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第63話 2-30 幕間 向こう側 マリッサとエスタ

 一日前、早朝のことだった。

 グレイモアの傭兵冒険者であるミランド侯爵の軍勢と、エスタがこれまで見たことのない野蛮な風貌の神官たちを率いる老ランタンが、アッシュェンブルークから各自の目的地へと出発した。

 残されたのは、エスタとマリッサだけだった。

 二人は北門の胸壁の上に立って彼らを見送っていた。

 戦士たちの行軍の音が聞こえなくなるほど遠くへ去った後、エスタが口を開いた。


「あの……マリッサ様? 私たちは……」


 しかし言葉を最後まで言い終わる前に、マリッサは黒髪の少女の方を振り向き、わずかに目を細めた。


「もう少し我慢して待っていてね、エスタ」


 甘く微笑みながら優しい声で言葉が零れた。

 しかしどうしてか、エスタはそのマリッサの瞳の奥で、何かが燃えているようなものを感じ取ってしまった。


「いいわ」


 マリッサが再び言葉を零した。

 エスタの息が詰まり、彼女は本能的に長い細身の剣の柄を強く握りしめた。


「その素晴らしい本能は、敵に対して使ってちょうだい」


 エスタの手が剣から離れた。しかし緊張はまだ残っていた。

 マリッサから放たれる殺気はあまりにも強烈で、この少女は彼女が孤児院の優しい母親だとはとても信じられなかった。

(これは普通の悪役オーラなんかじゃない……まさにボス級のオーラだわ……)

 エスタはごくりと大きく唾を飲み込んだ。

 しかしその時、マリッサが再びその美しい唇を開いた。


「ゲームのボスみたいだと思ってるんでしょ、エスタちゃん」


「うっ……はい……」


 その圧倒的なオーラに、エスタは彼女を否定できなかった。

 しかしマリッサは敵意を見せる様子もなく、再び城壁の外へと視線を戻して言葉を続けた。


「エスタちゃん、前に言ったわよね。私が転生者を二人も出会ったことがあるって」


「はい……」


「最初にその子に出会ったのは、私が十六歳の時。まだランドール王立学院に通っていた頃よ」


 マリッサの瞳が鋭く細められ、まるで素手で剣の刃を握りしめているかのようだった。


「私の婚約者はマルクヴィス家の息子よ。彼の父は高貴な大将軍で、彼自身も優秀で、私と結婚すれば将来王位を継ぐ可能性があると目されていたわ」


 彼女は言葉を一つ区切り、再びエスタの方を振り向いた。


「教えてちょうだい、私の昔の名前は何だったかしら?」


「……まさか……アリーラ王女?」


 エスタの瞳が激しく揺れた。目の前にいる人物が、『ランドールの序曲』というゲームのボス級キャラクターだと気づいた瞬間だった。

 その物語は、女神ルセリアの予言を担う少女による新王選定の儀式を描いたものだ。

 アリーラ王女は恐ろしいボスだった。

 彼女は主人公を、恋愛パートでもターン制バトルの戦闘シーンでも、あらゆる手段を使って叩き落とす。

 魔力はほぼ無限に近いほど強大だった。

 彼女に勝つ方法は、彼女の力を封じる魔道具を見つけること。

 それができなければバッドエンドだ。

 アリーラは、この王国の王族の血筋らしい、輝く銀色の髪を持つ王女だった。

 しかし目の前にいるマリッサは、深い藍色の髪をしており、顔立ちも穏やかで別人のようだった。それに、魔力も触れただけで感じ取れるほど強くはなかった。


「正解、よくできたわ」


 エスタが答えを口にした途端、マリッサは落ち着いた笑みを浮かべた。

 彼女は服のボタンを外し、胸の中央にある魔術の刻印を晒した。


「あれは……封印の刻印……」


「ええ……私が気づく間もなく、あの女に魔道具で攻撃され、魔力を封じられてしまったの。今の私の魔力は、元の十分の一にも満たないわ」


 エスタは深く息を吸い込み、無意識に手を口元に当てた。

(王女を封じる魔道具は、ゲームの終盤で手に入るはずのもの……でも情報があれば先に手に入れられる。これはまさに火種を早めに消す作戦だ……いや……もし私が同じ立場なら、同じことをするかもしれない……)


「その後、私の学園生活は地獄そのものだったわ……」


 痛々しく響くマリッサの柔らかい声が、エスタを思考の海から引き戻した。

 彼女は少女に向かって微笑みかけると、話を続けた。


「あの女は女神ルセリアの聖髪を使って人々を引き寄せ、私を社会的に貶めるためにあらゆる手段を使った。それだけじゃないわ、彼女の手下たちは私を傷つけた。そしてついに、審判の日が訪れたの」


