2-13 目に血が入る 1
冒険者のギルドの特別な待合室の中で、
大賢者アルティシアの体は、清らかな白い毛布に包まれて静かに眠っていた。
ベッド周りの調度は豪華とは言えないけれど、この部屋全体を包み込む魔力の気配が確かに感じ取れる。
エリゼは親友の手を固く握りしめていた。
でも、その手から体温をほとんど感じ取れなかった。……それとも、自分の心が震えているせいなのか。
「おやすみなさい、アルティシア」
「うん……ありがとう、エリゼ……」
アルティシアは短くだけ答えた。
その呟き声はかすかで、エリゼはもう一度自分の名前を聞きたくて身を乗り出した。
けれど返ってきたのは、相手の呼吸が規則正しく穏やかになっていく音だけだった。
アルティシアは薬の効果で深い眠りに落ち、マリーナの聖職者がすぐそばで見守っている。
エリゼはそっとその手を下ろし、部屋を出て、廊下の壁に寄りかかっていたエスタのもとへ向かった。
「もう眠りましたわ」
エリゼはエスタに小さな声で告げた。
手は震え、唇を噛みしめ、視線は相手の足元にしか向けられない。
エスタが近づいてくる。
片方の手で肩を抱き、もう片方の手で小鳥のよう震える手を優しく包み込んだ。
「泣きたいなら、泣いてもいいんだよ」
「いいえ……まだ泣きませんわ」
エスタがそう言うと、エリゼは無理に背筋を伸ばした。二人は冒険者たちのざわめきが響くギルドのホールを通り抜け、長テーブルの端に腰を下ろした。
「それで……リースは戻ってくるかしら?」
エリゼがリースのことを尋ねる。
ギルドの前に馬車が止まった瞬間、彼は「頼むよ」とだけ言って、どこかへ消えてしまった。
エスタは顎を手に乗せ、遠くをぼんやり見つめながら、長い溜息を漏らした。そして、気乗りしない様子で答えた。
「あの人は何も言わなかったけど……もし僕が予想するなら、きっとマリーナの教会へ行って、アルティシアの瞳にかかった呪いを解く方法を探してるはずだよ」
そう言いながら、エスタは視線をエリゼに戻し、口元を嘲るように吊り上げた。
そして、最大限の皮肉を込めた声で続けた。
「ほらね、私が言ったでしょ。私のこの使いやすい男は……お値段が高いのよ!」
エリゼはその言葉を二度目に聞いて、眉をひそめて困った顔をした。
「リースは優しいけど……その分、簡単に誘惑されちゃうかも……だからエスタが付き添わないとダメなんですね」
エスタは片目をつぶってエリゼを見ながら、礼儀もへったくれもなく大きくあくびをしてみせた。それから続けた。
「その通り。だからあんまり一人で放っておけないの」
それだけ言って、二人の間にほどよい沈黙が落ちた。
エスタは視線をぼんやりとさまよわせ、エリゼは小さく独り言をつぶやいている。
「エスタ、ついてきてくれ」
静けさが破られたのは、ギルドマスターのレオが厳しい顔で入ってきたときだった。
彼はいつもの感情のない平坦な声で言った。
エスタにとってこれは珍しいことだ。
普段会うときは大抵、呼び出されて叱られるタイミングだからだ。
こうして静かに呼び出されるということは、『厄介事が来た』という合図に他ならない。
「はい」
エスタが短く返事をすると、レオは背を向けて歩き始めた。
エスタはエリゼの方を振り返る。
「一緒に来て」
短くそう言うと、エリゼはほっとしたように微笑んだ。
ギルドマスターが連れて行った先は、彼の執務室ではなく解体場だった。
そこには銅等級の冒険者がもう四人待っていた。
「おう、エスタ」
ハンスが、エスタとギルドマスターレオが入ってくるのを見て手を挙げて声をかけた。
「おうハンス、今日も一緒か?」
「ああ、これが俺のパーティー『猪牙』だ」
彼は残りの若い冒険者三人を指し示した。
一人ひとり個性が強く、武器も装いもそれぞれだ。長剣、槍、弓、そしてハンスの双剣。
