第3話 金色のひみつ
部室に入るなり、春木はすばらしいものを見た。
武城が髪をポニーテールにしていたのである。
生命、宇宙、そして万物についての究極の疑問の答え。
それは、ポニーテール。
おお黒髪よ。黒の神よ。
その貴きはなにゆえか。
春木が四次元宇宙の彼方に視線を飛ばしていると、
「どうした春木。エウレカめいた顔をして」
武城が不審なセリフを不審な目つきで投げてきた。
「は。いや、はい。すみません‥‥。本日のアジェンダは何でしょう」
春木は席について優雅に足を組み、精一杯気取って言った。
「本当に大丈夫か」
「……いや武城さんこそどういう風の吹き回しですか」
「ん? ああ、これか?」
武城は後頭部高くついたしっぽを軽く振り回した。
電灯を照り返す髪のつやが目に入って、春木はめまいがしそうになる。
「ただの気分転換だよ。どうだ? 似合うか?」
「……」
「なんだ?」
「……正直に申し上げますと、この世にこんなにありがたいものがあったなんて、と祈りを捧げたい気持ちです」
「へ、変なことを言うな。さあ、今日の議題だ」
武城はほほを少し赤くして、慌てるように手元のルーズリーフを持ち上げた。
春木は、武城がホワイトボードに何事か書いている様子を眺めながら、「人が神に祈る気持ちというのはこういうものなのだなあ」とひとり静かに深い感動を覚えていた。
「今日は、“金色”だ」
まだ少々うわずったような声で武城は言った。
「きんいろ。ふぇー」
なんだそりゃ、と思ったので春木は気のない返事をする。
「あらかじめ言っておくが、今日は完全にわたし独自の論だ」
「はあ。それは全く構いませんけども」
春木としてはどちらにせよよくわからない話でしかないし、あとから根拠を確かめるような誠実さも持ち合わせておらず、そんなことよりそのしっぽをもうちょっと振ってみてくれと思っていた。
「それでは訊くが、金色、あるいは金が、貴重なもの・豪華なものとみなされるのはなぜだと思う?」
「へ? そりゃー……ええと、数が少ないからでしょう」
高価だからでしょ、とトートロジーなことを言いそうになりつつ春木は答えた。
「なるほどそれはそうだ。しかし数が少ないだけのものなんて世の中にはたくさんあるぞ。でもどれもこれもが貴重なもの扱いされているわけではないよな」
「あー。うーん。そうですね……。じゃあ、きれいだから、とか」
「うん。それも一つの答えだ。でもきれいなものというならいろんなものがあるよな。宝石だってあるし。でもわれわれにとって、金色って特別扱いされてないか?」
「んんんー」
春木は唸った。
金や金色が出てくるシーンをいろいろ想像してみる。
金はかつては貨幣として使われていたし、現在でも金融相場では金の価格がやりとりされている。豪華な色といえば多くの人がとりあえず金色を挙げるだろうし、色紙には金色(と銀色)が入っているし、500円玉はちょっと金色でかっこいいし、ツタンカーメンは黄金のマスクだ。
……困った、なぜ金なのだろう。なぜ金は特別なのだろう。
「不思議だろう」
「うむむ。たしかに」
春木はそんなこと考えたこともなかった。
自分の意識の中の「特別」「豪華」はいつの間に形成されたのか。
誰かにそう教えられたから? 小さい時にそう教えられたら信じ込んじゃったのかな?
いやいや、子供ってのは、「なんでキンがきちょうなのー? なんでー? なんでー?」なんて具合に繰り返すものだ。教えたからで済むもんじゃない。
春木は、親戚の子供を相手にした時の経験から、それは痛感していた。
「どうだ。考えてみると存外むずかしいものだろう?」
「ぐぬぬ…………。武城先生! 答えをお願いします!」
「わたしの説だ。答えじゃないぞ」
「ドンマイでございます」
「いいだろう。端的に言うとだな、」
「詳細に順を追ってお願いします」
すかさず春木は口を挟んだ。端的に言われてもわかる気がしないのである。
「ぜいたくなやつだな。じゃあご希望通り順を追って。まず、かつて世界は暗かった」
「わーもうわからなくなってきた」
ポエムが始まったのかと思ってしまった。
「落ち着け。大昔は電灯がなかったから、太陽か炎の光しか頼るものがなかったのはわかるな?」
「ああそういう意味でしたか」
「昼間のうちはいいが、夜になったら明かりは炎しかない。ろうそくの火を思い浮かべるといい。当然、家全体どころか部屋一つも満足に照らせない。“明るい”ということは本当に貴重なことだったんだ。いま私たちは星や月の明るさを実感することは少ないが、何せ当時の夜は真の闇。わずかな月光でもありがたかったに違いない。そりゃあ月も神格化されようというものだ」
「そうでしょうねぇ」
「そこで登場するのが金だ」
「おおっ。やんややんや」
「真面目に聞け。……こほん。さて、そんな乏しい光しかない時代、何の因果か春木が金塊を手に入れたとしよう」
「お、おす。突然のわたくし登場……」
「夜、あたりをきょろきょろ見回しながら、春木は懐に金塊をしのばせてようやく帰宅した……」
