2-8 廃村の闇に潜む影 2
貴族の起床時間は、一般庶民やほとんどの冒険者とは異なる。
急ぐ必要がなく、細々としたことを人に任せられる生活のため、彼らは夜明け前から起きる必要がないのだ。
特に、まだ明確な職務が割り当てられていない年齢の貴族であれば、太陽が窓辺を大きく超えてから目を覚ますこともある。
エリゼもまたそうだった。
彼女は太陽が窓辺を越えてから起きるほどではないものの、冒険者にとってはかなり遅い時間だと言える。
いつものように眠そうに起き上がるが、今朝は少し辛そうだった。
カレンが世話を焼いているというのに。
「うぅ……腰が……」
高貴な生まれの少女は、つい先日十五歳になったばかりなのに、まるで年寄りのようにうめいた。
それは彼女が寝ていた場所が、エリアス伯爵家の屋敷ではないからだ。
鳥の精霊とともに届いた手紙は、エリゼを極度に疑心暗鬼にさせ、結果としてあまり好意的でない冒険者たちに助けを求めに出ることになり、結局ニッシャの宿屋で泊まることになった。
「お嬢様、ゆっくり起き上がってくださいね」
カレンは、狭くて硬く、湿った匂いのする木製のベッドからお嬢様をゆっくりと支え上げ、木製の洗面桶の前に置かれた椅子へと導いた。
ここには全身鏡はなく、商人が置き忘れたという曇った丸い鏡しかない。
それでも有能なメイドにとっては、主人の身支度を整えるには十分だった。
「私、本当にこれでよかったのかしら?」
エリゼが尋ねた。
実際のところ、彼女はただ友人に会うために来ただけなのに、こんな予想外の事態に巻き込まれてしまったのだ。
「私もお嬢様と同じように思います。でも、これから何が起こるかはわかりません。今は彼らに頼るしかないのです」
カレンが穏やかに答えると、主人は長くため息をついた。
「もし損失が発生したら……ううん、いいわ。行きましょう」
エリゼは立ち上がり、言いかけて吞み込んだ言葉を飲み込んだ。
カレンの言う通り、今は彼らに頼るしかない。
そう決めて両腕を広げ、カレンに寝間着を脱がせ、新しい服に着替えさせる。
「え? この服は?」
カレンが手に持って合わせている服は、貴族らしい豪華でふんわりしたドレスではなく、庶民のような味気ないものとも違う。
淡いクリーム色のシャツは、リネン生地で柔らかく快適で、袖口が少し折り返され、特別な刺繍などはない。
それに合わせるのは、膝丈の紺色のスカートで、動きやすく裾がひらひらと揺れる。濃い茶色の革ベルトで締める。
そして、十代向けの革ブーツともよく合う。
「この服は、エスタさんが持ってきてくれたものです」
カレンの言葉に、エリゼの心は少しだけ膨らんだ。
少なくともあのエスタという子は、自分を本気で嫌っているわけではないらしい。
でないと、麻袋でも着せてくるような嫌がらせをしてくるはずだ。
着替えを終えた二人は、宿屋の食堂へと降りてきた。
今はもう他の客はいなくて、リースとエスタが座って待っているだけだった。
「おはようございます、リース様、エスタ様」
エリゼは挨拶しながら、貴族だった頃と同じようにスカートの裾をつまんだ。
リースとエスタの前で。
「遅い! 減点!」
会うなり、エスタの指がエリゼを指して、大きな声が響いた。
でもエリゼが何か言い返す間もなく、二句目がすぐに出てきた。
「それにそのスカートの裾をつまむ仕草なんて、塔の上から見ても貴族だってわかるわよ!」
「まぁまぁ、落ち着いてエスタ」
本人も眉をしかめて、まるでエリゼが大罪を犯したかのような顔をしている。
隣に座っているリースは、なんとか彼女の機嫌を直そうとしていた。
しかしエリゼは今、震えながら小鳥のようになっている。
恐る恐る歩み寄って、二人のテーブルに腰を下ろした。
「で、鳥の精霊の件はどうなってるの?」
エスタが厳しい声で言った。
その視線は本気で重く、今日これから危険な戦いに行くかのようだった。
「はい……昨夜、あの子をアルティシアのもとに帰しました。そろそろ情報を持って戻ってくると思います」
「じゃあ今は待つしかないわね」
「はい……」
エリゼは小さな声で答えた。
自信はまるでなく、鳥の精霊のことを思うと、あの子の安全が心配で胸が締めつけられる。
