一人と仲間を失っていった。

 残ったのは三人、キラエフとダンマリ、そしてフィオン。煮えたぎる王水の貯留池の天窓へ向かって彼らは縄を上る。


 「さあ、早くっ」

 先頭を行くキラエフが大声で続く二人を鼓舞する。ダンマリは片手片腕ながら器用に縄を伝い、フィオンは愛するウィッツオの死を振り切るように歯を食いしばって縄を握る。

 彼らを見上げるマブラスは、腹心ブレドーを殺され顔面を真っ赤にして叫ぶ。

 「殺せっ、撃ち落せっ」

 衛兵たちは弓矢を構え、脱走者たちに狙いを定めた。

 ギリギリと引き絞られた弦から、ヒュンと空気を唸らせ無数の矢が飛来する。

 「早くしないと…」

 焦るキラエフ。見上げる縄の先に結び付けた金具は、今にも天窓から外れそうにグラグラと揺れている。

 真下の王水池から立ち上る臭気に息を詰まらせながら、矢をかいくぐってひたすら上る。


 

 「う、うあっ」

 ガクッという衝撃に三人は顔を引き攣らせた。

 キラエフが握るすぐ上の部分の縄に、衛兵が放った矢が当たったようだ。編み込んだ縄の繊維がほつれて伸びている。

 「お、落ちるっ」

 三人はクルクル回りながら高度を下げてゆく。

 ガク、ガクッと追い打ちをかけるように何度か衝撃が繰り返された。

 「ダメだ、まずいっ」

 彼らの体重によってどんどん縄がほつれ、細くなってゆく。

 「切れる…切れるっ」

 「ひ、ひいいっ」

 濃緑色の泡と蒸気を噴き上げて泡立つ池を見下ろすフィオンは総毛立った。

 落ちたら最後、悲鳴を上げる間も許されずに溶けてしまうに違いない。

 「も、もうダメだ…もう、あああっ」

 キラエフの叫び声と同時にフワッと内臓が持ち上がり、下腹を強く握られたような不快な感覚に襲われた。

 胸の辺りに、やたら冷たい風が吹き上がって通り過ぎる。


 縄が切れた。


 「落ちるっ」


 (ダメか…)

 身体の重さが消えたような浮遊感。

 (落ちてゆく…)


 しかし次の瞬間に、再びガクンと強い衝撃。

 「ぬあっ」

 急に身体の重みが何倍にも増した。

 縄が上向きに強く引っ張られ、思わず手が滑りそうになる。

 「うあっ」


 落下が止まった。

 キラエフが切れた縄の両端を、それぞれ両手で必死に掴んでいる。

 「ぐう、ううっ」

 「キ、キラエフさんっ」


 挿絵(By みてみん)


 「早く…早く上れ。まずフィオンからだ。ダンマリと俺の身体を越えて上っていけ」

 「そ、そんな…」

 「いいから早くしろっ」

 真っ赤な顔でキラエフが怒鳴った。

 「お前が一番軽いんだ、俺が支えていられる間にさっさと上に行けってんだっ」

 その腕はすでに伸びきり、ブルブルと震えている。

 衛兵たちが放つ矢は容赦なく飛んでくる。

 「早くっ」

 「は、はいっ」

 フィオンが縄を上る。キラエフの身体にしがみつき、その肩に足を掛けて上の縄へ。

 その時、下の縄が大きく揺れた。

 「何だ、今度は何だっ…あ、あっ」

 ダンマリの左脚に一本の矢が突き刺さっていた。

 「っ……」

 ぐるぐる巻の包帯の下、目から苦悶が読み取れた。

 「ダンマリっ…大丈夫かっ」

 もとより隻腕隻脚のうえ、残った左脚までダラリとしている。

 「ちくしょう…左腕一本じゃとても上れねえだろうが」

 キラエフは下の縄を吊り上げる腕にぐいと力を込める。

 「待ってろ、引き上げてやるから上の縄に掴まれ…ぐああっ」

 今度はキラエフがやられた。背中から胸へと一本の矢が貫いていた。

 「うっ、ぐうあっ」

 ドクドクと流れる血は彼の身体を伝って足先から垂れ落ち王水池へ。ジュワっと煙を噴き上げて蒸発し生臭い匂いを発する。

 「ぶぐあっ」

 さらに別の矢が、キラエフの腹に突き刺さった。縄を持つ手が緩み、ズルズルと滑り落ち始めた。

 「ぐぶっ、ぐぐっ、頼むぞ、頼むぞフィオン、こいつをっ」

 真っ赤な顔のキラエフは全身の筋肉を膨隆させ、ダンマリがぶら下がった縄ごと真上に投げ飛ばした。

 「手を伸ばせっ、ダンマリっ」

 空中でダンマリは縄を離し手を伸ばした。その先にフィオンが伸ばした右手が。

 「掴んだっ。掴んだよキラエフさんっ」

 振り子のように揺れる縄をガッチリと掴んでフィオンが叫んだ。

 見下ろすとキラエフは意識朦朧、両眼球を上転させながらも穏やかに微笑んでいる。

 「やったな。ああ、最高の仲間だよ、俺たちは…」

 

 フッ、と縄が軽くなった。

 スローモーションのように、真っ直ぐに王水へ。笑顔の残像を遺したままキラエフは煮えたぎる王水の中に身を沈めていった。


 「キラエフ…さん…」

 

 矢は止まることなく飛んで来る。まるで感傷に浸ることを許さぬように。

 このままでは射抜かれるか、力尽きるか、縄のフックが外れるか。いずれにせよ死は免れない。

 矢の雨に晒されながら頼りない縄にぶら下がるフィオンとダンマリを、マブラスはニヤニヤ笑いながら見上げている。

 「死ね。さあ、死ね」

 

 うっすらと、フィオンの身体を覆うように真っ黒なオーラが表出した。

 力強く縄を握り締めて。

 「生き延びてやる…何が何でも、生き延びてやる」


 つづく

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