『審判の日』という言葉に、エスタはごくりと唾を飲み込んだ。

 これはこのゲームのクライマックスシーンであり、プレイヤーから大量の涙を獲得した名場面だった。

 激しい口論のシーンであるだけでなく、主人公がアリーラ王女とボスとして対決する場面でもある。

 いくつかのルートが存在しても、黒幕として全てを操っていたのはやはりアリーラ王女だった。

 思考の波に翻弄されて混乱するエスタの傍らで、マリッサはさらに話を続けた。


「あの女は、偽の証拠を大量に使って私を糾弾した。父も兄も彼女の嘘を信じてしまった。罪が宣告された後、皆が私を袋叩きにして地下牢に放り込んだ。でも、予想外の助けによって、私は逃げ出すことができたの……」


「予想外の助け、ですか?」


 エスタは思わず尋ねてしまった。

 彼女の持っている情報では、アリーラ王女はその場で殺されるはずだったからだ。

「絶望の淵で、私の護衛騎士たちはまだ私を信じてくれて、他国へと連れて逃げてくれたわ」


「無法の都『ドロヴェンハイム』」


「だいぶ話の流れが掴めてきたみたいね」


 エスタがその場所の名前を正しく口にしたことに、マリッサは皮肉っぽい笑みを浮かべた。


「あそこで私と護衛の者たちは傭兵団を立ち上げたの。魔獣との戦いで成果を上げ、ついに私はドロヴェンハイムの三本柱の一人である竜王子ハジムから婚約を申し込まれたわ」


「……あなたの二番目の名前は、エマ・ジョーンズ」


「正解よ」


 そう言われて、エスタは視線をゆっくりと下に落とした。

 エマ・ジョーンズは、ゲーム『無法の空』編の主要な悪役だった。

 内容は、無法の都ドロヴェンハイムを自分の旗の下にまとめ、人々に平和をもたらそうとする竜王子の物語。

 しかし彼の婚約者であるエマ・ジョーンズは残忍で邪悪な女だった。

 だが彼女は強力無比なワイバーン軍団を擁しており、主人公は彼女を倒す方法を探し、他の柱と同盟を結び、竜王子ハジムを王位に就かせる必要があった。

 ターン制タクティカルゲームで、合間には恋愛要素もあるが、評価は上々だった。

(でも……ストーリー上、エマ・ジョーンズがハジム王子に無理やり婚約を迫ったはずなのに……)

 エスタは出来事を整理し、自分の持っている情報と照らし合わせ、最後に理解した。

 全ての物語は、彼女が生まれる前からすでに歪んでしまっていたのだ。

 そう気づいたエスタは、再びマリッサへと視線を戻し、問いかけた。


「転生者である二人目の人物は、あなたに何をしたのですか?」


 マリッサの唇が嘲るように歪み、喉の奥で「ふん」と短く笑い声を漏らした。そして、まるで燃え尽きそうな瞳を晒した。


「前と同じよ。あの女は自分の長所を使って人を引き寄せ、私の婚約者を誘惑した。そして彼女が思いつく限りの政治的な手段で私を攻撃してきたわ」


「これは……まるで出来事が繰り返されているみたい……」


「ええ、そうよ。同じフレーズを間違えずに繰り返す楽団みたいにね」


「あなたはあの女に負けたのですね」


 エスタはため息を吐きながら、どこか諦めを含んだ言葉を口にした。

 しかしマリッサはそれを聞いて、くすくすと笑い出した。


「誰が同じ失敗を繰り返すものですか? 私はあの愚かな王子に『もう十分よ』と言って先に告げ、婚約の契約を破棄しました。そして傭兵団を率いてドロヴェンハイムを離れ、アッシュェンブルークへとやって来たの。そこでランタン様と出会ったわ」


「ああ……そういうことだったのですね……」


「その後、私は傭兵団の団長の座を信頼できる者に譲り、マリーナの信徒として誓いを立て、今日に至るまで女神官として暮らしてきたの」


「それでは……その髪は」


「ええ、そうよ。私はマリーナの聖女です」


 もう少し笑った後、マリッサは再び城壁の外へと顔を向けた。

 彼女の視線は遠くへと伸びていく。

(この方は本当に強い人だわ……だからリースが瀕死の重傷を負った時も動じなかったんだ……彼女はゲームの二つの章でボスを務めた人物なんだから!!!)

