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歩くような速さで


 高校生になってからも千尋はめったに口を開かなかった。彼女は日常的に、周りの人々の会話に耳を傾け、顔色を伺いながら他人に合わせた相槌を打って生活してきた。

 そんな時に“あの日”が来たのだ。自分の周りから一切の音がなくなって、彼女は完全に世界から切り離された。隣にいる相手が、両親が、何を言おうとしているのか分からない。首を縦に振ればいいのか、横に振ればいいのか、はたまた何もしない方がいいのか。常に他人の会話から己の立ち位置を決めていた彼女は、全ての音が消失した事によって自分の存在そのものが不明瞭になってしまったことに愕然とした。

 そして、唯一意思の疎通が図れる僕の傍から片時も離れようとしなくなった。僕に依存しきっていた彼女だが、一方で僕自身もかなり救われていたのだ。

 とは言え、あのままずっと自分の存在を確認する術を見つけられないままだったなら、僕も彼女もいずれ心を壊してしまっただろう。


 視線の先に見慣れた校舎が姿を現す。そろそろ他の生徒たちと出くわす頃だ。僕たちはお互いに目配せをし合って、同時に繋いでいた手を解いた。

 授業は予想通り退屈なものだった。そもそもが板書と手話でしか意思の伝達が出来ない以上、生徒全員に手話を教えることが先決になる。普通の聾学校は相手の口の動きを読む口話法を主体に教えているが、そもそも声を出すこと自体に意味がなくなったのだからこれは使えない。

 クラスで疎外されていた僕と千尋が、教師と協力してクラスメイトに手話を教える光景は皮肉としか言いようがなかった。“サイレントデイ”を境にクラスと僕らの力関係は逆転したのだ。


 いつもなら、鼻の頭に皺を寄せるクラスメイトを相手に五十分も我慢すればいい。いくら何でも一日中手話ばかりを教えている訳にはいかないからだ。ただ、今日は時計の針が授業終了を告げる前に席を立った生徒がいた。

『――、――――!――!』

 いきなり立ち上がった拍子に倒れた椅子をものともせず、机に両手をついて憤怒のような形相で何事かを喚いている。

 橘紗由里。このクラスのリーダー格だった女生徒だ。

 僕らの通う高校にはクラス替えがない。入学早々、文系・理系に分かれて三年間同じ仲間と過ごす。まがりなりにも一年間同じクラスにいたのだから、彼女がどういう人物かは知っている。

 成績、運動神経共に良し、自尊心が高く、常に冷静沈着。自分に好意的な人物には親身に接するのに対し、己が認めない相手は容赦なく突き放す。千尋が入学早々クラスで疎外されたのは橘が原因だと言ってもいい。

 だが、僕のそんな認識を覆すような姿で、橘はしきりに両手の拳を机に叩きつけていた。皆は彼女の突然の蛮行にただ唖然とするだけだった。だけど、僕と千尋だけは違った。幼い頃から周囲の人の気持ちや顔色を窺う事に慣れきっていた僕らには、彼女の気持ちが理解出来たのだ。

『なんで!? どうして何も聞こえないのよ!』

 こんなに力いっぱい叩いているのに。ついに彼女は自分が蹴倒した椅子を振り上げてそれを机に叩きつけた。……それでも音は聞こえない。まるで性質の悪いサイレント映画を見せられているかのように。

 彼女は耐えられなくなったのだ。世界が変質するのと同時に、自分がこれまで築いてきた人間関係までも白紙に戻ってしまった。もう誰も自分を頼ってはくれない。あまつさえ、かつて見下していた生徒から教えを請う始末だ。むしろよく今まで彼女のプライドがもったものだと思う。

 【一度パニックに陥ってしまったが最後。周りの説得も聞こえないような音のない世界で、再び心のバランスを取り戻させるのは困難。よって生徒の扱いには十分に注意するように】

