想定外
冥界・リジアの楽園からの脱走計画を実行に移した西四十二房の七名は、下水溝に身を潜め中央棟へ向かった。
フィオンが「連れて逃げる」と約束した女囚ウィッツオは部屋にその姿を見つけることが出来ず、一行は、能力を抑制している手枷足枷を外すため、管理室を目指すことにした。
図面をもう一度凝視し頭に叩き込み、再び下水溝へ。
強烈な臭気に鼻腔が爛れてしまいそうな狭い筒に身を押し込んだ七名。
「北だ、北へ真っ直ぐ。最初の分岐で右、少し進んで今度は左、十歩進んだあたりが詰所の真下だ」
互いの息遣いが筒の中でこだまする。臭いに加えて暑さ、窮屈さに耐えながら、真っ暗闇のトンネルを手探りでひたすら進む。
「見えてきた」
前方にうっすら光の筋が見えた。
「間違いない」
ドーム状に少し広くなった空間、真上の丸い穴から光が差し込んでくる。
「よりによって、こんなところから出るとは」
「ここは『出る』ところじゃなく『出す』ところなんだがなあ」
七名は中央棟の外れにある厠から下水溝を脱出した。
フィオンが再び図面を開く。
「あっちです。詰所まで一本道の広い通路がある」
「了解っ」
辺りを窺いながら忍び足、しかし足早に進む。混み合う昼間に比べ、今は全く人気が無い。
「調べた通りだよ。今丁度夜警番と日勤の交代の時間だから、衛兵たちは引継ぎに南詰所に行ってるんだ」
「こっちはガラ空き、ってわけだ…おお、あれだ。あれが管理室だな」
七名は扉の前に辿り着いた。
「さて」
コルボトがサッと前に出た。
「俺の出番だ」
袂に忍ばせた小さな金属片を指先で器用に曲げ、何度か鍵穴に入れては出し、入れては出し。
「どうだい」
鍵が開いた。
「前にも言ったろ。こう見えて手先は器用なんだ、と」
扉を開け管理室への侵入に成功した。
ベルシールはふと呟いた。
「なあコルボト、そんなに器用なら手枷足枷も外せるんじゃねえのか?」
コルボトは首を振る。
「イヤ無理だ。普通の枷とは勝手が違う。こいつは強い波動を帯びた冥鉱石で出来てるから、それに周波数を合わせた専用の鍵が要るんだ」
「いっそのこと…」
キラエフが言う。
「何かで叩いてぶっ壊しちまう、ってのはどうだい?」
「冥鉱石を割るってのかい? 相当な力が要る…いや、手足がもげるほどの力じゃなきゃ無理だろうし、冥鉱石をぶっ叩いたら衝撃波で全身粉々になっちまうぞ」
「ちっ…よく出来てらあな」
「だから…」
フィオンが言う。
「だから、回り道して此処に寄ったんじゃないですか。さあ、早く探しましょうよ、鍵を」
「おお、そうだった。鍵だ、鍵…」
七名は必死に管理室のあちこちを漁りはじめた。
「鍵を外すのを一回だけ見たことがある。ちょっと赤みがかった光る棒状のヤツだ。先っぽは小さなギザギザになってて…」
「こっちにゃ無いぞ」
「ううん、こっちにも無さそうだぜ」
棚、机、引き出し、書庫…探せど探せど、見つからない。
「おかしいなあ…ホントにここにあるのか?」
手枷足枷そのものは、うっすら橙色に怪しく光りながら棚にズラリと並べてで置いてある。
「枷がこんなにあるんだから、それを外す鍵も当然ここにあるに決まってる」
「だが、無いものは無いんだよ…」
もう一度、机の下から棚の裏、書物を一冊一冊開いてその頁の隙間まで、探してみる。
「無い。ホントに、無い」
座り込むフィオン。
ベルシールがその肩を叩いた。
「なあ、フィオン。諦めるのはいつでも出来る。最後まで、悔いが残らぬよう足掻こうじゃないか…」
「ベルシール、さん・・・」
「グリーブを思い出そうじゃないか。あれを乗り切ったんだ、俺たちは…とにかく、探そう。必ずここにあるはずなんだ。さあ、探そう」
隠し倉庫は無いか、ランプの中はどうだ、床が二重になってる部分は無いか。
しかし、やはり鍵はどこにも見当たらない。
いたずらに時間だけが過ぎ、七名の顔には強気な口調と裏腹に、焦燥が露わになってゆく。
「ん、んん?」
扉の近くにいたコルボトは外の廊下から聞こえた物音に気付いた。
「なんだ?」
サッと扉に近づいた瞬間だった。
「あ…うぐ、ぐう…」
バタン、と扉が勢いよく開いた。眩しいほどのカンテラの灯りが部屋を満たした。
「あっ…」
光の中に、剣で身体を貫かれたコルボトのシルエットが。
「コ、コルボトっ…!」
扉の向こうで目が光っている。
「バカなやつらだ」
「誰だ、誰だっ」
部屋の明かりが灯された。コルボトの身体は抱え上げられ、その胸から背中へ、大きな剣が貫通しているのが見えた。
噴き出す血はやがてその勢いを弱め、真っ赤に染まった顔を二、三度痙攣させたコルボトは完全に動かなくなった。
「そんな、そんな…」
