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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

トロイメライ ──夢見た王女と影武者の娘

作者: 柚子ジャム
掲載日:2026/02/11

 アルテミシアはフィアルカ王国の、現在ただ一人の王女である。

 ひとり娘かつ長子継続が原則な国のため、彼女が将来の女王と決まっていた。

 しかしまだまだ活気溢れていたはずの王が病に冒され、王座を退かざるを得なくなり。アルテミシアの王位継承は予定していたよりも早まることになる。

 アルテミシアが齢十三になったばかりのときであった。


 フィアルカ王国では成人年齢は十六歳で、即位も成人してからと定められている。よって王弟であるセドリック公が、アルテミシアが成人するまでの三年間王の代役、摂政せっしょうをすることになった。

 具体的なことが決定されて今後の心配はないと安堵したためかもしれない。王はその後あっさりと、数年前に旅立っていた王妃のもとへ逝ってしまった。


「叔父上も騎士のバルドもいてくれますもの。私は大丈夫です、父上」


 父が埋葬された王墓に国花フィアルカを供えて、アルテミシアは涙をこらえて健気に笑った。



✱✱✱



「殿下。お話がございます」

「なんでしょう? 叔父上」

「殿下はまだ成人しておりませぬゆえ、公式でのお披露目が済んでおりません」

 

 フィアルカ王国の王族は成人まで国民の前に姿を表さない仕来りとなっている。成人の生誕の日、お披露目のときまではただ王子か王女か、何人いるのか、髪や目の色と言った特徴だけが市井に伝わる。

 まだ十三歳のアルテミシアは、「銀髪に緑の瞳をしている」といった特徴しか国民には知られていない。


「唯一の殿下に万が一があってはなりません。殿下が成人し正式に王となりお姿を公表するときまで、影武者を立てることを推奨します」


 セドリックは近隣の国を警戒していた。

 自国民に姿を見せるのは成人後であるが、他国の要人であれば未成年であっても顔を合わせる。ましてアルテミシアはひとりだけの王女で継承者。要人を迎えれば当然、挨拶をせざるをえない。

 フィアルカ王国での成人年齢は十六歳だが、これは他国に比べたらかなり早い。ゆえに他国から見たアルテミシアは、「まだ」十三歳になったばかりの王女だ。

 将来の女王なことは決定事項だが、成人してから結婚相手を探すのが一般的なこと、王がまだ十年以上は健在だろうと思われていたことから、これまで強い関心を寄せてくる国々は無かった。

 なのに今、王の喪が開けたら国に訪問したいという旨の文が近隣国からどんどん届いている。

 王の急な崩御ほうぎょによって、アルテミシアは三年後の成人と同時に女王となる事がはっきり決定したからだろう。

 これから数年、女王の夫──王配の立場を狙う者が、押し寄せてくることになる。


 王女を、この国の最も尊き唯一無二の宝を、守らなければならない。

 とくに警戒すべきは今からの三年間だ。

 フィアルカ王国では大人に近い少女でも、他国からすればまだ子供とみられる。なめてかかり、甘言をささやいて操ろうとしたり、最悪無体を働こうというものが現れないとも限らないのだ。

 そのときのために必要なのが影武者だ。

 もしものときに王女の盾に、身代わりになるものだ。 


「影…もしかして、出来そうなものがいるのかしら?」

「ちょうど我が領地の教会孤児院に、いるのですよ。殿下と近い髪と目の色で、同年代の者が」




 連れてこられた少女は、確かにアルテミシアと同年代で、近い髪と目の色を持つ娘だった。

 薄い灰色のような髪は丁寧にケアをしてクシを通して光る粉をかければ、銀髪のように見せられるだろう。目は翠緑玉のように鮮やかなアルテミシアの瞳より大分薄い緑色だったが、このくらいは許容範囲だ。

 ほんの数年、他国の相手を誤魔化す影武者ならばこの程度の差異で構わないだろうと、セドリックは考えている。

 

