第7話 ひみつのその1
そんなわけで裏門にやってきたのだ。
部室に行ってみたところ武城は来ておらず、しばらく待っていると、
「おい春木。裏門に来い」
ようやくやってきた武城が開口一番そんなことを言った。
えっ。体育館裏じゃなくて?
というようなことを言い返そうと思う間もなく、武城は向きを変えてずんずん歩いて行ってしまう。
なんだよもー、と思いつつ、そこいらに鞄を投げ出してだらりとしていた姿勢を整え、武城の後を追うべく部室を出た。
すでに武城は階段を降りているようで、姿が見えなくなっていたが、とりあえず裏門に行けばよいのだろうと思ってのそのそと裏門を目指した。
学校の裏門へ近づいていくと、どこかの運動部の下級生たちが基礎練習をやらされているのが目に入った。
人数の多い部活は日の当たらないところで大変だね、と春木は気楽な感想を抱いた。とともに、ああやって部活動は受け継がれていくんだねえ、俺たちとは大違いだ……と思う。
さて、こちらはいったいこれから何をさせられるのか。
いつも部室で日が暮れるまでぐだぐだと話をして過ごすのに、今日の武城さんはどういう風の吹き回しなのかな。
武城は裏門で待ち構えていた。
「やあ来たな。今日はここから外へ行こう」
「外ですか」
いつも正門から学校へ入るし、家もそちらの方向にあるので、春木は裏門にはほとんど来たことがなかった。ましてその先の街には足を踏み入れたことがない。毎日通っている場所ではあるが、学校周辺の地理にはとんと疎いのだった。
「こっち側って全然来たことないんですよね」
「わたしもあまり来たことがない。こっち側は行けば行くほど店もなくて住宅が広がるだけというからな」
「じゃあ今日は何をするんですか」
「社会科見学のようなものだよ。はいこれ」
春木は武城から一枚の紙を手渡された。
見ると、いかにも古めかしい描線で描かれた地図だった。添えられた手書き風のかすれた印刷文字も、ここ10年や20年の印刷物でないことを主張していた。
「これは50年ほど前の、ちょうどこの学校のあたりの地図だ。赤丸のところが現在地。今日はこの地図を頼りに、街歩きをしよう」
「なるほど社会科見学。こういうの小学校の時にやりましたよ。こんな古地図じゃないですけど」
「ほう? どういうのだ?」
「真っ白な住宅地図を持ちながら、近所を歩いてみようって授業でした。ここに公園があるとか、信号があるとか、店や自販機があるとか、そういうのを書き込んでいくんです。いま思うと、結構楽しかったですね。自分の知ってる世界が広がっていく感じがして」
そのころの記憶はずいぶん曖昧になっていたが、いまや通学の間通り過ぎるだけのつまらない風景が、あの時は「冒険」の名に値する何かだったのは確かで、その感慨だけはぼんやりと心に残っていた。
「そうか。それはよい思い出だな」
「そうですかね」
「そうだとも。未知の探求は人間が人間たるの第一歩だよ。たとえどんなありふれたものを見るだけであろうとな」
「おっ。かっこいいセリフ」
「ふふん。今日はそんな美しい思い出とはちょっと違うが、これも楽しいと思うぞ。屋内で話してるだけじゃなく、体も動かさないとな」
「今日は古地図を見ながら宝探しですか」
春木は、小学生の時だったらその設定で一日遊べただろうなと思い浮かべてそう言った。
「宝か。そういうのもいいな。だが今回は、暗渠だ」
「あんきょ?」
「簡単に言うと、道路の下に流れる川や水路のことだ。今日はそれを見に行く」
「え? 道路? の下?」
「そう。小さい川や水路は宅地開発の流れで埋められたり、上に道路を渡して蓋をしてしまったりしたんだ。どぶ川になって悪臭がするからということで暗渠になったこともあるらしいがな。ほら、こっちが最新の地図だ」
武城にもう一枚紙を渡された。きれいな印刷。授業でも時折見るものと同様の地図だった。
古地図のほうと見比べると、いまやほぼ住宅で埋められた部分に、川が書き込まれていた。他にも、山なのか丘なのかわからないが、起伏があるような描き方がされている部分もある。
地図から目を上げて、裏門から先に広がる街に視線を向けると、見渡す限り住宅が広がっている。ほぼ平らな地形に見え、とうてい同じ土地を表した図とは思えなかった。
川といえば堤防があって、その近くには木が植わっていることが多く、離れたところから見ても川かなと思えるものだというのが春木の認識だったが、そのような景色も見えなかった。
「あんきょですか……。知らない言葉だったなあ」
「ちなみにこう書く」
武城は自分が持っているほうの古地図の端に「暗渠」と書いて、春木に見せた。
「初めて見る漢字だ」
「覚えておくといい。自慢できるぞ」
「それはどうかな……。でももう道路で蓋がされちゃってるんでしょ? 見に行っても、わからないんじゃ?」
「わからなくなってる部分もあると思うが、たいていは、言うなれば巨大な側溝のような状態になってるらしい。欄干だけ残ってたりすることもあるらしいぞ」
「へええ」
春木は、何の変哲もないアスファルトに欄干が残っている様子を想像してみた。ガードレール……じゃないんだよな。手すりなわけだから……うーん。いまいち頭に浮かんでこない。
「さあ、行ってみよう。ついでに何か面白いものも見つかるかもしれない。街歩きの醍醐味だ」
颯爽と裏門を出て行く武城のあとを、とぼとぼと春木はついて歩いた。
春木は初めて補助輪なしで自転車に乗れるようになった時のことを思い出していた。
町内や学校を越えて、どこまでも遠くへ行くことができる気持ちになったものだ。
来たことがない街に入ると、お店や公園といったわかりやすいものだけでなく、道路の風合い、歩く人たちのまとう空気、建物の放つ湿度の違いが、幼い自分にもわかった。
すでにそれらの実感は遠いものとなり、みな、慣れた。多くのことは想像の範囲内で収まり、またそうであろうと予測するようになり、次第にどこへも足を伸ばさなくなったように思う。待ち受けるものが何も期待できないなら、行く必要もない。
「どうした春木。老け込んだような顔をするにはまだ早いぞ! さっさと来い!」
「は、はいっ」
春木は慌てて武城の横まで駆け寄った。
……正直、どきりとした。心根を見抜かれていたかと。
いかんいかん。わかったような気になるのは悪い癖だ。いくらそんな気になったところで、わからないこと知らないことが全然減っていないのは、この人と一緒にいてさんざん理解させられてきたことだ。
いまひととき、あのころのような熱を思い出してみよう。
春木は、今度は背筋を伸ばして歩いた。




