2-17 物語の後半 1
ギルドの馬車が、街の門を抜けて南の森へと猛スピードで駆け抜けていく。
車輪と狂ったように疾走する馬から舞い上がる土埃が、道のりをずっと覆っていた。
馬車の中にはエスタと、怯えきったイノシシの牙の一団が乗っている。
丘を越えるたび、石を踏むたび、ハンスたちはいまにも飛び出しそうに跳ね上がる。
ただエスタだけは、しっかりと座ったまま微動だにしない。
命がけの危険な任務に向かっているはずなのに、今のエスタの頭の中を占めているのは、全く別の事柄だった。
彼女は目をきつく閉じ、思いを巡らせる。
それは、アルテシアを助けに行く前の休憩時間に、まだやり残していたこと――
もう一冊のガイドブックに記された情報を、もう一度掘り起こすこと。
かつての地平線の記憶から来る、あの書物……。
『衰退のガイドブック』――それがその本の通り名だった。
(そして何より重要なのは、アルテシアを襲った者が、魔獣使いであり、呪いの使い手であるということ……)
もしエスタの考えが本当なら、この世界は今よりもずっとずっと悪くなるだろう。
なぜならそれは、「アリアアルデルの勇者伝説」の世界が、恋愛ゲームのスピンオフ『ランダールの楽園』と完全に同時進行していることを意味するからだ。
それはファンから呪われているほど酷いスピンオフゲームだった。
(このゲームの悪役令嬢は、ヴェレリアーナ・オーレリア、フィオナ・レムバーグ、そして……ミトラ・ラントン……)
エスタの頭に最後に浮かんだ悪役令嬢の名前。
それは、かつての自分自身――月女神ルナリスに仕える前のお前だ。
彼女は苦々しく歯を食いしばった。
父が「ランダールへ留学しなさい」と頼んできた、あの日の記憶が再び蘇る。
でもあの時、彼女は断った。
自分こそがこの世界のヒロインだと信じ込んでいたから。
結局、家は一つ年上の兄を代わりに送り込んだ。
(つまりこれは、完全に男の勇者側の舞台ってこと? じゃあ私は悪役令嬢なの? ムカつく……本当にムカつくわ!)
彼女は深く息を吸い込み、頭の中の悪態を振り払うようにして、さらに思考を巡らせた。
ヒロインは、悪役令嬢たちの婚約者――つまり攻略対象たちに近づく。
そして攻略対象たちが婚約破棄をした瞬間、
灰色の髪をした影の人物が、哀れな顔をした悪役令嬢たちをそそのかすように現れる。
そして彼女たちは闇に落ち込み、「堕ちた悪役令嬢」へと変貌する。
悪役令嬢の本能が目覚め、背負うべき罪が覚醒し、もう後戻りできない行為に手を染めてしまうのだ。
(条件を完璧にクリアしたら、このゲームの隠しボスと戦うことになる。そのボスこそ、闇の影に潜む灰色の髪の男――アッシュズ公爵だ)
エスタはぞっと鳥肌が立ち、氷のような風に吹かれたように体が震えた。
灰色の髪……リース……誰にも塗り替えさせない灰色……。
(落ち着け、エスタ。違うはずだ……とりあえず、このゲームの今作に登場するモンスターのデータは……)
呪われた獣……そんな知識が頭の中に流れ込んできた。
あのゲームでは、戦闘自体は簡単だったけど、後半になると、悪役令嬢がアッシュズ公爵の罠に落ちてしまうと、ゲーム内のモンスターが呪われたモンスターに変わってしまうんだ。
もし攻撃を受けたら呪いがかかって、炎の聖女――つまりヒロインがずっと治療してくれないとダメになるから、後半は完全にハードコアモードになっちゃう。
これもゲームがクソゲーになったもう一つの理由だ。
でも、前世では歯を食いしばって最後までプレイしたんだよな……。
(炎の聖女、エリーゼ……今はまだ聖女じゃないんだから、絶対に後半のストーリーに入らないでくれよ……)
エスタはよくわかっていた。この『世界』はすでに一部が歪んでいる。
出来事は……必ずしもあの通りに進むわけじゃない。
彼女は長く引き伸ばしたような笑い声を上げ、再び仲間たちを見上げた。
そして、リースに見せたことのない、恐ろしい声で言った。
「ねえ、みんな。私が前に狩った魔獣、あれは魔法を使えたのよ。この子も一緒に連れてこられたやつだから、もしかしたら魔法を使えるかもしれないわね」
「えぇ~~!? 魔法使える魔獣なの!? 怖すぎるよぉ!!」
ハンスが耳障りなほど甲高い声で叫んだ。
エスタは歯を食いしばってその声に耐え、レオがよくやるような目つきで睨みつけた。
すると、四人とも体が縮こまって二センチくらいになった。
(こいつら、本当にアッシュンブルックの精鋭なのか……?)
