2-9 廃村の闇に潜む影 3
「危ない!!!」
リースは崩れ落ちてくる足場の直撃コースからエリゼの体を押し出し、左手で拳を固く握り、反射的に腕を上げて防御の姿勢を取った。
だが、少年は大事なものを一つ忘れていた。
いつも身につけている円盾が……ない……
「固まれ、速くなれ、強化する」
そのことに気づいた瞬間、リースは慌てて三つの強化魔法を乱暴に連続で自分にかけた。
急ぎすぎて強化が完璧とはいかなかったが、それでも左手で柱の先端をしっかりと受け止めた。
「うっ……」
リースの手が柱の頭に激しくぶつかったが、少年はなんとか足場全体を止めることに成功した。
それにより、上にいた大工たちが安全に飛び降りるだけの時間が稼げた。
「リース、大丈夫か!?」
「はい、大丈夫です」
足場の持ち主である大工の親方が駆け寄ってきた。
リースが怪我をしていないのを確認すると、大きく安堵の息を吐いた。
「すまないな、リース。俺たち、縄の結び目が甘かったのか、それとも縄自体が古くなってたのかもしれない」
「いえ、大丈夫です。こういうことは誰だって起きてほしくないものですから」
大工たちは次々と謝ってきた。
彼らにとってリースは、決して重労働を嫌がらない頼りになる助っ人だった。
謝罪が一段落すると、リースはまだ驚いた表情を浮かべているエリゼの方へ向き直った。
「もう大丈夫ですよ。さあ、行きましょう」
微笑みながらそう言うと、エリゼはこくこくと素早く何度も頷いた。
リースは彼女を連れて歩き出す。すると、背後から大工の親方が大きな声で叫んだ。
「心配するなよリース、エスタには絶対言わないからな!」
二人は苦笑いを浮かべながら、市場通りの喧騒を後にした。
通りを一本隔てた角で、全身を覆うフード付きのマントを纏った人物が立っていた。
布で体をすっぽり隠しているため、男か女かも判別できない。
その人物は、市場通りを歩き去っていく少年と少女の背中をじっと見つめていた。
「なぜ追撃しなかった?」
マントの人物が口を開いた。
声は魔法具で変調されており、性別すらわからない不気味な響きだった。
「ご主人様は、あのお嬢様に傷一つつけぬよう厳命なさっていたはずだが?」
後ろに控えていた大柄の男が答えた。
彼は黒いスーツを隙なく着こなし、礼儀正しい立ち姿だ。
白い手袋をはめた両手を胸の前で組み、会話の相手を感情の読めない平坦な視線で眺めている。
「本気で大事にしすぎる奴って嫌いだよ」
「あの方は公爵だ。傷物の品など受け取れるはずがない」
「チェッ」
マントの人物は鼻を鳴らしてそれだけ返し、暗い路地裏へと足を向けた。
すぐに影の中に消えていく。
「まったく……この調子じゃまともに協力できるわけがないだろ」
スーツの男はうんざりしたように首を振り、反対方向へと歩き去っていった。
市場通りから少し上等な店が並ぶ中央通りへ向かう途中、エリゼはふと、リースの手に何かがぽたりと落ちるのを見た。
「リースさん、手が……」
その言葉に、リースは左手を上げて自分の目で確認する。
鋭い切り傷がグローブを突き破り、肉まで達していた。
深くはないものの、じわりと血が滲んでいる。
「ん、大丈夫ですよ。こういうの、僕よくありますから」
そう答えて微笑みながら、リースはグローブを外した。
それからポーチから治療ポーションを取り出し、傷口に直接かける。たちまち傷は塞がり、跡も残らず癒えていった。
「本当に……大丈夫ですか?」
「はい」
短く答えて、また優しく笑う。
その笑顔を見て、エリゼは胸に初めての複雑な想いがこみ上げるのを感じた。
「私……ホテルに帰ってもいいでしょうか?」
「はい」
リースはそれだけ返して、すぐに彼女を連れてホテルへと引き返した。
「でもエスタさん、頭はちゃんと持って帰ったじゃないですか。それだけでも報酬はもらえるはずですよね?」
