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1-6 女神に祈りを 1

 リースは昨日の出来事を思い出し、ため息をつきながらニシャの宿を出て冒険者のギルドに向かった。ランタナでの日々が脳裏をよぎる。あの街のモンスターは確かに凶暴だったが、昨日出会った赤歯ネズミのような奇妙な目を持っていなかった。

 ギルドの扉を押し開けると、今日もいつも通り閑散としていた。

 アッシェンブルクは平和な街だ。雑務を請け負う冒険者たちは、他の街のように慌ただしく動く必要がなかった。

 少年は扉をくぐり、受付カウンターに近づいた。そこにいる受付嬢は彼の気配に気づいていなかった。

「おはようございます」

「おはよう、リース!」

 彼女は顔を上げ、にこやかに挨拶した。リースはいつものように丁寧な笑顔を返し、錫のバッジに刻まれた名前を見せた。

「もう、こんな身内みたいな相手に毎回バッジを見せなくてもいいわよ」

「えっと……はい」

 彼女は笑い、リースは控えめに答えた。このギルドの気さくで柔軟な雰囲気が、ランタナの厳格な対応とは大きく異なることは明らかだった。あちらでは、話すたびにバッジの提示が必須だったのだ。

 書類の束を指でめくりながら、受付嬢は一枚の紙を取り出し、リースに渡した。

「今日の君の仕事よ。教会での手伝いをお願いする依頼ね」

 彼女は柔らかい声で微笑みながら言った。その顔からは気さくで温かい雰囲気が伝わり、ランタナの受付嬢の事務的な笑顔とはまるで違った。

「ありがとうございます」

 少年は丁寧に頭を下げ、依頼書を受け取り、ポケットに折りたたんで仕舞うと、ギルドを後にした。


 マリーナ教会はギルドからそう遠くない。歩いてすぐの距離だった。

 少年の視線は、古びた石柱の列に注がれた。それらはまるで街の歴史と共に生き、灰と水の街を誇らしげに見下ろしているかのようだった。

 この街に戻って数日経つが、教会には一度も足を踏み入れていなかった。

 リースは長いため息をつき、胸に小さな罪悪感を押し込めた。

 マリーナ教会はかつて彼とアンジェリカにとって隣の家のような場所だった。ここは、孤児院から離れていたとしても、彼らの生活を支える資金を提供してくれた場所だった。

 教会の正面の扉は、夕日が沈むまで常に開かれている。玄関の広間は祈祷室で、男女の聖職者が祈りを捧げていた。

 リースは彼らが祈りを終えるまで座って待つと、一人の男性聖職者に近づき、依頼書を手渡した。

「おお、冒険者のギルドからの人だな」

 彼は書類を読みながら目を細めた。

「こちらへどうぞ」

 書類を確認した後、男性聖職者はリースを別の部屋に案内した。そこは薬品製造のための部屋で、乾燥したハーブや新鮮なハーブが壁にずらりと吊るされ、さまざまな大きさの鍋が並び、幾つかはまだ薬を煮込んでいる最中だった。

「これが私の依頼だよ」

 彼は顔を覆う布を外した。白髪に茶色が混じる髪、細く狡猾そうな目、高く整った眉、髭のない清潔な顔、鋭い鼻筋はかつての美男子を思わせる。

 リースはマリーナ教会に馴染みがあったが、この聖職者には見覚えがなかった。おそらく彼がランタナにいた間に来たのだろう。

 聖職者は一本のハーブを差し出した。それは冒険者なら誰でも知っている、回復ポーションに使われる一般的なハーブだった。

「最近、回復ポーションの注文が急増してね。うちで育てているハーブじゃ足りなくなったんだ。だから、西の森でこれを集めてきてほしい」

「了解しました」

「うん、ありがとう!」

 リースが承諾すると、彼は感謝したが、その目は少し狡猾すぎるように見えた。

「マリーナ女神のご加護を」

 彼は手を握り、軽く頭を下げて祝福した。

「マリーナ女神のご加護を、貴方にも」

 リースは答えて教会を後にし、西の門へと向かった。


 アッシェンブルクの西の森は古くからある森だが、危険はそれほど多くない。冒険者が頻繁にモンスターを狩りに訪れるためだ。しかも、魔力の湧出地が薄いため、魔力の歪みから生まれる変異モンスターはほとんど現れない。危険な目に遭う可能性は、指で数えられるほど低い。

 リースは森の奥へ進み、木々を一本一本眺めた。そして、かつて訪れた木にたどり着いた。そこには先輩が刻んだある印が残されていた。矢印の先には、ハーブが豊富に生える場所がある。

 少年は冒険者試験の日を思い出した。彼とアンジェリカが手を取り合ってこの道を進み、先輩の刻んだ印を探したことを。

「えっと……右だったかな」

 木の刻印は薄れて読みづらくなっていた。リースは短剣を取り出し、印をなぞって鮮明にした。

 すると、鼻をつく緑の臭いと、細かな埃が舞う中、かすかな羽音が響いた。次の瞬間、何かが茂みを突き破って飛び込んできた。

「うわっ!」

 リースは木の盾を構えて間に合い、金属が木に当たる音が響いた。一つを弾いたが、すぐに二つ目が飛んできた。彼は体をかわし、短剣で切り返すと、黒い金属が横の木に突き刺さった。

