2-6 間章:もう一方、覗き見る娘
今日もいつものように、家は完璧に掃除されていた。
埃の影すら残っていない。これは一ヶ月前から突然始まったことだ。
アンジェリカは窓枠を指でなぞった。
リースが去ってから、家がこんなにきれいだったことは一度もない。いや、彼がいた頃よりもさらにきれいだと言える。
誰がこんなことをしているんだろう?
だって、アニアしかいないじゃないか。でも今、彼女はいないんだ。
アニアは今日も朝早くから出かけていった。
「『私が必要な』仕事はないよね?」
それが毎日の決まり文句になっていた。
彼女は単独任務で一度も危険に遭ったことがないのに、アンジェリカとルーシーはその言葉を聞くたびに胸が締めつけられる。
彼女はいったいどんな任務に行っているんだろう?
二人の少女は心底知りたがっていた。
少なくともアニアはパーティーのメンバーだ。
もし彼女が死んだら、パーティーは解散してしまう。
最低四人というルールがあるからだ。
アンジェリカはもう我慢できなくなっていた。
彼女はアニアを尾行しなければならなかった。でも、どうやって?
アンジェリカは自分の髪が目立ちすぎることに気づいていた。
遠くから見られただけで即座に自分だとバレてしまう。
だから、ばれずに尾行できる方法を考えなければならなかった。
髪を染める。それがまず浮かんだ案だった。
でも、どうやって染めれば、家に帰ってきたときに怪しまれないんだろう……
そうだ、魔法で染めればいいんだ。
そう思い立ったアンジェリカは貯金箱を割り、貯めていたお金を全部取り出した。
だが、そのお金はあまりにも少なかった。
ヴィクターが名声に飢えすぎていたせいだ。
彼はパーティーが過酷な任務を連続でこなせるようにと、負傷するたびに高額な報酬を払って僧侶たちを雇っていた。
そのため、パーティーの資産は一向に増えなかった。
「くそっ」
炎のような赤髪の少女は、手の中のわずかなお金を眺めて悪態をついた。
それでも彼女はそんな馬鹿げた考えをすぐに振り払った。
時間は待ってくれない。
アンジェリカは頭を覆うマントを羽織り、急いで街の魔女の店へと向かった。
店の扉を慎重に開け、アンジェリカは店主の老魔女の視線を避けながら、魔法具が並ぶ棚へと歩み寄った。
髪の色を変える魔法の首飾り――価格は大銀貨五十枚。
その値段を見た瞬間、彼女は目を見開いた。
持っているお金のちょうど二倍以上だった。
それでも諦めたくなくて、彼女はその首飾りを手に取り、カウンターへと向かった。
「魔女様……これ、値下げしていただけませんか……」
「だめ!」
即座に拒絶の声が返ってきた。
顔を上げると、返ってきた視線には一切の友好的な色はなかった。
「おねがいします……私にとってすごく大事で……」
「なぜ私が狂犬どもに同情しなくちゃいけないの?」
老魔女の返答に、アンジェリカは言葉を失った。
ヴィクターのパーティーをみんなが嫌っている。それは理解できることだった。
炎のような赤髪の少女の胸に怒りが込み上げてきた。
だが今はそれを抑えなければ。
彼女の今の願いは、アニアが何をしているのか自分の目で見ることだ。
もしここで失敗したら、この道で成長する機会を失ってしまうかもしれない。
しかし、嫌い合っている相手との交渉では、力を抜いて相手に極端に譲歩してはいけない。
弱みを見せたら、後でそれを利用されてしまうかもしれないからだ。
彼女は因此フードを下ろし、炎のような髪と鋭い視線を露わにした。
「アニア――私の友達が最近おかしいの。この頃一人で任務に出かけている。
私は彼女がどこに行っているのか確かめたい」
「アニアね……」
老魔女は長いため息をつくと、もう一言付け加えた。
「いくら持ってるの?」
アンジェリカは驚いて一瞬固まった。
アニアの名前を出しただけで、なぜ店主があっさり折れるのか。
もしかして、アニアにはパーティーが知らない隠れたつながりがあるのか?