エリゼが口を挟むと、リースは困ったような目で彼女を見た。
そうだ、彼女はまだ仕組みを理解していない。
「はい。エスタが重傷を負ったせいで、他の部位を持ち帰れなかったんです。
通常はギルドが回収員を派遣して残りを回収し、解体してから価値を査定するんですよ。
でも残りの素材がなくなってしまうと、冒険者は首の懸賞金しか受け取れません。それは魔獣の素材や“魔核”に比べたら、ほんのわずかな金額なんです」
リースは説明しながらエスタの方へ視線を戻した。
彼はまだ覚えている──ランタナで冒険者たちがモンスターの死体を奪い合って争っていた、あまり見たくない光景を。
「それどころか、首が何個余分にあっても懸賞金は増えないんです。
だからこそ残りの素材が必要なんですよ」
エスタは再び顔を上げ、今度は全力で哀れっぽい声を出した。
しかし、リースは彼女を鋭い目で見つめた。
「エスタ、その話は一旦置いておいて」
エスタはびくっと体を起こし、瞳が一瞬で恐ろしいほど鋭くなった。
「これを見てくれ」
少年はグローブを外し、左手をエスタに見せた。
さっき足場の柱で受け止めた時にできた傷が、まだ癒えていない。
エリゼは確かに見た──彼が治療ポーションを直接かけたのを。
なのに今は、血がじわりと滲み、断続的に切り裂かれたような焦げ跡が散っている。
「これは風魔法の残滓だ! どこでそんなものに当たったの!?」
エスタが驚愕の声を上げた。
その瞬間、エリゼが慌てて口を押さえた。
彼女の瞳が震えている。
リースが「大丈夫」と言ったことが、彼女には恐ろしいことに思えた。
エリゼは息を詰めて座っているしかできず、リースは足場が崩れた経緯をエスタに語った。
「どう思う、エスタ?」
「考えるまでもないよ。二度目だろ、これ」
リースは相棒に尋ねた。エスタは即答し、視線は少年ではなくエリゼに向けられていた。
「犯人は狙いをつけて、足場に風魔法を撃ち込んだんだろうね。で、リースがそれを支えた時に、まだ完全に消えていない風魔法に触れたってわけ」
「うっ……」
エリゼは胸が詰まって言葉が出なかった。
自分のせいで多くの人が犠牲になり、危険に晒されている──それが罪悪感となって押し寄せる。
特にリースのことは。
少し前まで護衛を二人失ったばかりだ。
親しくなかったとはいえ、心はまだ震えていた。
帰るべきなのか? それとも道中でまた襲われたらどうする?
「エスタは死ぬのが怖くない……リースだって……でも私は……嫌だ……」
混乱が少女を襲い、言葉をまとめることができない。
だがエスタを見ると、相手はまるで理解しているかのように口を開いた。
「もう契約しちゃったんだからさ、どんなことがあっても最後まで一緒にやるしかないでしょ」
その瞬間、カレンが慌てた様子で外から駆け込んできた。
彼女は慌てて三人のテーブルに近づくと、重要な言葉を耳打ちした。
「鳥の精霊が戻ってきました。今、アルティシア様の位置がわかったんです」
それを聞くと、エスタは小さく鼻を鳴らした。
いつもの狩りに出る前のような、勇敢な光が瞳に宿る。
そんな輝く瞳のエスタを見たリースも、自然と笑みがこぼれた。
それは昼間にエリゼに向けた優しい笑みとは全く違う、戦いを前にした戦士の笑みだった。
「ほら、お嬢様。もっと大きな問題が向こうから飛び込んできたよ」
エスタが皮肉っぽく言い放った。
--後書き
こんにちは。今回のエピソードは、実は前の話に内容を付け足しすぎてしまったため、分割した部分になります。 わずか3時間で枝が伸びた木のような状態ですね(笑)。
さて次回は、いよいよアクションシーンに突入します! リースとエスタが一体何に直面するのか。 そして、彼らがどのように困難を乗り越えていくのか、ぜひ見守ってください。
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