彼女は腕を頭の上で交差させて、体を後ろに預けた。
馬車が急に止まった。御者が降りてきて、冒険者たちのために扉を開けた。全員が地面に足を踏み入れた瞬間、御者が口を開く。
「ここまでだよ。あとは歩いて行ってくれ」
「ありがとうございます、おじさん」
エスタは胸に手を当ててお辞儀をした。御者は微笑んでから、もう一言続けた。
「明日の正午まで待ってるからな」
「今日は今日のうちに終わらせますから」
自信たっぷりの目で返事をするエスタを見て、御者は笑い出した。
でも、ハンスたちは笑っていなかった……。
エスタが自信満々になるほど、ハンスたちは体が縮こまっていく……。
これまでリースはどうやってこの女に耐えてきたんだ? ハンスが一生答えの出ない疑問だった。
四本の剣を腰に差してから、猪の牙を従えて素早く歩き出した。
道中、不気味な茂みの音が何度も響く。
エスタは振り返って、四人の仲間たちを見た。
全員が武器をしっかりと握り、いつでも攻撃できる態勢だ。
左目の弓使いは左右を冷静に睨み、槍使いが先頭を歩き、ハンスと大剣使いが最後尾を固める。顔色は悪いものの、陣形はなかなかしっかりしている。
(警戒レベル、結構高いじゃん……)
エスタは心の中でそう思いながら、チラリとハンスたちに視線を向けた。
彼女たちはそよ風と葉擦れの音を浴びながら、素早く湿地帯へと進んだ。
エスタは以前、リースと一緒にここへ来たことがある。
その時は、野生動物もモンスターもすべて姿を消していて、わずか一ヶ月足らずでそんなことが起こったのだ。もしまた戻ってきたとしたら、それは信じがたいことだった。
特に、毒トカゲなんて。
彼女は手を上げて停止の合図をし、後ろを振り返った。
四人が足を止めたのを確認してから、口を開く。
「もう少し進むと、古い教会の廃墟があるわ。そこで休憩しましょう」
「ってか、お前どうやって知ってんだよ?」
ハンスが最後尾から前に出てきて、訊ねてきた。エスタは少し悪戯っぽい笑みを浮かべて答える。
「だって、私、リースと一緒にここに来たことあるんだもん」
それを聞いたハンスは、泣きそうな顔になった。
「アイツ……どうして俺より先に進んでんだよぉ!!」
奇妙な声を上げながら、口を鐘みたいにへの字に曲げ、鼻水をずるずるすすり上げて、また最後尾に戻っていく。
「大丈夫だよ、ハンス……」
同じパーティーの猪の牙の仲間が、肩を叩いて慰めなければならなかった。その反応に、エスタは一瞬固まってしまった。
「はぁ……続き行こうか……」
それか彼女たちは再び歩き出した。
湿地の先には、切り開かれた土の道が現れる。
前回来た時と同じ道だ。
だが、その土の道が妙に新しく見える。
(誰がこの道を使ったんだ……?)