「完全に悪いことして金塊を手に入れた感じのわたくし」
「窓から差し込む月光を頼りに、手探りでようやくランプに火を入れる。部屋の中がぼうっと明るくなった。春木は手に入れた金塊を見ようと、いそいそと取り出した。すると!」
「すると!」
真面目に聞くとは何だったのか。
「そのわずかな炎の光に照らされて輝く金塊の見事なこと!」
「ヤッター! …………それで?」
春木は諸手を挙げて不思議な顔をした。
「ん? わからんのか?」
「いや金塊うれしいっす」
「そうでなくてだな。金というのは、炎程度のわずかな明かりでも非常にきれいに輝く。すなわち光をよく反射してくれるわけだ。それは、暗いことが当たり前の時代にあって、とてつもなくすばらしいことに思えたに違いなかろう。金は、世界を物理的に明るくしてくれるんだ」
「むう」
「人間とて動物。夜は恐ろしい。あたりが見えないというのは不安を山ほど連れてくる。闇は恐怖そのものだ。金は、迷い歩いた闇夜にふと差し込んでくれた月光のようにありがたかったに違いない」
武城の修辞を聞きながら、春木は子供のころに行ったキャンプ場の夜を思い出していた。
街なかに暮らしている時とは違って、星の瞬きが驚くほど明るく思えたのを覚えている。
あるいは、過去の時代を生きる自分を想像した。
例えば自分がタイムスリップして何百年も昔の時代に行ってしまったとしよう。
そこは想像を絶するほどに暗い世界のはずだ。松明もなく道に迷いでもすれば、ほとんど死を覚悟せねばならないだろう。
そんなとき、ほんのわずかな光を反射してきらめく金は、神のもたらした金属であるかのように思ってしまうのではないか。
そして、「他のきれいな色のもの」よりも金色が特別なのは、金色が最も美しく光を反射してくれるからだ。それが金色で「なければならない」理由というわけだ。
「“明るい”ということはそれだけで人間にとって特別だということなんだ。これはもう、いうなれば遺伝子に刻まれたというべきレベルなのじゃないかな?」
「う~ん、なるほど。感嘆しました。…………あ、そうか。だからすっかり“明るくなった”現代だと、金色は逆に『派手すぎる』なんて言われることもあるわけか」
「うむ、いい着眼点だな。確かに金色は派手だといって避ける向きもある。それだけわたしたちが明るいことに慣れたといえる。銀色のほうが渋くてかっこいいなんて思ったりするからな」
「そうですよね。そうすると、電灯がなかった時代と比べると、人間てもう別の動物といえるかもしれないですねぇ……」
「そうだな。ああそれから」
武城がメモに目をやって言った。
「ニュースか何かで見たことないか? 教科書に出てくるような有名な寺を当時のままの色で再現してみたら、とんでもなく極彩色だったってやつ」
「ああーありますね。すんげえ派手なの。コントラストが強いっていうか」
「うん。あれも同じ理由によるのだろうとわたしは考えている。つまり世界が“暗かった”から、よりはっきりとした色で塗るのがよいこととされていたんだ。明瞭で、よく光を反射しそうな色。その建物は人々にとっては――そうだな、現代でいうとコンビニのようなものだったかもしれない」
「コンビニ??」
「コンビニは通常の店よりもたくさん電灯を使っているんだ。一度天井を見てみるといい。ああやって明るくすることで、夜道を通りかかった人がついふらふらと入りたくなるように作られているのさ。誘蛾灯のようなものだ」
誘蛾灯と言われるとなんだか馬鹿みたいだが、確かにコンビニは夜ひときわ明るく思え、なんとなくそこを目印にしてしまうし、ちょっと何か買おうかななんて思ってしまう。
くそう、今度天井をしげしげと見てやるぞ、と春木はよくわからない復讐心を抱いた。
「そうすると何ですね、寺に寄せられた信仰心というのも、何というか非常に動物的なものなのかもしれないですね……」
人間の習性をうまく利用してんだなと感心するとともに、自分がどうしようもなく動物なのだなということがわかって、春木はなんだか情けない気持ちになっていた。
「はっはっは。そうだな。しかし何もかも計算ずくとは限らないさ。あくまでも自然に、自分たちの生理的欲求に従って、賢明にやった結果そうなったというだけかもしれない。わたしたちよりもずっと“人工的でない”生き方をしていただろうからな」
「いやまったく。そのとおりですね。いやー……今日は感銘を受けましたよ」
春木はしみじみ言った。
「なんだその普段は感銘を受けてないみたいな言い方は」
武城がすかさず言い返す。
「と言いたいところだが、まあ今回は許してやろう」
言うだけ言っておいて、武城は満足げな顔をした。
自分ひとりで考えた説がうまく春木に通じてうれしいらしい。
まったく、金色といいポニーテールといい、世の中にはありがたいものがいっぱいだ。
日常の中のささいなありがたみに気づいて生きていかねばならないな、と春木は「ちょっと俺かっこいいな」という気分で思ったのだった。
ほどよいところで、家に帰りなさいの音楽が学校中に鳴った。




