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冥将記  作者: 蝦夷 漫筆
哀哭のリジア
13/40

決行のとき

 冥界にそびえる強制収容所「リジアの楽園」で密かに脱走を企てる一団があった。

 アヴェード族のベルシールをリーダー格に、オニ族のキラエフ、レディップ族のトナッラ、エヌスティク族のゾーフォ、隻腕隻脚の全身包帯男ダンマリ、ノメイド族のコルボト、そして怪人族の戦災孤児フィオン。

 絶望の象徴である「リジア」にあって、彼らの目は希望に満ちていた。


 冥界の空が白みはじめた。ペリュトン鳥の甲高い鳴き声が牢内にかすかに聞こえてくる。

 囚人の誰もがまだ深い眠りの中にいるはずのこの時間、すでにベルシールの目は爛々としていた。

 「時間だ…」

 他の六名も同様に、暗闇の中で目を輝かせた。

 

 西四十二房、その狭い舎房の中でいびきが連なり不快なリズムを奏でている。

 「こらっ、てめえっ」

 大きな怒号が、その醜悪なハーモニーを上回って牢内に響く。

 「ちっ、いつまで黙ってやがる。気に入らねえな」

 どんどん怒鳴り声はエスカレートする。

 「もう許さねえっ」

 

 「ちっ、なんだい朝っぱらから…」

 目をこすりながら上体を起こし、何が起こったか暗闇で目を凝らす他の囚人たち。

 「くたばれえっ」

 キラエフが発した叫び声と、石畳を通じて響くドタバタとした足音に牢内が驚いた。

 「ひいいっ」

 何事か、と牢内は明かりに照らされ、囚人たちの驚きはさらに増した。

 「おいっ、何やってる。喧嘩か、あっ、血がっ。おおい、誰か、おおい」

 ついさっきまで熟睡していた囚人たちは驚いて目を剥いている。巨体のキラエフとダンマリが、目の前で激しくやりあっているのだから。

 「けっ、黙ってちゃわからねえだろ」

 キラエフが突進すると、その頭に生えた角がダンマリの腹に突き刺さった。

 「あっ」

 噴き出す血。

 「ひやああっ、血だあっ」

 騒然とする牢内。

 今度はダンマリが反撃。キラエフの首を左腕一本で締めあげる。


 「喧嘩だ、喧嘩だっ」

 コルボトが早口でまくしたてる。

 「便所にいこうとしたキラエフの脚をダンマリが引っ掛けて転ばせたらしい。こいつら、喧嘩を始めやがった」

 「大変だあっ、大変だあっ。怪我人だ、重傷だっ」

 牢内をバタバタと走り回り、鉄格子をガタガタ揺らして外に向かって叫ぶ。

 「衛兵さん、衛兵さあん。すぐ来て、来てくれっ。牢内で大喧嘩だあっ。死人が出るうっ」

 騒動に目を覚ました牢名主のガルスが叫んだ。

 「黙れっ、うるせえっ。喧嘩だと? それしきのことで騒ぐんじゃねえっ」

 眠そうに目をこすりながら立ちあがったガルスをチラっと見たダンマリは、キラエフの腹に強烈な拳の一撃を食らわせた。

 「うあっ」

 吹っ飛んだキラエフはまるで体当たりをするように、ガルスにのしかかった。

 「こらっ、貴様っ。こらっ」

 目を回すガルス。

 

 「ちっ、何の騒ぎだっ」

 急な呼び出しに苛々しながらも衛兵たちが駆けつけてきた。

 「お前ら、朝っぱらから…こちとら昨夜は月例の宴だったんだ、今日くらいゆっくり寝かせておいて欲しいってのに、クソったれが」

 「こいつら全員処刑台だな、間違いねえ」

 「さっさとつまみ出して首切り場に連れてけ」

 舌打ちしながら衛兵は西四十二房の扉を開け、ゾロゾロと中に入ってきた。


 「そんな朝だから、やったのさ」

 ベルシールが呟いた。

 「ん?」

 衛兵が首を傾げるのと同時にベルシールは両手を前にサッと突き出した。

 「な、なんだっ」

 白い粉がフワッと舞い、あっというまに牢内の視界が閉ざされる。

 