 そんな、王女と影武者の娘は、顔立ちそのものに似たところはない。

 むしろ二人の顔立ちにははっきりとした違いがあった。

 その場の者は口にしなかったそのことを、当のアルテミシアはすんなり口にした。


「美しいのね。私と違って」

「殿下、そのようなことは」

「いいのよ」


 この国及び周辺国では、目が大きく鼻が高く唇が厚めの、左右整った顔立ちが「美しい」と評価される。

 その美醜の基準なれば目が小さく鼻が低く唇の薄いアルテミシアは、けして不器量とはならぬものの美しいと断じられるわけでもなく、「地味」や「パッとしない」という印象を与える容貌だった。

 正直どこにでもあるような普通の格好をすれば群衆に埋もれても可笑しくない。それがアルテミシアだ。


 王女アルテミシアは、さぞ美しい姫君だろうと市井では囁かれているそうだ。

 アルテミシアの母である、すでに亡き王妃が三国一と謳われたほど美しかったからだろう。実際のアルテミシアは、「日だまりのように癒やされる雰囲気のお方」と称された祖母のほうに似ているのだが。

 アルテミシア自身祖母に似ているこの顔立ちが嫌いなわけではないが、絶世の美しさと褒め称えられていた母に憧れていたゆえ、やはりコンプレックスを感じずにはいられない。

 影武者として用意された娘が、自分と近い髪と眼の色ながら容貌は真逆とは、なんとも皮肉なものだ。

 

(私のほうが影武者だろうなんて言われても、怒れないかもしれないわね)


 内心自嘲しながら、アルテミシアは頷く。


「国民の前には現れることはないのだし、容姿まで似ている必要性はないわよね」

「そのとおりです。このものはあくまで、他国の使者たちへ挨拶をするときだけ必要な存在です」


 無論アルテミシアの成人後には、彼らは「かつてと容姿が違う」と当然思うだろうが、未成年の時に会ったアルテミシアと玉座に座るアルテミシアのどちらが偽物だなどと、わざわざ問いてくるような真似はしないだろう。

 そもそも影武者の存在を察することもできないような情弱な国など相手にすべくもない。


「これでいいわ。教育をお願い」

 

 そしてこの日、一人の少女が王女の影武者になることに決まった。

 連れてこられた少女本人の意志など、誰も聞かなかった。




 退室して王城の廊下を歩きながら、ずっと黙っていた少女は口を開く。


「…なんだよ、偉そうに。勝手に色々決めて」

「口を慎め。事実この国で最も偉いお立場の方々だぞ」


 彼女を率いる騎士が眉をしかめて苦言する。

 影武者として連れてこられた少女は、不満たらたらだった。

 不満しかあるわけがなかった。

 やっと働ける年になった。絶対上に行ってやると意気込み、デビューするための「最初の競り」を始める予定の、矢先のことだった。

 なのにいきなりズカズカとやってきた、貴族の臣下と思われる偉そうなひとたちが見たこともないような数の金貨を母たちの前に積み上げて、「誰にも言うな」とか言いながら無理矢理少女を連れ出していったのだ。

 連れてかれた屋敷ではメイドと思われる女性たちに服をむかれて全身丸洗いされた。いくら嫌がっても、理由を聞いても誰も何もいってくれなかった。

 地味だが着たことなんてない上等な生地のワンピースを着せられ、靴も新品を用意されたところで現れたのは、赤い服をまとった騎士たちだった。

 赤い服の騎士なんて、王城に務めている近衛騎士たちだけだ。まさか、と青ざめた少女を「なにを聞いても黙っていろ」と言い含められて、連れて行かれた先は王城で。

 通された部屋にいたのはどこかで遠目に見たことがある領主のセドリック公と、……自分と同年代の、あまりパッとしない印象を受ける女の子。

 誰なのかなんてわざわざ言われなくてもわかった。

 銀の髪に緑の瞳をしていて、かつ国花フィアルカを刺繍したドレスを着れる女の子が現在この国でただお一人しかいないことくらい、少女は知っていた。


 そして一方的に告げられた、「これを影武者に仕立てる」という事実。

 王女に気を使ったのか、少女は「教会孤児院にいた孤児」扱いだった。

 生みの母が娼婦であり、そのまま娼館で育った娼婦見習いであることなど、この場の人間は一言も言わなかった。

 こちらをただじろじろ見ただけで、話しかけられることもなかった。こちらの全身をなぞったその緑の目は、用意された新しい道具を「使えるかしら」と思考しながらながめていた。