エスタから見れば、将来有望な面子だ。
「いいパーティーじゃない」
エスタはそう答えながら一人ひとりを眺め、自信たっぷりに微笑んだ。
「もうおしゃべりはいい!」
レオが大声でどなりつけた途端、解体場全体が一瞬で静まり返った。
「この話は、エスタがさっき仕留めた魔獣に関するものだ」
レオの視線がエスタに向けられる。
それは憎悪ではなく、重い憂慮に満ちていた。
「ランタンからの情報は偽物だった! 本当のところは、奴らがわざと『持ち込んだ』魔獣が三体もいるんだ!」
「三体!?」
ハンスが思わず叫んだが、レオに睨みつけられて慌てて口を閉じた。
「つまり、魔獣をおびき寄せて、私たちを身代わりに死なせようとしたってことですね?」
エスタの声は氷のように冷たく、部屋の空気が一気に重くなった。
彼女はレオと目を合わせる。
「残りの一体を、私たちに片付けさせてほしいんですね?」
「そうだ。せっかく戻ってきたばかりなのに、また戦わせることになって申し訳ない」
レオは頷いた。目は依然として厳しく、エスタはその視線を受け止めながら口を開いた。
「わかりました。でも、二つ条件があります」
エスタが堂々と宣言すると、周囲の者たちが驚きの表情を浮かべた。
「一つ……私が留守の間、エリゼの面倒を見てください。二つ……剣を追加でください!」
「いいだろう! お前が何本剣を折ろうとも、一銭も請求しない!」
「今日中に終わらせてきます!」
エスタが力強く叫ぶと、ギルドマスターレオは満足げに喉の奥でうなるような声を上げた。一方、ハンスとパーティーのメンバーたちは、今や体をすくめて手のひらほどの大きさに縮こまっていた。
「エスタ……」
冒険者のギルドの前で、エリゼはこれから出発しようとするエスタとハンスたちを、不安げに見つめていた。
高貴な生まれの少女は手を伸ばし、黒髪の冒険者娘の服をそっと引っ張った。するとその相手が振り返る。
「あなた……大丈夫、ですよね?」
エリゼは眉を寄せ、瞳を揺れさせ、唇を強く噛みしめた。声が詰まって、言葉にならない。
「心配しなくていいよ、お嬢様。私は死なないから」
エスタは自信に満ちた目で彼女を見つめ、自分の手をエリゼの頭に置いて軽くくしゃくしゃと撫でた。
それから何も言わずに背を向け、歩き去った。
エリゼは上げた手で乱れた髪を直そうとした。
普段通りの仕草を装いながらも、手が震えて一向に上手くいかない。
エスタの背中は遠ざかり、遠ざかり、見えなくなった。他の四人の冒険者の背中と一緒に消えていく。
エリゼはギルドの入口にただ立ち尽くしていた。
目の前を行き交う人波があっても、まるで空っぽの街に一人だけ残されたような気分だった。
アルティシアは中で眠っている。
リースはどこに行ったのかわからない。
エスタは戦いに出かけた。
まだ宙に浮いていた手がゆっくりと下ろされ、自分の服の裾をぎゅっと握りしめた——まるで溢れ出しそうな空虚を抱きしめて留めようとするように。
(私……このまま前に進んで……いいのかな……)
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ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。 この章でエスタは任務へと向かいました。次はリースの番です。 姿を消したリースが、一体誰に会いに行ったのか……ぜひ見守ってください。
現在、私たちは多大なる励ましを必要としています。
もし私たちの物語を気に入っていただけましたら、フォローや「☆」、あるいは「♥」で応援していただけると幸いです。
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