挿絵(By みてみん)


 「見えん、見えんぞ。どうなってる」

 慌てふためく衛兵、そして囚人たち。

 ベルシールがほくそ笑んだ。

 「ふっ」

 使役で掘っている岩盤の中にかつてマグマの熱に晒されたチタン鉱石を密かに削り貯め、湿気の多い牢内に散らすことで煙幕を張ることに成功した。

 「上手くいった」

 舎房内は充満する煙の中で衛兵と囚人たちが入り乱れて大混乱。

 「さあ、行くぞ」

 七名の「勇者たち」は急いで牢を出た。扉を閉め、どさくさに紛れて衛兵から取り上げた錠前をガッチリと掛けて出られないようにした。

 「ところで、大丈夫か? ダンマリ」

 演技とはいえ仲間さえも心配するほどの迫真の喧嘩だった。

 包帯の奥でダンマリの目が笑う。ベルシールはホッと胸を撫で下ろした。

 「まるで本物だな」

 ダンマリの腹には、あらかじめ廃材の赤さびを集め食餌を混ぜて作った血糊がベットリ。

 コルボトが胸を張る。

 「作ったのは俺だ。こう見えて手先は器用なのさ」


 七名は薄明の監獄内を走った。ひたすら走った。もう「忍び足」なんて言ってはいられない。中央棟を目指し細長い廊下を真っ直ぐ走る。

 西棟はすでに大騒ぎ。

 「なんだっ」

 「脱走?」

 「まさか」

 「無理だ」

 大きな鐘の音が非常事態を知らせている。怒鳴るような声で「衛兵はただちに西棟に急行せよ」と、繰り返されるのが聞こえる。


 「来たっ」

 武装した衛兵たちが正面から走ってくるのが見えた。十人、いやもっと。

 狭い廊下で鎧がぶつかり合う金属音が近づいてくる。

 「ほら、わんさか来やがった」

 ベルシールはニヤッと笑った。

 「さあ、十分引きつけて」

 迫る衛兵たちの前に立ちはだかる。

 「食らえ」

 再び白い粉を撒き散らした。広がる煙幕。

 「ふっ、しばらくあんたらは霧の中、だ」


 フィオンが下を指差した。手にはウィッツオからもらった薬包紙。ウラには監獄全体の図面が描かれている。

 「ここです、ここです」

 「了解っ」

 キラエフが、隠し持ったくさび状の金具を石畳の隙間にねじ込んだ。使役の後片付けの際にこっそり持ち帰っていたものだ。

 「ええいっ」

 梃子てこを利用して石畳を起こし、引き上げた。

 「うっ。ひでな、こりゃ」

 隙間から吹き込んだ風に乗って、思わず鼻をつままずにいられぬ悪臭が。

 「思った以上だ、息が詰まるぜこりゃ」

 彼らがこじ開けた石畳の真下は下水溝。七名は、一畳ほどの穴から身体を潜り込ませた。

 「ウィッツオの描いてくれた図面の通りだ」

 嬉しそうなフィオン。キラエフは外した石畳を元に戻し終え、その肩をポンと叩いた。

 「やるじゃねえか、色男」


 コルボトは顔をしかめている。

 「それにしても…」

 膝近くまで汚水。背をかがめなければ頭がつっかえてしまうほどの狭い穴。

 「狭いのは仕方ねえ。我慢ならねえのはこの臭いだ。染み付いちゃったら一ヶ月は誰も近寄ってくれねえぞ」

 いまにも吐きそうな表情。

 「真っ暗だし」

 「確かに何も見えない…そうだ、これを使えば明かりが」

 フィオンが取り出そうとしたのはウィッツオからもらった爆薬。だがベルシールがそれを止めた。

 「やめとけ。この臭い…汚水が発酵して可燃性になってる。さっき石畳を外したとき一気に風が吹き出たのは圧が高い証拠」

 「そ、そうか…明かりはなくっても、図面は僕の頭ん中に入ってる。まずは北へ」

 フィオンが先導し、細い孔を北へと進む。