 少年は深く息を吸い、盾を構えて気を引き締め、静寂の中の音に耳を澄ました。

 安全を確認してから、木に刺さった物体に近づいた。

 黒い金属の棒が樹皮に突き刺さり、鼻をつく強い緑の臭いが漂っていた。

 それは鉄蜂の針だった。

 リースは針が飛んできた方向へ急いで走ると、犬ほどの大きさの鉄蜂が地面で縮こまり、震えながら痙攣していた。

 鉄蜂は限られた数の針を撃ち尽くすと、しばらく動けなくなる。

 群れで行動するモンスターなので、回復する前に仕留めなければ、仲間を呼ぶ信号を発してしまう。

 ザシュ、ザシュ。

 リースは短剣で頭を切り落とし、さらに腹を切り裂いた。鋭い翅が震えるのを確認し、完全に動かなくなるまで待った。

 鉄蜂が死に、リースは慎重にその死体を布で包み、飛んできた二本の針も布でしっかりと巻いた。

 鉄蜂の処理を終えたリースは目的地へ向かい、依頼以上の量のハーブを摘んで持ち帰った。

 帰り道では、警戒を強めたものの、鉄蜂には二度と遭遇しなかった。

「こいつらが森に入る者を遠ざけ、野生動物を消していた原因か」

 少年は心の中で呟き、わずかに目が震えた。不安が胸をよぎりながら、街を歩いた。

 教会の扉を前に立ち止まり、重要なことを思い出した。

「モンスターのことは、冒険者のギルドに報告すべきだ」

 彼は踵を返し、ギルドへと急いだ。


 リースは受付カウンターに直行し、背負っていたハーブの入った籠を床に下ろし、鉄蜂の頭を取り出した。そこにいた受付嬢は目を丸くし、その頭を奥にいるマーラに渡した。

「リース! モンスターに関わる依頼は禁止って言ったよね!?」

 マーラは大声で叫び、カウンターの奥から飛び出してきた。

「違います! ハーブ採取の依頼だったんですけど、偶然こいつに出くわしたんです!」

「でも、ギルドにはハーブ採取の依頼なんて入ってないわ! 君に渡したのは『教会での手伝い』の依頼でしょう!?」

「はい、確かに教会の仕事です」

 それを聞いて、マーラは顔を真っ赤にし、耳から湯気を出す勢いで怒った。彼女の目はまるで鬼神が剣を振り下ろすかのようだった。両手でリースの肩を強く掴み、痛みを感じさせるほどだった。

「いいこと、リース。『教会での手伝い』っていうのは、教会内で雑務をするって意味よ! ハーブ採取とか、森に入る仕事は別料金の依頼なの!」

「う……了解しました」

 彼女の鋭い視線に刺されるような感覚を覚え、リースは慌てて頷いた。

「よろしい。今回は見ず知らずで許してあげる。次からは簡単に騙されないようにね。鉄蜂の死体はここに置いておきなさい。解体して評価した後で、報酬は後で渡すわ」

「はい、でも……」

「でも、なに?」

 リースは深く息を吸い、覚悟を決めた。目の前にいるのは自分を追い出す権限を持つ相手だが、言わなければならない。

「鉄蜂はこの辺にいるはずのないモンスターです」

 その言葉に、マーラはわずかに身震いし、眉をひそめた。

「そういえば、そうね……ここには高い山もない。外来モンスターか……。それなら、別の人に任せるしかないわ」

 少し落ち着いた口調だったが、リースはマーラの鋭い視線にどうしても落ち着けなかった。


 冒険者のギルドで誤解を解いた後、リースはすぐに踵を返した。彼は教会に戻り、依頼されたハーブを聖職者に渡した。

 聖職者は非常に満足した様子だった。

 書類に印を押した後、リースは森で遭遇したことを話した。聖職者は一瞬動きを止め、顎に手を当てて考え込んだ。

「鉄蜂か……一匹いたなら、巣は半日以内の距離にあるはずだ。最近、誰も森に入らなかった理由がこれか」

 彼は長いため息をついた。

「無事に帰ってきてくれてよかった。危険な目に遭わせてしまって、申し訳なかったよ」

 彼の目は一瞬、子供のようないたずらっぽい輝きを帯びた。

「それで、冒険者のギルドには報告したかい?」

「はい、先にギルドに報告してきました」

「うわっ……じゃあ、私、絶対怒られるな」

 聖職者は頭を抱え、体をくねらせた後、リースに狡猾な目で振り返った。

「こうしよう。調査でハーブ採取を頼んだのが誰かってことを『知らないふり』してくれるなら、回復魔法を一、ニつこっそり教えてあげるよ。どうだ?」

 リースは一瞬固まった。

 回復魔法は教会が厳重に守る秘術だ。どの教会も外部に教えることは、神の禁忌とされている。

 そのため、回復魔法を使える冒険者はほぼ全員が聖職者だ。

「はい!」

 リースは考える間もなく即答した。希望の光が目に宿った。

 回復魔法を身につければ、アンジェリカに胸を張って会えるかもしれない。

 たとえそれが叶わなくても、治療の仕事で生計を立てられる。

「じゃあ、こちらへおいで」

 聖職者は狐のような笑みを浮かべ、リースを誰も語らない秘密の場へと導いた。



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