 あれが、お姫様。未来の女王。


(公爵様も、…お姫様も、あたしの名前すら聞かなかった)


 ──影として今後お姫様の名を語ることになる者に、そんなものは不要と言う事だろうか。

 今後自分は、あのお姫様の身代わりとして生きることになるのか。

 いざというときはあのお姫様の代わりに死ねと。

 少女は、ぎりりと奥歯を噛みしめる。


(人をなんだと思って。…いや、そもそも人だと思っていないのか)

 

 母や他の娼婦が貴族について、


『同じ人なんだなんて考えないようにするのよ。基本から住む世界が違う人たちなんだよ』


 …と言っていたが、本当なのだなとしっかり感じられた。


『でもね、あたしたちだってやればそんな男を翻弄できるんだよ。それが、最高に気持ちいいのよ』


 そうも言って不敵に笑ってみせた母。

 問答無用で連れてこられ、選択権も拒否権もなしにさせられることになった王女の影武者。

 おおいに不満ではあるが、考えようによってはこれは得だ。


(お姫様の教育が、受けられるってことだ)

 

 この国の最上級の教育だ。己の力に、武器になるものだ。

 身につけたら当てにしていた男爵や子爵という下位貴族だけでなく、伯爵以上の上位貴族も相手にする娼婦になれる可能性がある。

 少女はそう思考を切り替えることにした。

 そう切り替えなきゃ、ろくに言葉もかわせないで引き離された母たちのことを思って泣きそうになったからともいえた。




 王女の影武者になる為の教育を受けるため、少女には城での一室、身の回りの世話をする侍女、専門の家庭教師が付けられた。

 娼婦見習いという素性は王女にのみ隠されるそうで、影武者に直接関わる他の者には伝えられた。侍女たちの中には何か言いたげな目をした者もいた。

 ある意味慣れた目線に少女は鼻で笑って返してやる。女教師が「そんな笑い方はしていけません」とたしなめてきた。

 

 この国で成人前の王族に寄れる者は一定の貴族と、他国からの要人だけだ。影武者が接するのはこの他国からの要人だと言う。

 国王の喪が開けるまで一年。開けた一年後には彼らは次々フィアルカ王国へ訪問してくる。

 少女はその時までに、王女の影武者にならなければならなかった。

 絶対ものにしてやる!と意気込んだ少女を、緊張しているものと勘違いしたのか女教師はことさら優しく言ってきた。

 

「完璧に、王女殿下になり切る必要はありません。基本的な外交は摂政殿下をはじめ他の方々が行います。

 あなたは笑顔で挨拶をして、あとは座っていればよいのです。

 その場でそれらしく見えれば、それで良いのですよ」


 その言葉を、女教師は善意の優しさから口にしたのだろう。事実彼女は、まるでシスターが子供に向けるような笑みを浮かべていた。

 『けして無理に王女になろうとしなくていい』という意味と、『そもそも無理でしょう』という副音声が影武者になる少女には聞こえた。

 ムカつくなと思いながら、少女は基本の作法に取り組んだ。


「あら。意外と飲み込みがよろしいこと。……基礎が出来ているようですね?」

「……あたしは、貴族の客を取る娼婦になるつもりだったから」


 育った娼館には、かつて貴族相手にも商売していた元大商人の娘がいた。彼女に貴族に接するときの基礎の作法を教わったのだ。

 あんたなら私より立派にやれるよ、と笑った彼女が病気で亡くなって数年。王女と同等の作法を学んでいる今のこの状況を見たら、なんて言っただろうか。

 昔を思い出してすこししんみりしながら言った少女の言葉を聞いた女教師はまあ、と笑ってみせた。


「良かったですわね、こちらに来られて」

「……はあ?」

「それはいけません。疑問を感じたときは「それは?」とお言いなさい。

 良かったではありませんか。娼婦になんてならずにすんで」

「………ッ」


 侯爵夫人だという女教師からすれば娼婦の仕事は底辺で何も持たない女が致し方なくやる、みじめな仕事なのだろう。

 娼婦になるはずだった少女が城に上がり王女の影武者をやる──それはとても誇らしい名誉なことだと。彼女からすればそう見えるのだ。


(ムカつく。悔しい)

