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「お願い。」

眼の前を通り過ぎようとする華奢な手を、私はほとんど無意識に、その手首を強くつかんだ。

お腹をはじめとして、全身を襲う激痛に、上体をあげることができない。つまり自然と視線は低く、自分でもなんで立ってられるのか分からない。片手で壁をついて、もう一方は流血の勢いをどうにか抑えようとお腹にあてていた。この先にたぶん待っているものを、いまさら恐れはしないけれど、私にはまだ、ひとつだけやらなきゃいけないことがある。これを心残りにするわけにはいかない。ここでこのまま死んでしまったら、無念なんてものじゃ、きっと収まらない。

懸命に上を向くと、銀色の髪の少年がこちらを怯えた眼で伺っていた。

そりゃそうだ、怖いよね。

私は内心申し訳なく思いながらも、彼にペンダントを託す。そして掠れた声をどうにか出して、私は彼に話しかけた。

「ごめんね。本当は全部教えて上げるべき何だろうけれど、御覧の通り私には、時間がないんだ。」



 死はただ、私たちを自由にしてくれる、鎖を解くための鍵。私たちの魂は、私たちをきっともう一度会わせてくれる。私はそう信じている。目の前に迫るのは、この肉体の終わり。でもそれは魂の消滅までは意味しないと。

だから不思議と死ぬのは怖くない。この躯が冷たく硬くなってゆくことに、今はなんの焦りもない。

胸に深く穿たれた真ん丸の穴からは、赤い液体がてらてらと輝きながらノロマに這い出てくる。足元が揺らぎ、耐え切れず背中を壁に預けた。私を貫いた銃弾は、人の体内で細かく散乱し、臓器や骨盤に致命的な損傷を与える。その銃弾は私が開発したものだ。

眼や、肩や、或いは自身の息遣いが硬くなる。それに反して激しくなっていく呼吸は、しかし酸素の供給には至らないと自覚できる。

そしてうつろう意識の中で、漠然と意識できる死。真っ白な激痛と、掠れていく胸の響き。

しかしこの状況においても、私の潜在的な部分は学者たらんとする。

人は何故この感覚を恐れるのか?

迫る死の感覚。どうあがいても逃れられないものと分かっていて、あえて逃れようと試みる。そんなに生き永らえたいのか。私にはむしろ生きていることの方が不安でならない。生きるということはどうしようもなく不安定で、原因と結果が常に付き纏う。そして大切なところで、大切なことが、うまくはいかない。

すなわちそれは鎖だ。生きるという鎖。生きるという行為そのものが私たちを縛る。長く生きれば生きるほど、足掻けば足掻くほど、その締め付けが厳しく激しくなる。

その呪縛から逃れたいと。もういっそ、楽にして欲しいと。そうは思わないのか。いや、おういう人間が、全くいないわけじゃない。具体的な数字は分からないけれど、自ら命を断つという人が一定数、この世界にはいる。私から言わせればそれが、この世で唯一冴えたやり方だ。


肺からの出血が口内へと登り、咽ぶような咳と一緒に唇から真っ赤な花火が上がる。その行方を目で辿っていると、見覚えのある姿がこちらに近づいているのに気付く。

鋼色の魔装で全身を包む、大きな影。

「キース。来ていたの?」正直に驚いた。

彼の足が止まる。何も言わず、項垂れるわけでもなく、上からこちらを見下ろしている。その様子で

彼が探しているのは私じゃないとわかる。冷たい鎧の間から、背中が震えるような低い声が聞こえた。

「勾玉はどうした?」思わず息を呑む。そして心苦しく、あえぐように答える。

「…さぁ、どうしたかしら?無くしたのね、きっと。気付かなかったわ…。」

瞬間に、首が激しく押さえつけられたかと思うと、体ごとそのまま掴み上げられ、程なく足が宙に浮かぶ。

唇から噴き出す血の匂いと軋むような捩れるような音が、顎にかかる自重をより実感させて、ああ、ついに、と恍惚を覚える。でもなんか寂しくなって、思わず彼を呼ぼう、と喉に力をいれるけれど、

「…」それは声にならなくて、その代わり目から一筋の涙が流れた。

泣きながら自分でも笑ってしまう。

何を泣くの?何を泣いてるの?今までそんな弱さは微塵も見せなかったのに。もうこんな所にいるというのに。

こんな所で泣いてしまうの?

この幸福な最期の時に。

「何故泣いているのか。」

ああ、彼の声だ。少し掠れた、低い音。

ええ本当、なんででしょうね、自分でも分からないわ。

突然、痛みが体からゆっくりと引いていくのがわかった。同時に目の前も暗くなってゆく。体中の感覚が急速に縮んでゆく。

長い長い苦痛の、終わりが近い。

ねぇキース。

まだ、そこにいる?