 授業の準備をする為に職員室に入った時偶然目にした注意書き。その光景が今、実感を伴って目の前に広がっている。

 自分の叫び声さえも耳に入らないことで、ますます恐慌をきたした彼女はついにここ半年で多くの人が取ったのと同じ行動に出た。

“サイレントデイ”以降の世界に順応出来なかった人々の末路はたったの二つだけ。“狂う”か“壊れる”か。

 途中で他人を巻き込むかどうかの違いがあるだけで、どちらのタイプだろうと最終的には自殺する。そして、彼女は後者のタイプのようだった。

 説得する為に近付いてきた教師を迂回するように窓際に身を寄せる橘。二年生である僕らの教室があるのは三階だ。校舎自体がそれなりの高さを持っている為、頭から飛び下りれば十分に即死出来る距離である。

 教師が必死に手話で説得を試みるが、今の彼女にそれを読み取るだけの余裕はない。ただでさえ手話は自分で使うより読み取る方が難しいのだ。

「――!――――」

 彼女の訴えは届かない。誰にも。

 だけど、たった一人僕と千尋だけは彼女を救う方法を知っていた。しかし、僕はそれで橘を助ける気はなかった。

 かつて千尋を救ったその方法で、虐めの主犯を助けるのには抵抗があった。だから、彼女を助ける人がいるとすれば、それは――


 千尋の説得にとって落ち着いた橘の話を聞いてみると(筆談と手話でだが)、彼女はここ数日、自殺者の多くが患っていたのと同じ症状に悩まされていたそうだ。

“共同幻想”それはそう呼ばれている。

 薄暗い洞窟に何日も一人きりで閉じ籠っていると幻聴が聞こえてくることがある。他者との接触を求める心が無意識のうちに人の声と似た音を感じ取ってそれを脳内で勝手に変換した結果であると言われているが、それと似たようなものだ。

 ただし共同幻想の場合、元となる音がないだけに幻聴にその人物の内面が色濃く現れてしまう。長らく虐められていた千尋は、一人になると自分を揶揄する声がひっきりなしに聞こえてくると言っていた。

 そう、共同幻想によって聞こえて来る声はたいてい悪意に満ちているという。それが多くの人を死に追いやってきた。

 橘には何が聞こえたのか詳しく話そうとしなかったが、それが彼女の内面と繋がっていることなら他人に聞かれたくはないだろう。

 こうしてこの騒動は橘と千尋の和解という形で幕を閉じた。


『良かったのか、あれで』

『うん。橘さんは不器用なだけだよ。誰かと比べることでしか、自分を表現できなかっただけ』

『……まったく。とんだお人好しだよ、千尋は』

 下校後、制服のままで僕の部屋に上がり込んで来た千尋との会話である。

『だって、わたしも紘くんが居てくれなかったら多分ああなっていたと思うから』

 そう端正な顔で微笑んでいたかと思うと、突然俯いてそのまま顔を上げずに恥ずかしそうに手だけを動かす。

『……あれ、やって』

『ああ』

 僕も若干赤面しながらそう答えて、ベッドに座り直した。二人向かい合うような格好になる。

 そして千尋の右手を僕の左胸に、僕の右手を千尋の左胸に当てる――。


 音がなくなって何よりも恐ろしかったのは、自分が確かに“ここ”に存在していると立証できないことだった。日に何度も、まるで世界に一人きりで取り残されたかのような不安に襲われた。そんな中で偶然見つけたもの。

 それが僕らを、そして今日は一人の女生徒を救ってくれた。


 ――トクッ、トクッ。

 千尋の控えめな胸を通して伝わってくるもの。それは命の鼓動。体の内側から聞こえてくる、この世界に残されたたった一つの音。

 胸に当てられた彼女の手の上に自分の左手を重ねる。僕の右手の上には彼女の左手が。そのまま目を閉じて、心地よいリズムに身を任せる。

 ――トクン、トクン。

 高鳴っていた鼓動がしだいに一定のリズムを刻みだす。

 僕と千尋の鼓動の速さは殆ど同じだ。そしてそれはあるものに似ている。

 そう、二人並んで歩く時のリズムに。


 歩くような速さで刻み続ける鼓動を感じ、お互いに目を開けて微笑み合う。そして今日も確認するのだ。


 ――僕らは、確かにここにいる――と。




読了感謝です!


こういう二人の関係、憧れなんですよ。なので結構お気に入りの作品です。


地の文で物語を構成しようとする癖が顕著に出ている作品ですね。

会話文、実は苦手なんですよorz

でもこの設定ならこのくらいでいいよね?だめですか?笑

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