 エスタは心の中でそう思いながら彼女の顔を見つめ、やがて視線を外して自分も城壁の外へと目を向けた。


「あら、私の部下たちが来たわ」


 空に数十体のワイバーンが姿を現し始めた。

 それらは徐々に近づきながら飛んで来て、翼をはためかせる音が次第に大きくなってきた。

 彼らは北門前の広場に滑空して着地し、騎乗者の号令に従って整然と列を組んだ。

 整列が完了すると——銀の鎧をまとった騎士たちが手綱を握ったまま飛び降り、それぞれのワイバーンの前に整然と並んで立った。

 白いユリの紋章が入った紫の旗が一斉に掲げられた。

 マリッサは危険な笑みを浮かべ、再びボス級のオーラを放ち始めた。


「エスタちゃん、ついてきて」


「はい」


 呼びかけが終わると同時に、マリッサは胸壁を降りてワイバーン戦士たちの前に進み出た。彼らは目の前の高貴な女性に対して一斉に跪いた。


「遅れて申し訳ありません、マリッサ様!!」


「いいわ。少なくとも新しい孫娘とおしゃべりする時間ができたから」


 そう言ったものの、銀の鎧をまとった戦士たちは誰一人として顔を上げようとしなかった。マリッサは微笑みを浮かべ、堂々と手を前に振りながら大きな声で告げた。


「今回の敵はアッシュズよ。あいつらは権力網のオークションを計画している。私たちはこの機会を利用して、あいつらと参加する貴族どもを一網打尽にするわ」


「はいっ!!!」


 女騎士たちが勇ましく応じ、一斉に立ち上がって胸を叩いた。


「私が示した目標地点へ向かいなさい。行って!!!」


「はいっ」


 そう言い終えると、彼女たちはそれぞれのワイバーンに飛び乗り、翼をはためかせて空へと舞い上がっていった。


「さあ、エスタちゃん。今度は私たちの番よ」


 マリッサはそう言いながら、手首を翻して印を切った。


「我が名において、アッシュェンブルークのマリッサは呼ぶ。地平線の果てに在す、我が友『ドレダルラス』の名を!」


 マリッサの宣言が終わると同時に、空に巨大な魔法陣が浮かび上がり、空の色が変わった。次元のはざまが開かれ、エスタが前世で見たような、宇宙を模した光が内部に広がっていた。

 巨大な龍が城壁よりも高い巨体をその輪の中心から抜け出し、空間が閉じた。

 それは太い首を高く伸ばし、マリッサとエスタをじっと見つめた。

 予想を超えた存在感による重圧に、エスタは息ができなくなった。しかしマリッサはそれを悠々と耐えていた。


「久しぶりだな、マリッサ」


「こちらこそですわ、殿方。お元気でしたか?」


「今日はどこを潰しに行きたいんだ?」


「アッシュズの要塞よ。龍が顔をしかめる連中の手先たち」


「フフフフ」/「ハハハハ」


 話し終えると、龍とマリッサは同時に笑い出した。


「了解した、我が友。あの穢らわしい連中を焼き払うとしよう」


 そう言い終えると、威厳ある龍はマリッサに対して優しく身を屈めた。

 それはまるで、舞踏に誘う貴公子が手を差し伸べるかのようだった。


「ありがとうございます、ドレダルラス様」


 マリッサは神官服の裾を持ち上げて礼をし、視線でエスタに同じようにするよう促した。エスタはぎこちなくそれに従った。


「あ……ありがとうございます!!」


 龍は優雅に鼻から火を少し噴きながら笑い、マリッサは軽やかにその背中に乗り、エスタの手を引いて引き上げた。

 巨大な龍は翼を広げ、溢れんばかりの魔力がその巨体を浮かべた。そして翼を一閃すると、龍は猛烈な速度で飛び出した。

(リースはこの光景に絶対びっくりするだろうな……)

 エスタは顔に当たる強い風を感じながら、心の中でそう思った。



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『あとがき』

まず、ここまで読んでくださりありがとうございます。

実は今週の更新を飛ばそうかとかなり悩んだのですが、歯を食いしばって書き上げ、翻訳し終えることができました(笑)

さて、今回はマリッサの過去と、エスタによるアッシュズの城へと一直線に向かう空の行軍についてお届けしました。

次回はリースが何に出会うのか、そして激しい戦いがどう展開していくのか、ぜひご覧ください。

引き続き応援よろしくお願いします!

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