1-5 故郷への旅 4
アッシェンブルクの冒険者のギルドは、ランタナのような賑わいはないが、墓場のように静まり返っているわけでもなかった
この街にはダンジョンがなく、魔力の湧出地も少ないため、恐ろしいモンスターはあまり現れない。主な産業は農業で、モンスターの素材を売る商売に比べると収入は少ない。
それでも、低ランクの冒険者がこの街を支え、少なくとも経済を動かし続けていた。
リースは迷わず冒険者用のカウンターに歩み寄った。そこに座る受付嬢のマーラが、落ち着いた声で声をかけた。
「リース、来たわね」
「おはようございます」
リースは軽く頭を下げ、礼儀正しく答えた。彼女は彼のまだ眠そうな目を見据え、静かに息を吐いた。
「これが今日の依頼書よ。よく確認しなさい」
「はい」
マーラの手が一枚の紙を差し出した。落ち着いた仕草に、上品さがにじんでいた。リースは静かにそれを受け取り、軽く頭を下げ、踵を返して去った。
その背中を見つめるマーラの目は鋭く揺れた。
あまりにも礼儀正しいその態度が、彼女の目に留まった。
数多くの冒険者を見てきた彼女の感覚に、何かが引っかかったのだ。
彼女にとって冒険者の生活は遠いものだったが、この少年には何か特別なものがあると、妙に気になった。
「ランタナでの経歴を調べる必要があるわね」
マーラは独り言を呟き、書類に目を落とした。
少年は受け取った依頼の紙を見つめた。それは一般的な下水管の清掃作業だった。アッシェンブルクの管は、鉄や木の板で覆われた単なる水路で、大都市の下水道とは違い、さほど難しくない。
「お、リースじゃねえか? いつ戻ったんだ?」
街の食堂の主人が声をかけてきた。リースは丁寧な口調で答えた。
「昨日です」
「今日ここで何してんだ? 店はまだ開いてねえぞ」
「水路の清掃の仕事を受けました」
それを聞いて、食堂の主人は満足げに笑い、リースを建物の裏に案内した。
「水が溢れてるのはこの辺だ」
彼が指差した先、坂道の水路から水が溢れ、道路を流れていた。不衛生な臭いが漂い、近隣に迷惑をかけていた。
「じゃあ、頼んだぞ」
リースは鉄の棒で水路の蓋を一つずつ開け、スコップで汚物を掻き出して横に積んだ。
泥や汚物の臭いは不快だったが、ランタナの水路に比べればまだましだった。
あそこでは小さな排水路ですら、底が見えないほど濁っていた。
この仕事はリースにとって楽な部類だった。
「よお、お前」
どれだけ時間が経ったか、別の冒険者がやってきた。顔を上げると、知った顔があった。かつてリースと同じ試験を受けた者だった。
「お、リースじゃん!」
髪が乱雑に跳ね、自信に満ちた笑みを浮かべる少年。古いマフラーには修繕の跡が無数にあり、この二年間の努力を物語っていた。
「ハンス、久しぶりですね」
リースは作業を止め、スコップに手を預け、汗と汚れにまみれた顔で微笑んだ。
ハンスはリースより二歳年上で、あの試験ではトップだった。
リースとアンジェリカが五人中最後に帰ってきたからだ。
「ランタナから戻ったって聞いたぜ。もう仕事始めてんのか?」
「はい、昨日戻ったばかりで。持ち金もほとんどないんで、稼がないと」
「で、どれくらい進んだんだ?」
ハンスが重ねて尋ねた。リースは振り返り、開けた蓋が二つの通りを越えて長く連なっているのを見た。汚物が道沿いに積み上がっていた。
「そうですね、数えてないですけど」
もう一方を見ると、残りは二ブロックほどで街の壁に達する。
「ここから手伝ったら、報酬は半分ずつか?」
「いいですよ。どうせ後で片付ける必要もありますし」
「はは、そりゃそうか!」
ハンスは袖をまくり、鉄の棒で次の蓋をこじ開けた。リースはスコップで汚物を掻き出した。
「変だな。泥は少ないのに、なんで水が溢れてんだ? どこまで開けるんだよ?」
「詰まってる場所が見つかるまで開けるしかないですね」
蓋はブロックを越え、街の壁まであと少しというところまで開けられた。だが、残りの蓋はすべて鉄製だ。ハンスは次の蓋を見ながら大きく息を吐いた。
「こっからが本番だな」
リースは苦笑いし、泥を掻き出して置いた後、ハンスが次の蓋をこじ開けた。蓋が開いた瞬間、犬ほどの大きさのネズミが飛び出してきた。
「うわっ!?」
ハンスが驚きの声を上げた。近くにいたリースはスコップでネズミを叩き、仰向けにひっくり返した。ネズミは素早く起き上がり、恐ろしい叫び声を上げ、凶暴な目で睨んだ。
「なんだあれ!?」
「ただの赤歯ネズミですよ」
赤歯ネズミは大きなモンスターのネズミで、鉄分を含む硬い歯は木をかじれる。どこにでもいる、さほど危険でないモンスターだ。