ヴィクターは本当にそんな人物を切り捨てようとしているのか?
だが、そんな疑問は後回しだ。
彼女は強硬な態度を少し和らげ、老魔女に答えた。
「大銀貨二十五枚……」
「はあ……それなら使い捨てのほうにするしかないわね。一つ大銀貨三枚よ」
老魔女は大げさにため息をつき、指でいっぱいに入ったリングの籠を指した。
そこには札が立ててあって、『髪色変更使い捨て魔法具』と書かれていた。
「石の色が、お前の望む髪色だ。説明書通りに魔力を込めれば髪色が変わる。連続使用は八時間だ」
彼女はぶっきらぼうで無愛想な声とともに、説明書を炎の髪の少女に差し出した。
それを受け取ったアンジェリカも内心気まずかった。
感謝の言葉を返すのが精一杯で、それ以上の恩返しはできなかった。
「ありがとうございます」
ヴィクターのパーティーをみんなが嫌っている。
それは周知の事実だった。
そしてアンジェリカはリングを五個と、ちょっと間抜けに見える眼鏡を一つ買った。
翌朝、アニアが家を出て行った後、アンジェリカは空になった皿の上にフォークを置いた。
静かに席を立ち、肩にマントをかけ直しながら、テーブルに残ったパーティーメンバーの二人に尋ねた。
「『私が必要な』仕事はないよね?」
ヴィクターはまるで両親の前で物を割ってしまった子供のような目で彼女を見た。
ルーシーは肉を刺したままのフォークを宙に浮かせたまま固まっている。
「え……アンジェ、今日どうしたの?」
金髪の男の口から、迷子になった子犬のような情けない声が漏れた。
アンジェリカの胸の奥から、何かが溢れ出した。
――アニアに対してあんたは何をしたの? まるで彼女に価値がないみたいに。
アンジェリカはアニアをそれほど好きだったわけではない。
それでも、女同士だ。
パーティーメンバーからの露骨な差別待遇に、彼女は苛立ちを抑えきれなかった。
「今日は私の日よ!」
硬い声で言い放つと、彼女は腰に剣を差して、そのまま家を出て行った。
人目につかない狭い路地で、左右を確認して誰もいないことを確かめてから――
アンジェリカは濃い茶色のリングにそっと口づけした。
髪がその色に変わる。
彼女は眼鏡をかけ、髪を編み始めた。
だが、出来上がったのは乱れた三つ編みで、形になっていない。
最後に髪を編んだのはアッシュエンブルクを出た日だったことを思い出した。
――たった二年編まなかっただけで、もう上手くできないなんて。
それでも、これで少し間抜けに見える新米魔術師のふりができる……はずだよね?
朝の冒険者ギルドはすでに賑わい始めていた。
冒険者たちが仕事を求めて集まってくる時間だ。
でもヴィクターはこの時間には来ない。
最近はギルドから直接仕事を受けることが多いからだ。
彼女は背中を丸めてゆっくりと中へ入り、
アニアがカウンターの前に立っているのを見て、そっと近づいて聞き耳を立てた。
「おはようございます、アニアさん」
「おはようございます」
受付嬢が立ち上がって軽く頭を下げると、アニアは胸に手を当てて優雅にお辞儀を返した。
まるで貴族のような仕草だった。
「こちらが今日のお仕事です。かなり急ぎで申し訳ありません」
「問題ありませんわ」
アニアの返事は甘く柔らかく、まるで親しい友人と話しているかのようだった。
職員相手とは思えない。
どういうこと? 私たちと会うときは、ほとんど質問に一言で答えるだけなのに?
アニアがカウンターから背を向けて歩き出すと、すぐに誰かが声をかけた。
アンジェリカは慌ててその声の主を探した。
「アニア、今日はどこに行くの?」
声の主の女性がアニアに近づいていく。
彼女はランタナの美人パーティーに所属する魔術師で...ありえない。
あの人たち、私たちの顔を見ただけで殺気立つくらいなのに。
「今日は……えっと……『ヴァナデの洗濯屋』よ」
『ヴァナデの洗濯屋』? 冒険者御用達のあの洗濯屋?