 

 ──あたしたちにだってプライドがある。信念がある。懸命に生きてんだよ。

 あんたらだって着飾ってニコニコしてりゃいいだけの楽な生き方なんて言われたら怒るだろうに。

 ただ男に媚を売り寝るだけの楽な仕事、もしくは好きでもない男に身体を開くみじめな仕事。

 そんなものだと決めつけられているのが、腹立たしかった。

 

(絶対、ここで受ける教育を未来に活かしてやる!)


 王女が成人して王に即位したら、影武者の役割は終わる。

 そのときは望むだけの褒章を、好きなだけの金銭も縁談も就職先も用意してやるとセドリック公は言った。

 しかし自分の帰る場所は、自分が生まれ育ったあの娼館だけだ。

 ──ここで身につけたものすべてを活かして、他国の王侯貴族も相手にできるような、高級娼婦になってやる。

 それを成し遂げるために、少女は日々影武者になるための教育にいどみ続けた。



✱✱✱


「フィアルカ王国へようこそ。歓迎いたしますわ」


 影武者の娘は一年かけて叩き込まれ、死にものぐるいで身につけた王女の微笑みと所作を披露した。

 

 影武者は順調だった。

 当然のごとくその場では誰一人口にしないが、訪れた他国の者たちは現れる「アルテミシア王女」が影武者であることに気づいていた。

 フィアルカ王国は王女の配偶者を慎重に選ぼうとしている。安易に関わらせようとしていない。他国の貴族の男を警戒している。

 それが伝わればそれで十分だった。

 国は警戒を見せているし、そもそも影武者を口説いても意味はない。 

 ゆえに、外交は常に平和に終わっていた。

 王女を守るための影武者として、彼女はきちんとその役目を果たしていた。

 