 「もう少しすると、だんだん広くなりますよ」

 「あっ、ホントだ」

 「臭いもさらにキツくなると思いますが…」

 「…ほんとだ」

 一行は北西にある広い空間に出た。

 集まった汚水が巨大な格子のフィルターを通って深層に流れ落ち、さらに北へとつづく大きな孔に向かってゆく。

 「すげえ設備だ。これがが千年も前からあるなんて驚きだな」

 「ええ。北の地下水脈から引かれた豊富な上水道もありますからね。冥界遺産に選定されますよ。世の中が平和なら」

 「ちっ、上下水がっちり完備、か。俺たち奴隷は一日一杯の水しかもらえねえってのに」

 「文句もほどほどにしとけ、どうせ監獄こことはもうすぐおさらば、だ」



 小さな天窓からのわずかな灯りに気付いたフィオンは、あらためて図面を開いた。

 「さあ、次はこっちです」

 一同は東へ向かう小さな孔に身体をねじ込んだ。

 「これは北棟の汚水を運んでくる水路。もう一つの、南東に伸びる水路が中央棟に直接繋がっていますが…」

 「ん?」

 キラエフが首を捻った。

 「俺たちは中央棟を目指してるんだろ、なんで直接向かわずに北の水路に?」

 「ちっ、鈍いなあ。察してやれよ」

 ゾーフォがフッと笑った。


 フィオンは立ち止まって水路の天井を指差した。

 「ここです」

 「ここ、か…」

 キラエフはフィオンに指示されるがままに水路の天井にくさびを打ち込み石の屋根を外した。

 「ほう、この上はどこに繋がってるんだ?」

 顔を出したキラエフの前には、女たち。

 「なるほど、そういうことかフィオン…」

 「約束したんです。彼女と」

 一同はさっそく穴から女たちの部屋へと侵入した。

 「ん?」

 女たちは皆、あられもない格好でぐったりと寝ていた。

 「ウィッツオもいるはず。ここはマブラスが飼っている女たちの部屋」

 散らかった部屋。いたるところに白い粉末、炙った植物の葉。独特の草っぽい臭いと紫色の煙が充満している。


挿絵(By みてみん)


 ベルシールは眉をひそめた。

 「クスリだ。女たちは逃げ出せないよう、クスリ漬けにされてるんだ」

 ぐったりとしながらも、時々思い出したように妙な笑い声を上げる女たち。

 目を開けているのに何処を見ているやら虚ろで、口からはだらしなく唾液が漏れている。

 「いない、いないっ」

 弛緩した笑顔の女たちに囲まれて、フィオンだけは青ざめていた。

 「どこだ、おい。ウィッツオはどこだっ…お前じゃない、お前でもない」

 どの女に訊いても、まともな返答は得られない。手がかりはないかとあちこちをあさるフィオン。

 だが、ウィッツオはいなかった。

 「約束だろウィッツオ。約束しただろ…」

 

 部屋の外からは非常事態を告げる鐘の音と、衛兵長の声が聞こえてきた。

 「脱走者あり。直ちに捕獲せよ。逆らう場合は殺して構わん。繰り返す、西棟から脱走者。他の棟に移動していると思われる」

 ベルシールが急かす。

 「急がないとマズイぞ」

 フィオンが首を振る。

 「でも、でも…」

 「気持ちはわかるが、ここにとどまったところで時間が過ぎてゆくだけだ」

 「約束したんです。彼女と」

 「わかってる。だが今はとにかく手枷足枷を外そう。そうして身を軽くしてから探したほうが効率がいい」

 「はい…」

 再び一同は下水溝に潜り込んだ。

 

 つづく

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