アニアに何があったの? 彼女は破壊の魔女のはずでしょう?
アンジェリカの頭の上に巨大な疑問符が浮かんだ。
顔が熱くなるほど考えが乱れるのを必死に抑え、会話を聞き続ける。
「うわあ、相当な量になりそうね。先日の大規模討伐で血まみれになった服が山積みだろうし」
「行ってみないとわからないわ」
「私の服も入ってるから、ありがとう」
「それじゃあ失礼するわね」
話し終えると、アニアは相手に優雅にお辞儀をしてギルドを出て行った。
「アニアをあんなに変えちゃったものって一体何なんだろう?」
クリフ――彼女たちとそりが合わないもう一人の男の声が響いた。
アンジェリカは急いで近くの空いたテーブルに駆け寄り、会話を聞き取ろうとした。
「恋人から贈り物が届いたんだってさ。いいなあ、恋愛って」
クリフのパーティーに所属する女騎士が答えた。
彼女は重い鎧を着た肩に頰を寄せ、恥ずかしそうに体をくねらせる。
「そろそろ結婚の時期かな? でも残念だよね。アニアがいなくなったら、掃除系の依頼を引き受ける人がいなくなるよ」
別の誰かの声が続いた。
アンジェリカは振り返ることができない。
だがその言葉に、心臓が飛び出しそうになった。
――まずい、まずい。結婚は女性冒険者が無条件で引退できる特別な例外だ。
「アニアが本当に抜けたら、あのパーティーは崩壊する。それって最高じゃないか!」
「アニアを応援しようぜ!」
バン!
アンジェリカの手が怒りでテーブルを叩いた。
獣のような鋭い視線で悪口を言う連中を睨みつける。
次の瞬間、激しい感情が計画を台無しにしたことに気づいた。
彼女は慌てて立ち上がり、すぐに逃げ出した。
ヴァナデの洗濯屋は城壁の外にある開けた場所で、広大な干し場があり、街を流れる川の水を利用した洗濯場が併設されている。
アンジェリカはこっそりと洗濯屋の中に潜り込んだ。
彼女は腕の立つ冒険者だ。
壁をよじ登ったり狭い場所に身を隠したりするのが得意で、少ない従業員の視線を容易く避けることができた。
中では、アニアが冒険者の装備から洗濯屋の制服に着替えていた。
薄緑色のメイド風の服に厚手のエプロンを着け、白い肌と赤茶色の髪に合わせると、息をのむほど似合っていた。
まるでアニアは最初から冒険者の服を着るべきではなかったかのようだ。
「アニアさん、こちらの準備ができました」
「わかりましたわ」
水車で汲み上げられた大桶の水が、アニアの魔法で引き上げられる。
洗濯室の中央に巨大な水の塊が浮かんだ。
次の瞬間、その中心に風が生まれ、水の渦巻きが形成される。
入れられた洗剤が巻き込まれ、内部で泡立っていく。
「服を入れてください」
アニアが指示を出すと、作業員たちが次々と汚れた衣類をその水の塊の中に入れていく。
左右に回転しながら、汚れが剥がれ落ちていく。
汚水が少しずつ排出され、新しい水が補充される。
この工程が一時間ほど続き、最初に入れた衣類が取り出されて干し場へ運ばれた。
「次をお願いしますね」
アニアが再び声をかけ、独特の洗濯工程がもう一度始まった。
アンジェリカは静かにアニアを見守り続けた。
一日中その場に留まり、仕事が終わるまで見つめていた。
いつからか自分の髪が元の炎のような赤色に戻っていたことにも気づいていなかった。
「ありがとう、アニア。本当にあなたがいなかったら私たち大変だったわ」
「気にしないで。私はお金のためにやってるだけよ」
「またこんな大仕事が入ったら、もう一度手伝ってもらえる?」
「約束はできないわ。ギルドが管理してるから」
彼女の声は柔らかく優しかった。
みんなが彼女を愛し、慕っている。
まるで……パーティー内の人間関係こそが悪いものだったかのように。
これが恋に落ちた女性の力なの?