✱✱✱




 アルテミシアは剣が得意だ。

 知られたら意外と言われるが、身体を動かすことが好きで、狩猟も乗馬も好む。

 銃も扱える彼女だが、剣術に関しては騎士団長から直々に「才能がある」と言われており、その腕前は十二分に騎士として通用し渡り合える実力者なのだ。


 もっとも、王女たるアルテミシアから距離が遠い者はその評価が真に正しいと思っている者は少ない。

 彼らはこの国ただ一人の、後継たる王女アルテミシアを褒めやすのは当然だし、また御身を傷つけないようにするのも当然のことと考えている。

 騎士団長の言葉が世辞ではないことを知るのは、アルテミシアに近しい場所にいる一部の者だけだった。

 近衛騎士バルドはその、アルテミシアの実力が本物であると知る一人だ。


「バルド、付き合って」

「はい、殿下」


 バルドは子爵家の次男であり、アルテミシアとは乳兄弟になる。アルテミシアの乳母が彼を産んだばかりの母親だったのだ。

 そのまま幼馴染として育ち、バルドは不敬かなと感じながらもアルテミシアを妹のように思っている。

 アルテミシアも以前は兄のようなものと思っていた。

 それが変わったのは四年ほど前。護身として剣を習い始め、思いの外のめり込んで護身以上に鍛えだして大分過ぎた頃だった。


「殿下は、剣を操る姿が大変にお美しいです。見惚れてしまいます」

「…そう、ありがとう」


 バルドが剣を褒めてくれた。

 とても美しい剣技だと。

 華やかさに欠けた容姿のことを気にしていたアルテミシアには、たとえ剣のことでも「美しい」と言われたことがとても嬉しかった。

 それが、恋の始まりだった。



 バルドとの打ち合いはアルテミシアにとって喜びの一時だ。

 誰にも邪魔されない、自分だけの彼との時間。

 褒めてくれた、最も美しいと言われた自分を彼に見せる瞬間でもあった。

 この恋は叶わない。乳兄弟で幼馴染で騎士といえど、彼は子爵家の次男。女王の夫には釣り合わず、また背負わせる荷が重すぎる。

 自分は将来の女王として、釣り合う然るべき相手と婚姻しなければならないのだ。

 それがわかっているから、アルテミシアは最初からこの気持ちを告げる気は無く、ただ彼と剣を打ち合う時間を大事にしている。

 そんな王女の秘めた恋に気づいているのは、王城内では彼女付きの侍女数人とセドリック公だけ。

 そのはずだったが、ここに一人。

 その想いに気づいた者がいた。


「…へぇ、あのお姫様…、ふーん?」



 アルテミシアの影武者の娘は、ニヤリと笑った。










「ねえ」


 聞こえた言葉にバルドは振り向く。

 柱の影から、銀の長い髪とドレスの裾が見えた。


「……王女殿下?」


 ドレスの裾がフィアルカの刺繍だったため、バルドは先程別れたばかりの王女かと考える。

 

(いや、王女殿下は先程まで剣士服で…さすがに着替えが早すぎる)

 

 それに自分は王女の背中を見送った。自分の後ろから声がかかることはあり得ない状況だ。

 バルドは素早く剣を構えた。


「何者か!」

「やだ、やめてよ。あたしは無害だよ」

 

 さっと手を上げて柱の影から出てきたのは、銀の髪にフィアルカの刺繍のドレスを着た、王女に見える大変に美しい娘だった。

 バルドはその、初めて見る『王女に見える』美しい娘の正体にすぐ気づいた。


「君は…影武者か?」

「あたし、フローレット」


 影武者に仕立てられた娘は、王城に連れてこられて一年半が立って、初めてここで自分の名前を口にした。




✱✱✱



 影武者の娘、フローレットとバルドは、その後たびたび交流するようになった。

 当然王城の者たちにそれは伝わったが、とくにバルドやフローレットが咎められるようなことはなかった。

 近衛騎士のひとりが、影武者と少々親しくなったところでなんてことはないと、皆思ったのだ。

 報告を受けたセドリック公もとくに気にとめることはなく、ただアルテミシアにだけは伝わらないようにしろと配慮を回しただけだった。


「姫様はあたしの名前も知らないの。あたしはただの影だから。知る必要もないってことみたい」

「殿下はお優しい方だ。名を知ってしまったら、もしものとき苦しいと感じて、知らぬことにしてるのではないか」


「お姫様は剣が得意だって聞いてたけどすごいんだね。あたしにはできないや」

「あれは才能だからな。影武者といえそこまで模倣しなくていいさ」


「ただ笑ってればいいって。そりゃあたしは本物になれないけどさ。それならお人形でもいいんじゃないかって思うことがあるの」

「……俺も似たような気持ちになることがあるよ。俺は近衛騎士として、いる意味がないんじゃないかってね」


 フローレットは巧みにバルドという青年の心をほぐし、暴いていった。

 









 

 

✱✱✱


 セドリック公が摂政として国を取り仕切り、アルテミシアが本格的な帝王教育を受け、他国からの訪問者には影武者のフローレットが王女として対応する。

 そんな日々過ごして二年半少し。アルテミシアがついに十六歳になる生誕の日が近づいてきた。

 生誕の日、国民へのお披露目と同時に行われる戴冠式まであと三ヶ月。

 フローレットの役割は、もうすぐ終わろうとしていた。


(あと一歩、ってとこだね)


 フローレットは内心バルドの状態を品定めし、そう結論づけた。

 世間知らずで女もろくに知らないお坊ちゃんは、娼婦見習いのちょっとあざといテクニックであっさりこちらに傾倒してきた。

 言葉の端々から、王女の剣の強さに辟易していることもわかる。男として、騎士としてプライドが傷ついている。そしてそれをはっきり認めたくない。

 王女の剣は美しいと称するのは、そのプライドの守るための欺瞞だ。

 

(バカみたい。お姫様なんだから素直に守られてりゃいいのにさ)

 

 相手は騎士だ。人を守るための存在だ。騎士や兵士の男は、か弱い姿を見せれば与しやすいと教えてくれたのは、母の先輩の中級娼婦だった。


(お姫様。あんたにゃぜってえ無理なやり方で奪ってやるよ。

 あたしのとっておきを食らいな、お坊ちゃん)