エスタは嫌な予感がした。
でも、今ここで顔に出すのは良くない。
ハンスたちが今の心の持ちこたえを保てるかどうかもわからない。
声を上げたら、みんなパニックになるかもしれない。
だから今はただ、前へ進むしかない。
やがてエスタたちは、リースが自ら焼き払った教会の廃墟にたどり着いた。
教会は燃え尽きたはずなのに、まだ屋根の一部が残って覆いになっている。
皆はそれぞれ休憩の準備を始めたが――
「ハンス! エスタ!!」
パーティーの弓使いが大声で叫んだ。全員が手を止めて、すぐに駆け寄る。
「引きずり跡……」
彼は短く言い、地面の長い引きずり跡を指差した。
それは檻のようなものを引きずった跡で、馬車まで続いている。
そして、そこから森の奥へ向かって道が切り開かれていた。
エスタは剣を抜き、その跡を追って進み始めた。
少し歩いたところで、彼女たちは大きな空の檻を二つ見つけた。
エスタはそちらへ近づいていく。
彼女の手が檻に触れた瞬間、檻に刻まれた魔法陣が紫がかったピンクの光を放った。
エスタはその魔法を知らなかったが、何のために使われたものかはなんとなく察しがついた。
彼女は残りの仲間たちの方を振り返る。
「遅すぎたわ!! 完全に手遅れよ!!」
ハンスと仲間たちは顔を見合わせた。エスタは剣で軽く叩いて注意を引き、みんなの視線を自分に戻す。
「この檻たちは、多分私が一昨日首を狩った魔獣二匹を閉じ込めていたものね」
エスタはもう一度言いながら、手を檻に当てた。すると猪の牙のメンバーたちの目の前で、再び光が灯る。
「じゃあ、もう一つの檻は……」
「そうだよ。持ち主に連れ戻されたんだ」
ハンスが言葉を継いだ。エスタは頷き、言葉を遮るように首を振って剣を腰に収めた。
「急いで戻って報告しましょう……」
全員が頷き、踵を返して戻り始めた。
だが、まだ一歩も踏み出さないうちに、森中に響き渡る甲高い笛の音が鳴り響いた。
エスタは歯を食いしばり、剣を抜く。
廃教会でリースと一緒にいた時の光景が、再び脳裏にフラッシュバックする。
ただし、今回は合成された怪物ではなく、低級モンスターが数十体も。
雷紋の猫、鎧猪、藍色の狼、そして赤い牙のネズミたちが、列をなして森から飛び出してきた。
「最悪!! あんなに遠くまで逃げたはずなのに、まだ人を残して待ち伏せしてるってこと!?」
エスタは悪態をついた。笛は勝手に鳴るはずがない。
誰が吹いたんだ? 彼女は木々の上を必死に探すが、何も見つからない。
だが、エスタがモンスターから目を離したその瞬間、ハンスが叫んだ。
「エスタ!!」
彼女は上空から視線を戻し、前方のモンスターたちを見据えた。
そいつらの瞳は紫がかったピンクに輝き、魔力のオーラが立ち上っている。
「目が……なんか変じゃない?」
エスタが甲高い声で言った。ハンスが即座に答える。
「俺、こんな目をした獣を見たことがある。異常なほど凶暴になるんだ」
ハンスの声には、まったく慌てた様子がない。戦うと決めた瞬間、彼の態度は明らかに引き締まった。
両手に持った短剣を、軽やかに構える。
「じゃあ、宴の始まりよ!!」
エスタが自信たっぷりに大声で叫んだ。
彼女と猪の牙のパーティーは、即座に操られたモンスターたちとの戦闘に突入した。
それほど時間もかからず、彼女たちは全員を片付けてしまった。
ハンスの二刀流の剣技は、彼のぼんやりした見た目とは裏腹に格段に優れていた。
槍使いも同様だ。
大剣使いは弓使いを徹底的に守り、弓使いは安全にモンスターを射抜くことができた。
(みんな、リースより明らかに腕がいいわね……。あの子の特訓、もっと厳しくしなくちゃ)
彼女は戦いながら視線を忙しなく動かし、心の中で笑った。
そしてついに、残ったのは灰色の大きな狼一匹だけになった。
だがその瞬間――狼は大量の腐臭を放つ泥のような液体を吐き出し、そのまま体を崩して動かなくなった。
「うわっ、避けろ!!」
ハンスが大声で叫びながら飛び退いた。
エスタも素早く転がって逃れたが、槍使いは直撃を受けてしまった。
彼は倒れ、痙攣を起こして気を失った。
全身に黒ずんだ魔法陣のような呪文が浮かび上がっている。
「これ、呪いだわ!!」
エスタが叫んだ。
彼女は猪の牙のパーティーの残りの面々を振り返り、すぐに問いかける。
「誰か噛まれた人いる!?」
大剣使いが剣を下ろし、手袋を外した。腕に牙の痕がくっきりと残り、その周りを黒い円が囲んでいる。
「すまねぇ、エスタ……俺の腕が重くて……それに……」
彼の顔色がみるみる紫色に変わり、息を荒げながら膝をついた。
「撤退! 今すぐ撤退よ!!」
エスタが再び大声で叫ぶ。皆で協力して、呪いの吐瀉物で腐臭を放つ槍使いを担ぎ、足取りもおぼつかない剣士を支えながら、なんとか逃げ帰った。
現在、僕は多大なる励ましを必要としています。
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