もう……もういい……。
アンジェリカの心は「恋」という言葉を思うだけで疲れ果てていた。
そうだ、アンジェリカはリースを愛していた。
だからこそ彼を追い出したのだ。
でもリースがいなくなってから、アンジェリカは驚くほど強くなった。
けれど……孤独だった。
今の彼女はアニアが羨ましかった。
帰りを待ってくれる恋人がいるアニアが――少女はぼんやりと夕暮れの街を歩き続けた。
足は止まる気配を見せず、無目的に進んでいく。
心が命じていないのに。
頭が眠ったようにぼうっとしている。
気づいたときには、冒険者ギルドの前に立っていた。
それはちょうどアニアが出てくるときと重なった……。
「あら、誰かと思えば」
彼女の言葉は質問でもなく、皮肉でもなかった。
声は相変わらず柔らかく、顔には笑みが浮かんでいる。
「アニア……」
「こんな夜に散歩? どうしたの、アンジェ?」
名前を呼ばれた瞬間、アンジェリカは慌てて手に持ったリングを見た。
それは濁った白い石に戻っていた。彼女は乱れた三つ編みの髪を慌てて手で押さえた。
そんな様子を見たアニアは、長いため息をついてから続けた。
「気にしなくていいわ。私、朝から知ってたもの」
「ごめん……」
「いいのよ。でも、頻繁にやるのはよくないわね」
アンジェリカはゆっくりと頷き、そばにいるパーティーメンバーのところへ歩み寄った。
「一緒に帰りましょう」
甘い声での誘いに、アンジェリカの心臓が激しく鳴った。
嬉しいからではなく、罪悪感からだ。
これまで自分もヴィクターと同じようにアニアをよそ者扱いしてきたのに、隣にいるアニアは自分に対してそうはしなかった。
「あなたをよそ者だと思ってて……ごめんね」
「そんな小さなこと、気にしないで」
アニアは肩をすくめた。
実は自分も昔、同じ気持ちを抱いていた。
でも今はもうどうでもいい。
新しく手に入れたリースからの目標があるから。
でもアンジェリカはそのことを知らない。
二人はゆっくりと並んで歩き始めた。
その間、アニアは小さく鼻歌を歌っていた。
それを聞いたアンジェリカは、朝の重要な言葉を突然思い出した。
「ねえ、アニア……結婚するの?」
彼女はそう尋ねたが、アニアは高い声を上げた。
「私が結婚? どこからそんな話が出てきたの?」
「だって、あなた最近おかしいんだもん……」
それを聞いて、赤茶色の髪の少女は長くため息をついた。
彼女はこのことをパーティーから、特にアンジェリカから遠ざけておくつもりだった。
だが、まさか探しに来るのがこのアンジェリカだなんて。
だから、少しだけ話しても害はないだろう。
「私には新しい目標ができたのよ。お金を貯めるのにあと二年かかると思う。それくらいの時間があれば、みんな六人目のメンバーを探せるはずよね」
「六人目? でも……私たち四人じゃない……」
アニアは振り返り、アンジェリカに微笑んだ。
それは美しく優しく、でも少し悪戯っぽい笑みだった。
その笑みには魔力が宿っているようで、見る者を魅了してしまう呪いのように感じられた。
「アンジェ……私にとって、リースは永遠に五人目のメンバーよ」
アンジェリカの瞳が震えた。息が詰まる。
アニアのあの笑みの下で、彼女の言葉が本心なのか、それともからかっているだけなのか、まったくわからなかった。
そして一緒に歩いてきた道すがら、彼女は気づいていなかった。
アニアが自分を愛称で呼んでいたことに。
著者コメント
こんにちは!今回は幕間のお話です。 実は執筆当初、パーティーを内部崩壊させる予定でした。でも、どうしてもそうしたくなかったんです。 彼らには彼らなりに、この道を歩み続けてほしいと思いました。 「不可欠な存在」を失い、死ぬほどではないけれど、ひどく苦労しながら進んでいく……そんな姿を描きたかったのです。 ……なのに、どうしてアニアの「スローライフ」になっちゃったんでしょうね?(笑)
さて、次回の予告です。 次のお話で、物語のひと休みは最後になります。 ここからは一気に加速していきますよ!