 それはフローレットがここに連れて来られる前に、『競り』にかけられるはずだったもの。

 フローレットの将来性を見込んだ仲間たちからキツく言われながら、これまで大事に守ってきたものだ。

 役割を終えたら帰るつもりだから、本当は手放すべきでないかもしれない。

 だがその切り札を切るときだと、彼女の娼婦見習いのカンがまた告げていた。

 


「もうすぐお別れだね…」

「そうだな。少し早いが、今までご苦労だったな、フローレット」


 フローレットは上目遣いでバルドを睨みつける。


「寂しいって思ってくれないの?」

「え、それは、寂しいが…」


 この男は大分自分になびいてくれている。

 あとほんの少しだけ傾けさせればそれは恋愛、と錯覚させられるくらいに。

 この一年、けして友人以上の関係にはならないよう調整してきた。すべてはこの日のためにだ。


「……バルド、知ってた? あたし、娼婦の娘なの」

「えっ」

「教会孤児院の子供なんて、嘘だよ。そんな女がお姫様の影武者なんてって言われて孤児にされたの。あたしの母さん、ちゃんと生きてるのに」

「…そう、だったのか」


「帰ったらあたし、母さんと同じ、娼婦になるんだよ」


 

 ──本当は褒賞により好きなような生き方が選べる。でもそれをフローレットは口にしない。

 実際彼女は娼館に帰って娼婦になるつもりなのだから、嘘ではない。

 フローレットはあえてバルドが誤解するように言葉を紡ぐ。

 フローレットはそうやって生きていくしかないのだ、と。

 王女の影武者なんて名誉な役割を果たした美しい娘が、娼婦になるしかないと。

 バルドがそう思うように。



「あたしね、夢があるの。好きな人に、優しく抱いてもらう夢」

「フ、フローレット?」


 フローレットは大胆にバルドの胸板に抱きつく。

 

「バルド……好き……」


 美しい少女にすがりつかれ、涙ながら紡がれた言葉に、バルドの胸はこれまで感じたことのない熱さがともった。

 

「フローレット…」

「バルド…おねがい」


 

 そしてその日、二人は一線を越えた。




✱✱✱


 フローレットと一夜を過ごした翌日。

 バルドはひとりの男として、アルテミシアとセドリック、そして騎士団長に申し出た。

 

「摂政殿下、王女殿下。私とフローレットとの婚姻をお許しいただけますでしょうか」


 婚姻、という言葉にアルテミシアは固まる。

 しかしそれは一瞬のことですぐに幼馴染に説いた。


「バルド…フローレットとは、どなた? そのような名前の令嬢に覚えがないのだけど」


 アルテミシアのその言葉に、バルドは悲しそうな顔をした。


「貴族の令嬢ではありません。王女殿下の影武者をしている、あの娘の名前です」

「影武者の…?」



 バルドは女性経験はあるが、成人した貴族子息の嗜みとして、手慣れた婦人の指導を受けただけだ。

 何も知らない、無垢な乙女はフローレットが初めてだった。

 破瓜の痛みに涙し、それでも懸命にバルドを受け入れ、嬉しいと健気に笑んだ娘を、バルドは「愛しい」と感じた。

 ──女をよく知る男たちは、それを知ればバルドの若さを笑っただろう。


「彼女を、愛しているんです。俺が、か弱い彼女を、ずっと守ってやりたくて」



 セドリックと騎士団長は何も言わない。

 話を聞いたアルテミシアの表情は消えていた。


「……いいわよ、好きにしなさい」



 嬉しそうにバルドが退室していったあと、アルテミシアは騎士団長に尋ねる。


「先程のバルドの発言。要するに強い私は、守ってやりたくないって意味かしら」

「それで相違無いかと思います」

「……まあ、たしかに私はバルドと変わらないくらい強いわよね」

「己の身を守れる主君を持つのは安心材料なのですが、…アレにはわからないようです」


 セドリックはため息を軽くつき、騎士団長に告げた。


「バルド・コールウェンは近衛騎士に相応しくないようだな」

「作用ですね」

「今すぐではないが、退職の手続きは整えておけ」

「かしこまりました」

 