普段は臆病で戦闘能力はほぼないが、この個体は違った。
緑であるはずの目が、紫がかった暗い色で、かすかに光を放っていた。
巨大なネズミが再び咆哮し、まるで自分が狼だと信じているかのように素早くリースに飛びかかった。だが、ネズミは所詮ネズミだ。
手に持ったスコップで頭を叩き、空中で飛ぶネズミを地面に叩きつけた。リースは迷わずスコップで首を切り離した。
巨大なネズミを倒したが、水はまだ流れていない。まだ何かあるのだ。
「どうする?」
ハンスは少し恥ずかしそうに尋ねた。さっきの大声が恥ずかしかったのだろう。
「もう一つ開けましょう」
リースはスコップを置き、短剣と盾を手に準備した。ハンスは苦笑いし、次の蓋に鉄の棒を差し込んだ。だが、開けた先に現れたのはモンスターではなかった。
腐臭が漂い、動物の死体が詰まっていた。ネズミや鶏の頭、小さな蹄のついた足は山羊のものか、猿らしき手を持つ腕。だが、胴体や内臓はなかった。
「うわっ……こりゃギルドに報告だな」
恐ろしい光景に、二人は同時に情けない声を上げた。
ギルドに報告すると、すぐに人が派遣されたが、アッシェンブルクは人手不足で、他の街から来た者も動員された。
そこにハンサムのパーティーが加わり、作業を終えた。
「わざわざ手伝ってくれて、ありがとうございます!」
リースはハンサムとスレスに頭を下げて感謝した。二人の大人は笑顔で応じた。
「いいってことよ。お前も随分助けてくれたし、貸し借りなしだろ」
ハンサムの笑顔には大人の優しさが滲んでいた。リースは彼ならパーティーを成功させられると確信した。
報酬を分け合い、皆が解散した。
「リース、少し待ちなさい」
冷たく、しかし落ち着いた声が響いた。振り返ると、少年は凍りついた。
受付嬢でありギルドの重役でもあるマーラが、特徴的な眼鏡を軽く動かし、鋭い視線で睨みつけた。
その視線と堂々とした態度で、リースはアッシェンブルクの新しい三つの規則を思い出した。
銅ランク以下の冒険者は、モンスターとの戦闘を伴う仕事は禁止。
震える手で首に下げた錫のバッジに触れた。一日で辞めさせられるかもしれない。
「はい……マーラ様」
リースは震える声で答え、目を合わせないようにした。だが、彼女は静かに息を吐き、落ち着いた口調で続けた。
「今日のモンスターは不可抗力だったことは理解しているわ。ただし、戦闘の仕事が禁止されている理由は分かったはずよ」
「はい、あのネズミ、何か異常でした」
それを聞いて、マーラは静かに頷き、鋭い視線がわずかに和らいだ。
「最近、この地域で野生動物やモンスターが消えているという報告が上がっている。だが、調査しても外来のモンスターや危険な存在は見つかっていない。ただ、一部の小動物が異常な攻撃性を示している。あのネズミのようにね」
リースは次の蓋の下の恐ろしい光景を思い出し、あれが小さなネズミの行動ではないことに身震いした。
「だから、改めて警告するわ、リース。不必要にモンスターと戦うのはやめなさい。」
「はい、承知しました」
少年はしっかりした声で答えた。マーラの口元に、わずかに満足げな微笑が浮かんだ。
彼女はカウンターの男性スタッフを手招きし、彼は銀の大貨幣五枚を載せたトレイを持ってきた。
「これは昨日、ワガス様からの手紙を届けた報酬よ。赤歯ネズミの分は後日受け取りなさい」
「ありがとうございます」
リースは硬貨を受け取り、丁寧に頭を下げた。男性スタッフは穏やかな笑みを返し、リースは冒険者のギルドを後にした。
夜、宿の扉が開いた。少年はカウンターに向かった。この時間、食堂の客は帰り、宿泊客も部屋に戻っていた。
「いらっしゃいませー!」
ニシャがカウンターに座り、退屈そうに帳簿を眺めていた。喉からうめき声が漏れ、誰が来たかも見ていなかった。
「ただいまです」
リースの声に、年上の少女の目が帳簿から離れた。彼女は戻ってきた少年を見た。
リースはカウンターに近づき、袋から銀貨を取り出し、置いた。ニシャの目は水を得た魚のように輝いた。
「宿代を前払いしたいんです」
「おお! 大銀貨五枚! 宿と食事で四十日分だよ!!」
少女は五枚の銀貨を頭上に掲げ、揺れながら歌うように叫んだ。まるで女神の祝福を受けたかのようだ。
「迷惑じゃなければ、夕飯をお願いできますか?」
「もちろんよ!」
ニシャは明るい声で答え、銀貨を錠付きの木箱にしまった。そして、厨房に走っていった。
リースは食堂のテーブルに座り、安心した。これでしばらくは大丈夫だ。
昨日、冒険者を辞める決意を固めたことなど、すっかり忘れていた。




