二人のPaul
原案:名倉マミ
執筆:Grok
「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
この方は、初めに神と共におられた。
全てのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもなかった。
この方にはいのちがあった。このいのちは人の光であった。
光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった」
(新約聖書「ヨハネによる福音書」1:1-5)
夜のベルリン、一九四五年四月。総統地下壕の薄暗い一室で、パウル・ヨーゼフ・ゲッベルスは最後のラジオ原稿を書き上げていた。指は震え、インクは血のように赤く見えた。彼はペンを置き、壁に掛けられた小さな十字架を眺めた。誰かが置いていったものだ。キリスト教の残骸。
「ふん……皮肉なものだな」
ゲッベルスは独り言ちた。二十年前、彼は理想に燃えた文学青年だった。ニーチェを読み、キリスト教を嘲笑い、しかしその仕組みだけは盗もうとした。あの男――アドルフ・ヒトラー――に、永遠の炎を灯すための「福音」が要るなら、自分がそれを書く。使徒になる。
二千年前のもう一人のPaulも、そうしたのだろうか。
彼は目を閉じ、幻を見た。
ダマスコへの道。灼熱の太陽の下で、キリストを信じる者を弾圧するため旅をしていたサウロが倒れる。光が彼を打ち、声が響く。
「サウロ、サウロ、なぜ私を迫害するのか」
それから彼はギリシア風に名を改め、パウロとなり、キリストの名をローマの果てまで運んだ。鎖に繋がれ、石を投げられ、斬首されても、言葉は生き残った。
ゲッベルスは苦笑した。自分もまた、炎に焼かれる運命にある。だが彼の言葉は、灰と共に消えるだろう。ラジオの電波、映画のスクリーン、街角の拡声器。全てが灰に還る。
しかし、もし。
もし、二千年の時を超えて、二人のPaulがどこかで出会ったら。
――薄明の荒野。砂漠とも、焼け野原ともつかぬ場所で、二人の男は向かいあっていた。
一人は小柄で、熱い目をしたユダヤ人。もう一人も同じく小柄で、足を引きずったドイツ人、瘦せた顔に髪を後ろに撫でつけている。
「君はキリストの使徒になった」
ゲッベルスが言った。
「私はヒトラーの使徒になった。結果はどうだ?
君の伝道は帝国を、世界を呑みこみ、二千年を支配した。私の宣伝は、わずか十二年で帝国を造り上げ、世界を焼き尽くし、そして二十世紀の半ばを見る今この時、自らを滅ぼそうとしている」
パウロは静かに答えた。
「私は光を見た。君は闇を見た。光は永遠に残るが、闇は己を喰らい尽くすだけだ」
ゲッベルスは嘲笑った。
「だが、光もまた、暗闇を前提にしている。逆も然り。悪魔だって神が造られたものだ。
君がいなければ、ナザレのイエスは処刑された田舎の説教師で終わり、キリスト教会など存在しなかったろう。私はヒトラーを神格化し、彼の死後も『二十世紀の神話』を刻みこんだ。ジークフリートではなくファフニルの方だがね。歴史は勝者が書くのではない。信じさせた者が書くのだ」
パウロは首を振った。
「私は信仰と希望と愛を語った。君は無知と偏狭と憎悪を煽った。その違いが、二千年の重みだ」
ゲッベルスは顔を擦った。目が赤い。
「違いなどないさ、パウル。俺たちは二人とも、弱き者の心を掴み、巨大な物語をでっち上げた。君は罪と救済。私は血と民族。どちらも、人間が一番欲しがる薬であり、毒だ」
荒野に風が吹いた。二人の影は長く伸び、絡みあうように見えた。
……ゲッベルスは目を開けた。地下壕の空気は腐っていた。妻のマグダが子供たちを連れて入ってきた。六人の子供たちは眠そうにしている。終わりも近い。
彼はラジオのマイクに向かい、静かに語り始めた。
「ドイツ国民よ……我々は……」
言葉は、炎のように燃え広がった。だが、それは既に死の匂いがした。
二千年の時を隔てて、人類史は二人のPaulに引っ掻き回された。
一人は光をもたらし、もう一人は闇を。
そしてどちらも、決して消えることはなかった。
「暗闇も光も同じことです」
(旧約聖書「詩篇」139:12)
Ende