 騎士団長も立ち去り、実質部屋にはアルテミシアとセドリックの二人だけとなった。


「──シア」


 アルテミシアは三年ぶりに呼ばれた叔父からの愛称に顔を向ける。


「バルドが影とそんな関係になっていたなんて存じませんでした。…叔父上はもしかしてご存知でしたかしら」

「…すまない、お前の耳には入らないよう手を回していたのだ」

「そうですか……」


 


「バルドは、ほんとうは、強い女は嫌だったのかしら」


 

 

 


✱✱✱



 ──あの清純を気取った高慢ちきなお姫様の顔を、嫉妬に歪ませてやろうって思ったんだよ。

 ほんのちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、あのお姫様に向かって笑ってやりたくて。

 ちょっとだけ、イイオモイがしたかったんだよ。

 ただそれだけ。

 あの坊っちゃんだってべつに本気で好きとかそんなじゃない。

 あんなにあっさり女の涙に落ちるような甘ちゃんな坊っちゃんなんて冗談じゃないっての。

 

 ちょっとだけイイオモイしたかっただけ。

 ちょっとだけ、夢を見ただけじゃんか…。

 

 なああたし、そんなに悪いことした?



「大いに悪いに決まっているだろう?

 我が国で最も尊き宝の心を傷つけたのだから」


「お前とあのお方、比べるまでもない。影ごときがあの方から何かを奪おうなど、考えただけでも極刑ものだ」


「それにお前は守るべきものを見誤った」


「お前が影武者として守るべきは、王女の品質であり、貞節である。お前にもそれは説かれたはずだ」


「守れと説かれたはずの貞節をやすやすと手放したお前が、影武者をしていたことは生涯口にしないという約を守れるか、なんとも疑わしい。

 お前が生かされなくなったのは、お前自身の行いによるものだ」


「かの方が想いを寄せる男が欲しかった、か」


「持っていない人間は、持てば贅沢になっていくという。身の丈を考えず、もっともっとと、欲しくなるという」


「お前はその典型だな」




「愚かな。夢を見なければ、良い暮らしをさせてやったのに」






 ──影は始末しましたというセドリックの言葉を、アルテミシアはただ「そう」とだけ返した。

 その手には愛用の細剣がある。


(決着を、つけなくてはね)




 フローレットとの婚姻を許された翌日。バルドはフローレットに報告したかったが、侍女から何やら忙しいと言われ彼女に会えることはなかった。

 フローレットの役割はもう終わりに近く休んでいることが多かったはずだが、何か緊急な来訪でもあったのかもしれない。

 明日には会えるだろうかと思いながら剣をふるっていると、いつものようにやってきた王女アルテミシアから声がかかる。

 

「ねえ、バルド。久しぶりに本気で試合をしましょう?」


 いつもと同じ髪型、剣士服、得意の細剣をかまえるアルテミシアだが、その鮮やかな緑の目に、バルドは背中がぞっとする冷たさを見た。

 付き従っていた騎士団長も、何やら神妙な顔になっている。

 


「今日の私は少し気が立っています。──全力でいきますからお前も全力で迎え撃ちなさいッ!」

「ッ!!」



 それは凄惨な光景だった。

 王女アルテミシアは本当に容赦なく、全身をバネにしてバルドに攻撃していた。

 そう、攻撃だ。純粋な打ち合いでも練習試合でもない。

 相手を打ちのめすための攻撃だった。


 傍から見ても、バルドが必死に対抗しているのは明らかであった。

 防御に徹しているのは王女を傷つけないようにだろうが、同時に反撃の隙が見いだせないのだということもまた事実だった。

 王女の剣は重くないがしなやかで鋭い。その細剣は人間の急所を、僅かな鎧の隙間を狙い撃ちにしてくる。


 

 貫かれれば、死ぬ──!