いるならお願い。

何だかとても寂しいから。

ここはとても寒くて暗い。

だからお願い。

ずっと、隣にいてね?

私が眠るまで。

「お前が泣くのか、ホムラ。」

その泪の理由が俺には分からない。なぜだ?と戸惑ってしまうと同時に、無性に腹が立つ。

「泣くなら何故ここへ来た。」

いやそれよりは。

「…なぜ無くした」

それが問題だ、二人にとっては。

俺の頭からは疑問が尽きない。

お前といる時はいつもそうだ。俺には、お前のすべてが気になって仕方がないんだ。

裏切られ、激しく憎悪する今となっても、お前のすべてを知り尽くし、お前の全てを奪いたいと心の底から思ってる。

「お前が泣くのは、つまり…俺も泣いていいということか。」許してくれるのかホムラ。

俺はずっと、お前に許されるのを待っていたのに。その証が、まさに勾玉だというのに。

ああ、しかしホムラ。勾玉をどこへやった?

無くしただと?戯言は止せ。そんなことは俺が許さない。

「ホムラ」

俺に首ごと持ち上げられた目の前の女。

俺の放った銃弾は腹のちょうど真ん中を貫き、見事対象に致命的な損傷を負わせていた。彼女の口からあふれる大量の血液は、その銃弾によるものか、あるいは首を摘ままれた時に舌を噛んだのか。どちらにしろ彼女からはもはや応答はない。目は辛うじて開いてはいるが、口から漏れ聞こえるのは苦しげな息遣いと、気道を通る空気が血液をゴボゴボと云わせる音だけだ。

(ああ、ついに。)

お前はそう思っているに違いない。

苦しかったものな?

悲しかったものな?

お前はもう、休んでいいのだものな。

どちらにしろお前は死ぬ。

案ずるな、怖がることはない。お前の心の臓がその動きを止めるまで、俺はここにいるから。この最期の時に、お前を一人にはしないから。

共に生きた時間は、あまりに僅かだったが、俺はお前に一番近く、お前は俺に一番近い。

あの世では永遠に一つだと、今一度誓おう。

ホムラの口元から、赤色に混じって、透明な液体が垂れ始める。彼女が必死に声を出そうとするのが感じられて、俺は思わず、首をつかむ指の力を緩めた。

「…殺して」

ああ、お前の声だ。寂しげではなく、ただ事象として、自分の終りを心から願っている…。

俺は泣く。さめざめと。そう言うだろうなとどこかで分かっていて、それでも涙は抑えられない。

やはりお前を失いたくない。けれどお前の願いを叶えたい。

「ホムラ」

「キース」

「殺すよ」

「殺して」

「いいかい」

「いいわ」

そしてゆっくりと、締める力を強める。

「あ、」キリキリと締め上げる。

………

………

もはや是非もなし。

………

………

気づくと、人通りのある通りへと、戻ってきていた。

現実感はないけれど、右手の中にあるずしりとした感触が、はっきりと僕に主張してくる。上がった息は整いつつあって、僕はどこかで、あれは夢なのではという思いに駆られていた。

日射しの届かない、人の汗と雨と埃が漂う、背の高い建物の間。この町の明るい部分から吐き出されたものの吹きだまり。

暗い暗いその裏路地で、壁に手をついて背中を曲げる黒髪の女性。

「でも、これは…」握られた右手をゆっくりと開く。そこには、面妖に淡く光る異形の首飾り。

あの女は確かにあそこにいた。彼女はもう息は続かないと自分で分かってるようだった。その腹のあたりからぞろぞろと溢れ出る内臓と血液とに呆然として、でも彼女は口元でちょっと笑っていた。そんな中で、今この右手の中にあるものを僕に託した。

「お願い」と、掠れた聞き取りづらい声で、静かに囁いて。

「逃げて」と伝えてきた。

どこへ、と思わず聞く僕に、「境界の向こう」そう言って僕の目を見ていた。

「誰にも渡さないで。境界の向こうに、この玉を必要としてる人がいる。」

何も分からず、何も解せず、僕はただ彼女に言われるまま必死に逃げた。

逃げて逃げて、どこへともなく、漠然としたその道筋を、まるで目隠しをされたみたいに。

僕は走る。

彼女が示した、この物語の結末はしかしあまりにも遠い。少なくとも僕にとっては、月を目指せと言われたのとそう変わらない。

彼方、境界の向こう。はるか昔に閉ざされた異界の地。

神の国へ。



STRENGTH -Valkyrie-


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