「じゃあ今日は、リースと一緒に街をぶらぶらして時間をつぶしてて」
エスタの声はさっきよりずっと柔らかくなった。
小さな体を両手でテーブルについて立ち上がり、猫のよう伸びをしながら体をくねらせる。
「え? 僕だけ? エスタは一緒に来ないの?」
リースが驚いて聞き返した。
貴族との付き合いなどまったく経験がない彼にとっては――
エリゼという貴族の令嬢を丸投げされるのは、アンダーアイゼンに単独突入するのと同じくらいの大試練だった。
「僕だって知ってるだろ、リース! 今日は僕に大一番があるんだ! 僕とギルド、どっちが残ってどっちが去るか!!」
エスタは熱っぽく唇を歪め、拳を握って頭上に掲げた。
瞳は闘士の炎のように輝いている。
リースはため息をついて首を振った。
出会ってまだ一ヶ月しか経っていないのに、エスタがこのポーズを取るときは、絶対に何かやらかす前触れだということはよくわかっていた。
「わかりました。頑張ります」
その答えを聞いて、エスタは満足げに笑い、カレンを指差した。
「カレン、今日はここに残ってニッシャの手伝いをして。エリゼに本格的なメイドである君がぴったりついてたら、どんな服を着ていても上流階級だってバレバレよ」
「承知いたしました。安全のことは、リース様にお任せいたします」
カレンは素直に返事をしたが、エスタが視線を外した瞬間、カレンの目は氷のように冷たくなった。
しかしリースと目が合うと、すぐにいつもの無表情に戻した。
その視線を受け止めたリースは、心の中で思う。
カレンは貴族家のメイドだ。部外者に指図されるのは、彼女にとって屈辱だろう。
だからこそ、彼はそっと小さく頭を下げた。
「じゃあ、解散!」
エスタはパチンと手を叩いて言い、迷うことなく一番に食堂から出て行った。
残されたみんなをその場に置き去りにして。
もう少し準備を済ませた後、リースとエリゼはアッシェンブルクの街へ出かける準備ができた。少女の肩にはくすんだ藍色のマントがかけられ、小さな肩掛けバッグにはカレンから預かったお財布が入っている。
二人はニッシャの宿屋を出て、市場通りへと向かった。
この通りは城壁に近く、幅の広い道だ。
小さな商人たちが露店を並べ、素材から調理済みの食べ物まで売っている。
時には行商人もここで商売をする。
アッシェンブルクは小さい街だが、この市場には人が途切れることがない。
店の主人が材料を仕入れに来たり、城壁外に住む町民が買い物に来たり――
これは町民のための市場で、貴族や上流階級のためのものではない。
二人は交差点まで歩いてきた。
子供も大人も新鮮な食材や調味料を入れた籠を抱えて行き交い、肉とスパイスの匂いがあたりに満ちている。
小さな窯から焼き立てのパンが引き出され、目の前に並べられる。人々の話し声が騒がしい。
「リース様、これすごくおいしそうですね」
エリゼは焼き始められた肉の露店を指さし、近づこうと足を踏み出したが、リースが腕をつかんで引き戻した。
「リースでいいですよ。今のエリゼは商人の娘で、僕はただの付き添いです」
「は、はい……リース……」
突然引き戻されて、エリゼは慌てて答えた。
それを聞いたリースは、道に迷った子にいつも見せるような優しい笑みを浮かべた。
「そうです。準備ができたら行きましょう、エリゼさん」
そして二人はすぐにソーセージと焼き肉を売る店に向かった。
「おお、リースか。今日は誰と一緒だ?」
店主は気さくに声をかけた。
リースはこの街中で雑用を引き受けまくっている下級冒険者で、評判がいいから顔見知りが多いのだ。
隣に立つエリゼは軽く会釈した。
スカートの裾をつまむ仕草はしなかったが、それでも上品さがにじみ出ている。
「エリゼです。お商人の娘で、父が商談中の間に街を見物に来ました」
それを聞いたリースは苦笑いした。
この調子で上流言葉を使ってしまったら絶対にバレると思ったが、どうやらそうでもないらしい。
「はははは、いいねぇ。商人の娘なら、叔父さんの店をちょっと贔屓してくれねぇか?」
「あ、はい」
エリゼは慌てて即答した。
そして助けを求めるような視線をリースに送る。
今は断るべき? それとも買うべき? 買い物ってどうやるの?