 

 本気でそう感じ取ったバルドは、鍛えた身体能力と反射神経と動体視力で、ただひたすら王女の一撃を受け流し続けた。

 何合、いや何十合しのいだ瞬間か。

 ついにアルテミシアの一撃が、バルドの利き腕の肩を容赦なく貫いた。

 それはそのまま全身で突撃していくような勢いで。


「ッそこまで!!」


 騎士団長の静止の声で、ようやくアルテミシアは踏み込みをやめた。

 彼女の足元は強い踏み込みによって大きくえぐれていた。


「…ふぅ、スッキリしたわ。ごめんなさいね、バルド」

「……い、いいえ…」


 バルドの深く細剣で貫かれた肩をそのままにし、急遽医療兵士のもとへ連れ込まれる。

 その間にアルテミシアはなにやら晴れ晴れとした顔で、「バルドの怪我の治療はお願いね」と去っていった。

 王女が立ち去り、ただ固唾を飲んで見ているしかなかった他の近衛騎士たちは、ようやっと口を開いた。

 

「王女殿下、なんだかものすごく怖かったんだが…」

「本気で殺すんじゃないかと思うくらいだったな…」

「容赦なかったよな。バルド、あいつ何かしたのか…?」



 バルドの治療を始めようとしている医療兵士も、バルドに聞いていた。


「あの、王女殿下となにかあったんですか?」

「まさか…心当たりなんてないぞ…」

 

 

 








「気が晴れたかね、シア」

「叔父上」

「本当に殺してしまうのではないかと、ひやりとさせられたぞ」

「まあ、まさか。そんなつもりはありませんでしたわ。バルドも強いですから、防御が固くて。少しばかり力が入ってしまっただけですよ」


 アルテミシアは艶やかに笑む。


「あれも愚かだな、お前の魅力に気づいていながら、結局上辺の美しさと涙にほだされた。若い故仕方がないところもあろうが」

「……叔父上。私が影みたいに美しかったら、私の気持ちは少しは報われたのでしょうか?」

「それはわからんよ、誰にもな」




(わかっていたつもりだったのに。でも結局私は、夢を見ていた)


 叶うはずのない恋であった。

 そんなことはわかっていた。

 だから私の剣が好きだと、勇ましいと褒めてくれるだけで良かった。

 そう思っていたのに。

 

 敬愛する王女でもなく、幼馴染の妹分でもなく、己自身を見て恋してくれることを期待していたのだ。

 結ばれなくても心は繋がってる。そんな悲恋でロマンチックなことを。

 この愛を秘めて、別の然るべき方と結婚して、女王として生きていくのだと。

 沢山読みあさったロマンス小説のような、陳腐な恋物語を、夢見ていた。

 

 でも、影との関係と知ったとき。もうこの初恋に決着をつけるときが来たのだと悟った。


 バルド自身とともに、ズタズタにして貫いてころしたのは己の恋心。

 バルド自身は元気でも、もう、その気持ちは蘇ることはない。


 夢は、もう見ない。 



「セドリック公。私は立派な王になります」

「もう成られていますよ、陛下」


 己で己の気持ちに決着をつけ、成長の兆しを見せた王女を、セドリックは誇らしく感じた。

 


 





 迎えた十六の生誕の日。アルテミシアが女王となるその日。

 近衛騎士バルドは、先日セドリックから紹介され婚約を結んだ令嬢とともに戴冠式を見届けた。

 彼はこの一ヶ月後に近衛騎士を辞して彼女と結婚し、男爵位をもらって父の領地の隅でひっそり生きていくことになる。

 バルドは、自分の軽率な行動によって影武者の娘──フローレットが処分されることになったのだと知らされた。

 何故王女の影武者が用意されたのか。それが何から王女を守るものだったのか。

 王女の近くに侍りながらその理由を悟れなかった浅はかさを責められ、守るものを見誤る者に近衛騎士はできないと退職を促された。

 バルドはただ後悔し、すでに処されてしまったかの少女を悼みながら王城から去っていった。

 自分の結婚相手を見繕うのに忙しいアルテミシアは見送らなかった。

 



 

 齢十三歳で父王を喪い、叔父を摂政に立ててその後即位したフィアルカ王国の女王、アルテミシア。

 即位するまでの三年の間に、彼女に影武者がいたということは国の歴史に残ることはなかった。

 女王の元近衛騎士だったバルド・コールウェン男爵が、自宅の庭の片隅に石を一つおいて白い花をいつも添えていたことは男爵家の記録に残ったが、それが何を意味する行為だったのかは記されていない。






               終







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