ぐったりしたコルボトは床に投げ捨てられ、その蒼白な顔を踏みつけながら軍服を着た大きな男が部屋の中に入ってきた。
衛兵長、ブレドー。
「ふふふ、薄汚いネズミども。お前らの探し物は、ここには無いぞ」
「何っ?」
「お前たちの運命は最初から俺の手の中にあったんだよ」
ブレドーは横たわるコルボトの首筋に剣先を当て、ぐいと捻った。
「まず一つ。おまえら全員、晒し首だ。いい見せしめになる」
ザクッという鈍い音に続いて、無念の表情が残ったままのコルボトの首が転がった。
「さあ、次は誰にする」
血糊を拭き取ろうともせず、ブレドーが近づいてくる。その後ろから、次々に衛兵たちが入ってきた。
脱走者たちは包囲された。
「すでに送風口は全て閉鎖した。もはや逃げ道は無い、観念しろ」
唇を噛むベルシール。
「く…くそっ。なぜ、なぜだ」
薄ら笑いを浮かべたブレドーが剣を掲げ上げた。
「殺れ」
衛兵たちが突進してきた。
「万事休す、か」
まるで全てがスローモーション。松明を掲げてなだれ込んでくる衛兵たち、剣を振りかざすブレドー、足元で踏みつけられるコルボトの亡骸。
そっと目を閉じた。
怒号は、まるで遠くで鳴り響いているよう。
その、くぐもった喧騒の中、これまでフィオンが聞いた数々の言葉が漂うように浮かび上がって聞こえてくる。
父の声、母の声、姉の声。友人や衛兵たちの声、さらにマブラス、ウィッツオ。
そしてベルシールの言葉。
「お前には、どんなときも諦めない根性がある」
フィオンは、カッと目を見開いた。
(そうだ…諦めない。それが僕の存在価値)
フィオンが叫んだ。
「みんな、屈んでっ」
同時に取り出したのは、ウィッツオがくれた爆薬の粉。
「ぶっ飛ぶぞっ」
衛兵たちが持つ松明に爆薬が引火した。
「ぐぐはあっ」
「ぶぐああっ」
閃光、轟音、爆風。
フィオンが投げた爆薬の粉は辺りを瓦礫の山に変えた。吹き飛んだ衛兵たちは炎に包まれ黒焦げになってもがいている。
倒れかけた棚の下からベルシールが飛び出した。
「大丈夫か、みんな大丈夫か」
キラエフ、トナッラ、ゾーフォ、ダンマリ、そしてフィオン。生き延びた「勇者たち」はベルシールのもとに駆けつけた。
「やったな、フィオン」
「助かったぜ」
「なんとかこの場はしのいだが…間違いなくすぐに追っ手が来る。どうする?」
「とにかくここから…」
見回すと、爆発によって壁に大きな穴が開いていた。向こうに見えるのは南北に伸びる廊下。
「あそこから脱出するしかないな」
しかしフィオンは図面を見ながら怪訝そうな顔。
「けど、あれは鉱石運搬用の一本道。南に進めば衛兵たちの詰所の真ん前に出ちゃうし、北は冥鉱石の加工場で行き止まり…」
「くそっ、どっちみち逃げられねえのかっ」
キラエフが嘆く。
「もう、ダメもとで突っ込むしかねえっ」
「いや、待て」
ベルシールが目を輝かせた。
「図面を良く見ろ。加工場には冥鉱石を溶かす特製の王水プールがある」
「ああ、見りゃ判るが…それがどうした?」
ベルシールはニヤリと笑った。
「俺は昔鉱山で働いてたから知ってる。あの王水はとんでもなく毒性が強く、冥鉱石を溶解する時には大量の蒸気を発生するシロモノだ」
「だから何だ。教師の講義みたいなもんは必要ねえっての」
「落ち着けキラエフ。つまり、加工場の王水プールの上には間違いなく、通気用の天窓がある」
「…ってことは?」
「察しろ、キラエフ。その天窓が唯一の逃げ道、ってことだ」
キラエフはポン、と手を打った。
「なるほど。学問もこういう時にゃ役立つってわけだ」
ベルシールがフィオンに尋ねる。
「図面上、加工場の建物の屋根までの高さはどれくらいだ?」
「ええと…五十尺(=約十五メートル)ってとこです」
「なんだって?」
トナッラは眉をひそめた。
「とてもじゃねえが高すぎる、どうやって上るんだい。それに、もし途中で王水に落ちたら…」
「ああ、骨まで残らず溶けてしまうだろうよ」
「むうう…」
ゾーフォが指をパチンと鳴らした。
「なあ、ちょっと待っててくれ」
瓦礫の下に折り重なる衛兵たちの亡骸が手に掴んでいる捕り縄、そして刺股を奪って持ってきた。
「この縄を何本か結んで伸ばしたら五十尺に足りるだろ、先っちょに刺股の金具を取り付けりゃ鈎縄の出来上がりだ」
「そうだな、それでいこう」
キラエフが小躍りしながら皆を急かす。
「よし決まった。もう時間が無い、そいつに賭けようじゃねえの。さあ、行こうぜ」
一同は頷き、爆発に空いた穴から南北の廊下に出た。目指すは北の冥鉱石加工場。
非常事態の鐘は相変わらず鳴り続けている。
くすぶる瓦礫の中からムクリと起き上がった大男は衛兵長・ブレドーだった。
「ふっ…絶対に、逃がしはせん」
つづく