簡単な状況なのに、頭の中がぐちゃぐちゃだ。
でも『エスタの便利屋さん』に助けを求める前に、彼女のお腹が先に状況を解決してしまった。
ぐぅぅぅぅ――
その音はあまりに大きくて、エリゼは恥ずかしさのあまり両手でお腹を押さえ、体をねじって人目から隠そうとした。
「そういえば、エリゼは今朝から何も食べてないんですよね」
リースはエリゼに微笑みかけると、露店の主人に向き直った。
「ソーセージ二本でお願いします」
「はいよ」
店主は鉄のトングで炉の上に吊るされたソーセージを取り出すと、手際よく切り分けて串に刺し、二人に手渡した。
「いつもの小銅貨八枚だ!」
「ありがとうございます」
リースは楽しそうに大きな声で言い、自分の袋を開けて慣れた手つきで小銭を出し、礼を言った。
店主は木の箱に小銭を入れ、もう一度笑ってから、ふと思い出したようにびくっと体を震わせ、慌てて左右を見回してから顔を近づけてきた。
「これ、エスタには絶対言わないから」
「え……」
リースとエリゼは同時に苦笑いした。エスタはもう知ってるって言ったほうがいいのか、それとも黙ってるべきか……。
ソーセージを受け取った二人は、道ばたの長椅子に腰を下ろした。何十年も使われている木製のベンチで、古びてはいるがずっと手入れされてきた。
「味……ううん」
エリゼは最初のひと口を噛んだとき、低くて小さな声で呟いたが、嫌そうな顔はまったく見せず、二口目を続けた。
「お口に合いませんか?」
エリゼは首を横に振った。
彼女は行き交う人々を眺めた。
この市場には大勢の人がいて、みんな大声で話している。
荷車がすれ違い、どこかでは修理をし、どこかでは飾りつけをしている。みんなが同時にそれをやっている。
騒がしいのに……エリゼはなぜか「穏やか」だと感じていた。言葉にできないほどに。
目の前の景色が語りかけてくるようだった。
大丈夫だよ、じっくり見てていいんだよ。何も考えなくていい、悩まなくていいって。
貴族の社交界とは正反対だ。
あそこは静かな場所で上流階級が大勢集まっているのに、音楽の下に隠された孤独が漂っている。
「いいえ、味のことは悪くないんです。でも違うのは……どう言えばいいか、こんな気持ちで食べ物を食べるのは初めてだってことでしょうか」
「そうなんですか……」
「私たちって、食事のときは大きなテーブルにみんな座って、数えるほどしか会話をしないんです。客もいない、外の人もいない、ずっと見張られてるみたいで」
リースは少し黙ったエリゼを見つめた。
「でもここは、好きなように食べていい感じがして……みんなが話してるのを見て、みんなが働いてるのを見て……騒がしいのに心地いいんです」
彼女の顔は戸惑いでいっぱいだった。
言いたいことをまとめようとしているのに、どこから始めればいいかわからないみたいに。
「僕は貴族の気持ちはわからないですけど、こっち側の視点から言えるのは、これが街だから、ってことくらいですね」
「これが街なんですね。私みたいな貴族が……知らなかった街」
リースの答えに、エリゼは口元が緩みっぱなしになった。
そうだ、これが街なんだ。
彼女は次のひと口をソーセージに噛みつき、深く息を吸った。
エリゼが知ってる街は全然違った。
豪華な建物ばかりで、高級な店ばかりで、みんなが立派な服を着てる。
ここは華やかさなんてないけど、生きてるって感じが満ちている。
ソーセージを食べ終えると、リースが手を伸ばして彼女の串を受け取り、くるくる回しながら近くの木の桶に捨てて、戻ってきてエリゼに向き直った。
「次は何食べますか?」
「はい」
小さな声で答えて、二人は立ち上がり、市場通りの奥へと進んだ。
道中、エリゼはいろんな商品を見て回った。
焼き立てのパンを食べたり、大都市じゃ味わえない地元の料理やお菓子を試食したり、下層民が使う道具――貴族なら絶対手に取らないもの――を見たり、遠方から来た行商人の品物まで眺めたり。
エリゼは、舞踏会の華やかさでは決して教えてくれなかった「暮らし」を見た。
そして道すがら、どの店の主人も顔を近づけてきて、こう言った。
「これ、エスタには絶対言わないから」
二人は時間をたっぷり使って、ようやく市場の突き当たりまで来た。角には木の看板を修理するための足場が組まれている。
「中央通りに行ってみますか?」
「はい」
リースが笑顔で尋ねると、エリゼは頷いて答えた。
「危ない!!!!」
だが、一歩踏み出した瞬間、大工の叫び声が響いた。
だが、もう遅かった。縄で固定されていた足場が、リースとエリゼの上に崩れ落ちてきた。
これから物語の主軸はいよいよ本格的にクライマックスへと突入します。
リースとエリーゼの休息は、最後に崩落した足場によって阻まれてしまいました。
二人は一体どうなってしまうのか、ぜひ次回の更新を楽しみにしていてください。
もしお気に召しましたら、ぜひ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ や絵文字で応援していただけると嬉しいです!




